第21話 夢の混濁
懐かしい、夢だった。
まだ仲間は今ほど多くはなくて、夜眠る場所は崩れ掛けの建物の中。
薄い布に包まり、フェナとリニと、三人並んで身を寄せ合い眠っていた頃。
ブラムは、あの時から頼りになるお兄ちゃんで、ヨスは乱暴だけど明るくて、みんなの不安を吹き飛ばしてくれた。コーバスは、いろんな場所へ潜り込んで話を盗み聞くのが得意で、逃げ足が一番早いのは今も変わらない。
ヨスより三つ年上のリュドは、子守りはごめんだと言いつつもなんだかんだと面倒見が良くて、優しかった。
割れた鏡に映った顔を見て、アズサは気付く。見慣れた傷がないことに。
それならクルトはどこだろう。
寝床にいないのなら、まだ仲間になっていない頃だろうか。
黒髪に青い瞳の、男の子。
手を繋いだ感触を思い出す。胸の奥が、甘く疼いた。
会いたくて、アズサは彼を探して街をさまったことを思い出す。二回目に会ったのは……そうだ。ハルムがきっかけだった。
思い出した途端に場面が変わる――
アズサはこの頃すでに、知恵の魔女で金を稼いでいた。
ブラムが案内人で、ヨスとリュドは魔女の護衛。幼い姿は布で覆って隠して、様々な相談を受けていた。
あれは、魔女の仕事が終わった帰り道。小さな男の子が、ガラの悪い男に捕まって泣いていた。男が刃物を突きつけようとしたから、ヨスとリュドが飛び出して男の子を助け、アズサは慌ててその子を抱き寄せる。
そこへ、彼が駆け付けたのだ。
「ハルム!」
「クルトさん、イーフォさん、ごめんなさい。ぼくまた、失敗しちゃった」
「怪我は?」
「気にしねぇで守られてろって、いつも言ってんだろ! お前まだチビなんだから」
二人の少年に抱き付いて、男の子は安心したのか、更に顔をぐしゃぐしゃにして泣き始めた。
「こいつ、助けてくれたのはあんたらか?」
彼がヨスたちに話し掛けているのを見て、どうしようもなく、胸がドキドキした。
また会えた。彼は、自分を覚えているだろうか……。
何故か髪の乱れが気になって、必死に撫でつけたのを今でもはっきり、覚えている。
お礼を告げると、三人はすぐに去って行ってしまう。咄嗟に追い掛けたが、呼び掛けようにも名前を知らない。
「あのっ、ねぇ……待って!」
思わず背中の服をつかんでしまったら、驚いたのだろう、振り向いた彼の目はまぁるくなっていた。
青い瞳に自分が映ったことにどぎまぎしつつ、口を動かす。
「あの、あのね……私は、アズサ。あなたは?」
「…………クルト」
「この前、会ったね?」
「……何か要求してんのか?」
迷惑料の徴収だと疑われ、焦ってしまう。急いで首を横に振り、握っていた服を離した。
「私たち、仲間を集めてるの。もしね、もし良かったら、一緒に仕事をしない? その子のことも、一緒に守れるよ」
彼は友人と顔を見合わせてから、首を横に振る。
「いらない。ハルムは、俺とイーフォが守るから」
「そっか。でももし気が変わったら、声を掛けてね」
その後、彼と偶然顔を合わせることが増えた。
「おい」
空から降ってきたのは、少年の声だった。
見上げた先には青い瞳の彼がいて、身軽に手すりを超え飛び降りる。目の前に着地した彼を、アズサは拍手で迎えた。
「何してんの?」
「お散歩」
「違う。その、手を叩いたやつ、何?」
「拍手。あんな高い場所からひょいっと降りてきて、すごいね!」
ふいっと顔がそらされて、代わりに手が突き出された。彼の手のひらには、果物が乗っている。
「やる。ハルム助けてくれた、礼」
「助けたのはヨスたちで、私は何もしてないよ」
「……なら、この前巻き込んだ詫び」
「律儀なんだね」
小さく笑って両手を差し出すと、ころんと果物が落とされた。
「一人でうろついてると、危ないぞ。この前一緒にいた強そうな奴らは?」
「今は別行動。……心配、してくれるの?」
「別に。事実を言っただけ」
アズサが一人でいるのを見掛けると、心配した彼が話し掛けてくれるようになって、顔を合わせることが増えた。
共に過ごす時間の中で口説き落とし、彼と彼の友人たちは、アズサたちの仲間に加わった。
あの頃はみんなの寝息がすぐそばにあって、人の気配を感じながら眠りに落ちるのは、心地良かった。
今はあの頃より安全な場所で、静かに安心して眠れる環境なのに……上手く眠れなくなってしまったのは、何故だろう。
――ひたひたと、冷たい気配が這い上がってくる。
嫌な夢の気配に、幸せが塗り潰される。
アズサの大切な人たちが、折り重なるようにして倒れていた。
彼らは死んでいる。殺されてしまった。
「赦さないっ、私はお前を、赦さない!」
喉から、血の味がする。
友達だった。親友だと思っていた。
自分の両手が真っ赤だ。これは、大切な人たちの血。自分の血も混じっている。
