第41話 修復作業の思い出語り

 ギルドと王族の間での交渉は全て終了し、レイナウトがゲレンの街の見学を終えると、野営地を撤収して国王一行は王都へ帰って行った。


 レイナウトには、ギルドマスターが魔女に憑依された状態である件は掻いつまんで話してある。会えない理由を納得してもらうためであり、今後、友好的な関係を結んでいきたいという意思表示の意味で情報を開示した。

 魔女の意向で、バウデヴェインには秘密のままだ。


 ギルド本部での交渉終了後、バウデヴェインは野営地へ戻り、レイナウトとフィロメナはゲレンの街を見て回る。それにはクルトとラドバウトも同行して、アズサの姿が王太子の隣にある状態を見せることで、街の人々の不安を解消した。


 勇一の件に関しては、最終的にギルドへ押し付ける形になったことをレイナウトが気にしていたが、王族に恩を売れたのだからギルドとしては悪くない結果だ。


「ねぇユウイチ、本当に帰ってしまうの? わたくしと王都で暮らさない?」


 名残惜しげに腕に触れたフィロメナへ、勇一は困った表情を浮かべながらも、はっきり自分の意思を伝える。


「俺は、帰ります。フィーと王都に行っても、仕事どうするんだろうって問題とか色々出てきますし、何より、俺の居場所はこの世界ではないので」

「そう……残念だわ」


 しゅんと項垂れた妹の頭に手を置き、レイナウトは勇一へ視線を向けた。


「ユウイチには迷惑を掛けてしまったね。本当に何も、いらないのかい?」

「本当にいらないです! 親に言い訳考えるの、大変なんで」

「欲がないね。では、言葉だけで申し訳ないけれど……無事に帰れることを、祈っている。元気でね」

「はい。王子様も、体に気を付けて元気でいてください」


 アズサが元に戻ったら王都へ遊びに来るよう伝えてくれと告げて、レイナウトとフィロメナは近衛騎士たちや国王と共に、ゲレンの街を後にした。


 これで王族関連のごたごたは解決し、後はアズサの帰還を待つばかり――


 仕事を終えた夜の屋敷では、アズサの魂の修復を目的とした、思い出語り大会が開催されていた。


「会った順番でいうと、最初はリュドさんな!」


 イーフォから指名され、リュドは眉間に皺を寄せて何を話せば良いか考えているようだ。元々口数が多いタイプではないため、こういうことは苦手なのだろう。


「リュドさんから見た、アズサの最初の印象はどんなだったんすか?」


 イーフォが出した助け舟に、ゆっくり考えながら、リュドは答える。


「薄気味悪いチビがいるなと、思ったな」

「え? どうしてですか?」


 他のメンツとは違い、酒のグラスではなく緑茶の入ったカップを手にしたハルムが、首を傾げた。


「あのでっかい両目で、アズサは見透かすように人を見てたんだ。俺は、あの目が苦手だった」

「俺たちの知らないアズサだ。な、クルト」


 イーフォから話を振られ、クルトは首肯する。少なくともクルトは、アズサに薄気味悪さなど感じたことはない。


「お前たちに会った頃には、フランクがいたからな」


 リュドが言うには、フランクに会うようになってから少しずつ、アズサは人間らしく――というか、年相応の表情を見せるようになっていったらしい。


「多分だけどさ、アズサにとっては俺も含めて、ブラムとヨスとコーバスも、守る対象だったんだよ。だから常に気を張ってた。でもフランクがゲレンに来て……フランクは、初めて会った信頼しても良いんだって思える大人だったからな。俺たちにとってもそうだ。あの人の存在は、デカい」

「へぇ……。ただの医者と街のガキ共の関係かと思っていたが、お前らの間にも色々あったんだな」


 今度フランクにも話を聞きに行ってみようと言いながら笑ったガイが、酒のグラスを傾ける。


「誰にでも平等な奴だと思ってたけど、俺もまだまだ友人を知らないってことだな」

「じゃあ次ガイな!」

「順番的にお前だろ、イーフォ」

「フランク先生繋がりだよ。はい、どうぞ!」

「どうぞって……ん~、そうだなぁ」


 ガシガシと後頭部を乱暴に掻きつつ、ガイは記憶を辿る。


「最初に見たアズサは、顔に大怪我して、熱出して寝込んでる姿だったな。戦場で色々見てきたけど、子どものあんな姿はやっぱ、クるもんがあった。フランクからお前らの話を聞いてさ、なんか……ほっとけねぇなと思って、ヘコんでるお前に声を掛けたんだよ」


