第38話 魔女としての運命
祭壇や台座が消え、魔女の館が元の姿を取り戻して行く様を眺めながら、ヨスは
昨日戻ったばかりのガイは自警団の団長としての仕事をしているため、代理の護衛だ。
「なぁ、これ、どうなってるんだ?」
館を構成していた木材などは洞窟内から消えていたというのに、まるでそんな事実は無かったかのように元通り。昨日までの姿を取り戻した室内の椅子へ腰掛けた魔女はフードを脱ぎ、顔の布を外しながら吐息をこぼした。
「この空間の時間を操作したのだ。私が生きていた時代から、現代へ戻した」
「へぇ! 魔法ってなんでも有りなのかよ」
壁を叩き、本当に元通りなのかをヨスが確認している。二日酔いは朝食を食べたらけろりと治ったようだ。
「魔法、か。カウペルの秘術は、その魔法というものを世界から消すための術だ」
「……話す気になったのか?」
魔女の言葉に反応を見せたのは、
「朝は時間が無さそうだったから口を噤んだまで」
今朝の食堂でマノンが夢の話をした後は、出勤時間が差し迫っていた関係で慌ただしく今後の方針を固め、それぞれが己の仕事へ向かった。
時間が無い中で意味深な発言をすれば迷惑になっただろうという魔女の主張に、クルトは
「それなら、先ほどバウデヴェインに対して言っていた帳尻合わせとやらについても、教えてもらえるのか?」
「そうだな。ヘルマンの件は、秘密にしていたがために起きたトラブルであるとも言える。お前たちには全てを話した方が得策だろう」
ついでのように魔女が、バウデヴェインがここへ戻れないよう洞窟の入り口を塞いだことを告げれば、クルトは
「酸素は大丈夫なのか?」
「完全に塞いだわけではないし、他にも空気の通り道は存在している」
話を聞くならブラムも共にいた方が良いだろうということになり、火の始末をしてから本棚の仕掛けを動かして、地下への道をヨスが開ける。魔女の体はクルトが抱き上げ、三人は衣装室へと帰った。
今回は着替えが必要ないよう、全身を覆い隠すローブの下に普通のワンピースを着ていたため、ローブを脱げば魔女の着替えは完了だ。靴も、本当は歩ける靴を履いていたのだが、暗い道で転ばれたら困るとクルトが主張したから、抱き上げられての移動となった。
魔女とヨスからは過保護と言われたが、クルトは絶対に譲ろうとしなかった。
衣装室からはしごを登り、魔女が書庫を見回して蔵書の多さに改めて感嘆の声を上げる。
「本当に、勉強熱心な娘だ」
「あんたは違ったのか?」
クルトからの問い掛けに、魔女は自嘲の笑みを漏らした。
「どうだったかな」
懐かしそうに目を細めた表情はまるで、取り戻せない過去へ想いを馳せているかのようだった。
ヨスはいつものスーツをまとい、クルトと魔女は普段着でギルドの本部へ向かう。
水晶と杖は、衣装室に隠してきた。
朝食の後でフランクが屋敷へ訪ねてきたため、診察とアズサの夢についての確認は済んでいる。
フランクは、アズサの夢を見たと言っていた。十四人の内九人が夢を見て、残りは五人。
ギルド本部に着くと、まっすぐ執務室へ向かった。
「バウデヴェインは来たのか?」
執務室で一人書類の山に埋もれていたブラムへ、洞窟内での出来事を報告する。
全てを聞き終わったあとで、ブラムはヨスに、自警団の方にいるリュドと合流して野営地にバウデヴェインを迎えに行くよう頼んだ。
「今、応接室でコーバスが王太子の相手をしている。引き止めておくよう、声を掛けてから行ってくれ」
「わかった」
ヨスは執務室を出て行き、クルトに山積みの書類を手渡したブラムが、入り口のそばで立ったままでいた魔女へと視線を向ける。
「片手間で申し訳ないが。何を聞かせてくれるんだ?」
「私も手伝ってやろうか?」
「いや、結構だ。話すことに集中してくれ」
仕事の手伝いを申し出るもすげなく断られ、不満を表情へのせた魔女は勧められた席へ腰を下ろした。
