第39話 父と娘
扉を叩く音がして、直後に返事も待たずに扉が開かれた。
「王様来ったよー」
コーバスが執務室へ入り、足元へ視線を向ける。
「あ! あーっ! 俺のレイブンが、どうして床に寝て――あーっ、尾が割れてるー! しかもこれ、ブラムのナイフ! なんて事するんだクルト……って、アズサ泣いたの? いじめられたの? ぼろぼろで、目が腫れてるよ? 可哀想に……あ、そうだ違うね、ラドくんだったね! ダイジョーブ? ラドくん」
これだけの言葉を吐く間にコーバスは、石で作られた
コーバスがラドバウトの頬をむぎゅっとつかむ。
「顔洗おーね? おいでおいでー。そんだけ泣いたら喉乾いたでしょー? お水飲もうね」
「待て、コーバス。引き継ぎをしろ」
「えー? だってブラム。泣いた女の子放置はダメだよ。あ、男か? でも体はアズサだし」
「クルト」
ブラムの救援要請に応じて、クルトが立ち上がった。
ラドバウトを執務室から連れ出そうとしていたコーバスの額を人差し指で押して、引き剥がす。
「置物、壊してごめん」
「いいよー、別に。今度はクロウ作るから。どっちも
「こいつは俺が預かる。コーバスは、ブラムが怒る前に仕事をした方が良い」
「あーい!」
あっさり執務室ヘ引き返したコーバスを見送り、クルトはラドバウトを連れて執務室を後にした。
給湯室に案内して、顔を洗うよう促す。ラドバウトは顔を洗った後で、クルトがコップに入れて渡した水を一息で飲み干した。かなり喉が乾いていたようだ。
「気が利かなくて悪い。茶でも出すべきだったな」
いつもそういったことはアズサやフェナが率先して動くため、クルトとブラムは思い至らなかったのだ。
クルトの言葉を聞き、ラドバウトが照れ臭そうに笑う。
「私も、みっともない所を見せた上に、面倒を掛けた」
人の足音が聞こえ、二人は口を噤んだ。
知っている足音だったため、クルトはそのまま足音の主の到着を待つ。
「わぁっ、びっくりした! 何してるの、二人とも?」
フェナが驚いた拍子に、お盆に乗っている茶器が音を立てた。クルトが、水を飲みに来たのだと答えれば、フェナはついでにクルトたちの茶の支度もしてくれる。
「ラドバウトさん、泣いたの? 目が腫れてるよ」
「そんなに、ひどいか?」
「号泣の後って感じ。タオル濡らして絞って、目に当てると良いよ」
言いながらフェナがタオルを棚から取り出して、水で濡らして絞ってからラドバウトへ渡した。礼を言って受け取り、素直に両目に押し当てる。
「気持ち良い」
「泣いたら水分補給しないとダメだよ。お腹空いてない? 甘い物、食べる?」
タオルで隠されていないラドバウトの口元が、微かに緩んだ。
「大丈夫だ。ありがとう」
フェナが淹れてくれた二人分のお茶を持ち、クルトとラドバウトは執務室へ戻った。クルトが扉をノックすると、コーバスが扉を開けてくれる。
「俺とブラムの分は?」
「応接室の方に、フェナが持って行った」
「クルト、ここを頼む。コーバス、行くぞ」
ブラムとコーバスが応接室へと向かい、執務室の中は静かになった。
先ほどと同じ席に座って茶を啜り、飲み終わってからラドバウトは目に押し当てていたタオルを外して、仕事を再開していたクルトを見上げる。
「試したいことがあるのだが、膝か肩を貸してくれないか?」
「構わないが、何をするんだ?」
「お前の中にいるアズサに会えるか、試してみたい」
「……アズサに危険はないのか?」
「今はそれぞれ別の容れ物に魂が入った状態だから、直接触れ合うわけではない。容れ物が、吸収を阻むのではないかと思うのだ」
「杖はいるか?」
「いや。これは、無くてもできるはずだ」
クルトはしばらく迷った。だが結局、ラドバウトを信じることを選ぶ。
夢で会うとラドバウトが言うから、壁際にあった長椅子を移動させて即席のベッドを作り、座って仕事をするクルトの膝にラドバウトが頭を乗せる。
「あの子に危険があると判断すれば、すぐに戻る」
「苦しめたり、しないでくれよ」
「わかっているよ」
小さなあくびをこぼし、ラドバウトは口を噤む。
