第29話 宮坂勇一、日本人です2

 夜になるまで待たされて、今度は地下へと連れて行かれた。まるでライド型のアトラクションのような乗り物に乗って、お化け屋敷のような部屋の中、顔は隠して胸脚隠さずな女性に会った。

 それが魔女だったのだという話を、日本語が話せる顔に傷痕がある女性から聞かされたのは、夜もだいぶ更けてからだった。


『こんばんは、私はアズサといいます。あなたは誰ですか?』


 あの瞬間に勇一の中を駆け巡った感情の波は、上手く言い表せそうにない。だけどこれだけは言える。この世界に来て初めて、心の底から安堵した瞬間だったと。

 勇一は、日本語の通じる人々が暮らす屋敷で保護されることとなった。


『クルトさんは、自警団の制服は着ないんですか?』


 屋敷での生活にも慣れてきた朝食の席で、聞いてみた。

 クルトという青年は勇一の一つ上。忙しいアズサに代わり、何だかんだと勇一の世話を焼いてくれている。


『俺は、アズサの護衛。自警団の制服は威圧するから、不釣り合いだ』

『でも、フィーの騎士さんたちは着てますよ、騎士の服』


 クルトの青い瞳が二人の騎士へと向けられて、テーブルの上の皿に戻る。


『あちらは目立つ必要があるのだろう。一見してわかれば、トラブルを回避できる可能性は高い。騎士に喧嘩を売る人間は少ないからな。逆に俺は、目立つのは困る』

『どうして目立つの、困るんですか?』


 ちょっとだけ、面倒そうに眉を顰められてしまった。それでも彼はちゃんと教えてくれるから、勇一はつい色々質問してしまう。日本語で話せるのも、嬉しかった。


『危険から遠ざけたいのに、アズサがギルドの要人だと宣伝して回るようなものだろう。外から来る人間に、悟らせたくないからだ』


 そこまで言われてやっと納得できて、勇一は食事を再開する。


 食堂内で制服を着ているのは、騎士を除いて六人。イーフォとハルムは、クルトと同じく私服姿だ。フェナとアズサも日によって違う服を着ていた。

 ちなみにフィロメナも、城を出てからは街中でも目立たない簡素な服をまとっている。

 受付娘三人は上品なワンピースの制服姿で、胸元に名札を付けてギルドの受付を担当しているとリニから教えてもらった。

 リュドとヨスはネクタイを締めてスーツを着ている。大抵上着は脱いでいるが、客に会う時や外出時には着るようだ。

 三つ揃えのスーツはブラムで、やり手な空気が漂っている。最初に会った時、彼が一番偉い人かと思ったのだが、ギルドという組織を束ねてギルドマスターを名乗っているのは、若い女性。

 アズサは、不思議な人だった。

 流暢に日本語を操る上、日本にも相当詳しい。日本人から転生したのかもしれないという言葉にも、納得できる。

 だけど、彼女の日本についての話はどこか他人事なのだ。それは彼女が「アズサ」というエフデン人としての新しい人生を歩んでいるからなのかもしれない。


 勇一にはもう一つ、気になることがあった。共に過ごす時間が長くなってきて、気付いたことだ。


『この前リニさんが歌ってた歌なんですけど、日本の歌って、アズサさんが全部教えたんですよね?』

『そうですよ。ニホンを知っているのは、ユウイチ以外には私だけですから』


 ある日の夕食時、アズサの近くに座った勇一は、疑問をぶつけてみようと考えた。


『あの歌、俺がこの世界へ呼ばれる一月ほど前にSNSにアップされて流行った曲なんです。どうしてアズサさんが知ってるんですか?』


 アズサが転生者なら、日本人だった彼女は何らかの事情で亡くなっているはずで。アズサの年齢は二十二歳。時間の計算が、合わないのだ。


『あれは、杉本梓の孫たちが彼女に教えた曲です』


 そこまで言ってから、アズサは考え込んでしまった。

 彼女の隣にいたクルトが興味をひかれたようで、勇一にどういうことなのかを聞いてくる。時間の計算が合わないことを説明すると、クルトはアズサの横顔に視線を向けた。


『ユウイチは、スギモトアズサが生きている時間のニホンから来たということか?』

『…………そうなるね』


 一言答えたアズサが再び考えに沈み、親指の爪を噛み始めた。それを、クルトの手がやんわり止める。


『どうした、アズサ?』


 とても優しい声だった。

 だからだろうか、顔を上げたアズサの顔は、泣きそうに歪んでいる。彼女はいつも飄々としていてとても強い人に見えるのだが、クルトの前では違う一面が覗くことに、勇一も気付いていた。


『私、その先の記憶がない。杉本梓として、死んだ記憶がないの。ラドバウトさんの死の瞬間も、よく考えたら知らない。…………私の前世が彼らなのかと思ってた。だけど……何か、変なの』