奥にあるアズサ用の執務室は扉が閉められていて、ブラムはその扉のすぐそばの席をいつも使っている。魔女が勧められた椅子は入り口に近い場所に置かれていて、ブラムとクルトの横顔を見ながら話すような位置関係だ。
さて何から話そうかと呟いた魔女は、ブラムの机の上に置かれていたヘルマンの手記に視線を向ける。クルトが屋敷から持ってきて、書類の山と交換でブラムへ渡した物だ。
「まずは、そうだな。その、ヘルマンの手記。そこに書かれていることは奴らの中での真実であり、実際の出来事とは異なった部分がある」
魔女は、仕事の手を止めないブラムとクルトへ、カウペル滅亡の真実を語った。
「当時のエフデン国王とヘルマンの間で交わされたやり取りについては知らんがな、カウペルや魔女についての記憶を世界から消し去ったのは私で、ヘルマンではない」
「何故、ヘルマンは自分がやったことだと思っているんだ?」
書類から視線を上げないまま、ブラムが問う。そこが帳尻合わせされた箇所だと、魔女は答えた。
「復讐のため、奴らの記憶を失わせるわけにはいかなかった。だが同時に、カウペル最後の王の役目として、魔女とカウペルの存在は世界から抹消する必要があったのだ。奴らが周囲の変化を疑問に思わぬよう、記憶を操作する術を呪いと共に掛けた。だがどのように記憶を書き換えるかの指示は行わなかったから、結果的に、手記に書かれていた内容になったというわけだな」
普段はコーバスが座っている席で書類仕事をしながら、クルトは洞窟内でのバウデヴェインとの会話について質問した。
魔女は、己の役目は「燃料」だと言っていた。それはどういう意味かと問えば、マノンの夢の話に繋がる内容だと告げ、魔女は静かな笑みを浮かべる。
「中途半端に私の記憶を持っていたものだから、あの――アズサ、は、不思議でたまらなかっただろうな」
あの子、と言おうとしたのを言い直してから、魔女は自嘲の笑みをこぼした。
「あれが意思と感情を持つものだとは、全く考えもしなかった」
硬い物同士がぶつかる音と、床へ何かが落ちた音。
魔女が首を傾げながら視線をやった先には、手のひらに乗る大きさの置物と、抜身のナイフが落ちていた。
「アズサの体だぞ、ブラム」
「……つい、カッとなった」
クルトとブラムの会話を聞いて、思い至る。
どうやらブラムが魔女へ向けてナイフを投げ、それをクルトが阻止したようだ。魔女の発言が、アズサを軽視していると思われたのかもしれない。
「一つ、言っておく」
魔女は話しながら立ち上がり、クルトの隣へ移動してブラムから隠れるように、身を寄せて座る。
「私は、時間と魂を操作できる。が、死は時を戻しても邪魔できない。既に塞がっている傷痕であれば魂の操作で消すことも可能だが、開いた傷は塞げないし、失った血液を体内へ戻すこともできない」
魔女の隣では、クルトがブラムを睨めつけていた。
「ブラム……」
「当てようとはしていない」
「当てないから、斬りかかっても良いか?」
「……悪かった」
ブラムが降参と言うように両手を上げ、クルトは一度大きく深呼吸することで怒りを収める。
「なぁ、あんた」
見上げると、呆れを顔に乗せたクルトの青い瞳とぶつかった。
「言動で損をするタイプだろ?」
「……うむ。だからきっと、親友に裏切られたのだろうな」
「奥さんいたんだろ? 怒られなかったか?」
「よく、叱られた。ヤルミラは……私には、過ぎた妻だった」
「娘は、何歳だったんだ?」
「五つ」
「アズサが、あんたは奥さんと娘さんを溺愛していたと言っていた」
「あぁ。そうだ。愛していた。世界なんてものよりも……何よりも」
「泣くの下手くそなのは、一緒なんだな」
クルトの手刀が、魔女の頭へ落とされた。
「アタッ!」
「アズサも最近まで、泣けなかったんだ。よくそうやって瞬きしながら息止めて、唇に力入れてさ、涙が溢れ出さないように堪えてた」
「おい待て! 何故私は殴られたのだ! 良いのか、この体へそんなことをして!」
「大袈裟だな。力は入れていない」
「肉体を得るのが久し振り過ぎて、痛みに敏感なのだ! 今のは何のための攻撃だ?」
