第37話 魔女の呪いから解放され、過去を顧みる

   1

 自分ならばもっと上手く使うのにと、何度考えたことだろう。

 寄り添い笑い合う二人を見ると羨ましくて……劣等感が刺激された。


「ヘルマン! 見て見て、ラディったら可笑しいのよ!」

「やめろ、ヤルミラ! ヘルマンに呆れられるだろう!」

「えー? だってぇ」


 囁き合うような笑い声。

 もし己が正統な血を受け継いでいたら、彼女も、手に入ったのだろうか。


「どうした、ヘルマン?」


 向けられる、無垢な眼差し。

 己の汚さを自覚して、苦しくてたまらない。


「また、何をお馬鹿なことをなさっているのかと呆れていただけです」

「ほら! やはりな! ヤルミラ、お前のせいだぞ」

「ラディがお馬鹿なのは本当だもの」


 笑顔の裏で二人が抱えていたものの重さなど、ヘルマンは、考えもしなかった。


  ※


 目が覚めて、天幕の中で思う。

 これから己は、何をなすべきなのか……。


 何度目かの生まれ変わりで、必ずエフデンの王族の嫡男として生を受けるという法則に気付いてからは、自殺などの無駄な抵抗はやめていた。

 己の産まれる場所がなくなればどうなるのかがわからず不安だったから、子は作った。だが何度も関係を築くのは面倒で、己の子らと向き合ったことなど一度もない。

 優秀な子どもはこれまでにも存在した。

 だからこそ、ヘルマンと狂ったあの男が王位を継ぐ歴史の中で、エフデンはなんとか生き永らえてきたのだ。


「フィー。どこへ行くのかな?」


 天幕の外から聞こえた、長男の声。

 レイナウトは、今世の妻となった女によく似て穏やかな性格で、ヘルマンよりも王に相応しい人物だ。

 次にあの狂った男が産まれるならレイナウトの息子として。これまでもあの男のせいで何度も己の子が不幸になる様を見てきたヘルマンは、魔女が本物だった場合、自分が犠牲になってでもあの男が再び産まれることを阻止してもらおうという覚悟を決めて、ゲレンまでやって来た。


「レイお兄様っ。あの……ちょっとお散歩に。テオとディーとロブも連れて行くから、心配なさらないで」

「ゲレンの街へ入るのなら、僕も行きたいなぁ」

「だ、ダメよ! レイお兄様がいたら、入れてもらえる確率がぐんと下がってしまうわ!」

「やっぱりゲレンの街に行くつもりだったんだね?」


 末の娘はバウデヴェインの妹の生まれ変わりで、さらには最初に結婚したエフデンの王女の生まれ変わりなのではないかと、ヘルマンは疑っている。性格は少しずつ違っているが、顔が瓜二つなのだ。

 これまでも王女は何度か産まれはしたが、大人になる前に、必ず病や不慮の事故などで死んでしまっていたから、それも呪いなのではないかとひっそり、恐れていた。


「余も今一度、魔女に会いたい」


 天幕から出て声を掛けてみたら、娘はあからさまに怯えて兄の背に隠れてしまう。怒られるとでも思ったのだろうか。


「父上が共に行けば、更に確率は下がりそうですね。まずは僕とフィーで行って参ります。父上はお待ちいただけますか?」

「わたくし一人が一番確実だわ」

「フィーだけだと、ただ遊んで終わるだろう? それに、ブラム殿に簡単に言い包められてしまいそうだよね」

「彼はわたくしに構うほど、暇ではないわ」

「それに僕は、あの子にも会いたいんだよね」

「もう、帰ってしまったかもしれないわ……」

「確かめに行こう」


 子どもたちの言う「彼」が誰なのかはわからないが、魔女にもギルドの若者たちにも嫌われている自覚のあるヘルマンは、とりあえず大人しく待つことを選択する。


 魔女に再び会って何を話すかは決めていないが、このまま王都に帰るには心残りがあるような、胸の奥にもやもやしたものが残ったままのような気がしていた。

 もうあの頃に戻れないのはわかっている。だが、何か言葉を交わしたい。

 三百年もの間死と生を繰り返したが己は全く成長していないようだと自覚して、ヘルマンは深いため息を漏らした。



   2

 フィロメナは、隣を歩く兄をチラチラ見ながらどうしたものかと考える。

 父を追い払ってくれたのは助かったが、王太子が共にいる状態で街へ入れてもらえるかが心配だ。兄の安全のためにもやめた方が良いと言うべきか……悩んでいる内に、国王一行を警戒する自警団員のもとに辿り着いてしまった。


