第22話 朝からはしゃいでしまいました

 朝日を感じて、パチリと目が覚めた。

 至近距離にある青い瞳と視線がかち合う。


「……襲う?」

「我慢中」

「襲われたい」

「自分を大切にしろ」

「はーい。……あ、レモンの蜂蜜漬け、作らないと」

「寝起きすぐでよく回る口だな」


 おはようの挨拶を交わし、アズサは大きく伸びをしてから立ち上がった。

 クルトものそりと起き上がり、両脚を下ろしてベッドの端へ座る。


「前にも思ったんだけどね。風邪の時」


 大きなあくびで、返事をされた。


「クルトの腕の中だと、怖い夢を見ないの」

「……昨夜みたいな夢、よく見るのか?」

「あれは初めてだったけど、他の怖いのは、よく見る」

「どんな?」

「…………遠くで、男の人がじっと私を見てるの。黒い影で、顔はわからない。ただそれだけなんだけど、あまりにも何回も見るから、怖くて……あんまり、眠れなくなった」

「……いつでも、腕、貸す」

「ありがとう。レモンの蜂蜜漬け、作るね」

「わかった。昨夜聞いてたんだってことは、よくわかった」


 耳まで真っ赤になってしまったクルトは両手で顔を覆い隠し、アズサはそれを見て機嫌良く笑う。

 着替えのため自分の部屋へと向かったアズサだが、扉を閉める前にひょこりと顔を覗かせた。


「クルト。大好き!」

「……ずっと前から、俺も、アズサが大好きだ」

「踊りながら街じゅうに言って回りたいほど、嬉しい!」

「頼むから、それはやめてくれ」

「仕方ないから我慢してあげる!」


 そっと扉を閉めてから、アズサは自分の部屋でしばらく、溢れる喜びのままにじたばた暴れ回っていた。


   ※


 身支度を終えたアズサは部屋から飛び出し、階段を駆け下りる。

 少し前にクルトが部屋から出て行く音が聞こえたから、庭へ日課の鍛錬に向かったのだろう。

 キッチンを覗くと、この日の当番のイーフォと、リュドと、マノンがいた。ある程度支度が終わっていることを確認してから、アズサはマノンの腕をつかむ。


「マノン、借ります!」

「あ? なんだ?」

「どうしたんだ、アズサ。朝から元気だねぇ」


 リュドとイーフォへ朝の挨拶を簡単に済ませ、二人から許可を取ったアズサはマノンの腕を引っ張っていく。


「どうしたの?」

「あのね、クルトがね――」


 こしょこしょこしょと、耳元で告げられた内容に、マノンの顔が輝いた。


「大変! あ、フェナ、リニ! エリーはまだ部屋かしら!」


 階段の途中で突進してきたアズサとマノンに腕をつかまれて、フェナとリニは強制的に二階へ押し戻された。


「何何何、どったの~?」

「良いこと? 良いことなの?」


 リニは困惑しつつも笑みを浮かべ、フェナは腕を引っ張る二人の紅潮した顔から、吉報だと悟る。

 エリーの部屋の前に辿り着き、身支度を終えていたエリーが顔を覗かせると、四人で部屋へと押し入った。


「みんな揃って何事ですかね?」


 首を傾げた部屋の主を手招きして、五人で小さな円を作る。

 アズサが、緊張した様子で咳払いをした。真顔を作ろうとするも失敗して、喜びが、顔から溢れ出している。


「クルトがね、私のこと、大好きだって!」


 途端、キャー! と上がった黄色い声。少女のように、五人は跳ね回る。


「良かったねぇ、アズちゃん!」

「ありがと! フェナ!」


 フェナとアズサが抱き合って、リニは「やっとかぁ」と呟いた。


「アズちゃんが気持ちを伝え始めてから……半年くらい?」


 リニの言葉に、アズサは満面に笑みを浮かべながら頷く。


「戦争が終わって、ギルドも落ち着いて、やっと伝えられたアズ姉の恋心だったのに、あの朴念仁ったらまったくもう!」


 憤慨して腕を組むエリーに、にこにこ笑ったマノンが肩をぶつけた。


「でもでもでも、クルトだってずっと、アズサが好きだったはずだもの!」

「バレバレだったのにね~」


 リニも加わって、エリーを挟んだ三人が互いに肩をぶつけ合う。嬉しくて、そわそわして、じっとなんてしていられない!