一瞬そっくりな顔をしたのに、アズサとは全く異なる反応を見せる魔女を見下ろして、クルトは告げる。泣いても良いぞ、と。
「……泣かぬ」
「涸れるほど泣いたのか?」
「いや。泣く間もなく全てを処理して、肉体を失った」
「どうして、復讐をやめたんだ? 三百年も待ったんだろ?」
「あの場へ己を縛ったからどこへも行けず、待つしかなかっただけだ」
「吐き出したい気持ちとかがあれば、聞くぞ?」
唐突に、ふは、と空気を吐き出すようにして魔女が笑った。
「そんなに簡単に語れるような気持ちでは、ないよ。……だが、ありがとう。アズサと、近くにいるお前たちがそういう人間だったからこそ私は、世界を滅ぼすことを思いとどまったのだ」
そうして、魔女は語り始めた。
カウペルの魔女が子孫に残した、呪いの話を――。
そこは優しく静かで……閉じられた世界だった。
次期魔女である幼い頃のラドバウトは、自由にのびのびと育った。
婚約者も結婚の時期も決められてはいたが、幼馴染であるヤルミラのことは好きだったから何の不満もない。王位を継ぐ予定のラドバウトよりも、次期王配であるヤルミラの方が勉強で忙しくしていたぐらいだ。
「今は、民を、世界を愛することを学ぶのがお前の仕事だよ、ラドバウト。心を豊かに、強く、育てなさい」
愛しい私の子――。母がそう言いながら抱き締めてくれる時間が、大好きだった。
ラドバウトの母は王で、カウペルの王だからこそ、魔女だった。
「僕たちのやんちゃな息子は、またヘルマンを困らせたらしいですね?」
王配として母を支える父はいつも分厚い本を読んでいる人で、難しいことを知っている父を、ラドバウトは尊敬していた。
だが、両親が時折見せる憂いの表情は、まだ何も知らないラドバウトには、理解できないことだった。
「そんなに本を読んだって、運命を変える方法など見つかりはせぬぞ」
「僕は君を失いたくないから、諦めません」
「これは、連綿と続く呪いだ。解くには魔女の命が対価となる。私が命を差し出した結果、可愛いラディが確実に幸せになるのならやるさ。だが、私がお前を愛し、この子を授かったことでそれは不可能となったのだよ」
「ですが、あれはまるでだまし討ちだったじゃないですか!」
「知っていれば、私の夫にならなかったか?」
「僕は……例え知っていたとしても、君を妻に望んだと思います。先代は、自分の代で終わらせるつもりがなかった。だから全てを隠していたのではないですか?」
「それは、違う。お前は言えるかい? ラディに、お前が結婚して子を生せば、代わりに私の命が失われるなどと。だから誰も愛さず、一人で生きなさいなんて酷なこと……言えるかい? 私も、私の母と同様言えないだろうな。子の幸せのために親が犠牲となってきたから、今もカウペルの魔女は、力を持ったまま存在しているのだ」
「ならば、結婚の時期を遅らせたって良いでしょう? なにも今から婚約者を決めなくたって……」
「お前だって、水晶が選んだ婚約者だったではないか」
「僕は、子供の頃から君を愛していました」
「ラディとヤルミラも、同じさ。運命なのだ。魔女は、運命に抗ってはならない。それが力の対価なのだから。終わりは来るよ。だが、それはまだ先だ」
ベッドの中、夢現で両親の会話を聞いていた。なんだかひどく恐ろしい予感がして、聞かなかったふりをする。
母の手が、ラドバウトの髪を撫でた。まるで触れた場所から不安が吸い上げられるような心地で……気付けばラドバウトは、深い眠りへ落ちていた。
ラドバウトは予定通り、幼い頃から決められていた婚約者と、決められていた日に婚儀をおこなった。そして、ヤルミラとの間に娘が産まれ、孫を初めて抱いた日の晩に母が急死した。
齢三十五で前触れのない死だったにも関わらず、父を含める母を支えていた人々は慌てることはなく、王位は滞りなくラドバウトへ継承された。
魔女の力を継承する儀式は、葬儀と同時だった。
