第20話 古の魔女について、考えましょう

 夜の帳が下りて、ゲレンの街の人々が寝静まる時間帯。

 アズサはクルトとブラムと共に、魔女の館行きのトロッコに乗っていた。


「うぁ~、これすごーい! 楽し~い! 楽~」


 トロッコの操縦はブラムが行っていて、風の音でアズサの声は届いていない。

 隣に座りアズサの体を支えてくれているクルトには何か言ったことは聞こえたようで、言葉を聞き取ろうとして、アズサの口元へ耳を寄せてきた。


「何だって? 聞こえない!」


 くふふ、と溢れる愉快な気持ちを口から漏らし、アズサはクルトの耳へ唇を寄せる。


「あっちの迷路より、楽だよねって!」

「あぁ! 確かにな!」


 大きな声でのやり取り。

 あっという間に目的地へ辿り着き、先に降りたクルトの手を借りてアズサもトロッコから降りる。

 風のせいで髪がめちゃくちゃだ。互いに、乱れた髪を直し合った。


 三人がこの場所へ来たのは、内緒話に最適な場所だからだ。


 これまでは、屋敷が一番安全な場所だったから朝の会議も内緒の話も全て屋敷でやっていたのだが、今後しばらくはそれも難しくなってしまった。というのも、勇一と一緒にいたいというフィロメナが、ゲレンに残ることになったからだ。

 彼女の身の安全を確保するには屋敷が最適で、今晩からフィロメナと近衛騎士二人に、屋敷の二部屋を間貸ししている。


 王都へ戻るフェリクスに随行する近衛騎士が一人になってしまったが、護衛不足はガイとコーバスを貸し出すことで補った。

 ガイは王都出身の元王国騎士。要人の護衛も慣れている。

 コーバスも、実は戦える。小柄でひょろりとして見えるため一見そうは思われないのだが、結構強い。すばしこい動きで相手を翻弄し、ダガーと体術を使って敵の動きを封じる戦法が得意だ。


 ガイとコーバスを護衛にかこつけて王都へ送り込んだのは、情報収集を目的としている。王都の情報は以前から集めていたが、王族のすぐそばで、直接言葉を交わして情報を引き出せるチャンスは見逃せない。