 隣に座っていたガイに髪をぐしゃぐしゃ撫でられて、クルトは顔を顰めた。すぐにガイの手は離れていき、クルトは頭を振って乱れた髪を元に戻す。


「俺にとってのアズサは、クルトが追い掛け回してる女の子、ってだけだったんだけどな。どんどん守るもん増やして、ギルドなんてもん作って、街のために走り回ってる姿を見ていく内に、こいつすげぇ奴だなって思ってさ。……まぁ、今に至るって感じか」

「雑だな」

「雑じゃね? ガイ」

「お前ら俺に厳しくねぇか? リュドだってこんなもんだっただろ」

「リュドさんは口下手だけど、ガイは普段おしゃべりだろー。照れてんなよ」

「うるせぇ。ならてめぇが手本を見せてみろよ、イーフォ」

「俺かぁ、俺はなぁ……実を言うとアズサと直接的な関わりがほとんどない! クルトが嫉妬するからさ、そばで見守ってるだけなんだよなぁ」


 イーフォがアズサたちの仲間に加わったのは、クルトとハルムのためだ。クルトの恋路の応援と、ハルムに、安全な環境を与えるためだった。


 同じ時期、同じような境遇でゲレンへ捨てられたクルトとつるむようになり、道端で母親の遺体に縋り付いて泣いていたハルムを見つけて、イーフォとクルトは二人で幼いハルムを守るようになった。


「あの頃のゲレンに捨てられたってことはさ、殺す勇気はないから勝手に死んでくれってことだろ? クソ親の望み通り死んでなんてやるもんかって、思ったよな」


 イーフォの言葉に、クルトが深く頷く。


「あの時は、生きるために何でもやったよな。んでさ……アズサの顔の怪我は、発端は俺なんだわ」


 首筋を手のひらで擦りながら、イーフォは続けた。


「盗みみたいな悪いことじゃない金の稼ぎ方をアズサから教わってさ、浮かれてたんだろうな。金、盗られてさ。怒ったクルトが飛び出して行って俺は……リュドさんと、ヨスを呼びに行ったんだ。相手は大人だ。真正面からぶつかって勝てるわけないって思ったから。そしたらアズサが誰よりも速く走って行っちまってさ。あんなことになって……申し訳なくてたまらなくて、しばらくアズサに近寄れなかったよ」


 意気地がねぇよな、俺。そう言って、イーフォは苦笑を浮かべた。


「でもまぁ、俺がいつまでもヘコんでても何かが変わるわけでもねぇし。役に立つ奴になろうって、思った。今俺らがこうしてまともな生き方ができてるのはアズサのおかげだから、感謝してんだ。マジでさ」

「僕はイーフォさんとクルトさんに会う前のこと、ほとんど覚えてないんですけど……アズサさんは僕にとって、お母さんみたいな人です。そうなると、クルトさんがお父さんで、イーフォさんはお兄ちゃんですね!」