それまでラドバウトは、魔女の力など持たない普通の人間だったのだ。だが儀式を行えば継承される力だと教えられていたから、不安は無い。
祭壇のある洞窟内。
背後には、妻と、産まれたばかりの娘と、これからラドバウトが背負わなければならない多くの命が見守っている。
前方には祭壇に横たえられた母の亡骸。母の杖と、長い杖を両手に持った父が、祭壇のそばに立っていた。
「……大丈夫ですよ。杖を握れば、全てが理解できますからね」
穏やかな笑みで、父が告げる。
「愛しています、可愛い僕らのラディ。君たちの運命を変えることのできなかった無力な父を……赦さないで、良いですよ」
父が両手の杖を重ね合わせると、小さな杖は長い杖に吸収された。その杖を恭しく掲げ持ち、己の心臓目掛けて、突き刺す。
「父上っ、何を!」
驚き、駆け寄ったのはラドバウトのみ。ヤルミラは、そばにいたヘルマンに肩をつかまれ止められていた。
「君も赤ん坊の時、同じ光景を、見たのですよ」
父の手が、ラドバウトの右手を杖へと導く。
「君を愛しているからこそ、僕も燃料となります。こうすることで、君の体力的な負担を、かなり減らせるからね。……君は理不尽に縛られる。だけどどうか、笑って、生きて欲しい。父と母はすぐそばで、君を見守っていますよ」
杖に触れれば、父が言った通り全てが理解できた。
満足そうに微笑んだ父の頬を撫で、ラドバウトは詠唱する。涙は、とめどなく溢れる。
母の胸元では、首飾りの先端が肌へ食い込み、血を啜っている。
ラドバウトの詠唱で、杖が胸に突き刺さったままの父と、祭壇に横たわる母の体が炎に包まれ、燃えていく。燃える父のすぐそばにいるにも関わらず、炎はラドバウトを傷付けない。
焼き尽くされた跡には骨と灰の代わりに、透き通った赤い結晶が残った。
父の結晶は、意思を持っているかのように宙へ浮き、ラドバウトの伴侶であるヤルミラの元へと向かう。
そばにいたヘルマンが咄嗟にヤルミラを庇って前に立ったが、ヤルミラは自分の意志で、結晶へ手を伸ばす。指先が触れると、ヤルミラの体へ吸収されるようにして消えた。
母の結晶は、ラドバウトが持つ杖に吸収される。短い詠唱で母の結晶部分を分離して、小さな杖を作って腰の帯へと差し込んだ。
また別の詠唱と共に杖を振れば、祭壇へ落ちていた母の首飾りがラドバウトの元へ引き寄せられ、彼の首へ収まる。
「国を守る魔女の力は受け継いだ。葬儀は終いだ。家へ帰れ」
民は怯えの色を瞳に乗せ、祭壇へ背を向け出口へ向かった。
赤子を腕に抱いたヤルミラに寄り添う親友の目にも、怯えが浮かんでいることに、ラドバウトは気付く。
あんなに優しかった母を、家臣たちがどこか怯えた様子で遠巻きにしていた理由もようやく理解ができた。
両親の死と共に知った世界の秘密は、伴侶であるヤルミラ以外へは、死ぬまで誰にも語ることはできないと考えていた。
そういえば己はもう死んだのだったなと、魔女は小さな嗤いを口元へ浮かべる。
「千年前、カウペルは世界の支配者だった。世界中に魔法が溢れる、魔法使いの時代があったのだ」
相槌が打たれることはなく、クルトとブラムの視線は手元の書類へ落とされている。
紙の上を走る、ペンの音。
興味津々で聞かれるよりも話しやすいと、魔女は思う。
「人間は昔から愚かだからな、自然が作り出す魔力を取り合い、戦争を起こした。そして世界は滅んだ。生き残ったのは一握りの人間と、カウペルの王族の中でも異端扱いされていた、魔女」
「……異端?」
ブラムが不思議そうに呟き、顔を上げた。仕事をしつつも話をしっかり聞いているとは、どういう頭の作りをしているのか不思議になる。少なくとも、ラドバウトにはそんな芸当はできなかった。
「時間と魂の操作は彼女にしかできなかった。だが彼女は、自分の力を戦争の道具にされることを嫌がり反発した。罰として地下へ閉じ込められたが、だからこそ生き残ったのだから、皮肉なものだ」
「魔法使いと魔女は、何が違うんだ? あんたはさっき、魔法使いの時代と言っただろう? だがその女性は、魔女なのか?」
