第3章 魔女

第28話 宮坂勇一、日本人です1

 勉強漬けの日々を駆け抜けて、晴れて迎えた春。大学一年生になった勇一は、新生活に心躍らせていた。

 一人暮らしにも憧れているが、大学は実家から通える距離。親に相談してみたが、不要な一人暮らしをさせる余裕はないと言われてしまった。

 二つ上の姉は短大を卒業して新社会人になったばかり。

 夢だった幼稚園の先生になった姉にも相談してみたが、どうしても一人暮らしをしたいのならバイトをするよう勧められた。

 高校時代にしていたバイトは受験のために辞めてしまっていたから、卒業式の後で新しく探し直したバイトは、大学そばのカフェバー。大学の課題とバイトの両立は大変だったが、充実した日々を送っていたある日、最寄り駅から家への帰り道でそれは起きた。


 勇一は、スマートフォンを弄りながら夜道を歩いていた。

 唐突に足元が眩しくなって、目を瞑る。目を閉じる直前に見えたのは、魔法陣らしき円形の紋様。

 明るさが収まり恐る恐る目を開ければそこは――見知らぬ世界だった。


「成功してしまったわ!」


 映画などでよく見るひらひらふわふわのドレスをまとった、明らかに外国人の顔立ちの少女が何かを叫んだことはわかった。

 だが勇一には、彼女の言葉がわからない。

 周囲を見回してみれば、宝物庫だろうか。価値のありそうな物が収納棚に品良くおさめられている。

 少女と勇一の間にある台の上には、不気味な赤い水晶玉と美しい装飾が施された本が置かれていて、少女の手には小振りの杖が握られていた。


『いつの間に俺、寝たんだろ?』


 本気で、夢だと思ったのだ。


 慌ただしい足音がして、少女の顔が曇った。まるで、いたずらが見つかった子どものような表情だと勇一は思う。


「フィロメナ! また忍び込んだのか!」

「駄目だよ、フィー。父上に気付かれる前に部屋へ戻るよ」


 新たな登場人物が二人。だがやはり、勇一には彼らの言葉は理解できなかった。

 彼らもきらびやかな衣装をまとっていて、日本人ではない。三人とも黒髪だが、瞳は濃紺。顔付きが似ているため、兄妹だろうかと勇一は思った。

 黙って成り行きを見守っていると、青年たちに少女が何事か弁明している様子で、直後勇一へと視線が向けられる。

 片方は鋭い視線。もう片方は、困ったなぁと言いたげな視線。


「君は、どなたかな?」


 困ったなぁの方が話し掛けてきたが、勇一には何を言われているのかさっぱりわからない。


「兄上。どうやらフィロメナは召喚術とやらを使ったようです」

「召喚術? それは、何が呼び出せるのかな?」

「お兄様、わたくしは結婚相手を呼び出したのよ」

「そうなのかぁ。どこの誰を呼んでしまったのかな?」

「わかりません!」

「偉そうに胸を張るな!」

「フェリクス、怒っても状況は変わらないよ。とりあえず、カウペルの秘術を使ったことが父上に知れると彼は殺されてしまうかもしれない。ここから出るよ」


 困ったなぁの青年が、優しい笑みを浮かべて少女の頭を撫でた。少女は、泣きそうな顔をしている。

 そろそろ誰か、日本語がわかる人か翻訳の魔法が使える魔法使いが登場してくれないかなと、勇一は願った。

 勇一の願いも虚しく、突然布で覆われ、困ったなぁの人が人差し指を口元に当てた。静かに、ということだろうと判断して、勇一は黙って彼らの後をついて行く。

 手にはスマートフォン。背中のリュックには財布と授業で使う物が詰まっている。鈍器にはなるかもしれないが、己の身を守るには心許ない。


 布の隙間から見えた廊下はまるで、西洋の城のようだった。

 どこかの部屋に入ると、三人はほっと息を吐く。