「その辺の事情、イーフォに聞いたら教えてくれるかな?」


 その発言で、リニに全員の視線が集中する。皆一様ににやにや笑いである。


「リニは、イーフォとどんな感じ?」


 フェナから聞かれ、リニは人差し指で頬を掻いた。


「いやぁ……変わらずだよ? 変わらず、子供っぽい言い合いばっか。好きなんて伝えたらどんな顔されるか、怖くて言えないッスよ」


 また黄色い声が上がり、「リニ可愛い」の大合唱が始まる。


「あ、そうだ! 昨日話の流れで、ブラムにフェナのこと、言っちゃった」

「やだ! 何を?」

「フェナにも相手がいるよーって内容を、匂わせてしまった」

「お兄ちゃんの反応は?」

「不機嫌そうにはなったけど、相手を殺してやる! って感じではなさそう」


 フェナがほっと胸を撫でおろし、続いてぽっと頬を染める。


「そろそろ、お兄ちゃんに言っても平気だと思う? 私も、堂々とその……イチャイチャ、したいなぁって」


「良いと思う!」「言っちゃえ言っちゃえ!」と囃し立てながら、皆でフェナに体当たり。可愛いらしい体当たりで揉みくちゃにされて、フェナは照れつつも楽しそうに笑っていた。


「てかさぁ、ブラムさんも鈍いよね。あれだけ一緒にいるのに、全く気付いてないんだもん」

「それは、ヨスさんが隠すの上手過ぎる説もありますよ!」


 リニとエリーの発言に、マノンが苦笑を浮かべる。


「クルトはだだ漏れだったのに、なかなか認めようとしなかったよね」

「アズちゃんの顔の傷を気にしてるなら、『俺が責任取る!』ってなりそうなのに」


 フェナが首を傾げるのに倣い、アズサを含めた全員が首を傾けた。


「うっし! 調査に行くぞ!」

「おー!」


 リニを先頭にぞろぞろ部屋から出て、最後に出たエリーが施錠する。

 五人で階段を駆け下りて、キッチンへ向かう。キッチンには、ハルムと勇一が増えていた。女性陣が一斉に駆け込んできたことに、皆が目を丸くしている。

 朝の挨拶は勇一に合わせてニホン語で済ませ、リニが、鍋をかき回すイーフォへ近付いた。


「ね、ね、イーフォ」

「んだよ? 朝一でアズサが変で、お前ら全員そろってるってことはあれか? ついにクルトが観念したのか?」


 女性陣からの拍手喝采。

 イーフォがくしゃりと、嬉しそうに笑う。


「マジかー。やっとかー」

「え! 本当ですか! クルトさん、アズサさんに好きって言えたんですか!」

「は? お前らってとっくに付き合ってたんじゃねぇのかよ」


 事情を知らないらしいリュドには、フェナが事情を説明してあげた。

 言葉がわからず隅の方で食器を用意していた勇一には、リニが簡単に、ニホン語での事情説明。


『騒がしくってごめんね~。恋の重大ニュースがあったもんだから』

『恋、ですか?』

『そうなの! 長いこと好き同士だったのにいろんな事情で伝えられなかった二人の想いが、やっと実を結んだの!』

『……両片思い想い、ってやつですか?』

『リョウカタオモイ? その言葉知らないけど、多分そんなのかも!』


 なはははは、と笑いながら、リニは勇一の背中を叩く。

 一方で、フェナから話を聞いたリュドは呆れのため息を漏らした。


「あいつは馬鹿か? ガイの心配が大当たりじゃねぇか」

「リュドさん、何を知ってますかね!」


 素早く反応したエリーが飛び付き、アズサを含めた女性全員に詰め寄られたリュドが、たじろぐ。


「クルトがガキの頃、ガイが教えた護衛の教訓だよ。『護衛対象に好きだと言われても本気にするな。大抵それは勘違いだ』ってやつ。……いや、待て待て待て! 俺に怒るなッ、言ったのはガイだからな!」


 女性陣の怒りにさらされながら、リュドは慌てて弁明する。

 半年ほど前にアズサがクルトを好きだと言い出してから、ガイは二人を心配していたのだという。「クルトの奴、俺が昔言ったことを気にしてねぇと良いんだけど。もしあいつが素直になれなかったら、俺のせいだよな」と。

 だけど、アズサとクルトはぎくしゃくすることもなく、甘い雰囲気を垂れ流す様を見て、ガイは父親の気持ちで見守っていたらしい。


「クルトが素直に認めなかったのは、それだけが理由じゃないぞ」


 作業台へ寄りかかり、イーフォは歯を見せて笑う。仲間内でクルトの事情に一番詳しい人物の発言に、注目が集まった。


「あいつはアズサを独り占めしたかったんだよ。アズサが抱えちまった重荷を全部捨てさせて、肩の力を抜いて安心して眠れる場所へ攫っちまいたかった。でもそんなことしてもアズサは喜ばないだろ? だから、自分にはアズサを好きだって言う資格はないとか言ってさ。めんどくせぇ奴なんだよ。――な、クルト」


 バッ、と音がしそうな勢いで、勇一以外全員がキッチンの入り口へ振り向いた。そこには、逃げようとしていたのか背中を向けたクルトがいて、左右それぞれの腕を、ヨスとブラムに両脇からガチりと捕まえられている。


