第40話 母代わりと魔女
フランクから見た幼い頃のアズサはどことなく、不気味な子どもだった。それは恐らく、彼女と関わった全ての大人が感じたことだったはずだ。
反対に、子どもたちの中での彼女は英雄だった。
王都からゲレンへ来て、最初にフランクがやったことは拠点探しだ。
フランクの栗毛は、ゲレンでは悪目立ちする。頑丈で鍵付きの建物でなければ、朝を迎えることなく殺されるだろう。幼い頃から剣は習っていたし、軍に所属していたため戦闘訓練も受けているが、寝ないなんてことは不可能だ。
ゲレンの中でも比較的治安の良い地区は古くからの住人がいる場所で、相場よりもかなり高い金額を払い、一軒の家を買い取った。
窓は割られてしまうため打ち付けられた木で全て塞がれていて、薄暗い室内には、埃が積もっている。手始めに掃除が必要だなと気合いを入れたフランクの元に、子どもが数人訪ねてきた。
ゲレンでは、幼い子どもであっても油断すれば命取りとなる。細く開けたドアの隙間から覗いた先にいた子どもたちは、特に怪我も見当たらず、健康そうに見えた。
「ねぇ、あなた」
一人の少女が静かな笑みを浮かべて、フランクを見上げる。
「王都から来た、貴族の医者なのでしょう? 掃除や生活環境を整える手伝いをするわ。代わりに今後、他の患者と同様に孤児たちの怪我や病気も診てくれないかしら? 都度、料金は私が払うわ」
「……僕のことは、誰から聞いたのかな?」
「本当は情報提供には金銭のやり取りが発生するのだけど、あなたとは懇意になりたいから、特別に教えてあげる」
どうやら、フランクの情報を彼女たちに売ったのは元家主のようだ。ゲレンの街で力のある人物が情報を得て訪ねてくるだろうとは想定していたが、まさかそれが十にも満たない子どもとは思いもしなかった。
「信用できない相手を、家に入れたくはないな」
「そうでしょうね。でも――」
私たちとは仲良くしておいた方があなたのためよと、少女は大人びた口調と表情で告げる。
孤児にしては、少女の身なりは整っていた。言葉遣いや立ち姿も、しっかりと教育を受けた者のそれだ。彼女の背後にいる他の子どもたちも、賢そうな顔付きをしている。
「君の名前は?」
「アズサよ、フランク先生」
「妙な真似をしたら、すぐに追い出すからね」
「えぇ、わかったわ。戦場を知る元軍人の大人に勝てると思うほど私たち、自惚れてはいないから」
アズサと名乗る少女と、女の子はもう一人。少女たちより年上の少年が四人共にいたがどうやら、リーダーはアズサという名の少女のようだった。
結果として、彼らの助けでフランクの住環境は整い、医者としての仕事を滞りなく行えるようになった。
アズサの言葉通り、彼女たちと仲良くなることはフランクのためになった。アズサは、ゲレンの街の大人たちに顔が利くようだったからだ。
「こんな地獄に来てくれる医者なんて、フランク先生くらいよ。だから、先生がここで医者を続けられなくなるのは困るの」
無償で全ての者へ治療をするつもりでいたフランクを諌めたのは、アズサだった。
彼女は、ゲレンの街の多くのことをフランクに教えてくれた。
護身用の剣を腰に差し、往診用の鞄を持ってゲレンの街を歩いているとたまに、一人でいるアズサを見掛けることがある。
「女の子が一人で歩くのが危険な街だって、君はよく知っているはずだよね?」
危険だと注意するフランクへ、彼女は静かな笑みを讃えて、言った。
「外から来る大人以外は私のことを怖がっているから、私を襲う人なんていないの。人手が足りない状況だし、手分けしないといけないんだもの」
「それで君に何かがあれば、困るのはあの子たちだよ」
「大丈夫よ。だって私、役目を終えるまではきっと、死なないわ」
「役目?」
「私にはね、何かの加護が付いているみたいなの」
「……加護? どういう意味かな?」