濡れタオルを目の上に乗せた状態で少し経つと、静かな寝息を立て始めた。
※
アズサは一人、思い出の中にいた。
顔の傷痕はまだ新しく、クルトはそれを見るたび表情を曇らせている。
「俺、あんたを守れる、強い奴になるから」
「楽しみにしてるね」
アズサが微笑めば耳を赤く染め、クルトは怒ったようにそっぽを向いてしまう。
「背だってすぐ、追い越すからな」
「うん」
「待ってろよ!」
「うん!」
クルトが毎日通っているのは、診療所の一室を間借りしている青年の元。
クルトと仲の良いイーフォとハルムが最初に同行するようになり、いつの間にか、ブラムにヨス、コーバスやリュドまで通うようになった。
アズサと四人の友人たちも、こっそり覗きに行くのが日課になっている。
いつもの通りついて行こうとしたら、クルトが突然、振り向いた。
「どうせまた、来るんだろ?」
「……気付いてたの?」
「気付かないわけないだろ。来るなら、一緒に行こう」
「良いの?」
「一人で街の中をふらふらすんな。危ないだろ」
「うん! ありがとう!」
二人が並んで歩く薄汚れた通りには、悪臭がこびり付いている。所々に石畳らしき痕跡が残っているが、足元はでこぼこしていて、道はひどく歩きにくい。
診療所へ向かう二人の前に、ふらりと、一人の青年が現れた。
「洞窟に来るより前か。傷痕が、生々しいな」
咄嗟にクルトがアズサを庇って前に立ち、青年は、それを見て柔らかな笑みを浮かべる。
「小さな騎士殿。我が名はラドバウト。姫君に目通り願いたい」
腰を屈めてそう告げた青年は漆黒の髪と瞳を持っていて、どことなく、アズサに似た面立ちをしていた。
「何言ってんのかわっかんねぇ」
「小さいクルトは可愛いな」
ぐりぐり頭を撫でられて、クルトは不機嫌そうに青年の手を払う。クルトの後ろでは、アズサが大きな双眸を更に大きく見開いて、ラドバウトを見上げていた。
「ラドバウトさんだ」
「はじめまして、になるのだろうか? 大きい方のクルトから、私と話をしたがっていると聞いてな。こうして、夢という形で会いに来た」
「ラドバウトさん、寝てるの? でも私、クルトの中にいるんじゃないの?」
「クルトの膝を枕にしている。触れ合うことで、クルトの中のお前に会えるのではないかと試してみて、成功した」
「そうなんだ! 会えて嬉しい!」
嬉しそうに声を上げたアズサがラドバウトへ駆け寄って、両手を握って飛び跳ねる。
「……そんなに、喜ばれるとは思わなんだ」
「だって、ずっと会ってみたかったんだもの。わぁ! イケメン!」
「いけめん?」
「男前ってこと!」
「それはどうも」
苦笑を浮かべたラドバウトがアズサの頭を撫でると、それまで呆然と見守っていた幼いクルトがラドバウトへ体当たりして、弾き飛ばした。
尻もちを付いたラドバウトは、幼いクルトを不満げに睨む。
「話の通じる大きい方になってくれんか? 杖を持たない私は子どものクルトにも勝てないほど、弱い自信がある」
「ラドバウトさん、ひょろひょろだもんね。大人の私より少し大きいくらいかな?」
「体を鍛えたことなどないからな」
鈴が鳴るような涼やかな笑い声をこぼし、アズサはクルトへ何事かを耳打ちした。
景色が霞に包まれて、いつの間にか場所が変わっている。そこは、屋敷内の書庫だった。
窓辺のソファへ腰掛けていたラドバウトは、目の前の二人の姿を見て首を傾げる。
「何故、縮んだ」
先ほどよりも更に幼い姿のアズサとクルトが目の前に立っていて、アズサの顔に、傷はない。
「私は五歳で、クルトは三歳になってみたよ」
「何故だ」
「大人で父親に甘えるのって、恥ずかしいじゃない?」
五歳のアズサが、ラドバウトへ向けて両手を伸ばす。
「ととさま! だっこ!」
くしゃりと顔を歪め、泣きそうな顔で笑ったラドバウトはアズサの両脇に手を差し入れて、抱き上げた。
アズサを右膝に座らせると、三歳児のクルトも反対の膝へ座ろうとよじ登ってくる。片手でその動きを手伝い、クルトの小さな体はラドバウトの左側の膝の上へと落ち着いた。
「何の遊びだ、これは?」
ラドバウトが発した優しい声に、アズサは微笑む。
