第23話 お姫様の恋路は、前途多難のようです

 朝食も終わって皆が仕事へ出掛けた屋敷の中。アズサはキッチンに残り、クルトもそれに付き合う。

 勇一とフィロメナと、近衛騎士の二人も一緒だ。


「今からプリンを作ります。あと、孤児院に持って行きたいので焼き菓子も作ろうと思うんです。その間私の耳と口が空いているので、通訳をして差し上げます」


 言いながら、アズサは髪紐を使って己の髪を簡単にまとめる。


『アズサがこれから菓子を作る。その間、通訳してやるから姫と好きに話すといい』


 その隣ではクルトが、アズサの発言をニホン語で勇一へ伝えた。


「貴女って、どうしてそんなに偉そうなのかしら?」

「フィロメナ殿下も偉そうですよ」


 手を洗い、アズサはテキパキと材料と調理器具を作業台へ並べていく。

 クルトは、火起こしに向かった。


『あの、クルトさん。俺も何か手伝います』


 勇一が追い掛けてきて、クルトへ声を掛ける。


『火は起こせるか?』

『ライターとか、ガスバーナーみたいな物があれば』

『これを使う』


 クルトが差し出したのは、エフデンでは一般的な火起こしの道具。だが、それを見た勇一の表情が曇る。


『……無理そうです』


 どうやら、使い方のわからない道具だったようだ。

 しょんぼり落ち込んだ勇一へ、苦笑を浮かべたクルトが視線でアズサを示す。


『こちらはいい。アズサが、混ぜるのを手伝えと言い出すはずだ』


 朝食の間に通訳をしてやったが、フィロメナと勇一はたいした会話は交わさなかった。互いに遠慮をしている様子で、フィロメナがする「昨夜はよく眠れたか」「食事は口に合うか」などの質問に勇一が短く返答するだけ。

 自分の通訳の仕方が悪いのだろうかと、クルトは責任を感じてしまったくらいだ。


 勇一がアズサのもとへ行くと案の定、卵とボールが差し出される。


『なかなか、ゆっくり話す時間を取れなくてすみません。お菓子作りをしながらで申し訳ないですが、聞き忘れていたことがあれば聞いてください。私のわかる範囲でお答えします。この際です。あなたを召喚した張本人にいろいろぶつけてしまうのも、有りかもしれませんよ』


 渡された卵をボールへ割り入れる勇一の隣で、アズサが酸っぱい香りのする黄色い果物をスライスしていく。それはどう見ても勇一の知る「レモン」で、レモンクッキーを作るのかなと、勇一は思った。


『あの……朝食の時に、ギルドマスターと聞こえた気がしたんですけど……』

『それは私のことですね』

『ギルドがあるんですか?』

『はい。西洋の歴史とニホンのゲームから着想を得て、街の皆で作り上げた組織です。便宜上私が責任者となっていて、ギルドマスターを名乗っています。カッコイイと思いません?』


 勇一が卵を割り入れたボールの中に、アズサがとろりと蜜を垂らしていく。陶器の壺にたっぷりと入った蜜は、透き通った黄金色をしていた。


『思います。アズサさん、ゲームする人だったんですね』


 ボールの中身をよく混ぜるように指示した後で、アズサがくすくす笑いだす。


『お姫様の嫉妬の視線が痛いのですが、彼女に聞きたいことはありませんか?』

『俺が聞きたかったことは昨日、アズサさんが全部答えてくれたじゃないですか』


 憂鬱そうなため息は、勇一の心の内を表しているようだ。諦めのようなものも混じっているのかもしれない。


『ユウイチがニホンへ帰る方法はあると、魔女は言っていました。ですが、道具が必要だとも。フェリクス王子が道具を持って戻らない限りは、何もお約束できないのが現状です』


 召喚したは良いが、フィロメナには勇一をニホンへ帰す方法がわからないのだ。どうやら、召喚の成功すら本人には想定外のことだったらしい。

 召喚した勇一には言葉が通じず、この世界に存在しない言語と持ち物から異界の者なのではないかと二人の兄に言われ、帰らせることもできないままに王太子の権限で城に住まわせていた。

 ドキドキワクワクしながら魔法の道具を使い、成功したことに味をしめて兄の役に立とうとしたが、逆に呪いを掛けてしまった結果、叡智えいちの魔女に泣きついてきたというわけだ。

