第42話 ただいまがさよならの合図です

 目が覚めたら、そこには部屋に飾ってあったはずのクマのぬいぐるみがいて、しゃべったことに驚いていると、仲間たちに囲まれた。

 質問に答える内に混乱が落ち着いてきて、夢の中での出来事を思い出す。


「……これ、私の体?」

「そうだよ、アズちゃん!」

「魂、元に戻ったの?」


 皆の顔を見回すと涙で濡れた瞳が向けられていて、全員が何度も頷き、肯定を示した。


「おかえり。アズサ」


 クルトの声が背中から聞こえて、体を後ろへ倒しながら振り仰いだ先で辿り着いたのは、危なげなくアズサを支えてくれる温もりと、クルトの笑顔。


「ただいま。……心配掛けて、ごめんね」


 全員へ向けた言葉を発すると、抱き締められたり頭を撫でられたりと揉みくちゃにされた。


 皆の興奮が落ち着いたところで、クルトの手を借りてアズサは立ち上がる。

 クマを膝に乗せてソファに座っているフランクのもとへ歩み寄り、緩んだ笑みを浮かべた。


「ただいま。フランク先生」

「おかえり、アズサ。怪我を増やした件について、後でお説教だね」

「あれ? ……左の手のひらが、痛い!」


 言われたことで怪我に気付いたようで、左手に巻かれた包帯を見てアズサは小さな悲鳴を上げる。


「右腕にも包帯が巻かれてるし! 何これ?」

「手のひらは私が切ったが、腕はお前が自分でやったのだぞ」

「クマがしゃべった!」

「まだ混乱しているか。お前がいない間のことを伝えるから、私の杖と水晶を持ってこのクマの体を抱き上げなさい」


 ちょうど杖のそばにいたブラムが杖を拾い上げ、水晶玉はリュドが手に取り運んできた。アズサがその両方を受け取ると、ラドバウトの指示でフランクが、クマのぬいぐるみをアズサの頭へ乗せた。


「なんだか間抜けじゃない? これ」

「いや、可愛いよ」


 笑いを堪えているフランクへ不満げな視線を向けたアズサへ、頭上からラドバウトが指示を出す。


「杖に額を付けなさい。そうすれば、私も杖に触れる」

「クマちゃん、腰の杖は何のためだったの?」


 フェナからの質問に、ラドバウトは答える。


「こちらは声を伝えるのに使っている」


 目を瞑るように言われ、アズサは素直に従った。頭上のクマが呪文を唱えたが、傍目にわかる変化は特にない。

 だが、アズサには何らかの効果があったようで、目を開けたアズサは先ほどに比べるとだいぶ落ち着いたようだ。


「……ラドバウトさんは、それで良いの?」

「構わんよ。それが自然の流れだろう」

「せっかく、こうしてお話しできるようになったのに」

「効果が切れる度お前に血を流させては、クルトやそこの医者が怖い」


 アズサとラドバウトの会話をそばで聞いていたクルトが、どういう意味かを尋ねれば、泣きそうな顔でアズサが答える。


「ユウイチをニホンへ帰したら、ラドバウトさんともお別れだって。自然の魔力はもうこの世界にはないから、唯一魔力を蓄えている杖と水晶も、壊すつもりなんだって」

「千年前の戦争の時点で、魔力は枯渇寸前だったのだ。それを、異端の魔女と生き残りの魔法使いたちが力を合わせ、この水晶に凝縮した」


 杖と水晶が無くなれば、魔法の存在は完全に世界から失われるのだと、ラドバウトは告げた。

 魔女の子孫の血液は、水晶玉から魔力を引き出す鍵の役割をしていたらしい。


「実を言えば、水晶内の魔力はかなり昔に使い切っていてな。現在の魔力の供給源は、杖に付いた赤い石。この赤い石は、私の母を含めたカウペル代々の王と王配の命からできている。三百年、私の我儘に付き合わせたからな。そろそろ彼らを解放してやりたいのだ」


 最初に世界の平和を願った魔女が作り上げた仕組みにより、魔法を使うには水晶玉と杖の存在が不可欠なのだという説明を最後に、クマがアズサの頭の上で立ち上がり、振り向いた。