「話は聞かせてもらった」


 真顔で、ブラムが告げた。


「キッチンに集まって何してんのかと思ったら、面白ぇ話してんじゃねぇか。な! クルトちゃんよ?」


 ぐしゃぐしゃとヨスの手で髪を掻き回されて、覗いたクルトの耳と首筋が、真っ赤に染まっている。

 拘束されたままの状態で、赤い顔をしたクルトが首だけで振り向き、イーフォを睨んだ。


「勝手にベラベラと……イーフォ、お前がその気なら、俺にも考えがある。――リニ!!」

「う、わぁァァァァッ! ヤメロバカ! ほら、メシ、めし、飯にしよう! 仕事の時間になっちまうっ。そうだ、お姫さんもいるの忘れたらマズいよな! ハルム急いで準備だッ」

「はーい!」


 事情を把握しているハルムが楽しそうに笑って、慌て始めたイーフォと共に、とっくに完成していた朝食を運んでいく。

 クルトから名前を呼ばれたリニは話を聞きたそうにしていたが、このまま無駄話を続けてはブラムに怒られてしまうため、一旦は諦めることにしたようだ。


 慌ただしく朝食の用意が整えられ、近衛騎士を二人引き連れたフィロメナが食堂へ姿を現した。

 勇一を見つけると駆け寄って、腕を絡めて身を寄せる。


「フィロメナ殿下、ユウイチの国での朝の挨拶は『おはよう』ですよ」


 アズサの助言に素直に従い、フィロメナは勇一を見つめて花開くような笑みを浮かべた。


『おはよう、ユウイチ』

『おはよう。フィー』


 勇一には昨日の内に、フィロメナが屋敷に滞在することになったことを伝えてある。

 新たな屋敷の住人たちには屋敷でのルールについても説明同意済で、机を足して広げた長机には、近衛騎士も含めた全員分の朝食が並べられていた。

 向かい合う形だがアズサとは一番遠い席にフィロメナが座り、両脇は近衛騎士が固めている。残りは前日と同じ席で、勇一は、ニホン語が話せるクルトとリニに挟まれて座った。

 普段と変わらない挨拶で食事は開始されたが、飛び交う言語は、普段と違う。年長者組は皆がニホン語で、勇一の意識がそちらへ向かないよう、リニとクルトがニホン語で勇一の話し相手となっている。


 フィロメナと近衛騎士の二人がニホン語を理解できないことは、昨日の内にアズサとブラムで確認していた。それでも危険は冒せないため、この場では、聞かれても問題ないことだけの相談にとどめる予定だ。


『ユウイチは昨日、パン屋で洗い物のお手伝いしてたんだっけ?』

『はい。言葉は通じなかったんですけど、ヘイスさんもユリアさんも優しくしてくれて、身振り手振りでもなんとか意志の疎通ができてほっとしました』

『今日は、俺とアズサと一緒に孤児院へ行く。本当はブラムの仕事を手伝ってもらいたかったが、姫が邪魔だ』

『……フィーは、どうして俺に執着するんでしょう? 本当に、結婚するつもりなんでしょうか?』

『本人に聞いてみたらどうだ? 俺とリニは姫とは話せない。姫となら、アズサが間に立つ』

『どうして、二人はフィーと話せないんですか?』

『私たち平民だもん。顔を顰められるだけで、会話にならないよ。アズサはリーダーだから、話す。ブラムも話すけど、今後君たちの間を取り待つのはアズサがやるみたい』

『平民は王族と話せないんですか? でも、フィーは俺には優しいのに……』

『昨日試しに話しかけてみけたけど、無視された上に近衛騎士から睨まれちゃった。ま、別に話したくもないし、良いんだけどね!』


 けろりとした様子でリニが笑ったところへ、フィロメナの声が割って入った。


「――ねぇ、そこの貴方」


 誰を指しての言葉かわからず、誰も反応しようとしない。


「青い瞳の、貴方よ。ギルドマスターの護衛をしていたわね?」


 どうやらクルトへ話し掛けているらしい。クルトが顔を向けると、フィロメナは満足そうに頷いた。


「貴方、ユウイチの言葉がわかるのね?」

「……ある程度は、わかります」

「わたくしも、ユウイチと話しながら食事をしたいのだけど……ダメかしら?」

「命令ではなく個人的なお願いでしたら、お受けします」

「あら、普通は逆ではなくて?」

「俺は、マスターの命令にしか従いません」

「そう。なら、お願いできるかしら?」

「承知しました」

「貴方、名前は?」

「クルトと、申します」

「ではクルト。お願いするわ」


 そうしてクルトは、朝食の時間をたっぷり使って、フィロメナと勇一の通訳を勤めさせられたのだった。

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