 これらは全てフェリクスと、彼に叱られながらフィロメナが渋々アズサに話してくれたことで、昨日の夕方に勇一へ伝えてある。


『結果がわかるのはまだ少し先です。どうせなら、異世界を楽しんではいかがですか?』

『……異世界なんて、来たくて来られる場所でも、ないですからね』

『そう思います。仕事上、私はかなり多くの人と交流がありますが、異世界から来たという人間はユウイチが初めてです』

『アズサさんを除いて、ですか?』

『私はあちらから来たわけではないので、ユウイチとは事情が異なります』


 勇一が掻き混ぜているボールへ果実から搾り取ったオイルを流し入れ、薄く切ったレモンは蓋付きの皿へ並べてたっぷりの蜜をかける。


「すっぱ」


 蜜に漬けないままレモンの輪切りを一枚口へと放り込み、アズサが呟いた。


「フィロメナ殿下は、初めてのキスってどんな味だと思いますか?」


 近衛騎士に挟まれ、不機嫌な様子で勇一と会話するアズサを睨んでいたフィロメナは、突然話し掛けられた内容に顔を顰める。


「……突然、何を言っているの?」

「ユウイチの国では、初めてのキスはレモン味、という言葉があってですね。あ、レモンとは、このシトルンのことなのですが」


 閉じていた蓋を開けて、レモンの蜂蜜漬けになる予定の物をフィロメナへ見せた。


「一晩ほどで漬かります。長く漬けていると苦味が出るので、七日を目安に食べきります。必要ならお分けしますよ」

「貴女……真顔で、本当に何を言っているの?」

「今私とキスすると、レモン味ですよという話です」


 ぶほっ! と盛大に噴き出す音がして、誰かが激しく咳き込み始めた。アズサが石窯の方へ駆け出して、煤で顔を汚したクルトの背中を擦ってやる。


「もう一度言う?」

「げほっ、……………言うな」

「明日が食べ頃ですよ?」

「うるさい」


 クルトは顔を洗うためにキッチンの中にある水場へ向かい、アズサは、勇一の隣へ戻って計った粉とドライフルーツをボールへ入れる。

 今度は勇一へ、ニホン語で話し掛けた。


『ユウイチは知ってますか? どうしてファーストキスはレモンの味と言うんでしょう?』

『…………もしかして、今朝の騒ぎの二人って、アズサさんとクルトさんのことですか?』

『はい! 実は私、かなり舞い上がってます。だから作ってみたんです』


 完成したら勇一にも分けてあげますね、と言って片目を瞑り、アズサは笑う。そんなアズサの頭を背後から、大きな手が鷲づかみにした。


『アズサ、黙れ』

『イヤだよーだ!』


 子供っぽく舌を出して、アズサはクルトの手から逃げ出す。

 近衛騎士の脇からフィロメナの隣へ入り込み、勇一に向かって、アズサが手招きをした。


「見ているだけって退屈じゃないですか? ユウイチと一緒に、成型をお願いします」


 アズサが近衛騎士を押して退かして、フィロメナの隣へ椅子を一つ運んで来る。そこへボールを持った勇一を座らせて、二人の前に鉄板を置いた。


「ここに来るまでは通訳なしだったんですよね? どうしても伝えたい言葉があれば間へ入りますが……直接やり取りした方が、気持ちが伝わるかもしれませんよ」


 フィロメナと勇一の肩を叩いて、アズサはその場を離れる。と言っても、同じキッチンの中だ。

 クッキーとレモンの蜂蜜漬けの次は、プリン作りを開始した。


 甘い香りの漂うキッチン。


 勇一と並んで作業をするフィロメナは、頬を微かに染めている。

 二人を見下ろす近衛騎士の二人は気配を消していて、真顔だ。一人は、ガイとフランクの友人のテオドルス。


「テオさん」


 声を掛けると、近衛騎士が二人とも、アズサへ視線を向けた。


「プリンはフランク先生に届けるんです。もし積もる話などがあれば、時間を作ってもらいますよ」

「……いえ。嫌みを言われるだけなので」

「私たち、子どもの頃から先生にはお世話になっているんです。先生がいなかったら、もっとたくさん、死んでました」

「彼は王都でも、優秀な医者でしたから」

「フランク先生の意地悪って、愛情表現なんですよ」

「恐ろしいことを言わないでください」

「友達に会えて嬉しそうだなって、私は思いましたけどね」


 微笑を浮かべたアズサを見て、テオドルスは困ったような表情を浮かべる。

 