「さて、ユウイチ。別れを済ませてしまいなさい」


 こちらの世界へ来た時に着ていた服とリュックを持った勇一が、入り口に立っていた。

 室内全ての視線を一身に浴びた勇一は、深く、頭を下げる。


「皆さんには本当に良くしてもらって、本当に、お世話になりました!」


 顔を上げた勇一は、先ほどまで着ていた服を抱えておろおろ視線を彷徨わせた。


「あの、本当は洗濯して返すべきなんですけど……部屋は掃除して、シーツも洗っておいたんですけど、さすがに、さっきまで着てた服はどうにもできなくて……」

「ユウイチって、最後まで気遣いさんだねぇ」


 リニが歩み寄り、勇一の頭を両手でぐしゃぐしゃに掻き回す。


「僕が洗濯しますよ。それよりも、今度こそ本当に、ユウイチとはお別れなんですよね? 歳が近い友達は初めてだったので、ユウイチがいなくなるの、すごく寂しいです」


 勇一の腕から服を受け取り、ハルムが瞳を潤ませた。勇一も瞳を潤ませ、ハルムへ笑みを向ける。


「俺も寂しい。お前と過ごすの、すっごく楽しかったから」

「ハルムと仲良くしてくれてありがとな、ユウイチ」

「イーフォさんにも、たくさんお世話になりました」

「エリーも、ユウイチとお料理するの楽しかったよ! 新しいレシピ教えてくれてありがとう!」

「ニホンに帰っても、元気でね」


 エリーとマノンの言葉に、勇一は何度も頷いた。


「エリーちゃんとマノンさんも、お元気で」


 ヨスが勇一の頭を撫でて笑い、リュドは、ぽんと優しく背中を叩く。


「ニホンでも体、鍛えろよ!」

「まぁ、無理しない程度にな」

「はい! お世話になりました!」


 フェナとは握手を交わし、ほとんど関わることの無かったコーバスとガイは、勇一の背中を叩いてブラムの前へと押し出した。


「言葉もわからない世界へ引き込まれ、被害者だというのに弱音を吐かずにいたユウイチは、すごい奴だと思う。お前ならきっと、ニホンへ帰っても上手くやっていけるだろう」


 ブラムに頭を撫でられると、堪えられなくなったのか、勇一の目から涙が溢れ出す。


「本当は、ずっと不安だったんですっ。こんな訳わかんない状況で、家、帰れんのかなとか……だけど、仕事、与えてもらって、居場所を与えてもらえて俺、ほっとしたんです。ブラムさんにはほんと、たくさんっ、お世話になりました!」

「ユウイチ。お前はよくやった。……元気でな」

「はい! ありがとうございました!」


 ブラムが懐から取り出したハンカチが顔に押し付けられ、勇一はブラムの手で、クルトの方へ導かれる。


「……これ、全員やるのか?」


 クルトの言葉を聞き、勇一が噴き出して笑った。


「やります! だって、最後ですから。クルトさんも、本当にお世話になりました。アズサさんと末永くお幸せに!」

「ありがとう」


 勇一はフランクの方にも行こうとしたが、苦笑と共に手を振って断られたため、頭を下げるだけに留めた。

 最後にアズサの前に立ち、勇一は笑顔を見せる。


「おかえりなさい、アズサさん。ご無事で何よりです」

「ありがとうございます。ユウイチも無事に帰れること、本当に良かったですね。――そうだ! 夢の中でクルトからされた質問の件なんですけど、思い出しましたよ」

「夢……? あ、もしかして、杉本梓さんのことですか?」


 そうだと言って、アズサは微笑む。


「杉本梓は結婚後の名前です。旧姓は、田代梓。でもこちらはユウイチとは無関係だと思いますよ。ひなた幼稚園、知っていますか?」

「はい。年中から、俺が通った幼稚園です」

「結婚して、子育てが落ち着いてから、杉本梓はそこの園長をしています。西野好美、という名前に覚えはありませんか?」

「……俺の、ピアノの先生です」

「結婚して西野の姓になっていますが、好美は杉本梓の娘なんです。幼稚園からの紹介で、習い始めたでしょう?」


 言葉もなくこくこく頷く勇一に向けて、アズサは頭を下げた。


「ごめんなさい。ユウイチがこの世界に呼ばれたのは、私のせいだったみたいなんです」


 顔を上げると同時に勇一の両手を握り、アズサがまっすぐ、勇一の瞳を見つめる。


「ラドバウトさんがエフデンの王族に罠を仕掛けていたせいで本来なら発動することのなかった術が発動し、私の魂がこちらへ帰る時に通った道を通じて魔法の力がニホンへ辿り着いた。私が宿っていた杉本梓と関わったことで、ユウイチは何らかの影響を受けていたのでしょう。それで、フィーの条件に合致したユウイチが、こちらの世界へ呼び出されてしまった」

「……そんな偶然、あるんですね」

「偶然ではなく、運命かもしれません」


 アズサは苦笑を浮かべたが、勇一には、何が運命なのかさっぱりわからない。ちらりとクルトへ視線を向けてみたが、彼もわからないようで、眉間に皺を寄せている。


「だって、私の魂の修復には、あなたの存在が必要不可欠でしたから。……ありがとう、ユウイチ。あなたのおかげで私は、大好きな人たちのもとへ帰ってこられました」

「そ、そんなっ……また泣きますよ、俺っ」

「お礼に一つ、良いことをお教えします」


 ブラムから渡されたハンカチで涙を拭いながら、勇一は首を傾げて問い掛ける。


「ラドバウトさんが詠唱を始めたら、帰りたい場所と時間を思い浮かべてください。召喚された場所と時間でも構いませんが、家に到着する予定だった時間と家を思い浮かべれば、そこへ辿り着くことも可能です」

