第25話 キッチンで一触即発です

 朝食当番のアズサが他の二人と共にキッチンで朝食の支度をしていると、ひょっこりフィロメナが顔を出した。


「フィー? 一人ですか? 騎士のお二人はどうしたんです?」


 アズサの矢継ぎ早な質問に、フィロメナはツンと顔を背ける。


「せっかく窮屈なお城から抜け出したのに、大きな男性二人に張り付かれているのは息が詰まるんだもの」

「あとで叱られますよ?」

「大丈夫よ。わたくしを叱るのはお母様とフェリクスお兄様ぐらいだから」


 今は自分を叱る者がいないのだと主張するフィロメナに、アズサは一言告げた。


「ここでは私が叱りますが」

「っ、でも、ここは安全でしょう?」

「ゲレンで一番安全な場所ですが、事故が起こらないとも限りません。あなたに何かあった時、騎士や王家から言いがかりを付けられては面倒だな、と思いますね」

「もう! アズサって本当に意地悪よね!」


 同じく当番のフェナとヨスは、調理の手を休めない。

 ヨスはフィロメナに関わる気は皆無だと全身で表しているが、フェナはちらちら、アズサを気にしている。何かあれば兄のブラムを呼ぼうと考えているのだろう。


「暇なら手伝ってください」

「手伝っても、良いの?」

「手伝いたくて、騎士を置いてここへ来たのですよね?」

「正解よ! 昨日、アズサが朝食の当番だと言っていたでしょう? だからまた、クッキーの時みたいに何かやらせてくれるかしらと思ったの」

「料理がお好きなんですか?」

「やったことがないからわからないけれど、昨日は楽しかったわ」


 エプロンを付けて手を洗うよう、アズサはフィロメナへ告げた。

 フェナが無言でアズサにボールを渡してきて、中身を確認すると、皮を剥き終わったふかし芋が大量に入っているではないか。こぼすように笑って、アズサはフェナへ肩をぶつけた。笑みを滲ませたフェナも、ぶつけ返してくる。

 無言のやり取りを終えて振り返ると、フィロメナが羨ましそうに、アズサとフェナへ視線を注いでいた。


「彼女はフェナ。私の親友です。それと、彼はヨス」

「食事を、運んで来てくれた人よね? 彼は、魔女に会った夜、私たちを見張っていたわ」


 フィロメナへ芋を潰す作業を教えてからアズサも他の作業をするが、手を動かしつつ、おしゃべりはやめない。


「フェナは私なんかより優しいですよ。同じ屋根の下で生活をしているんです。他の者とも、少しずつ会話をしてみてはいかがですか?」

「わたくし、嫌われているわ」

「否定はしません。でも私とは、話せるようになったじゃないですか」

「だって貴女は、ディーとテオに臆さず、話し掛けてくるじゃない」

「話したいと思うなら、フィーから話し掛ければいいんです」

「嫌な顔をされたら?」

「私のようにですか?」


 頷いたあとで、フィロメナが俯いた。


「お城でもね、みんなわたくしを遠巻きに見るのよ。お友達になりたくて頑張ったこともあったわ。だけど、お城の人間は利用価値の有無で、人を判断するの」

「フィーには利用価値がありますよね?」

「そうね。だけど、そんなの寂しいわ」

「……だから、勇一を呼んだんですか? 寂しかったから」

「~っ。おかしいわね、貴女秘術でも使ったのかしら?」


 突然の言葉に、アズサは首を傾げる。


「私は秘術を使えません。普通の人間ですから」

「話すつもりがなかったことを話してしまったわ! こんなこと、レイお兄様にしか話したことがないのにっ」

「それはきっと、フィーが誰かに聞いて欲しいと思っていたからですよ」

「そうかも、しれないわ……」


 照れ隠しで芋を潰す手に力を込めたフィロメナに、フェナとヨスは声を掛けない。アズサも、それ以上は何も言わなかった。

 何故なら、二人分の慌ただしい足音が近付いてきたからだ。


「フィロメナ殿下! お部屋にいらっしゃらないので、探しました!」

「もしや……その女に無理矢理連れ出されたのですか?」


 近衛騎士のディーデリックがアズサを睨みつけると、包丁を持ったままのヨスが、騎士の視界からアズサを隠すようにして立った。


「ヨス、せめて包丁は置こうか」

「あぁ? うちの可愛い妹分に難癖付けやがる馬鹿野郎と、戦うかもしれねぇだろうが」

「ご飯に血が入ったら、嫌だなぁ」

「上手くやる」


 横から伸びてきたフェナの手が、ヨスの頭をぺしりと叩く。


「ヨス。包丁は置いて」

「…………わかった」


 アズサ側がそんなやり取りをしている間に、フィロメナが騎士たちに事情を説明したようだ。テオドルスは騒がせたことについて謝罪したが、ディーデリックは悪びれることなく、アズサたちを睨み続けている。