 二人とも相手の懐へ入るのは得意だから、上手くやってくれるはずだ。


 階段を上り、開けた扉の先には短い廊下。トロッコ乗り場へ続く扉の他には一つだけ、重厚な作りの扉がある。

 玄関は存在しない。

 手に持つランタンが無ければ真っ暗な廊下には、窓もない。

 ランタンはブラムが持っていて、クルトは、アズサの手をしっかり握って離す気がないようだ。

 魔女の部屋への扉を開けて、ブラムが室内を見回した。


「ラドバウト、だったか。今もいるのか?」

「どうだろう? 気配を感じる時と全く感じない時があって、今は何も感じないかなぁ」


 ブラムが室内の蝋燭ロウソクに火を灯し、一つだけしかない窓を細く開ける。

 室内がぼんやりと明るくなってから、アズサは客用のソファへ腰を下ろした。自然、手を繋いでいるクルトもその隣へ座る。

 ブラムは魔女の椅子を使うことにしたようだ。


「それで? アズサが知るカウペルや魔女について、話してくれるのか?」


 ブラムの言葉に、アズサはこくりと頷いた。


「知らないことも多いんだけどね」


 どこから話そうか、と呟き、アズサは繋いでいるクルトの手を膝へ乗せる。男の骨ばった手を撫でながら、一つ、息を吐き出した。


「カウペルはね、魔女の国だったの。ラドバウトさんは、カウペルの最後の王様で……最後の魔女だった」

「魔女なのに、男なのか?」

「始まりが女性だったからそう呼ばれるようになったみたいだけど、魔女から産まれた男も魔女の力を持つから、魔女って呼ぶみたい」

「何故、アズサにはその男の記憶があるんだ?」


 わからない、とアズサは首を横に降る。

 アズサへ手を差し出したまま、彼女の好きなように手をいじらせつつ、クルトは口を閉じていた。

 会話は、アズサとブラムの間で交わされる。


「でも多分、ラドバウトさんは何か知ってるんじゃないかな。だから、教えてくれないかなと思ってここで話すことにしたんだけど……全く、気配を感じないや」

「いつも、この部屋にいるわけではないんじゃないか?」

「地縛霊みたいなものかと思ってたんだけど、違うのかな?」


 三人揃って、首を傾げた。

 わからない話は一旦保留にして、わかる話から進めようと、アズサが再度話し始める。


「知恵の魔女って発想は、ラドバウトさんの記憶からもらったの。カウペルの魔女は、王様業とは別に民の相談役みたいなこともしてたから」


 ラドバウトは、不思議な力を持っていた。それは正統な血を引く魔女だけに使えるもので、民たちはそれを秘術と呼んでいた。

 ニホンの知識を持つアズサにとってあれは、魔法と呼ぶべきものだと思っている。


「魔女の持ち物は、アズサは見ればわかるのか?」

「うーん……多分、これかなぁってのはある。魔女の血筋に代々受け継がれてきた道具でね、赤い水晶玉と、金色の杖だと思うんだ」

「フィロメナ王女が使えたんだ。道具があれば、誰でも秘術とやらを使えるということか?」


 アズサは静かに、首を横に振る。


「無理だと思う」


 根拠を問われ、アズサは、クルトの人差し指の腹を己の指先でそっと撫でた。


「血がね、違うと思うんだよ。秘術を使う時には、指の腹に針を刺して、その血を水晶に吸わせるの。エフデンの王族って、すごーく薄いけど、魔女の血を引いてるってことになるっぽい。ちなみに私は記憶があるだけで、魔女の血は引いてないよ」

「フェリクス王子が話していた、エフデンの罪の話か」


 フェリクスが言うには、カウペルはおよそ三百年前に存在した小さな国で、エフデンの隣にあった。周囲の国とは交流しない、閉じられた国だったそうだ。

 ひっそりと存在したカウペルには、正統な血を引く王族だけが持つ、不思議な力があった。それが、カウペルの秘術。

 秘術の力を知った当時のエフデン国王は、それが欲しくてたまらなかった。だが何度申し入れても、どんな提案をしても、カウペルの王は首を縦に振ろうとしない。

 カウペルの王族は、秘術が外へ漏れるのを良しとしなかったのだ。


 だから、考えた。


 魔女の血を引いているにも関わらず、王位継承権がない傍系の青年を唆し、カウペルの王族を皆殺しにさせた。

 血と道具があれば秘術は使える。手に入れるのは正統な王族の血である必要はないと、エフデン国王は考えたのだ。


 そうしてカウペルは滅び、存在は抹消された。


 エフデンの国王が最初に青年に使わせた秘術は、記憶の消去。カウペルという国の存在も、魔女に関わる知識も全て、人々の記憶から消し去ってしまったのだ。

 土地も民も、カウペルのものは全てエフデンが取り込み、協力者の青年は王の娘と結婚して後のエフデン国王となった。


 だが――生まれ故郷を裏切ったカウペルの青年には、秘密があった。

 悟られれば己の命が危うい秘密。

 本当は、青年の血に道具は反応しない。彼の血では、秘術は使えない。

 カウペル最後の王を殺した時、追い詰めた先で青年は、魔法の道具と、血を、手に入れていた。

 青年はその血を使って秘術を行使していたのだ。


 抜き取った血には、限りがある。

 魔女の正統な血筋は根絶やしとなり、もう二度と、魔女は産まれない。

 己に流れる血に価値がないのだと悟られれば、青年は殺されるだろう。だからこっそり秘術を使って、エフデンの王を呪い殺した。


 誰にも疑われることなくエフデンの王位を手に入れた青年は、罪の意識からか、手記を残していたようだ。

 彼の死後遺言を託された彼の息子により、手記に記されたカウペルの真実と魔女の宝は代々の国王へ引き継がれ、今はフェリクスたちの父がそれらを保管していると、フェリクスが話してくれた。


