第32話 自称偽物の、魔女なんです

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 ゲレンとは違ってエフデンの王都には、少数ながら元々ターフェル人が存在する。それは戦争が始まっても変わらず、金髪と緑の瞳というエフデン人の中では目立つ容姿をした彼らがターフェルへ向かわなかったのは、彼らにとっての母国はエフデンであり、王都が生まれ育った土地だからだ。

 王都で暮らす人々にとって、ターフェル人とは珍しい存在ではない。

 だからフィロメナと近衛騎士の二人は、ミアとピムを見ても何の反応も見せなかった。アズサも、そういった事情を理解した上で、孤児院にいる二人を隠そうとはしなかった。

 だが、国王とその連れについてはそうとは限らない。現在のエフデン国王は、己の娘にその名を付けるほど愛していた妹がターフェルに嫁入りしたことで自殺に追いやられ、二十年にも渡る戦争を前王が崩御するまで何もせずに放置し続けていた人物だ。

 反応が未知数な上に危険人物という認識があるからこそ、警戒しておく必要がある。


 念のためミアとピムは、特別休暇を与えたシモンに職員宿舎で匿ってもらうことにした。職員宿舎も屋敷と同じ敷地内にあるため、孤児院より安全だ。


 コーバスが帰ってきたその日の内に様々な準備を整え、次の日は、午前中の孤児院行きはやめにした。

 フィロメナと近衛騎士三人は、ギルド本部の応接室で過ごしてもらっている。

 フィロメナたちは暇そうにしているが、勇一はなんだかんだと忙しい。商品開発部へブラムと共に呼ばれてスケートボードの改良点について話し合い、販売戦略の会議にも出席した。

 勇一の忙しさの理由は、魔女の道具がゲレンへ持ち込まれれば、勇一がニホンヘ帰れる可能性が高いことからきている。いなくなってしまう前に、確認すべきことはクリアしておこうということらしい。