「めちゃくちゃ良いことを聞きました。やってみます」


 頭の上からクマが飛び降りて、アズサの腕の中へ収まった。


「私の復讐に巻き込み、迷惑を掛けてすまなかった。もしこの世界で過ごした記憶が不要であれば、消してやることもできるぞ」


 ラドバウトからの提案に勇一は、首を横に振る。


「許されるなら、皆さんと過ごした思い出は、忘れたくないです」

「そうか。言語に関する魔法は、同時に解いておく」


 ではやるぞ、というラドバウトの言葉を合図に、勇一はもう一度、頭を下げた。


「お世話になりました!」


 杖を持ったアズサの腕に座り、短い両手で杖を抱えたラドバウトが詠唱を始めると、勇一はアズサのアドバイス通り家の前を思い浮かべる。

 日付と時間も、覚えている。

 終電に乗って帰ってきたから、日付が変わって、一時近くだ。


 勇一は目を開け、見送るアズサたちの顔を一人一人、記憶に焼き付けた。

 ラドバウトの声が途切れると、眩い光に包まれ、目が眩む――


――光が収まり目を開ければそこは、自宅の前だった。時間を確認するためリュックからスマートフォンを取り出そうとして、気付く。


「……ブラムさんのハンカチ、持って帰ってきちゃった」


 その後確認したスマートフォンの画面表示は、帰りたかったあの日の帰宅時間ぴったり。

 勇一は玄関の鍵を開けて、家の中へ入る。


「ただいま」


 ようやく帰ってこられたことを実感したら空腹を感じて、家族が寝静まった家の中、勇一は台所へ向かって歩いて行った。


   ※


 一方、勇一の姿が消えた談話室では、もう一つの別れの儀式が始まろうとしていた。


「お前たちにも、迷惑を掛けた」


 アズサの腕に座ったまま、クマが告げる。


「お詫びと言ってはなんだが、残った魔力を全て使って魔女の加護をやろう。効果は……そうだな」


 商売繁盛なんてどうだと言って、表情を動かせないクマの体でラドバウトは、ニヤリと笑った雰囲気を醸し出す。


「世界平和なんて大それたものでは効果が短くなるからな。細く長く続くように、お前らの職業にはちょうど良いだろう。お前たちなら、魔法などなくとも平和を作れると期待している」


 ではな、と言いたいことだけを言ってさっさと詠唱を開始しようとしたクマの頭を、クルトが鷲づかんだ。

 ジタバタ暴れることなく脱力して、ラドバウトは文句を口にする。


「何をする。何か不満があるのか?」

「本当に最後の別れなら、ちゃんとしろ」

「クルトは口うるさいのぅ」


 クルトの手の平に乗せられて、ラドバウトは立ち上がった。


「妻と娘とすら――それどころか、父と母とすらちゃんとした別れはできておらんというのに……これぞ無茶振りというやつだな」


 短い腕を組もうとして失敗したラドバウトの前に、フェナとリニとマノンとエリーが駆け寄った。


「ラドバウトさん、死んじゃうってことだよね?」

「ねぇ。もう少し考えない? 本当にそれしか方法はないのかな、ラドっち」


 フェナとリニの泣きそうな顔を前にして、ラドバウトは少し動揺しているようだ。


「アズサの体を乗っ取るなんて悪い人かと思ってたのに、良い人でびっくりしたよ」

「永遠のお別れ二連続とか、寂し過ぎるんですけど!」


 マノンとエリーからの言葉を受け、ラドバウトは、明るい声で笑う。


「私は、世界を滅ぼす力を持った悪い魔女だぞ。……人間誰しも、力があれば使いたくなるものだ。私を、可愛いお前たちが笑って過ごす世界の破壊者にしないでおくれ」

「ラドっちなら、やらなそうじゃない?」

「可能性は残さない方が良い。それにな、かつての私も絶対にそのような力の使い方はするものかと誓っていたが……妻と娘の死をきっかけに私は、自分勝手に力を使った事実がある」


 お前たちと過ごす時間は楽しかったぞと告げて、クマの手がそれぞれの手に触れた。

 最後にクルトの手を撫でれば、ラドバウトはアズサの元へ戻される。


「……お疲れ様でした、ラドバウトさん」

「幸せになるのだぞ」

「はい」

「クルト。私の娘はお前に任せるからな」

「安心して、任せてくれ」

「では今度こそ――さらばだ」


 長い、長い詠唱だった。


 まるで歌のようなそれは柔らかな光を紡ぎ、杖に付いた赤い宝石が一つずつ、消えて行く。

 気付くと、血液が溶け込んだ色をした水晶玉もかなり小さくなっていて、アズサは手の中が軽くなっていくのを感じていた。

 柔らかな光は談話室内にいる者たちの体へと溶け込み、外へ向かって漂い出て行く光もある。


 杖に付いていた赤い宝石が完全になくなり、水晶玉は溶けるように消えた。

 ラドバウトの声が止まると、金色の杖は風化し崩れていく。アズサの腕の中のクマのぬいぐるみも同じように形を失い……跡形もなく、姿を消した。


 アズサはしばらく無言で、何もなくなった手のひらを眺めていた。


「…………ねむい」


 呟いた直後、アズサの体から力が抜け落ち、クルトが慌てて受け止める。


「ごめん。心配しないで。ちゃんと朝には、起きるから」


 その言葉を最後に、アズサはクルトの腕の中、静かな寝息を立て始めた。

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