クルトは何かを書きながら口を開く。魔女が彼の手元を覗いてみれば、発した言葉とは別の文章がしっかり書かれていた。
そのことにひっそり感心しながら、魔女は答える。
「魔女とは、魔法使いの中でも異端者を指した言葉だ。善悪は関係ない。彼女の力は、異端だった」
通常の魔法は、火や水、風や大地、光に闇といった、自然界に存在するものを操作する力のことだ。だが彼女は、そのどれもを扱い、なおかつ時間と魂を操作できた。
「だから彼女は魔女と呼ばれた。そしてその魔女は私の先祖だ。その名残で、私たちは魔女と名乗っていた」
「なるほどな。それで、生き残りの奴らはどうしたんだ?」
「彼らは魔女の能力と存在を思い出し、地下にいた彼女に泣き付いた」
時を戻せるのなら、この失敗をなかったことにして欲しい。大切な人の命を取り戻したい。
泣き付かれた魔女は、力を使った。
だが、何度やろうと結末は同じ。生き残る顔ぶれも、変わらない。
「何度も、何度も繰り返して、彼女は気付いた。一度起こったことは、変えられない。どうやっても死は形を変えてやってくるし、彼女や、彼女の働きかけに賛同した人々が違う行動を取ったとしても、変わらぬ流れへ収束するのだと。だからな、彼女は考えを変えた。過去のやり直しは諦め、未来を良くする方へ切り替えた」
「泣き付いた奴らは、納得したのか?」
ゆるゆると、魔女は首を横に振った。
「納得した者はそばに残し、反発した者は記憶を奪って遠くへやった。そいつらが子を産み、育て、カウペル以外の国を興して現在へ続いている」
「記憶を奪うのはどの魔法だ? 先ほど挙げた魔法の中に、記憶を奪えそうな力が無い」
「ブラム。お前は細かい奴だな」
「経験上、気になることを放置して良いことはない。今の状況を含めてな」
アズサの体にラドバウトがいて、アズサの魂が消滅しかけた件について言っているのだとわかり、魔女は気まずそうに乾いた笑いをこぼす。
「記憶操作と精神に作用する魔法。これも、異端の力だ。生き残りに力を隠した異端者が混じっていてな。それに気付いた彼女はやり直しの中で、そいつを懐柔した」
「そいつは男か」
「お。よくわかったな、ブラム」
「そいつも、あんたの先祖なのか?」
「正解だ、クルト。だから私は両方使える」
遠くへ追いやった者たちからは生きるために必要な知識以外の全てを消し去り、魂の操作で魔法の力も失わせた。
彼女の賛同者たちも滅びの原因となった魔法の力を放棄して、原始的な生活を始めた。
「だがな、新しい世代が魔法の力を欲っした。勝手に杖を作り、魔法を独学で学ぶ者まで出てきた。それを許せなかった彼女は、またやり直した。やり直して、やり直して、絶望して……怒り狂った。それで作り出したのが、私の時代まで続いたカウペルの形だ。――お前は何様だと、言ってやりたくならんか?」
魔女がこぼした嘲笑に、クルトとブラムは同意する。
人間とは、力があれば使いたくなる、愚かな生き物だ。異端の魔女は、自分を棚に上げて他を責めたということになる。
「魔法は、彼女の直系の子孫の一人しか受け継ぐことができなくなった。それもな、孫が産まれると、自分の意志も健康状態も関係無く、勝手に命が絶たれてしまう。力は自動的に次世代へ引き継がれ、杖に触れることで、これまでの全ての世代の記憶を見せつけられる。子が産まれる喜び、親を失う悲しみ……全てが手遅れなのだと気付く、絶望感。……一日で、全てを味わうことになるんだ。時を戻す力も、自分が存在する時間にしか使えない。しかも親を助けるには、産まれたばかりの己の子を諦めねばならないという究極の選択を迫られる。なんて性格の悪いっ……。しかもだ、戦争を嫌った彼女はカウペルの地下に、魔力で動く装置を作っていた。魔力の供給が絶たれない限り半永久的に動くそれは、世界から兵器を開発する知恵を、戦争という考えを奪い続ける物。魔力の供給源は、魔女の血族の命。カウペルの国王の役目にはな、装置の燃料になることも含まれていたのだ。愛する伴侶と、愛する子がいる状態で、運命にどう抗う? 抗えると、思うか? 装置を壊せば子の世代が戦争を知ることになるかもしれない。杖を握ったことで見せつけられたあの光景が、現実のものとなって愛する者に襲い掛かる可能性を、自ら生みたくなどないだろう? そんなことは誰も、選べなかった。私も……選ぶつもりはなかった。サーシャとヤルミラが、殺されるまではな」