 日がだいぶ傾いて、お茶の時間も過ぎた。このまま何事もなく夜が来るのだろうかと思われた時、遠くの方から甲高い笛の音が響く。

 ちょうどその時勇一は、ブラムと共に商品開発部から出たところだった。


『来たようだな』


 ブラムが、ニホン語で呟いた。


 笛の音を聞きつけたギルドの職員たちが、慌ただしく動きだす。これ以降、ギルドの業務は一時停止となるからだ。

 自警団用の庁舎からは団員たちが出てきて、訓練場に集まった。自警団の制服を着たクルトとリュドが指示を飛ばしている。

 ブラムと勇一が階段を上る途中で、二階から下りてきたアズサたちと鉢合わせた。


『ナイスタイミングです。ユウイチはこれを着て、私と来てください』


 アズサから手渡されたのは、ギルド職員が街の外へ出掛ける際に羽織るフード付きのケープ。アズサとフェナも揃いのケープを身に着けている。

 ヨスはきっちりネクタイを締めて上着も着ていて、彼らの後ろには、フィロメナと近衛騎士たちも揃っていた。


「こっちは任せとけ」


 職員の仕事部屋からイーフォが顔を出し、外へ向かおうとしていたアズサたちへ手を振った。


「もしユウイチが帰る時は、ちゃんと教えてくださいね! 勝手に帰らせたら駄目ですからね!」


 イーフォの脇からハルムが姿を見せ、主張する。


「何がどう転ぶかが未知数だから約束はできないけど、別れの時間は取れるようにする」


 アズサが笑顔で請け負った。


『ユウイチ。バイバイは、まだ待つしてね。僕、寂しいですので』


 ハルムがニホン語で勇一へ告げる。

 勇一は破顔して、頷いた。


『俺の荷物が屋敷にあるので、取りに行かないと。それに俺も、帰る前に皆さんとちゃんとお別れがしたいです』


 勇一とアズサとフェナはケープのフードを深くかぶり、一行はギルド本部の裏口から外へと出る。

 建物から出ると二手に別れた。

 ブラムとヨスは、フィロメナと近衛騎士三人を連れて王都方面の街道へ向かう。ヨスの指示に従い自警団員たちが十人ほど、付き従った。


 勇一はアズサに手招きされ、フェナも一緒に訓練場へ向かう。


『クルトが格好良過ぎて好きが暴走しそう』


 勇一にもわかるようにだろう、アズサがニホン語で呟いた。


『わかるよ、アズちゃん。私もヨスのスーツ姿、ときめきでどうにかなりそうって思うもん』


 フェナもニホン語で答え、二人は仲良く手を繋ぐ。自分も何か言うべきかと考え、勇一は口を開いた。


『リュドさん、めちゃくちゃ強そうです! スーツも大人! って感じで良かったですけど、軍服の方が似合いまくりですね!』

『……ありがとう』


 リュドからは、なんともいえない笑みが返された。


『ユウイチ。昨夜も言ったが、国王がいる間ニホン語は極力使うなよ』


 自警団の制服に付属されている帽子を着用しながらのクルトの言葉に、勇一は深く頷く。


「カタコト、だけど、がんばるます!」

「無理に話す必要はない」


 こくんと、勇一は頷いた。

 ゲレン滞在の間に少しだけ、こちらの言葉が上達したのだ。


「それじゃあ私たちも、王と王太子を出迎える様子を見に行きましょー」


 呑気な笑顔と共に発されたアズサの号令で、団員たちはそれぞれの持ち場へと散った。



 町外れでは、街道からゲレンへ入る道を揃いの黒い衣装をまとった一団が封鎖していた。その先頭にはブラムとヨスがいて、傍らにはフィロメナと騎士の三人が立っている。

 街道の向こうから一頭のミウスが駆けてきて、ミウスに跨った人影が大きく手を振った。コーバスだ。


「あと数分」


 ミウスから飛び降り、コーバスがブラムの隣へ並ぶ。コーバスが乗っていたミウスは、自警団の団員が手綱を受け取った。


「お兄様も、ミウスに乗ってらっしゃるの?」

「マントのフードを深くかぶった人が一人、騎士の操るミウスに同乗してました。おそらく、王太子殿下かと思いますよ」

「お体は大丈夫なのかしら?」

「俺が会った時は、見た目はともかく元気そうではありましたね」

「そう……」


 落ち着かないのか、そわそわしながらフィロメナは街道の向こうへ視線を注いでいた。

 それからまもなく舞い上がる土埃が見え、地面から振動が伝わってくる。


 王都からの来訪者を待ち構える先頭集団から離れた後方では、アズサとフェナと勇一が、リュドとクルトのそばで様子を眺めていた。