 それに腹を立てたヨスが喧嘩を買う気満々の様子で拳を打ち鳴らし、キッチン内の空気は張り詰めたまま。

 フィロメナは、どうしたら良いのかわからないという表情でおろおろしていた。


「何何喧嘩~?」

「あ、イーフォさんダメですって!」

「たいへーん。ご飯どころじゃない感じ?」

「どうしてリニは楽しそうなのかしら?」

「やだぁ。エリーこわぁい! ブラムさん呼んで来よーっと」


 イーフォがヨスの加勢に現れて、ハルムが必死にイーフォを止めている。

 受付三人娘は、怖いと言うわりに怯えた様子もなく身を寄せ合い、エリーは一人庭へと駆けて行った。


「そいつ、ずっと気に入らなかったんだよなぁ」

「流石騎士様っすよね。俺らのこと見下しやがって」


 臨戦態勢のヨスとイーフォを、ディーデリックが鼻で笑い飛ばす。だが、言葉は発さない。


「なぁアズ。あっちから仕掛けてきたんだ。ぶちのめしても良いよな?」

「いいわけないでしょーが。しかもあの人、一言しか発してないからね?」

「視線だけでも喧嘩は売れるんだよ」

「やっぱり無理無理ー。貴族や王族と仲良くなんて不可能だって、アズサ」


 ヨスとイーフォの背中を見つめ、アズサは唸った。


「んー……わかった」


 アズサの静かな声に、フィロメナの顔面は蒼白になる。テオドルスが部下の非礼を詫びるため頭を下げたが、ディーデリックの態度は変わらない。


「でも、正式な依頼として引き受けて報酬を受け取った以上、途中放棄はできない」


 ちょうどそこへ、勝手口を開けてブラムとクルトとリュドが駆け付けた。三人の後ろからはエリーと、何故か勇一が顔を覗かせる。

 アズサはブラムへ視線を向けて、苦い笑いを浮かべた。


「ブラムも、騎士と喧嘩してみたい?」

「またお前は、何を言い出すつもりだ」

「いやねぇ……私もね、ディーデリックさんの態度は目に余るかなぁとは、感じてたんだよね」


 イーフォとヨスが作る壁を掻き分けて、アズサが前へと進み出た。


「アズサ殿! すまない。ディーデリックには俺からもキツく言って聞かせる」

「残念ですが、それでは収まりませんよ」


 ディーデリックの前に立ち、微笑を浮かべたアズサは頑なな態度を取る騎士の目を見つめる。


「私たちも貴族は嫌いです。ですが最低限の礼儀は守り、寝床と食事、風呂や洗濯に使う水、トイレなど、生活に必要な物は全て提供しています。あなたは考えるべきでした。誰の家に滞在し、誰が作った食事を食べ、誰の力を借りて、人並みの生活を続けられているのかを」

「……報酬を、受け取っているではないですか」

「あなた個人からは頂いていません。よって、あなたはただの付属物。ギルドの客では、ないですね?」


 冷笑を浮かべたアズサの顔を見て、やっと、旗色が悪いことに気付いたようだ。だが、言葉の謝罪で許されるタイミングは過ぎ去っている。


「あなたを追放するのは簡単過ぎてつまらない。だから試合をしましょうか。その鼻っ柱、へし折って差し上げます。その方が、互いにストレスなく今後の生活を送れそうですよね?」

「アズサ……ごめんなさい。わたくしの騎士が……。わたくしの、せいで」


 震えながらも言葉を紡いだフィロメナを瞳に移し、アズサは浮かべていた笑みを少しだけ、優しいものへと変えた。


「フィー。反省してごめんなさいを言えるのは、良いことです。ですが申し訳ないことに、私は先ほど、敢えてあなたの行動を看過しました」

「……どうして?」

「騎士の出方を窺いたかったんです」


 アズサを見下ろして、ディーデリックが呟く。あなたは性格が悪いですね、と。


「あなたが礼儀をわきまえていれば避けられたトラブルですよ」


 食事の後で詳細をお伝えします、というアズサの言葉を合図に、屋敷の住人たちが動きだす。

 勝手口から現れた三人と勇一は、汗と汚れを落としに向かった。どうやら、勇一も一緒に運動していたらしい。言葉がわからない勇一には、クルトがニホン語で状況を説明していた。


「イーフォさんが試合に参加するなら、僕も見たいです!」

「ハルムと俺の二人分、仕事変わってくれる奴を探さねぇと」

「ずるーい! 私も見たいんだけどー」


 イーフォは出場希望。ハルムとリニは観戦希望で、マノンとエリーは興味がない。


「ヨス、相手の骨とか折らないでね」

「おぅ! ほどほどで勘弁してやらぁ!」


 フェナが心配するのは相手の怪我で、ヨスは余裕で勝てる気でいるようだ。

 そんな彼らを遠目に見ながら、テオドルスがディーデリックを睨めつける。


「お前の処分は、王都に帰ってから決める」

「……自分は、負けません」

「勝ち負けの問題ではない。己が何を引き起こしたのか、よく考えろ」

「罠を張っていたあのおん――」


 テオドルスの険しい表情を見て、ディーデリックは言葉を飲み込んだ。


「……申し訳、ございませんでした」


 騎士の会話を聞いていたフィロメナは、涙目でディーデリックを見上げる。


「初めて、お友達になれそうだったのにっ」

「殿下! 殿下のご友人にあれは相応しくありません」

「自業自得だと、フェリクスお兄様なら言うのでしょうね。……わたくしも見届けるわ。試合には、出なさい」

「承知いたしました」


 ニホン語が飛び交う朝食の時間は前日と違い、ピンと張り詰めた空気が漂っていた。

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