「待てよ。俺の方がクルトより一つ上だぜ?」

「イーフォが俺の息子か……ハルムは良いけど、イーフォは嫌だ」

「俺もだよ!」

「おいおいおい。お前ら三兄弟の父親は俺しかいねぇだろ? イーフォはちゃらんぽらん長男で、クルトは生真面目次男だろ、んで、ハルムは甘えん坊の三男な!」

「ガイ父ちゃ~ん。俺らの母親に逃げられたのかよ」

「うるっせぇ長男! 良い女探してきてくれよ!」

「そういえばリュドさんは、結婚しないんですか?」

「は? おいリュド! お前に女がいるなんて俺ぁ初耳だぞ!」

「……別に黙ってたわけじゃないけど、言いふらすことでもないだろ」

「報告しろよ! 俺とお前の仲だろ!」

「ガイと俺はどんな仲なんだ?」

「酒飲み仲間!」


 最終的には、ガイは何故モテないのかという議題について話し合う場となり、近くで聞いていた他の住人たちはパラパラと自室へ引き上げていく。


 勇一は、ハルムの隣で楽しそうに笑っていた。


「ユウイチはニホンに恋人はいるんですか?」

「いないよ。ハルムは?」

「僕もいません」

「好きな子は? いないの?」

「僕は恋より、仕事でもっと役に立てるようになりたいんです。イーフォさんとクルトさんへ恩返しがしたいから」


 二人の会話を聞いていたイーフォの手が伸びてきて、ハルムの頭をわしゃわしゎと撫でる。続いてクルトも、ハルムの髪を掻き回すようにして撫でた。


「ここの人たちって、良いですよね。大家族って感じで」

「ユウイチの家族はどんな人たちですか? お姉さんがいるんですよね?」


 ハルムに聞かれ、勇一が首肯する。


「二つ上の姉がいて、姉弟仲は良くも悪くもないかな」

「お姉さんも、ユウイチと同じで大学生ですか?」

「違うよ。姉ちゃんは幼稚園の先生……って言って、わかるかな?」


 わかると答えたのは、クルトだった。


「スギモトアズサと同じ職業なんだな」

「アズサさんの前世、じゃなくて寄生先、でしたっけ? 姉ちゃんに聞いたら知り合いだったりすんのかなぁ……」

「まだ生きている人物のようだからな。もしかしたら、ユウイチがどこかですれ違うこともあるかもしれないのか」


 クルトの言葉に勇一は、そう考えると不思議ですねと言って笑う。


「俺の場合、アズサさんとの思い出は多くないから、日本のことでも思い出しておいたら良いんですかね?」


 勇一が視線を向けた先には、少し距離を取った場所に座って会話を聞いていたラドバウトがいる。


「あの子が通った道を使ってお前に繋がったのだから、無関係ではないはずなのだがな。名前に聞き覚えはないのか?」

「そうなんですか? いやぁ……全く。あ! でも、女性だから名字が変わってたりしないですかね?」


 何か知らないかと勇一の視線がクルトへ向けられたが、クルトは首を傾ける。


「みょうじ? が、わからん」

「えーっと、ファミリーネームのことです」

「ふぁみ……?」

「あれ? 上手く翻訳されてないんですかね? それとも文化の壁? 困りました……アズサさーん!」


 ラドバウトはアズサの体に入ってはいるが、ニホンの記憶は共有していないのだ。首を傾げるラドバウトを見て落胆しつつ、勇一は説明を試みる。


「俺の場合、勇一が名前で、宮坂が名字なんですよ。名前は俺個人のもので、名字は家族のもので……」

「家名のことか?」


 一人、ガイだけは勇一の説明を理解できたようだ。


「家名は、貴族にしか与えられない。俺の場合は貴族ではないが、褒賞の一つとしてマウエンの名を押し付けられた。マウエン家のガイ、という意味でガイ・マウエン。ユウイチの場合は、ミヤサカ家のユウイチということか」


 ガイの場合の家名は、貴族とはまた違う。マウエンの名はガイへ与えられたもので、ガイの両親には当てはまらない。だがガイの妻子には、マウエンを名乗る権利が与えられる。

 貴族の場合、結婚すると女性の名前が長くなる。「己の名前・生家の家名・嫁入り先の家名」の順に名乗るようになるのだ。

 ガイの発言を聞き、家名ならわかるとクルトたちは答える。


「ユウイチって貴族だったんですね」


 ハルムから驚きの視線を向けられたが、勇一は首を横に振って否定した。ニホンでは、貴族でなくとも名字があることが普通なのだと説明する。


「杉本梓さんの場合は、杉本さんの家の梓さんという意味で、女性は結婚すると相手の名字に変わることもあるんです」


 名字が何かについてはわかったが、結局杉本梓に関わることはアズサにしかわからない。クルトが夢の中で聞いてみることとなり、この話は終わりとなった。



 朝が来て、屋敷の住人たちは普段よりも早く食堂へ集まった。当番に関係なく畑仕事を含めた朝の仕事を終わらせ、朝食の席を整えていく。

 ラドバウトは、アズサの記憶があっても料理の実践経験がないため戦力外として、忙しく動き回る住人たちをキッチンの端へ置いた椅子に座って眺めていた。そんなラドバウトのもとにクルトが近付き、夢の中でアズサと交わした会話の内容を報告する。


「昨夜ラドバウトが言っていた通り、夢で会うアズサは記憶が完璧ではないようで、ニホンに関する記憶も曖昧な状態みたいだ」


 昨夜勇一との会話で上がった杉本梓と勇一の関係や名字について、夢でアズサに聞いてみると言ったクルトへ、ラドバウトが指摘した。今のアズサは魂が分割された状態だから、クルトの中にいるアズサがその記憶を持っているとは限らないと。