 ケープをまとった三人はフードを深くかぶり、顔は見えていない。クルトとリュドも帽子をかぶり、団員に紛れている。


 総勢十七人。国王がいる一団にしては少ない来訪者の中に、ガイがいた。武器を奪われ両手を拘束された状態で、騎士が操るミウスの後ろに乗せられている。

 その様子を目視して、自警団員たちが殺気立つ。

 ガイは自警団の団長なのだ。自分たちの慕う上司に対する王族側の扱いは、彼らの怒りを買うには十分だった。


 離れた位置でミウスを停止させた国王一行の前にコーバスが進み出て、にこやかに声を掛ける。


「ひどいですねぇ。こちらは、フィロメナ王女殿下を丁重にもてなしていましたよ」

「お父様! この方たちはわたくしの我儘に付き合ってくださっただけです! ガイ殿をお放しください!」


 両手の指を組み合わて強く握ったフィロメナが声を上げると、一行の中心から丈の長いマントのフードを目深にかぶった人物が二人、ミウスから下りて進み出た。

 その内の一人がフードを外し、現れた顔は豊かな顎ヒゲを生やした中年の男性だ。彼こそが、現エフデン国王バウデヴェイン。


「アズサ?」


 クルトが訝しげに名を呼び、剣の柄頭を抑えた。何故かアズサが、クルトの腰にある剣のグリップを握ったからだ。


「頭のおかしなこと、言う」


 激情を必死に押し殺しているようなアズサの声が、噛み締めた歯の隙間から漏れる。


「わたしを、縛って」

「どうした?」

「早く!」


 小声だが切羽詰まったような声に従い、クルトはアズサを正面から抱き締めて拘束した。リュドとフェナが咄嗟に動いて壁となり、二人の姿を前方から見えないように隠す。


「アズちゃん、どうしたの?」


 フェナが顔だけで振り向き、小声で問うた。

 アズサはクルトの腕の中、腰の剣をなんとか引き抜こうともがいている。だがその顔は困惑に満ちており、怯えたように、唇を震わせていた。


「王と、ラドバウトさんを会わせるのだめって、ブラムに」


 苦痛が滲む声が、告げる。


「……他に、伝えることはある?」

「今この時から、マスターの権限を全権、ブラムへ委譲する」


 ギルドマスターとしての命令のあとで、アズサが弱々しく、吐き出した。


「たすけて、クルトっ」


 一滴、こぼれた涙がアズサの頬を伝ったが、すぐにクルトの胸元へ顔を埋めたせいで涙は制服の上着に吸い取られる。

 アズサの手は本人の意思に反し、剣が欲しいとうごめいていた。

 フェナとクルトが素早く視線を交わし、すぐに動く。


『ついて来い』


 見えない何かに必死に抗う様子を見せているアズサを抱き上げ、クルトはニホン語で勇一を呼んだ。

 フェナはリュドと共に、ブラムのもとへ向かう。

 クルトが駆け出して、勇一も必死に後を追いかける。

 屋敷よりも近い、フランクの診療所へ辿り着くと扉を乱暴に開けて中へと飛び込んだ。


「フランク! 部屋を借りる!」


 一旦アズサをあの場から引き離し、落ち着かせなければと、クルトは考えていた。

 クルトの腕の中、アズサは己の腕を抱き締め、体を強張らせている。


「……何事?」


 診察室の隣にある休憩室へクルトが入ると、すぐにフランクが顔を見せた。

 クルトは答えることなく、ベッドへ腰掛けアズサの顔を覗き込む。フランクも駆け寄ってきて、クルトの腕の中にいるアズサの様子に表情を強張らせた。

 お腹の前に抱き込んだ震える両手。アズサは、己の右手の甲へ左手の爪を突き立てていた。皮膚が裂け、鮮血が流れ出ている。


「アズサ。手を、離しなさい」


 フランクが声を掛けても反応がない。意識はある。だが、目の焦点が合っていなかった。


「アズサ、アズサ。一体どうしたんだ? こちらを見てくれ」


 続いてクルトが声を掛ければ、アズサの目から、大粒の涙が溢れ出す。

 音になっていないアズサの声が、クルトを呼んだ。

 爪を突き立てていた手を離し、アズサの両手が伸ばされる。

 クルトの頬へ手が触れる直前、ぴたりと、アズサの動きが止まった。


 聞いたこともない血を吐くような声で、アズサが告げる。


「ヘルマン……あいつッ、殺してやるッ!」


 途端アズサが、再び己へ爪を突き立てた。

 クルトが両手首をつかみ拘束するも、激しく抵抗される。


「アズサ! それはお前の感情じゃない! ラドバウトのものだ!」