『あの! 何がどうなってるか、教えてくれませんか?』


 勇気を出して勇一が口を開くと、三人が困惑したように顔を見合わせる。


「聞き覚えのない言葉だね」

「フィロメナ、お前は一体何を呼び出したのだ?」

「わたくしは本に書かれていた通り、呼び出したいものを思い浮かべて呪文を唱えただけよ。理想の結婚相手よ来い! って考えたの」

「抽象的過ぎて、どこから来たかは全くわからないね。人間、ではあるんだろうけど。――君」


 言葉はわからないなりにも、呼び掛けられたのだとはわかった。

 かぶせられていた布が取られ、顔立ちの整った青年にじろじろ見られる。三人とも美しい顔立ちで、王子様とお姫様みたいだと、勇一は思った。


「僕は、レイナウト。君は?」


 動作と共に何度が繰り返されたことで、名前だと思い至った。勇一は慌てて答える。


『勇一、勇一です』


 これも、何度か繰り返して相手に理解してもらえた。


 最年長らしき髪の長い優しげな青年が、レイナウト。

 短髪で怒りっぽそうな青年はフェリクス。

 お姫様感丸出しの少女はフィロメナ。


 自己紹介の後で、勇一はフェリクスに服を剥ぎ取られた。新しい服を渡されて、着替えた後に着ていた服を返してもらえてほっとした。

 盗られないよう、服はスマートフォンと一緒にリュックの中へ押し込んだ。


「とりあえず、こちらの勝手で呼び出してしまったんだ。生活の面倒は見てあげないとね。それと、帰らせる方法も探さないといけないよ」

「帰してしまうの? わたくしの婚約者よ!」

「お前がここまで頭が弱いとは思わなかったぞ」

「フェリクス。妹を悪く言うものではないよ」

「兄上がそうやって甘やかすからつけ上がるのです!」

「八つも年下だからね。可愛くて仕方ないのだよ」

「フィーもレイお兄様が大好きよ」


 何を話しているのかも、何に巻き込まれたのかも全く何もわからない。そんな状況で、勇一の異世界生活は強制的に開始されたのだった。


 衣食住で困ることがなかったのは救いだった。だが軟禁状態で、部屋の外へ出ることはできなかった。

 毎日必ずレイナウトとフェリクスとフィロメナが訪ねてきて、少しずつ、言葉を教えてくれた。

 何故かフィロメナは勇一の腕にからみついてくることが多かったが、フェリクスが力づくで引き剥がしていた。


 夜になると、レイナウトが散歩に連れ出してくれた。

 最初は、真っ暗な中で庭を歩くのは怖かったが、危険がないのだとわかってからは貴重な運動の時間として楽しめた。何より、レイナウトの笑顔が優しかったから安心できたのだと思う。


 何もわからないまま十日が過ぎた。


 電波の立たないスマートフォンは、とっくに充電が切れてしまっていた。

 部屋に閉じ込められ、出られるのは夜の庭のみ。そんな生活の中この世界の文明の水準を推し量ってみたが……日本で言えば、江戸時代くらいだろうか。

 電気はなく、灯りは蝋燭ロウソクを使ったランタンを使用しているようだ。だけど勇一が軟禁されている部屋に灯りとなる物は置かれておらず、日が暮れたら、寝るより他にできることがない。


 朝食はフィロメナが、夕食はレイナウトが持ってきてくれる。三人揃って現れるのは昼食の時間。

 その日の昼時は、いつもとは違っていた。

 レイナウトがいなかったのだ。

 悲しげな表情のフィロメナが動作と単語で教えてくれたことから、レイナウトは風邪をひいたようだとわかった。

 夜になり、この日の散歩は無しだろうと考え早々にベッドへ潜りこもうとしていた勇一は、突然のフィロメナとフェリクスの登場に驚かされた。しかも扉を閉めると同時に口論を始め、何が何だかわからない。