 ラドバウトの指摘通り、クルトが夢の中で会うアズサは記憶を辿ることができず、勇一と杉本梓の関わりについては結局わからなかった。


「顔の傷は、俺の中にいるアズサは消えなくても構わないと言っていた。だけど分裂した方がどういう意見を持っているかがわからないから、試しに消してみて、戻ればそれはそれで構わないらしい」

「アズサらしい答えだな」


 野菜の皮を剥きながら、ブラムが笑う。他の者たちも手を動かしながら、クルトの報告を聞いていた。

 和やかな空気の中で、クルトは告げる。


「ラドバウトへの提案を、アズサから預かってきた」


 勇一以外は全員、アズサの夢を見た。

 ラドバウトの見立てでは、勇一を含めて全員の中にあるアズサの魂は、修復できる状態だという。

 フランクも、アズサに会うため早い時間から屋敷に来て共に朝食を食べたのだが結局、クルトが夢の中のアズサから預かった提案により、アズサの帰還と勇一をニホンへ帰すのは夜まで延期となった。


「腕の傷は、痕は残らず治ると思うよ」


 朝食の後で、ラドバウトの診察を終えたフランクがクルトへ告げる。喉も復調しているようだ。


「ギルドの仕事が終わる頃に、また来るよ。それまで、アズサの体を大切に扱ってくれよ」


 フランクに頭を撫でられたラドバウトは、そういえばと、フランクを見上げた。


「昨日の昼間、クルトの中にいるアズサと話したのだが……貴方はあの子にとっての母だと、アズサが言っていた」

「母ではなく父にして欲しいと、再三言っているんだけどね」

「父は私だそうだ」


 とても嫌そうに顔を顰めたフランクを見て、ラドバウトは声を立てて笑う。


「産みの親なのだから母となりそうなものだが、恐らくあの子は、自分と私の娘を重ねているのだろう。……この顔は、サーシャとヤルミラに似ているからな」

「それは、君の思惑ではないのかい?」

「肉体は魂に沿うものだ。だがその形を、私は指定していない」

「僕らにとって、この顔はアズサのものだ。だけど……アズサとバウデヴェインを会わせない方が良いのだろうとは、わかった。ね、クルト?」


 フランクの視線を受け、クルトは頷いた。


「もし王都へ行くことになっても、バウデヴェインとは会わせないようにする」


 このことはブラムにも報告しておくと、クルトは請け合う。

 また夜に来ると告げて、フランクは帰って行った。



 夜までの時間は、それぞれ仕事や、クルト経由のアズサの提案に関わる準備に追われた。


「エフデンに、呪いの人形ってあるんですか?」

「呪いの人形? やだ、なんだか怖いんだけど……」


 応接室で縫い物を進めるフェナの手元を見ながらの勇一の発言に、フェナが顔を青褪めさせた。その反応から、エフデンにはそういう物は無いのだと悟り、勇一は言いたかった本題を口にする。


「それならこれは、日本の知識の応用ですね。カウペル……でしたっけ? ラドバウトさんの方にはありましたか?」

「人形に血と髪を混ぜるというおぞましいものは、存在しなかった」


 ラドバウトの不快そうな表情を見て、勇一は自分の国が少し心配になる。言われてみれば確かにおぞましいが、ニホンに存在する物語には結構こういうアイテムが登場するのだから、自分の生まれ故郷の人々の発想とは、そこまで嫌悪を抱かれるようなものなのかと驚きもした。


「俺の国では、髪の毛に神様とか、魂が宿るっていう考え方があるんです。血液は、その人の情報ですかね。割いた人形の腹に……なんだったか、何かを詰めて人を呪ったりとか、そういうのがあるんですよ。これの場合、人形に魂を詰め込んで、肉体の情報を与える。そんな感じだと思います」

「それを聞くと、成功しそうな気がしてきたな」

「俺もアズサさんに会ってから帰りたいんで頑張って下さいね。ラドバウトさん」


 各々一日を過ごし――日が沈む。


 仕事を終えた順に屋敷の談話室に集まり、部屋の中心にあるのは、アズサの部屋にあったクマのぬいぐるみと、ラドバウトの杖と水晶玉だ。

 クマの腹の中にはアズサの髪の毛と、血を染み込ませた綿が詰められている。


 診療所の仕事を終えてやって来たフランクが、ラドバウトの姿を見て怒りを露わにした。包帯が増えた左手の傷の状態を確認するから来いと言って、ラドバウトへ向けて手招きする。