「ディーデリックさんは、まだお若そうですね」


 アズサより少し上くらいだろうか。

 若い方の近衛騎士へ話し掛けてみたが、返答はない。貴族は平民と話すことを嫌う傾向にあるから、きっと彼は貴族なのだろう。

 変に警戒させても今後が面倒なため、無理に返答は求めない。雰囲気を探っておきたかっただけだ。


 完成したプリンとクッキーを詰めた籠が三つ。勇一とアズサとクルトが手に持ち、屋敷を後にする。

 屋敷の玄関はクルトがしっかり施錠した。

 フィロメナと近衛騎士の二人と勇一には、個別の部屋の鍵は渡したが玄関の鍵は渡していない。屋敷のある敷地内へ入るのも、屋敷の住人の誰かが同行していない限り、通さないよう通達してある。

 常に誰かが共に行動しなければならないが、王族関係者に勝手に嗅ぎ回られトラブルでも起こされる方が面倒なのだから、仕方のないことだ。


 フランクの診療所までは、住宅街を抜けて行く。

 アズサたちが子どもの頃この辺りは廃墟ばかりだったが、今では新しい住居が立ち並んでいる。

 鼻を掠めるのは、洗濯物の清潔な香り。


「あらアズサ。フランク先生の所へ行くの?」


 道の途中、乳飲み子を抱えた女性に声を掛けられ、アズサが足を止めた。


「デニセ!」


 途端、アズサが女性へ駆け寄り、クルトも後を追う。二人の視線は赤ん坊に釘付けだ。


「シーラちゃん、今日は起きてるのね? かわいーい」

「抱いてみる?」

「いいの?」


 持っていた籠をクルトへ預け、恐る恐る、アズサは女性から赤子を受け取った。


「あんた達はいつ結婚するのよ」

「えー? 今朝やっと好きって言ってもらえたんだよ? まだまだですよ」

「アズサっ」

「クルト、しー。シーラちゃんがびっくりするでしょう」


 とろけるような表情で腕の中の赤子を見つめるアズサに嗜められ、クルトは口を噤む。


「やっと言ったか!」


 二人の様子を笑顔で見ていた女性が、クルトの背中を力強く叩いた。


「……俺、そんなにバレバレだったか?」

「アズサだって、バレバレだったわよ」


 瞳を潤ませ、女性は告げる。


「私たちばかり幸せにしてもらっちゃって……みんな、アズサには誰よりも幸せになってもらいたいのよ? おめでとう、アズサ」

「気が早いよ、デニセ。まだプロポーズされたわけじゃないんだから」

「それもそうね。あら大変! 王族待たせたら殺されるんじゃなぁい?」

「それはとんでもない偏見だよ、デニセ」


 赤子を女性へ返し、アズサとクルトは黙って待ってくれていたフィロメナと勇一のもとへ戻った。待たせたことを侘びてから、再び診療所へ向けて歩きだす。


「お! アズサじゃねぇか、なんか困ったことねぇか?」


「あらアズサにクルト。ちょっとお待ち! うちの畑で採れた野菜を持って行きな!」


 などと声を掛けられ続け、なかなか先へ進めないことに焦れたフィロメナが、アズサを睨んだ。


「もぉ! どうして歩きなのかしら!」

「ゲレンは王都ほど広くないので、徒歩でも十分移動可能ですよ」

「アズサアズサって……ゲレンはエフデンのものでしょうに、敬う相手を間違えているわ!」


 笑顔を浮かべたままのアズサの視線が冷たくなったことに、フィロメナは気付いた。

 近衛騎士たちが、アズサとフィロメナの間へするりと身を割り込ませる。

 クルトは、動かない。


「ゲレンでは四年前まで、新しい命は産まれなくなっていました」


 アズサは足を止めずに歩き続けたが、フィロメナは近衛騎士に守られながら、その場へ留まる。


「五歳以上の子どもは、皆孤児です。様々な理由で親を失い、他の街から、魔女を頼って逃げてきました。――良い機会です。敬われたいのなら、民について学ばれてはいかがでしょう」


 アズサは足を止めない。勇一も、フィロメナを気にする素振りは見せたが彼女へついて行ってしまった。

 何か言い返したくとも言葉が見つからず、フィロメナは苛立ちを地面へぶつけて足を踏み鳴らす。結局アズサを追い掛けたフィロメナの後を、無言の近衛騎士二人が付き従っていた。