頭の中が、どす黒い憎しみに染まっていく。同時に、苦しいほどの悲しみに襲われた――――
「たすけて! クルト!」
自分の叫び声で、夢から解放された。
じっとり、冷たい汗がこめかみを伝う。嗚咽が溢れ出し、震える手で口を塞いだ。
ベッドの上で上半身を起こし、室内を見回す。
自分の部屋だということを確認しても、強張りが、解けない。
夢の余韻が強烈過ぎて、夜の闇の中、恐怖から抜け出すことができなかった。
ふと、感じた人の気配。
「呼ばれた気がして。勝手に、ごめん。……どうした?」
クルトの部屋に繋がる扉が開かれていて、そこに、男の影が立っていた。夢の中の人影と重なって、心臓が凍りそうになる。
「アズサ? 泣いてるのか?」
「…………クルト?」
自分でも、驚くほどに弱々しい声だった。
「なんだ?」
――クルトが来てくれた。
認識した途端、体が動きだす。ベッドから飛び降りて、両手を広げて駆け寄った。ほとんど体当たりで、彼の首に腕を巻き付けた。
クルトが戸惑う気配が伝わってくる。
「助けてって、聞こえた気がしたんだ」
背中に大きな手が触れて、体の強張りが、解けていく……。
「言った、かも」
「侵入者か、騎士に襲われたのかと。慌てた」
「ごめ、なさい」
「無事か?」
「ゆめ、で……ただの、寝言なの」
「こんなに震えて……アズが泣くなんて、よほど怖い夢だったんだな」
こくこく何度も頷くと、体がふわりと浮いた。
クルトの温もりと香りに包まれてもまだ安心できなくて、首に巻き付けた腕に力を込める。
アズサを抱いた状態でクルトが歩き、ベッドの端へ、腰を下ろした。
しゃくりあげて泣き続けるアズサの背中を、クルトがそっと、撫でてくれる。
「怖い夢は、誰かに話した方が良いんだろ? 聞くぞ」
優しい声に促され、話そうとしたが、アズサの口から溢れるのは嗚咽ばかり。上手く、話せそうにない。
「ゆっくりで良い」
「クル、ト」
「ん?」
「来てく、れて……あり、がと」
「アズサが呼ぶなら、いつでも、どこでも、駆け付ける」
今度は、嬉しくて涙が止まらなくなってしまった。
「……真っ赤、だったの」
嗚咽の合間に、言葉を紡ぐ。
「みんな……こ、ころされ、た」
「……誰に?」
「ヘルマン。親友、だった……信じてたのにっ」
感情が、混ざる。
「ちがう、だめ」
慌てて首を振って、自分を取り戻す。
「アズサ?」
「はい。アズサ、です」
へらりと笑うことができて、ほっとした。
「ラドバウトさん――彼の、夢だった。ヘルマンは、ラドバウトさんの、親友だった。彼がエフデンの兵を引き込んで……家族が殺されて……ラドバウトさんは、赦さないって、叫んでた。わたし……怖くて……」
「ラドバウトと触れ合った、影響なのかもしれないな」
「クルト……」
「なんだ?」
「鼻水、ついちゃった」
「鼻、かむか?」
「う゛ん。……見ないでね?」
空気が揺れた気配で、クルトが笑ったのを感じた。
クルトの膝から下りて、自分の足で歩いて、引き出しから取り出したハンカチで鼻をかむ。冷たい水で顔を洗ったら、かなりすっきりした。
「クルト、着替える? 肩、冷たいよね? 脱いだ服は私が洗う」
「着替えるけど、自分で洗濯する」
「汚いから、だめ!」
「気にしなくて良いのに」
穏やかに笑ったクルトが立ち上がる。自室へ向かう彼に無言でついて行くと、クルトが不思議そうに振り返った。
「一緒に行く。だめ?」
「…………いや」
クルトの背中側の服をつかんでついて行き、寝間着の上を替えるのを近くで見守った。
着替えが終わるとすぐに、着ていた服を奪って正面から抱き付く。腰に両手を回して、男らしい胸板へ顔を埋めた。
「一緒に寝ても、良い?」
「…………アズサの部屋で、寝るまで、そばにいる」
「こっちの部屋が良いの」
「どうして?」
「クルトの気配がいっぱいで、安心できそう」
「俺は男なんだが……」
「襲っても良いよ」
「……アズが元気な時にする」
「本当? ちゃんと襲ってね」
「何を約束させようとしてるんだ」
頭の天辺をこつりと顎で小突かれて、アズサは笑みをこぼす。
アズサが汚してしまったクルトの服は、簡単に手洗いしてからアズサの部屋に置いてきた。
クルトの部屋の、彼が毎日眠っているベッドへ上がり、アズサは体を横たえる。アズサの行動を黙って見守っていたクルトはしばらく迷ってから、ベッドへ入った。
アズサは、クルトの胸へと身を寄せる。
「……ねむれそう」
「おやすみ、アズサ」
「おやすみ。クルト、大好き」
「………………俺も、好きだ」
額に、唇が落とされた。
衝撃発言に反応しようにもアズサの思考は働かず、とろりと優しい眠りへ、落ちてしまった。
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