 アズサが知らなかった、だからこそ知りたいと思っていた、カウペルの最後。


「本来なら、フィロメナ姫が秘術を使えたこともおかしいんだよ。だって、魔女の血は一滴も残ってないって、フェリクス王子が言ってたでしょう?」


 アズサの言葉に、ブラムが首肯する。


「フィロメナ姫は、自分の血を使ったと言っていたな」


 クルトの手を握りながら、アズサは室内を見回し、告げた。


「この場所は洞窟の中にあるでしょう? 昔は祭壇があって、カウペルの人たちにとっては特別な場所だったの。道具はここに保管されていた。……死の間際、ラドバウトさんは何かをするためにここへ来たんだと思う。ただ追い詰められて逃げ込んだわけでは、ないと思うんだよね」

「アズサには、その辺りの記憶はないのか?」


 小さく、アズサの首が縦に動く。


「死の間際の記憶は曖昧で、私には、わからない。でも、私の存在は無関係ではないと思う。だっておかしいと思わない? 私にはニホン人の記憶があって、フィロメナ王女に呼び出されたユウイチもニホン人。何かが、あるんじゃないかな。それで、全てを把握してるのはきっと……ラドバウトさんの幽霊だけ」


 アズサは、ラドバウトの霊とは直接言葉を交わせない。ただ気配を感じて、感情の波のようなものを察知することはできる。


 道具を返してもらった後で、ラドバウトが何をするつもりなのか。ラドバウトの幽霊の目的は、何なのか。

 ついでに王太子の呪いを解く方法についてラドバウトから情報を得られないかと考え、三人はこの部屋へ足を運んだのだ。

 内緒話だけで良いのなら、地下に下りるだけでも事足りる。


「ラドバウトさんが私の体に入るでしょう? その時に私の記憶を共有してくれるなら楽なんだけど……それなら、私の望みが彼に直接伝わるよね?」

「もしかしたら……共有しているか、アズサを見ている可能性はある」


 魔女の部屋へ入ってから初めて口を開いたクルトへ、アズサとブラムが視線を向ける。

 何故か頬を染めて照れながら、クルトは告げた。


「衣装部屋でのアズサと俺の会話を、知っている様子だったんだ」

「私と、クルトの会話? どれのこと?」

「……魔女の部屋で、アズサの様子がおかしくなったら抱き締めるってやつ。話が終わった後で存分に抱き締めてやれって、あいつは言ったんだ」


 照れた様子で頬を染めた二人。

 ブラムは表情を変えず、ある可能性を指摘する。


「クルトがアズサから離れれば、ラドバウトは現れるんじゃないか? 俺なら、男に触れられている状態の体には入りたくない」

「え? そういうこと?」

「確かに、アズサの体を動かしているラドバウトは俺から逃げたが……」


 試してみよう、ということになったが、クルトが渋る。


「ちゃんと、帰ってくるよな?」


 フランクの診察では、体に異常はないとのことだった。アズサに疲労が溜まっているのはいつものこと。フィロメナと近衛騎士が屋敷に滞在している状態では、心が休まる暇もないだろうことも、クルトは心配している。