『どうしよう。私お姫様と相性最悪過ぎない?』


 ニホン語でのアズサの呟きに、クルトが同意する。


『一触即発、とはこういうことをいうのか』

『さっきの、フィーと喧嘩してたんですか?』


 勇一は状況がわからず首を傾げたが、アズサとフィロメナの間に漂った不穏な空気は察知していたようだ。


『なんだかこう……私の苛立ちポイントを高確率で突いてくるんだよ、彼女。私が一番、エフデンの王族に偏見持ってるよね、これ。困ったなぁ』


 最低、最悪と、アズサがニホン語で呟く。そんなアズサへ身を寄せて、クルトは耳元で囁いた。


「……あいつに、影響されている可能性は?」


 クルトの言う「あいつ」はラドバウトのことだ。アズサは、無きにしも非ずと返答する。

 アズサが王族へ抱く感情が、自分のものなのかラドバウトに触発されてのものなのか、アズサには判断が付かないのだ。


『国とギルドって、仲が悪いんですか?』


 勇一からの質問に、アズサはうーんと唸った。


『国も商売相手なので、ギルドが国と仲が悪いわけじゃないです。ギルドではなく、ゲレンと私個人の問題といいますか……』

「ねぇちょっと! わたくしのわからない言葉でユウイチとたくさん話すのはやめてくださらない?」


 追い付いてきたフィロメナが抗議の声を上げ、アズサは謝罪する。


「じゃあクルト、同時通訳方式で会話しよっか」

「……面倒だな」


 それまでの話の経緯は説明せず、アズサは続きから話し始める。

 勇一へはアズサがニホン語で語り、フィロメナにはクルトがニホン語での発言を通訳した。


『十二、三年前のゲレンは、領主にも、国にも見放された無法地帯だったんです。他の街からは、この世の地獄、なんて呼ばれていました。……それをですね、私たちは自分たちの力で、ここまで整えたんですよ。領主も国も、誰も助けてなんてくれなかったから、みんなで力を合わせて、笑顔で暮らせる街を作り上げました』


 立ち並ぶ建物に破損は見られず、道も整っている。上下水道も整備され、街の中は清潔に保たれていた。

 もちろん死体など転がっていない。街の外れに墓地があり、亡くなった者は葬儀の後でそこへ埋葬される。

 ギルドが管理する田園地帯と牧場があるおかげで、ゲレンの街の食料自給率は百パーセントだ。

 ゲレンの住民が作った工芸品などをギルドが買い取り、他の街や近隣の国へ売りに行く。ギルドは商品開発も行っていて、売上金で職員の給料、街の運営資金を賄っている。


『だからなんていうか……この街に価値が生まれた途端擦り寄ってこられたことに、嫌悪を感じてしまうんですよね。権利を主張するなら義務を果たして欲しいと、私は思うんです。でもこの国の貴族も王族も権利ばかりを主張して、義務は果たしていない。ゲレンに関しては、ですけどね』


 苦笑を浮かべたアズサの横顔へ視線を向けて、勇一が口を開く。


『どうしてゲレンは、見放されていたんですか?』

『……二年前まで、この国は隣国と戦争状態でした。二十年も続けた戦争で、国は疲弊していたんです。辺境の街までは手が回らなかったのでしょうね。その戦争も、王族の身勝手な理由で始まりました』