どことなく危うさを感じたフランクは、彼女を家に連れ帰り話を聞いてみることにした。
本人が語るこれまでの彼女の人生は、貴族として王都で育ったフランクにとって、想像を絶するものだった。
「私の両親はね、自分たちの子どもを売って生活していた。なるべく高く売れる年齢まで子どもを育てて、人買いに売り渡すの。働き手として長男は家に残っていたけれど、姉が二人、私の前に売られたわ。私の後に産まれた弟は、大きくなれずに死んでしまった」
乳が出る間、アズサは乳を貰えたが、乳が出なくなれば食事は与えられなかった。くすねるように食事を取って育ち、売られた時にはほっとしたと、アズサは笑う。
「私は商品だったから、ご飯はもらえたわ。だけどまだ女としての価値はなかったから、買い手は軍の研究施設だった。私……人を、殺したわ。だって、そうするしかなかったんだもの」
研究者の隙を付いて命を奪い、アズサと同じ境遇の子どもたちの牢の鍵を開け放ち、逃げ出した。
がむしゃらに、走って、走って。どれだけの子どもが逃げられたかは、確認する余裕がなかった。
「いろんな偶然が重なったの。不自然なほどだった。ゲレンに来たのは、呼ばれた気がしたから。私に敵意を向けた人はね、勝手に怪我をするの。だから、ゲレンの大人たちは私を怖がっている。私……フェナたちに知られて、嫌われたくないから、だから、私は強いのよって説明して……一人で行動してるんだ。…………フランク先生も、私を気持ち悪いと思う?」
もしかしたらこの時のアズサは、そうした全てを、一人で抱えきれなくなっていたのかもしれない。だけど誰にも打ち明けられず、頼れる大人もそばにいなくて、たまたまそばにいたフランクへ縋っただけなのだろう。
「……僕も人殺しだよ。命を救いたくて医者になったのにね。矛盾、してるよね」
フランクの腕の中で静かに涙をこぼしたアズサは年相応の、普通の女の子に見えた。
それからのアズサは、フランクの前では子どもらしい感情を少しずつ見せるようになっていった。
自分の仕事の合間にフランクの所へ来て、フランクの仕事を手伝い、お茶をしながら他愛のないおしゃべりをして過ごす。
アズサにとって唯一の心を許せる大人になれたことは、フランクとしても嬉しいことだった。
「フランク先生! 今日ね、綺麗な瞳の男の子に会ったの!」
頬を染めて話すアズサを見て、もうそんな年頃なのかと、一抹の寂しさを感じたことは今でもはっきり覚えている。
その話を聞いてから少しして、フランクに会いに来たアズサが頬を紅潮させ、話を聞いてもらいたそうにまとわりついてきたことがあった。
「何か良いことがあったのかな?」
少女のあまりの可愛らしさに、堪えきれない笑いと共に聞いてみれば、アズサは瞳を輝かせる。
「この前話した青い瞳の男の子、覚えてる?」
「覚えているよ。手を繋いで走ったんだろう?」
「その子にまた会ってね、一人でいると危ないぞって、言われたの」
「……僕も、言ったよね」
「そうだけど! フランク先生は、余裕のある側の大人でしょう? でもその子は私よりも年下で……自分だって生きるのが大変な状況なのにその子、通りすがりの他人を気遣えるんだよ? 素敵だなぁ」
「ブラムたちにとって君の単独行動は当然で、慣れてしまっているからね」
青い瞳の男の子の話は、その後も何度か聞かされた。アズサの熱心な勧誘に根負けしたのか、彼と彼の友人二人がアズサたちの仲間に加わり、フランクも、よく顔を合わせるようになった。
無愛想な青い瞳の少年が、血塗れのアズサと共にフランクの元へ駆け込んできたあの時は、心臓が凍る思いだった。
可能な限りの治療を施し、泣いて動揺する子どもたちを最年長のリュドと共になんとか宥めたが……フランク自身、手の震えが止まらない。
アズサが言っていた加護とやらは、働かなかったのか?