 彼女はひどく不安そうで――まるで迷子になった子どものような表情を浮かべていた。

 勇一の知らない名前が出てきたが、聞ける雰囲気ではなさそうだ。


『俺、気付いたらいけないことに気付いちゃいましたか?』


 これだけは聞いておきたくて口にすると、アズサはゆるゆると首を横に振る。


『いえ。時間の計算が合わないのは確かです。もしかしたら、ユウイチは元の世界の元の時間へ戻れるということかもしれません。魔女に聞かなければ、確かなことはわからないのですが……』

『魔女に会って聞けないんですか? あの人なら、アズサさんの前世の記憶についても知ってたりしないですかね』

『駄目だ』


 ピシャリと言われて、驚いた。


『あいつに会うのは、駄目だ』


 クルトの強い口調に、アズサも同意する。


『……うん。多分まだ、答えてもらえないと思う』

『どうしてですか?』

『魔女は、エフデンが盗んだ物が返ってくるまで、私と会話する気がないんです』

『どうしてですか?』

『わからないですが、前回会った時に、そう感じたので』

『いつでも会える人じゃ、ないんですよね?』

『そうですよ。魔女ですからね』


 普段の調子を取り戻したのか、アズサが笑ってウィンクをした。

 顔の傷が無ければとても美しい人なんだろうなと、勇一は心の中だけで感想をこぼす。顔に傷があっても可愛いのだから、傷があるのが残念でならない。

 思わず頬を染めてしまったら、クルトに睨まれた。彼はどうやら、かなり嫉妬深いようだ。


 勇一が日本に帰れるのかも、レイナウトの病が治せるのかも、全ては魔女の手元に盗まれた物が返ってきてからの話。今は、フェリクスが戻ってくるのをただ待つしかない。


『フィーは最近、生き生きしてますよね』


 勇一が視線を向けた先には、フィロメナがいる。彼女はリニとエリーとマノンと共に、楽しそうにおしゃべりをしていた。

 勇一としてはべったり張り付かれることがなくなってほっとしたが、少し寂しいような気もする。


『何か思うところがあったのか、変わろうとしているみたいですね』


 フィロメナに向けるアズサの表情は、穏やかだ。

 アズサといると、日本の姉と母を思い出すことがよくある。全く似ていないが、姉や母という存在を彷彿とさせる雰囲気の女性なのだ。


『牧場と農場体験が効いたのか、ディーデリックも変わったな。畑仕事を率先して手伝いに来る』

『クルトさんも、日本語が上手くなりましたよね』

『毎日、ユウイチと会話しているからな。使い慣れた』

『そろそろ帰ってきますかね、王子様』

『どうでしょうね。既に領主から自治権は得ていますが、国からもゲレンを自治都市として認めさせるのと、王の物を持ち出すという二つの条件。実現するのは骨が折れると思いますよ』

『自治都市になったら、何が変わるんですか?』


 興味をひかれて、聞いてみた。

 答えられない内容の場合ははっきりそう言ってもらえるから、気兼ねなく何でも聞いてしまえる。

 どうやらこれは答えられる質問だったようで、食事の手を止めて、アズサは答えてくれた。


『フェリクス殿下へ託した書状で、毎年一定の税を払う代わりに街の運営には口出しするなという条件を付けてあります。今現在、ゲレンはまだ無法地帯なんです。自分たちで秩序を守っています。国へ税を納めていなければ、国から守られてもいない。だけどそれでは、いつか力のある者に作り上げた物を横取りされかねない。だから事前に手を打ちたいなと。私たちとしては、フィーとフェリクス殿下の来訪は渡りに船だったというわけです』

『そういえば、自警団って武力ですよね? それは大丈夫なんですか?』

『もし公的な治安維持組織が配備されるのなら、自警団は各地へ商売で赴くギルド職員たちの護衛に専念するようになるだけです。文句を言われても、認めさせます』

『アズサさんならできちゃいそうな気がしますね』

『はい! 頑張ります!』


 本当に不思議な女性だなと、勇一は思う。

 一見か弱い普通の女性なのに、自警団の屈強な男たちを、彼女は従えている。

 大衆のざわめきも、たった一言で黙らせてしまう。

 勇一たちがゲレンへ着いた日には姿を隠していた住民も、彼女が共にいると姿を見せてくれた。言葉はわからなくても、皆が彼女を慕っているのは感じられる。

 向かうところ敵なしに思える彼女だが、弱い面もあるのだろう。泣くこともあるようだ。それでも彼女が頑張れるのは、この屋敷で共に生活をしている、家族のような人たちがいるからなのだろうと勇一は感じていた。


 突然異世界に呼ばれ、何の役目もない状態で軟禁された。だけど、不安な日々の中連れてこられた場所がゲレンだったのは不幸中の幸いだった。

 衣食住が保証されていて、言葉が通じる人々がいて、仕事もある。

 レイナウトの病は心配ではあるが、フィロメナの様子を見ている限り大丈夫なのだろうと思えた。


 当たり前だった物が奪われて初めて、自分が恵まれていたのだと勇一は思い知った。日本に帰れたら、親孝行がしたい。姉の仕事の愚痴にだって付き合う。

 与えられた当然に感謝して生きたい。勇一は、そう考えるようになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る