両手で顔を覆った魔女が俯いて「お前たちは気付いていたか」と、呟いた。
クルトとブラムは、肯定を返す。
「戦争の歴史は、三百年前から始まっている。どの国の歴史書を見ても、それ以前は平和な時代だったようだ」
アズサの隣で共に歴史書を読み続けていたクルトはそれを不思議に思い、いろんな国の歴史書を読み漁っていた。
「アズサとユウイチが、この世界に存在する武器の種類が極端に少ないと不思議がっていた。他の技術に比べ、戦争に関わる技術の発展が遅いと言っていたな。だが悪いことではないから、ギルドとしても、急速に発展することがないよう気を配っていた」
ブラムもクルトも、仕事の手を止め魔女へ視線を向けている。
魔女は両手に顔を埋めたまま、小さく、鼻を啜った。
「私が、七百年続いた平和をぶち壊した。装置も、地下に残されていた歴代の王や王配が残した書物も全てを燃やし尽くし、全てを終わらせた。世界など壊れてしまえと思った。だがあの時の私には力が足りなかったから、世界を壊すための力を得る仕掛けをして、死んだ。今では、あの時の私が力不足で良かったと思っているよ」
短い間の後で、ブラムが首を傾げる。
「嘘を混ぜるのはやめてくれないか? 全てを信じられなくなる」
魔女が姿勢を変えないままで、くくくっと、歯の隙間から笑いを漏らした。
「どこが嘘だと思うのだ?」
「力不足が、嘘だ。世界中の、カウペルや魔女に関わる記憶を消したのだろう? それに、お前が消したのは記憶だけじゃないはずだ」
「何故、そう思う」
「消えたのが人間の記憶だけなら、国の痕跡が見つからなかったのはおかしい。どの国の歴史書にも、カウペルに関する記述は皆無。人間にできることではない」
「…………く、はは、ははは……。すまない。見栄を、張った」
震えた声を隠すかのように、魔女は深く体を折り曲げる。
「両親は、私のために、死んだ。魔女ではなかった父は、組み込まれる必要などなかった。だが王配が、紡いできた願いがあって……父は自ら杖でその身を貫くことにより、ヤルミラへ、想いを繋いだ」
喉を詰まらせ、深く息を吸い込んでから、言葉を続ける。
「七百年だ。七百年、王と王配たちが望んだ終わりは決して、あのような形ではなかったはずだ……それなのに、私はサーシャとヤルミラを守れなかった。三百年の暗闇と孤独は、私が己に課した罰だ。復讐心を育てるためのものではない。守られていた平和に対して短い期間だが、両親と祖先の犠牲の上で成り立っていた平和を壊した罰を受けてから、世界を滅ぼそうと決めた。私にはそれができるだけの力があるから……」
嗚咽が、漏れ聞こえた。
クルトが魔女の背中へ触れると、心の内の激情が漏れ出しているかのように、熱い。
体を小さく折り畳んで両手に顔を埋めた魔女を見下ろし、クルトは苦笑を漏らした。
「あんたは本当に、損をするタイプだな。ラドバウト」
「と、突然なんだお前! 昨日から頑なに、私の名を呼ぼうとしなかったではないか!」
「仕方ないだろ。その体にいるあんたの名前を呼んだら、アズサが帰ってこない気がして、怖かったんだ」
「絶対に、あの子はお前の元へ帰してやる。お前が私を信じられなくとも勝手にやるし、約束する」
「あぁ。わかった。信じる」
「……っ、ありがとう」
その後はしばらく、小さな嗚咽と鼻を啜る音と、書類仕事をする静かな物音が、執務室内を満たしていた。
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