「フィーちゃん。ちょうど会いに行くところだったの」

「フェナ!」


 見知った顔を見つけ、安堵と共に駆け出した。

 フェナの近くにはコーバスがいて、気楽な様子でレイナウトへ話し掛けている。


「おはよう、レイ。へぇ! 呪いが解けたらイケメンだね!」

「やっと左手が使えるようになって安堵したよ。ねぇコーバス。僕にゲレンを案内してくれない?」

「いいよー」

「え! よろしいんですの?」


 相手が王太子だとわかっているはずのコーバスの口調や態度にもだが、簡単に街へ入れてくれることにも驚いた。

 本当に良いのか確認するためフェナへ視線を送ると、彼女は苦笑を浮かべて告げる。


「元々、フィーちゃんがお風呂に入りたいんじゃないかと思って声を掛けに来たの。きっと王太子殿下もついて来るだろうなって思ってたから、大丈夫だよ。お兄ちゃんにも許可はもらってるんだ」

「お風呂! とっても入りたいわ!」

「ギルドの本部の方になっちゃうけど、良いかな?」

「問題ないわ。……ねぇフェナ。ユウイチは、もう帰ってしまったかしら?」

「うーん……とりあえず、細かい話は中でしようか」


 昨夜とは違って、今朝のゲレンの街はしっかり稼働していた。

 道行く人々は、フェナとコーバスに挨拶して通り過ぎて行く。レイナウトの存在は視界に入らないのか完全無視だ。

 中にはフィロメナや騎士たちと挨拶を交わす者もいて、それを見たレイナウトがにこにこ楽しそうに妹の後ろ姿を眺めている。


「どうやらここで、良い時間を過ごしたみたいだね?」


 頭を撫でられたフィロメナは、照れ臭そうに頬を染めた。


 人の出入りが激しいギルド本部に着くと、レイナウトは物珍しそうに建物や人の流れを見回す。


「レイ、こっちだよ。まずはシャワーを浴びて、それから街を案内するよ」

「しゃわー?」

「フェリクスお兄様からお聞きにならなかったの?」

「あの子はフィーをゲレンに置き去りにした罰で、謹慎していたからね」

「帰ったら、フェリクスお兄様にも謝らないといけないわ」

「そうだね。僕も、フェリクスにはたくさん心配を掛けた。早く帰って安心させてあげないとね」


 シャワーを済ませると、応接室に案内された。そこには勇一が待っていて、レイナウトの姿を見ると嬉しそうな笑みを浮かべる。


「元気になったんですね、王子様。良かったぁ」

「ユウイチが話しているわ!」

「俺はずっと話していましたよ?」

「わたくしと、直接言葉を交わしているわ!」

「魔女が、魔法を掛けてくれたんです」

「魔女ってすごいわ! 怖いだけの人かと思っていたけど、実は良い人なのね!」

「フィー、いたっ、痛いです!」

「敬語はやめてちょうだい! レイお兄様っ、ユウイチがこちらの言葉を話せるようになったわ!」

「うん。フィー、手を離してあげなさい」


 勇一の両手を握ってぴょんぴょん跳ねていたフィロメナは、レイナウトから言われて渋々両手を離した。だが、顔は嬉しそうに輝いたままだ。

 レイナウトは妹の様子を一瞥してから、勇一へ視線を向ける。


「改めて、挨拶をしても構わないかな?」

「あ、はい! 宮坂勇一です。十九歳です。日本という国から来ました」

「僕は、エフデンという国の王太子、レイナウトだよ。妹が迷惑を掛けたのに、僕が病に倒れたせいで途中放棄のような形になってしまってすまなかった。魔女は、君を家に帰せるのかな?」