 ゲレンが放棄されていた理由はそれだけではないとアズサは考えているが、そのことは口に出さなかった。


『私はフランク先生へプリンを渡してきます。ユウイチとフィロメナ殿下はどうしますか?』


 勇一は外で待つと告げて、クルトから通訳されていたフィロメナも勇一といると答える。

 アズサが一人でプリンの入った籠を持って診療所の中へ向かい、クルトは、その場へ残った。


「先ほどのお話だけど、わたくし……知らなかったのよ」


 小さく呟かれたフィロメナの言葉に、クルトは視線を向けるだけで何も答えない。


「お兄様たちは、知っていたのかしら?」


 フィロメナに見上げられた近衛騎士のテオドルスが、顎を僅かに引いて肯定を示した。


「開戦よりも前の話です。ステファヌス様が、ゲレンの放棄を決定されました」

「お祖父様が? どうしてそんなこと……」

「バウデヴェイン陛下も叡智えいちの魔女の存在を知って以降、何かを恐れているご様子です」

「お父様まで? だからレイお兄様は、ゲレンへの出立はお父様には内緒にしろとおっしゃられたのかしら」


 テオドルスは頷き、クルトへ視線を送る。


「ゲレンの『叡智えいちの魔女』には、王家に関連した秘密があるのではないか?」

「……それを探れと、フェリクス殿下に命じられたのか?」


 テオドルスは答えなかったが、無言は肯定だ。クルトが唇を歪め、鼻で笑った。


「探るなら相手に悟られるべきではない。騎士というものは、阿呆なのか?」

「あなた方の人柄と我々への監視体制から総合して考え、隠れて探るのではなく、真正面からぶつかる方が得策と判断したのだ」

「それならアズサに聞け。俺はただの護衛だ」

「彼女からは、我々に対する怒りを感じる。だからまずはあなたが良いだろうと思ってな」

「情報が欲しいのならギルドへ依頼して、対価を払うんだな」

「魔女の情報は扱っていないのだろう? 魔女が娘と――愛し子と呼んでいた彼女は何者だ」

「アズサは、アズサだ」


 カチャリと音がして、クルトの手が剣へと掛かる。もう一人の近衛騎士ディーデリックがフィロメナを背後に隠し、臨戦態勢を取った。


「テオさん」


 二階から、アズサの声が降ってきた。


「近衛騎士も、末のお姫様も、交渉相手としては不相応です。妙な動きをして住民の怒りを買うのは、得策ではないですよ」


 アズサの隣にはフランクがいて、冷たい視線で、テオドルスたちを見下ろしている。友達に会えて嬉しいという様子は微塵も感じられないなと、テオドルスは心の中で呟いた。


「ゲレンの住民は、地獄を生き抜いた者たちだということをお忘れなく」


 一対二だと思っていたが、多数対二である事実に気が付き、近衛騎士の二人は両手を上げて降参を示す。

 民家の窓から、矢尻が彼らを狙っていた。

 窓枠に肘を付き、頬杖を付いたアズサが、思考の読めない笑みを浮かべる。


「王家に関連した秘密なんて、フェリクス殿下ご本人が語っていたではないですか。エフデンの王族は盗人の子孫で、魔女は被害者。その意識が刷り込まれているせいで、陛下は魔女を恐れているのでは?」

「それだけで、一つの街を地獄へ落とすものでしょうか」

「私が産まれるより前の話です。聞く相手を間違えていますよ」


 アズサは部屋の中へ引っ込んでしまったが、フランクが窓辺に残り、テオドルスを眺めていた。なんとなく視線をそらせず、テオドルスは友人を見上げ続ける。


 フランクは、幼い頃から賢かったが変わり者だった。


 長男が彼の才能を恐れたため医者となり、軍医として戦地へも赴いていた。だがすぐに呼び戻され、王宮で王族専属医として仕えるよう命じられたのだ。

 フランクは、それを断った。

 エフデンの王族に僕は忠誠を誓えそうにありません。という断り文句は、当時王都中の噂の的となったものだ。

 挙げ句「人の命をボロ布のように扱う王族ではなく、地獄でも懸命に生きている人々の力になりたい」と言ったフランクは、生家と縁を切り貴族の身分を捨て、王家の追ってを振り切りゲレンへと旅立ってしまった。

 そんな彼だから、テオドルスへ冷ややかな視線を浴びせているのは、当然のことなのかもしれない。


「テオ。僕はね、見つけたんだ」


 降ってきた友人の静かな声に、テオドルスは耳を澄ませる。


「十六も年下の女の子だけどね、あの子になら、捧げたいと思えたよ」


 だからねと、フランクは続けた。


「僕らの可愛いお姫様をあまりにも煩わせるようなら、例えかつての友であろうと――赦さない」


 ガチャリ、と診療所の扉が開き、アズサが姿を現した。

 この場で交された会話の内容がわからない勇一と、わかっていても表情に出さないクルトに迎えられ、アズサは二階の窓を見上げる。


「フランク先生、また来るね」

「プリンをありがとう。診療所の皆で食べるよ」


 アズサへ手を振り返しているフランクの表情は、先ほどまでと違って柔らかなものへと変わっていた。


 近衛騎士二人と、彼らの背に隠れたフィロメナが自分へ向ける表情に気付き、アズサは首を傾げる。


「いやだなぁ。そちらが妙な真似をしない限り、取って食ったりはしませんよ?」


 フェリクスが戻るまで滞在しなけらばならないこの街は、長閑さを装った魔窟なのかもしれないという事実に、騎士たちは気が付く。

 ギルドはただの商人の組合で、かつて地獄などと呼ばれていた街の住民たちも、ただの一般市民。魔女だって、道具がなければ何もできないだろうと高を括っていたのだ。

 それが蓋を開ければ、顔に大きな傷があっても呑気な笑顔の似合う女性が――というよりも、彼女に魅了されているらしき周囲の人間が、一番危険なのかもしれない。


 己らの先見の甘さを呪いつつ、アズサの怒りは買わない方が得策だろうと、騎士たちが判断することとなった出来事だった。

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