「本人の提案とはいえ、嫁入り前の娘だからね。傷を増やすのは感心しないよ」

「私が治癒の魔法を使えれば良かったのだがな。専門外だ」


 治療を終えたフランクは、すまないと謝るラドバウトの頭を撫でた。胸元まで伸びていたアズサの髪は顎のラインで切り揃えられている。切ったのは、フェナだ。


「さて。皆揃ったな。始めるぞ」


 談話室の中心にラドバウトが進み出て、杖と水晶を手に取った。

 この場の誰にもわからない言語で呪文を唱え、赤い石が散りばめられた金色の杖を振る。

 一人一人に杖を向ける度、胸の辺りから透明な水のようなものが漂い出て、宙に浮いた。

 十四人全ての前に不思議な水が現れると、踊るようにして振られるラドバウトの杖の合図に合わせ、一つにまとまっていく。


 最終的にそれは、一人の人間の姿を形作った。


 呪文を唱え続けるラドバウト以外誰も声を発さない中で、詠唱のテンポが変わる。少し速くなったラドバウトの声に反応して、女性の形をした水の塊が、アズサの体へと吸い込まれていった。

 全てが入り込むと同時に詠唱が止まり、アズサの体から力が抜け落ちる。すぐ脇に控えていたクルトが受け止めて、アズサの顔を覗き込んだ。

 顔の傷は、消えている。


「アズサ……?」


 声を掛けても、目は開かない。


 皆が見守る先で、消えていたはずの傷痕が戻り、髪が元通りの長さまで伸びていく。

 これは成功したということかと、誰もが固唾を呑んで見守る中、何の前触れもなくクマのぬいぐるみが立ち上がった。


「私はクマになったぞ!」


 聞き覚えのない男の声が、クマのぬいぐるみから聞こえた。

 短い両手を上げたクマが周囲を見回し、驚きで声も出せない面々の顔を見てから、短い足を動かしてアズサとクルトのもとへぽてぽてと駆け寄る。


「安心して良い。術は成功した。再構築した魂と肉体が馴染むまで目を覚まさないだろうが、問題ないぞ」

「……お前、ラドバウトか?」

「うむ! おぞましいことに、腹に髪と血が詰め込まれた人形だが動けるし、声帯はないがこの水晶が発する振動で声も伝えられるぞ!」


 茶色の愛らしいクマのぬいぐるみの首には、水晶の欠片が縫い付けられている。ラドバウトが事前に水晶玉から作り出し、フェナが縫い付けた物だ。

 クマの大きさに合わせた金色の杖も、腰に縫い付けられたリボンに刺さっている。

 クマの体になったことが楽しいのか、己の術が成功したことで気分が高揚しているのか、無駄な動きの多いクマのラドバウトは、クルトの腕の中にあるアズサの体をよじ登った。


「アズサ、起きなさい。皆がお前の帰りを待っているぞ」


 ぬいぐるみの手がアズサの頬を叩いてから少しして、長い睫毛が震える。

 一度大きく息を吸い込むと、アズサが身動ぎした。


「…………クマちゃん」


 目を開けたアズサが最初に漆黒の瞳に映したのは、茶色いクマのぬいぐるみ。


「やぁ。私はラドバウト。お前の提案は、とりあえず成功だよ。だけど――」


 ラドバウトの声を遮り、大きな歓声が上がった。

 屋敷の住人たちが一斉に駆け寄り、中身が本当に本物のアズサなのか確認を始める。


 感動の再会を果たしたアズサと仲間たちの様子を、少し離れた場所で勇一が眺めていた。ほっとした様子で目には涙を浮かべているが、近付こうとはしない。


「君は、仲間に入らないの?」


 勇一のもとへフランクが歩み寄って、声を掛けた。


「俺は、良いです。フランク先生は行かないんですか?」

「落ち着いた後で、ゆっくり話すよ」

「アズサさん、戻って良かったですね」

「本当にね」


 勇一とフランクが視線を向けている大騒ぎの輪の中から、ころりと茶色のクマが転げ出る。短い手足で器用に立ち上がると、クマのラドバウトは勇一目掛けて走ってきた。


「動くテディベア。……可愛過ぎません?」


 両手を伸ばされたので、勇一が思わず駆け寄り抱き上げれば、ラドバウトはほっと息を吐く仕草をする。


「あの子たちが落ち着いたらニホンへ帰す。着替えて、荷物を持ってきなさい」

「わかりました。……フランクさん。クマさんをよろしくお願いします」


 クマのぬいぐるみをフランクへ託し、勇一は着替えるため、屋敷に与えられている自室へと向かった。

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