「私は……わたし、は……殺されたのだ、あいつにっ。娘も妻も、あいつのせいでッ! ヘルマンには、死よりも恐ろしい苦痛を与えてやらねば!」


 フランクが薬品棚の鍵を開け、中から小瓶を取り出した。小瓶をアズサの鼻のそばへ近づけると、蓋を開ける。

 ぐるんと白目を剥いて、アズサが気絶した。


「何を嗅がせた!」


 小瓶の蓋を閉めたフランクへ、クルトが鋭く問い掛ける。


「吸入麻酔薬。僕が調合した物だ。副作用で呼吸器に若干の影響が出るかもしれないけど、あのまま自傷し続けるより、ましだろう」


 クルトが、意識を失ったアズサの体を抱き締める。

 アズサの左手の爪は血で染まり、右手の甲と前腕には、爪で抉られた深い傷が血を滲ませていた。

 クルトはすぐそばにいたにも関わらず、アズサの自傷を止めることができなかった。あまりの不甲斐なさに、自分を殺したくなる。


「とりあえず手当をするよ」


 呆然とアズサの傷を見つめるクルトの肩を叩き、フランクは、消毒液と包帯を取るため棚へ向かう。手にしていた小瓶は薬品棚へおさめ、鍵を閉めた。


「何があったんだい?」


 フランクがアズサの傷口を洗おうとするのを、クルトは手伝う。


「……国王の顔を見た途端、錯乱したんだ」


 クルトにだって何が起きたかわからない。

 視線の先では、フランクが手早く傷の処置をしていく。


「アズサは国王の姿絵を見たことあるよね? だから、実物を見たら殺したくなったとか」

「有り得ない。そうなる恐れがあるのなら、事前に言ったはずだ」


 アズサの性格から考えれば確かにそうだなと、フランクは頷いた。


「あいつの……幽霊の、関係だと思う」


 フランクも、ラドバウトという幽霊の話はアズサから聞いている。

 幽霊や魔法などという非現実的なものをフランクは信じていない。勇一の存在があり、アズサから聞いた話でなければ魔法も幽霊も一笑に付していたことだろう。


 診察室のベッドへ腰掛けたクルトの腕の中、薬により強制的に意識を奪われたアズサの前髪を、フランクがそっとはらった。


『あのぅ……アズサさん、どうしたんですか?』


 開けたままだった診察室の扉から、勇一が恐る恐る顔を覗かせる。

 クルトが、涙で濡れたアズサの頬を手のひらで拭いながらニホン語で答えた。


『魔女に、干渉されたんだと思う』

『魔女に? どうしてですか?』


 わからないと、クルトは首を横に振った。


 ラドバウトがエフデンの王族に恨みがあるだろうことは、わかっている。だがフィロメナとフェリクスを前にした時でさえ、こんなに激しい反応はなかったのだ。

 あの場にいたのはフードを目深にかぶったレイナウト王太子と思われる人物と、国王バウデヴェイン。


 魔女の館からラドバウトは出られないはずで、魔女の館に行きさえしなければ乗っ取られることはないだろうと、考えていたのに……。


 クルトの脳裏を、助けてと、涙をこぼしたアズサの顔が過ぎる。


『何故アズサだけが、魔女の存在を感じられるのだろう?』


 ニホン語で呟いたのは、勇一ではない。


『え! お医者さんも日本語話せたんですか!?』

『まぁね。アズサは僕の娘だから』

『そうだったんですね、知らなかったです』

『血の繋がりはないけどね。今はそんなことより、アズサだ。すぐに目を覚ますはずだけど……』


 クルトの腕の中、意識の無いアズサの頭を、フランクが心配そうに撫でた。


 何故アズサだけが魔女の存在を感じられるのか――。

 これについては、ブラムとフェナも交えてアズサと共に、クルトは考察したことがある。


 アズサは、自分以外の二人分の記憶を、産まれ落ちたその瞬間から保持していたという。その記憶は二つとも、物心がつく頃から途中まで。杉本梓についてはどのように亡くなったのかは知らないらしいが、ラドバウトに関しては、親友の裏切りにより国が滅ぶ目前のところまでは記憶しているとアズサは言っていた。

 ラドバウトの記憶が関係していることは明白で、ラドバウトは、エフデンへの復讐を望んでいるだろうこともわかっている。だからこそアズサとクルトたちは、彼の怒り、憎しみ、恨みという負の感情を昇華する手助けをするつもりでいた。

 そうすることで、アズサの体を使おうとするラドバウトから、アズサを守れると考えていたのだ。それに何より、ラドバウト自身もアズサの体を問答無用で奪うということは考えていないようだと感じられたから、彼は敵ではないはずだと思っていた。