「私にとって、父親といえばラドバウトさんなんだよね。それで、フランク先生は私のお母さんなの」
「あの医者と夫婦扱いは、実に不愉快だ」
「ヤルミラさんは、綺麗な人だったね」
「……そうだな」
「二人は、私の理想の夫婦だよ」
「クルトなら、お前を一人死なせてしまうことはないだろう。……それで? 私に聞きたいことがあったのではないか?」
「たくさんあるけど、大体のことは、クルトとブラムが聞いてくれたんじゃないかな?」
「お前たちは、互いへの信頼が厚いな」
「喧嘩もして、話し合って、互いに理解し合う努力をしているもの。ただ時を重ねているだけじゃ、ないから」
「その姿で大人びたことを言われると、妙な気分だ」
「ラドバウトさんは私の年齢と、そんなに変わらないよね?」
「死んだ時の歳は、そうだな」
ラドバウトの膝の上に座るアズサとクルトは手を繋ぎ、クルトは黙って大人しくしていた。アズサはラドバウトを見上げ、嬉しそうに笑っている。
「私ね、親に甘えたことってなかったから。なんだかこれって、お父さんに甘えてる気分で楽しい」
「お前たちから親を奪うような世界にしたのは……私だ」
自嘲の笑みをこぼすラドバウトへまっすぐな視線を向けて、五歳児のアズサが、大人びた笑みを浮かべた。
「ラドバウトさんがくれた記憶がなければ、私はゲレンへ辿り着けなかった。ゲレンに行けなかったら、フェナたちにも会えなかった。今のゲレンの形があるのは、ラドバウトさんが私を作ってくれたからだよ」
ラドバウトさんの目が覚めるまで時間はまだあるかな? とアズサに聞かれたラドバウトは、誰かが執務室へ戻ってくるまでは、クルトが眠りを守ってくれているはずだと答える。
膝の上にいる頭を撫でれば、小さなクルトがラドバウトの言葉を肯定するように頷いた。
「それじゃあ、私と、ラドバウトさんでしかできない話をしたいな」
「構わんよ。何でも、答えよう」
ありがとうと言って、アズサは微笑む。
「今までは、ゲレンやギルドの運営とか、他のいろんなことを考えないといけなかったから疑問に思う余裕もなかったんだけどね。この状態になって、クルトが起きて私一人になってから、考えてたの」
アズサと手を繋いでいる小さなクルトは、ラドバウトが来る少し前に現れた。アズサからそれを聞いたラドバウトは、クルトが無意識に、ラドバウトからアズサを守ろうとした結果だろうと結論づける。
「人の記憶なんて曖昧で、全部を覚えておけるものじゃないから特に変だとも感じてなかった。――私が持つラドバウトさんの記憶って、本当に全部、あなたが体験したことなの?」
「……どういう意味だ?」
「だって、おかしいんだもの。私がラドバウトさんの魂をそのまま複製して作られたのなら、私は全てを知ってるはずでしょう? だけど私は、知らないことが多過ぎる」
アズサは、王位と魔女の力の継承の儀式を知らない。アズサの持つ記憶では、いつの間にかラドバウトの両親は亡くなっていて、気付けばラドバウトは国王であり、魔女だった。
地下道の存在は知っていた。
王と王配しか知らないそこは、有事の際に魔女の血が奪われないようにするための逃げ道として使われることは、知っている。だけど逃げ道にしては、出口の場所がおかしいのだ。
出入り口は四カ所。現在屋敷とギルド本部がある場所はカウペルの王城の敷地内だった場所で、どちらの地下への入り口も、洞窟へ繋がっている。あれでは隠れることはできても、逃げきることは、不可能だ。
「本当に、聡い子だね」
ラドバウトが浮かべた困ったような笑みを、アズサはまっすぐ、見つめていた。
「私はな、自分を、信じていなかったのだ」
言葉の意味を問う、アズサの視線。ラドバウトは静かに受け止め、言葉を紡ぐ。
「お前の役目は、魂を安定させて、肉体を得てこの世界へ産まれ落ちることだ。その後は何があっても生き延びて、私の元へ肉体を運んでもらわなくてはならない。お前と、ヘルマンがこの地へ揃った時、私は世界を滅ぼす力を取り戻す。……全てを知っていたら、お前はこの地へ来なかっただろう?」