もし、役目が終わっていて加護が切れたのだとしたら……。いや、待てと、フランクは思う。
相手の敵意が直接アズサへ向けられていなかったことが原因で効果が無かったことも、考え得る。だがもしそうだとしたら、加護が完璧にアズサを守るわけではないと証明されたことになるのではないか。
「フランク、せんせ……」
「アズサっ!」
痛みに呻きながら、目を覚ましたアズサが心配したのは、仲間たちの無事だった。
「君の怪我が、一番ひどい状態だよ。クルトと、彼の友人は無事だ。治療も終えている。ブラムたちに怪我はないよ。フェナとコーバスは、ひどく動揺していたけどね。……君の安静のため、あの子たちには隣の部屋で眠ってもらっている」
「なら、良かった」
良くないよという言葉を、フランクは飲み込んだ。顔の傷は、痕が残ってしまうだろう。
「まだ、終わってない、だいじょうぶ」
再び眠ってしまったアズサの手を握りながらフランクは、流れる涙を止められなくなった。
どうしてこの子はこんなにも自分を犠牲にしようとするのかと、腹も立つ。
自分が痛くて苦しい状況でアズサが心配するのは他人のことばかり。仲間の無事に安心したら次は、フランクを心配した。
アズサの言葉は、フランクのために発されたものだ。「まだ役目は終わってないから死なないよ。大丈夫」と言おうとしたのだ。
「アズサ。君が自分より他を優先する子だというのは、よくわかった。それはきっと、僕と同じ理由なんだろうね」
他人の命を奪ったことに対する、償いの意味も、あるのだろう。
「君はそのままで良いよ。代わりに僕が、君を何よりも大切に思うから」
アズサが負った役目とは何だったのか、大人になった彼女に、フランクは聞いてみたことがある。
不思議なことに、役目や加護について、アズサは忘れてしまっていた。
人の記憶は風化するものではあるが、それに関しては忘れる類の事柄ではないような気がして、フランクの心にずっと引っ掛かっていたのだ。
それが今になってこんな形で理解する日が来るだなんて――魔女とは、残酷だ。
「ねぇ、ラドバウト。アズサはね、子どもの頃、自分には何かの加護が付いていると言っていたんだ。君は、身に覚えがあるのかな?」
アズサとの過去を夢に見た朝、フランクは、アズサの体の無事を確認するため屋敷を訪ねた。
喉の調子を含めて異常がないかの確認が終わってから発した質問に、魔女であるラドバウトは、迷わず頷く。
「あの子が産まれ落ちるのがどんな世界になっているかわからなかったからな。生き残れるよう、守りを付けた」
「……その割に、あの子はよく怪我をしたよ。顔にだって、大きな傷を負った」
「完璧に他者を守れる魔法が存在したのなら、私は、妻と娘を失わなかったと思わんか?」
「……そうだね。君の言う通りだ。だけど、アズサが加護や役目について忘れてしまったのは、どういう理屈かな?」
「ゲレンに呼び寄せるには必要だったが、ゲレンから逃さないためには、不要なものだからだ」
質問に答えるラドバウトの視線や仕草を観察していたフランクは、大きなため息を吐き出した。嘘は吐いておらず、アズサに対する罪悪感を抱えているようだと、表情から読み取れる。
「魔女というのは、恐ろしい存在だね」
「奇遇だな。私もそう思う」
ラドバウトは、本心からそう言っていた。
診察が終わるのを待っていたクルトとヨスと共に、ラドバウトはやることがあるらしい。
フランクも、自分の仕事のために診療所へ戻った。
診療所の裏にはフランクの自宅がある。前の建物とは違って、光と風が入る家だ。
人々にとって病院の存在は一番重要だという理由で、フランクの自宅を含め、ギルドが建て替えてくれた。
あの頃より、人手も増えた。
資格を持った医者も増やす予定だが、それは、魔女関連のトラブルが収束してからになるだろう。
アズサはまだ戻らないが悲観していないのはきっと、アズサの体にいるラドバウトという人物が悪人ではなさそうだからだ。
地獄だったゲレンには、悪人が多く存在した。
フランクや屋敷の住人たちが培ってきた、人を見る目が魔女に通用するかはわからないが……疑うことで停滞するよりは、信じて前に進んでみる。そうやって、ゲレンの人々はここまで辿り着いたのだから。
「君の役目はそれじゃないはずだよ、アズサ」
まだまだやることは残っているぞと自分の中にいるアズサの魂へ話し掛け、フランクは、ゲレンで唯一の医者としての一日を開始したのだった。
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