「大丈夫です。帰れます」

「いつ帰るのか教えてもらえる? できれば見送りたいのだけど」

「え? あー……いやぁ…………ははっ」

「何か不都合でもあるのかな?」


 レイナウトからの笑顔の圧力に気圧され、勇一は助けを求めてフェナを見た。

 勇一のSOSに応じたのは、コーバスだった。


「うちのマスターが今ちょっと困った状態なんだよね。ユウイチは、それが解決したら帰る予定」

「え! 言っちゃって良いんですか!」

「ダイジョーブ! ブラムの判断だよ」

「なんだぁ、冷や汗掻いちゃいましたよ……」


 ふうーっと息を吐き出して、脱力した勇一はソファへ座り込む。


「ごめんね、お兄ちゃんから聞いてると思ってたの」

「聞いてないですよー。でも今朝バタついてましたもんね。仕方ないっす」

「うーん……お兄ちゃんのことだから、余裕が無かったってことはないと思うなぁ」

「そうなんですか?」

「報連相を怠るとマスターが怒るから、必要ならちゃんと言うよ、ブラムは。無駄は省くけどね」

「無駄……ブラムさんって、たまに意地悪ですよね……」


 勇一の向かい側へ腰掛け、三人の会話が終わるのを待っていたレイナウトが穏やかな笑みをその顔へのせた。


「それで、ギルドのマスターの困った状態について、僕は教えてもらえるのかな?」


 勇一がコーバスへ視線を向けると、コーバスは勇一の隣へ腰を下ろしてレイナウトと向かい合う。

 フェナはお茶の用意を始め、フィロメナは少し迷ってから、レイナウトの隣へ座った。


「あんたらのお父さんのせいなんだよね。責任取ってよ」

「責任、ね。まずは要求を聞こうか」


 人好きのする笑みを浮かべ、コーバスは告げる。


「簡単なことだよ。エフデンの王族には、ギルドの商品の広告塔になってもらいたいんだ」

「……そんなことで、良いのかい?」

「うん! 貴族から合法的にお金を巻き上げるのに協力して欲しい!」

「無邪気な笑顔ですごいことを言うね」


 レイナウトは苦笑を浮かべてから、思案顔になった。


「僕が納得できる商品なら、構わないよ」

「そこは安心して良いよ。ギルド製品の品質は世界一だからね!」

「良い職人や技術者、研究者たちを引き入れているようだね?」

「レイだって、ギルドと繋がりたいって思ってただろ?」

「まぁね。……コーバスは知っているかな? エフデンの人買いの組織が壊滅させられた話と、そこにいた子どもたちの行方について」

「それを聞きたくてマスターに会いたがってたのか?」

「うん。それに、仲良くなれたら得をしそうな人だなと思って」

「そっかぁ。だけどな、レイ。ここはゲレンで、ギルドの本部だよ。情報を得るには支払いが必要だ」

「いくらかな?」


 商人の顔になったコーバスと、王太子としてのレイナウトの商談は、円滑に進んでいく。



   3

 昼間でも暗い洞窟内を、一人で進む。

 誰にも告げずにこっそり野営地を抜け出してきたから、気付かれれば大事となるだろう。眠るから起こすなと命じたため、一時間は気付かれないはずだ。


 ランタンを手にこの道を進んでいると、まるで始まりの時へ戻ったかのような錯覚を覚える。

 恋慕った相手と親友の体を剣で貫いた感触が、まるでつい先ほどの出来事のように蘇ってきた。

 暗い気持ちを胸に抱き、同じ道を進んだかつての自分。


 結局手に入れたのは……虚無だった。


 長い生の中、何度空想したことだろう。

 自分が馬鹿なことなど考えず、親友たちと共にサーシャの成長を見守っていたら、誰もが幸せになれたのかもしれない。

 かつての自分の愚かさを、何度も悔いた。


 視界が開け、目的の場所へ辿り着く。

 祭壇に腰掛ける人影を見て、不思議と安堵が、胸に広がった。


「魔女は、夜にしか現れないのではなかったか?」


 問えば、漆黒の布に全身が覆われた魔女が、静かに笑った。


「お前たちに居座られ続けるのは、商売の邪魔だと子どもたちが言うからね。出てきてやったのだ」

「子どもたち……?」


 魔女の両脇には昨夜と同様、カラスの仮面を付けた不気味な出で立ちの人影が二つ。


「ギルドマスターはお前なのか? ラドバウト」

「それを聞くために一人でここまで来たのか? 暇なのだな、エフデンの国王とは」

「お前だって、フラフラしていたではないか」

「私の役目は燃料だったからな。閉じた国では、やることも多くは存在しない。だがエフデンは違うだろう?」

「燃料、とはどういう意味だ?」

「何も知らず欲しがるばかり。お前は変わらないな。……道具と共にあった手記を読んだ。あれは、お前が書いたのか?」


 ヘルマンが頷くと、魔女が嗤いをこぼした。


「あれは、お前の中での真実か?」

「どういう意味だ?」

「あの男も、同じ見解だったのだろうか」

「彼も手記の存在は知っていたが、事実と異なると言われたことはない。何が言いたい」

「いやなに……帳尻合わせの詳細を指定しなかったからな。結果が気になったのだ」

「呪い以外にもお前は、何かをしていたというのか?」

「今となっては些末事。お前が知っても意味のないことだよ。かつての親友を気遣ってやるならば、今知るものこそ真実だと思っていた方が、お前は残りの人生を心穏やかに過ごせるだろう」

「気になるのだが……」

「教えてやらん」


 魔女がふいっとそっぽを向く動作をして、ヘルマンはじっと見つめて粘ろうとしたが、すぐに諦めた。


「お前のその、全てを見透かしたような物言いが、嫌いだったよ」

「全てを見透かせていたのなら、妻と娘をあのように死なせはしなかった」

「サーシャとヤルミラは、お前のそばに今もいるのか?」

「いるわけがないだろう。魂を弄んだのは私自身とお前たち三人。これは、罪人への罰なのだから」

「そうか……。償いの証として、今後、ゲレンとギルドには最大限の敬意を払うと約束しよう」

「良い心掛けだ。詳細はギルドの子らと話し合ってくれ。遣いをやろう」


 頷きを返したヘルマンが、踵を返そうと一歩足を引く。


「お別れだ、ヘルマン。エフデンの国王バウデヴェインとして人生を全うすることで、お前の呪いは解ける。精進することだ」

「……また、会いに来る」

「これが最後だ。もう会うことはない。――去れ、バウデヴェインよ」


 魔女が呪文を唱え、杖を振る。


 気付けばバウデヴェインは天幕の中にいた。

 その後洞窟の入り口を探したが、二度と、見つけることはできなかった。

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