「どうだろう? でも……多分だけど、途中で拠点をゲレンから移すことは、考えたかもしれない」
「逃げられては困るからな。お前に与えた記憶には、虚構を織り交ぜてある。お前が私に抱いている信頼は、私がそうなるよう仕向けた作り物なのだよ」
アズサは目をそらすことなく、ラドバウトの漆黒の瞳を見つめていた。
ラドバウトの名を、アズサが呼ぶ。
「魔女の館で、何度か私に、触ったよね?」
「外の状況を把握する必要があったからな」
「ラドバウトさんは、心配してくれてたね、私のこと」
何も答えず、ラドバウトは視線を下へ落とした。
「ごめんねって、思ってる気持ちが伝わってきた。どうしてごめんなんだろうってずっと不思議だったけど……こうなって、わかった」
もう一度、アズサはラドバウトを呼ぶ。
頑なにアズサを見ようとしないラドバウトに手を伸ばし、小さな手が、ラドバウトの頬に触れた。弱い力に導かれるようにして、二人の額が重なる。
「私、自分の選択に後悔なんてしてない。つらいことも、怖いこともたくさんあった。どんな思惑だったにしろ、それを乗り越える力をくれたのは、ラドバウトさんだよ。だからね――私を作ってくれてありがとう、ととさま」
「アズサ、お前は……お人好し過ぎる」
「ととさまに似たんだよ」
「私からできたにしては、良い子に育ち過ぎだ」
「もっと、褒めて」
「お前は頑張ったよ。たくさん、たくさん頑張った。かなりよくやっている。偉いぞ」
「うん……っ」
「良い仲間を持ったな」
「でしょう? 私の、大切な人たちだよ」
「……お前が、今のようなアズサという一人の人間となったのは、寄生先の影響が大きいのだろう」
「杉本梓は、良い大人だった」
ラドバウトの両手が、アズサとクルトを、まとめて抱き締めた。
「お前たちに会えて私は……救われてしまった……」
父の腕の中、温もりなど感じない場所にいるはずなのに何故か、アズサはとても温かな気持ちに包まれていた。
「そうだ! もう一つ、聞きたいことがあるの」
アズサが声を上げると、ラドバウトの腕の力が緩む。それを少し寂しいなと思いながらも、アズサは口を開いた。
「どうして、地下通路だけを残したの? カウペルに関連する他の痕跡は、綺麗さっぱり、跡形もなく消されてたのに」
「あそこは……思い入れが、強過ぎた。それに通路だけ発見されてもそれは、カウペルには繋がらないだろう? 何か古代文明があったという証拠にはなるかもしれんが、魔法の存在には、決して繋がらない」
「確かに何にもないただの通路だったけど……」
納得できないという様子のアズサを瞳に映し、ラドバウトは、苦い笑みを浮かべる。
「詰めが甘い自覚はあるがな。あの地下は、サーシャとヤルミラを見送った場所で……尚かつ、私の先祖の想いが詰まっている。潰すことはできなかった」
「そっか……そんなに大切な場所とは知らず、ずかずか入ってしまって、ごめんなさい」
落ち込んでしまったアズサの髪を、ラドバウトが優しく撫でる。
「気にする必要はない。後世の者が遺物を活用するのは、自然の摂理」
そろそろ覚醒が近いようだと呟いて、ラドバウトはもう一度、アズサを抱き締めた。
「お前には迷惑ばかりを掛ける。だが必ず、クルトと、仲間たちのもとへ帰してやるからな」
「はい。ととさま」
「いい子だね。私の愛しい娘……アズサ」
アズサの額にラドバウトがキスを落とした直後、彼の姿は掻き消えた。
残されたアズサとクルトは、互いに見つめ合う。
「サーシャちゃんに、ヤキモチ妬かれちゃうかな?」
アズサの言葉に、クルトは首を傾げる。
「お前の姉ということになるのか?」
「私の……お姉ちゃん、なのかな?」
「あの男が父なら、そうなるだろう」
「……そっか。会ってみたかったなぁ、お姉ちゃん」
二人が手を繋ぐと、幼い姿が徐々に成長し始める。
アズサはクルトの横顔を見て、微笑んだ。
「また、思い出旅行するの?」
頷いたクルトに導かれ、アズサはまた、思い出の中へと戻って行った。
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