『助けてと、アズサが言ったんだ』


 呟いたクルトの顔に、二人分の視線が集まった。


『物理的な脅威からなら、いくらでも守ってやれる。だが……実体の無いものからは、どうやって守ってやれば良いのだろうか』


 クルトはアズサの髪へ、鼻先を埋める。


『アズサ……。アズ。帰ってきてくれ』


 クルトの懇願も虚しく、国との交渉という一大事を前にして彼らは何よりも大切な人を――失った。



   2

 世界が黒く塗り潰される――。


 己の裡から湧き出るものに、必死で抵抗した。


 皮膚に爪を立て、痛みで己を、つなぎとめる。


 愛する人の、腕の中。揺られながら、みんなで一緒に幸せになるのだと、願った。


 クルト、フェナ、ブラム、ヨス、コーバス、リュド、リニ、イーフォ、ハルム、マノン、エリー、ガイ、フランク……。


 大好きな人たちの名前を呪文のように繰り返す。


 ゲレンの人々の顔。ミアにピム、フィロメナにディーデリックに、テオドルス――新しくできた友人たち。


 お願いだから奪わないでと、懇願する。


「ごめんね。私の愛し子。私の……可愛い娘」


 よく知る男の声。それを最後にアズサの世界はあっけなく、崩れていく――


   ※


 何の前触れもなく唐突に、パチリとアズサの両目が開いた。

 見守っていたクルトとフランクと勇一がそれに気付き、ほっと表情を緩める。

 それを見て、彼女は申し訳なさそうに、瞳を伏せた。


「すまないね。あの子の魂は……砕けてしまった」

「……ラド、バウトっ」


 クルトが憎々しげに、呟いた。


「クルト、それは幽霊の名だな? これはアズサではないのか?」


 フランクの問い掛けに答えるように、クルトの腕の中におさまる魔女が儚げな笑みを浮かべる。


「あの子は消滅する。時限式の仕掛けが、発動してしまったのだ」


 アズサの体を奪った魔女が、クルトの手から逃れて立ち上がった。言葉がわからず状況が理解できていない様子の勇一へ、漆黒の瞳を向ける。


「道具を取りに行かねば。あれがないと、彼を故郷へ帰すことができない」


 勇一には魔女の言葉はわからなかったが、目の前にいるのが普段のアズサと違うことは理解できた。

 声の出し方、表情の作り方が、アズサとは全く異なっていたから。


 先ほどフランクに嗅がされた薬の影響か、若干声が出しづらそうに、魔女が咳払いをする。


「ラドバウトッ! アズサを返せ!」


 アズサの体を捕まえようと手を伸ばしたクルトを制したのは、フランクだった。


「待つんだクルト。落ち着きなさい。アズサを取り戻したいと望むなら、考えて行動すべきだ」


 フランクの言葉に従い、クルトはとりあえず話を聞く姿勢を見せる。それを確認してからフランクが、アズサの体を操る魔女へと顔を向けた。


「魔女よ。消滅するというのは、アズサのことか?」


 魔女は悲しげに、頷く。


「なん、だとっ……お前は死者だ! 消えるのはお前だろう! アズサを返せッ」


 クルトが吐き出したのは、慟哭に近い声。涙は流さず怒りをあらわにしたクルトへ、魔女は哀れみの視線を向けた。


「クルト。お前が愛したこの娘は、私の魂の複製品なのだ。残念ながらオリジナルの私の方が、強い」

「複製品? ふざけるなッ、アズサはアズサだ。俺たちと一緒に懸命に生きてきた、一人の人間だ!」


 アズサを返せと、クルトは繰り返す。

 その隣ではフランクが、途方に暮れた顔を魔女へと向けていた。信じ難い状況だが、目の前にいるのがアズサの姿をした別の存在だとは、理解できる。

 フランクの知るアズサは、こんな悪趣味なことは絶対にしないからだ。


「魔女よ、何が目的だ? 僕たちは何でもする。何でも差し出す。だからどうか、その子を僕たちへ返してはくれないだろうか。僕にとっても己の娘のように、慈しんできた子なんだ」


 泣きそうに顔を歪めたフランクへ視線を向けて、魔女が儚げな笑みを浮かべた。


「三百年前、憎しみに駆られた私が仕掛けた呪いの全てを終わらせようと思うのだ。悪いが、手伝ってはもらえぬか?」

「それで、僕たちのアズサが戻るなら」

「先ほども言ったが……この子の魂は既に、砕けてしまったのだ」

「どうしてッ」


 今にも泣きだしそうに歪んだクルトの顔を見つめ、魔女は告げる。そのように作ったからだと。


「お前はアズサを、騙していたのか……?」


 アズサは言っていたのだ。ラドバウトは敵ではないと。信じられる人だと。

 他人など信じられない世界に産まれ落ち、その中でも仲間を見つけて、クルトたちは生きてきた。

 誰かを信じて良いのだと、クルトを含めた孤児たちに教えてくれたのは、アズサだ。


 クルトのみならずブラムですら、ラドバウトを敵とは見做さなかった。


 何より直接言葉を交わした時、ラドバウトがアズサへ向ける情のようなものを感じたからこそ、彼が彼の意思でアズサを害することはないだろうと、クルトも判断した。


「あの子の持つ記憶は私が手を加えて与えたものだったから、騙したといえば、そうなるな」


 悲しげに沈む魔女の顔を見て、クルトは気付く。

 ラドバウトは、彼の意思でアズサを害することはない。だがそれは、現在のラドバウトにいえることなのではないか。


「この子が完全に消滅してしまう前に、杖と水晶を手に入れなければならない」

「それがあれば、アズサは、帰ってこられるのか?」


 迷子の幼子のように途方に暮れた表情を浮かべたクルトへ、魔女は真実を告げる。


「魔女の力は万能ではない。だが、最大限の努力をするつもりだ」


 物足りない答えではあったが、頼れるのは魔女以外にいないのも、事実。


「アズサを返してくれるのなら俺は、なんだってする」

「僕もだよ。魔女よ、何をすれば良い?」

「なんでも、か。例えば……誰かを殺すことも厭わぬか?」


 クルトとフランクは迷わず頷く。それを見た魔女は、アズサがよく浮かべる飄々とした表情で、笑った――。

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