「お前は、何ということをしてくれたんだッ」

「わざとじゃないの! 咳がつらそうだったから、治して差し上げたかったのよ!」

「兄上が死んだらどうするんだ!」

「ひどいことを言わないでよ! フェリクスお兄様なんて大嫌いよ!」


 フィロメナが泣き崩れて、勇一は慌てて駆け寄った。

 何か良くないことが起こったようだとは、わかった。


「ユウイチ、すまない。兄上が大変なのだ。ここでお前を匿ってやるのが難しくなった」

『ごめんなさい。ゆっくり話してください。全くわかりません』

「レイナウトが、病気。わかるか?」


 頷くと、フェリクスは続ける。


「お前は、逃げる必要がある」

『わかりません』


 首を横に振ると、フェリクスが片手で頭を掻きむしった。


「フィロメナ。ゲレンへ行くぞ。ユウイチの言葉を含めて、魔女の知恵を借りるんだ」

「魔女は、レイお兄様を助けてくれるの?」

「わからない」

「魔女は、ユウイチと話せるの?」

「それもわからない。だが兄上が、ゲレンにいる叡智えいちの魔女を頼れとおっしゃった。言葉が通じれば、ユウイチを保護する先も何とかなるかもしれない」

「……わかったわ」

「すぐに発つ」


 何もわからないまま、勇一は振り回される。


 夜の内に連れ出され、腰に剣を吊り下げた騎士のような三人の男性と合流したフィロメナとフェリクスに促され、馬車に乗った。

 リュックは持ってきた。日本と繋がりのある自分の持ち物を手放すのが恐ろしかったからだ。

 馬車といっても、引いているのは勇一の知る馬ではなく小型の恐竜だった。

 前足は小さく、後ろ足が大きい。太い尻尾で思い切り叩かれれば大怪我をするだろう。食事は、地面を嘴のような口で突いて虫を掘り出して食べていた。


 疾走する恐竜が引く馬車に揺られて、二十五日目。


 途中の街で宿を取りながら進んでいたが、ここに来て初めて、彼らに接触してきた人間がいた。

 勇一が馬車の窓から覗いた先。騎士とは違う制服を着た屈強な男たちが、騎士と何かを話している。

 代表者だろうか。先頭の男は眉間に皺を寄せ、嫌そうに顔を顰めていた。


「……彼は、ガイ・マウエンではないか」

「戦場の英雄の、ガイ・マウエン? 確か彼は、近衛隊への昇進を断って騎士を辞めたのよね?」

「民を顧みない王族のために騎士になったのではないと言い捨て、そのまま姿を眩ませたと聞いている」

「まぁ。騎士は王族のための組織でしょうに」

「フランク医師のみならず彼までゲレンにいるとは……ゲレンのギルドとやらは、国の脅威となるかもしれないな」


 騎士の一人が馬車へ近付き、フェリクスが窓を開ける。制服姿の代表者もやって来て、何かを話し始めた。

 フィロメナの隣で、勇一は小さくため息をこぼす。


『ここ、どこなんだよ』


 自分の言葉を誰も理解してくれない世界で振り回され、疲れた。


 ふと視線感じて顔を向けた先、制服を着た男の漆黒の瞳が一瞬、勇一を見ていたような気がした。


「……フランクに会いに来た、ということなら案内してやる。だが、街に足を踏み入れるならゲレンのルールは守ることだ。それと、うちの街に宿はないぞ」


 散々揉めていたようだが、男が折れたのだろう。男の発言を聞いたフィロメナがほっと体から力を抜いたことから、勇一にも状況の進展が伝わってきた。

 話し合いが終了すると再び馬車が動きだし、街へと入る。宿を取るにはまだ早い時間だったため、ここが目的地なのかもしれない。

 馬車から下りると何故か病院へ連れて行かれ、白衣を羽織った年齢不詳の男性と騎士の一人が会話している。

 レイナウトの病について、情報を仕入れているのだろうか。


 病院まで案内してくれた制服姿の男性が迎えに来て、またどこかへ移動するようだ。

 勇一は歩きながら、周囲を観察してみた。


 この街は、道中宿を取った街と規模は似たようなものだが、受ける印象が全く違う。道は土のままではなく、石畳が敷かれていて歩き易い。明るく安全そうな雰囲気の街並みだ。

 道の両側に立ち並ぶ家々では洗濯物がはためいていて、庭の畑には野菜が植えられている。

 だけど、気持ちの良い長閑な光景なのに何故か、人が見当たらない。まるで街全体が息を潜めているようだった。


 今度は先頭を歩く男性を観察してみる。


 案内をしてくれている男性の制服は、城から同行している騎士が着ている物とは違う。

 学ランに似たデザインの軍服で、膝丈のブーツを履いている。腰はベルトで締めていて、剣が吊り下げられていた。この世界に銃はないのかなと、勇一は思った。

 帽子をかぶっていない頭は黒髪が短く刈り上げられていて清潔感がある。その辺も、道中で宿を取った街の人々とは違っていた。他の街の人々は、清潔とは言い難かったのだ。

 上着ごとまくり上げた袖から覗く腕はたくましくて、軍人らしく強そうな人だなという印象を受けた。


 病院の次は、大きな役所のような場所へ連れて行かれた。


 街中と違ってここには多くの人がいるようだった。人々のざわめきが満ちている。

 人の出入りが激しい表ではなく裏口のような場所から入って、階段を上った。向かい合ったソファと木製のテーブルが置かれた部屋へ案内されて、軍服の男性は出て行ってしまう。

 フィロメナとフェリクスは柔らかそうなソファへ座り、三人の騎士は立ったまま。自分も立っていた方が良いのだろうかと考え、勇一は部屋の隅に身を潜める。

 重たい沈黙が下りる応接室でしばらく待っていると、扉がノックされた。フェリクスが声を発した後で、男性が三人、入ってくる。

 勇一は三人の服を見て、郷愁に駆られた。

 彼らはネクタイを締め、揃いのスーツを着ていたのだ。一番偉い人なのか、唯一椅子へ座った男性は上着の中にベストを着込んだ三つ揃えのスーツ姿。

 異世界で見つけた日本との共通点に、泣いてしまいそうになるのをぐっと堪える。


 帰りたいと、心底思った。


 三つ揃えのスーツの男性とフェリクスが何かを話して、フェリクスとフィロメナと騎士たちが書類へサインをした。男性の視線は勇一にも向けられたが、フェリクスが何かを告げ、交渉しているようだ。

 勇一は、サインをしないで済んだ。

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