「悪いようにはしないって、ラドバウトさんは言ったんだよね?」


 頷いたクルトを見上げ、アズサはのんびり、いつも通りの笑みを浮かべた。


「絶対に、帰ってくるよ。知ってる? 眠り姫はキスで目覚めるんだよ!」

「安心しろ。俺が叩き起こす」

「もー。ブラムってば優しくないよねー」

「妹が男とイチャつく姿を目の前で見せられる兄の気持ち、想像してみろ」

「お兄ちゃんったら! だからフェナも言えないんだよ?」

「なんだと? 相手は誰だ」

「さぁ、誰でしょう? あ、フェナに直接聞くのはなしね! 嫌われちゃうよ?」


 不機嫌な様子で押し黙ったブラムを見ながら明るく笑い、アズサはクルトから離れる。

 今度はクルトも、止めなかった。


「ラドバウトさーん。居ますかー? 聞きたいことがあるんですけど、ちょっと私の中に入りません?」

「……緊張感がないな」


 言葉と同時に立ち上がり、ブラムはアズサを魔女用の椅子へ座るように導く。万が一、入れ替わる際にアズサが倒れてしまっては怪我をすると考えての行動だ。

 椅子に座ったアズサと向かい合う形で、腕を組んだブラムが立つ。クルトも、その隣へ並んでアズサへ視線を注いだ。

 アズサは指先で頬を掻きながら、苦笑い。


「何も感じないや。……なんだろう? 服がダメとか? 魔女の格好をした方が良いのかな?」

「可能性があるのなら、試してみるか。だが今日はもう遅い。明日にしよう」

「そうだね。……あ、そうだ。ユウイチをニホンへ帰す方法も聞いてあげないと」


 アズサがあくびを漏らし、今日は諦めて帰ろうかという雰囲気が漂う。

 帰ろうと、差し出されたクルトの手を取ろうとしたアズサは唐突に、びくりと肩を揺らした。


「――ラドバウトさんが、いる」


 ブラムとクルトが室内を見回すが、何も見えないし、感じない。

 アズサだけが何かを感じているようで、一点を見つめて首を傾げている。


「ラドバウトさんに、聞きたいことがあるの」


 話し掛けたあとで、アズサは片手で己の頭に触れ、更に深く首を倒す。まるで、頭に何かが触れて不思議がっているかのような動作だ。


「何か伝えたいなら、私の体を使って、ブラムとクルトに話して欲しいんだけど……もしかして、嫌がってる? あ、そうだ!」


 何かを思い付いたのか、アズサが手のひらを上向けて右手を差し出し提案した。


「肯定は一回、否定は二回、私の手を叩いて欲しい。まずは……私の体を使うのは、嫌ですか?」


 自分の右手を見つめていたアズサが、パッと顔を上げてブラムとクルトを見る。

 ブラムとクルトの目にも、アズサの手が何かに叩かれ揺れた様子が見て取れた。


「一回だった。嫌みたい。でも二度、使ったのにね?」

「何故、はこの方法では聞けないな」

「ラドバウトが入ることは、アズサには危険なのか?」


 クルトの言葉に、一回。アズサが、一回手を叩く感触があったと告げた。

 だが、どういう危険があるのかは問えない。


「私が、戻れなくなる? ……一回。入る回数は、関係ある?」


 これには、いくら待っても返答はないようだ。ラドバウトがアズサの中に入る長さは関係あるかと聞いてみても、返答はない。


「わからないってこと?」


 一回。


「アズサが戻れなくなる危険があるから多用したくないが、必要ならアズサの体を使うということか?」


 ブラムの質問には、一回。肯定だ。

 三人は、互いの顔を見合わせる。


「えーっと、とりあえず。王太子の呪いを解く方法は知ってる?」


 一回。


「解いてあげる気はある?」


 二回。


「どーしても解いて欲しいってお願いしたら、考えてくれる?」


 少し間があって、微かに一回。


「素直に解くのは嫌だけど、考えてやっても良い。ってことかな?」


 一回。

 なら考えてみて欲しいですとアズサが頼み、次の質問へ移る。


「ユウイチをニホンへ帰す方法ってあるのかな?」


 一回。


「それには、水晶と杖が必要?」


 一回。


「フィロメナ姫の血で秘術は使える?」


 二回。


「二回だ……」


 驚きの呟きを漏らし、アズサはブラムを見上げた。

 他に何を聞くべきか、アズサは迷う。代わりに、ブラムが口を開いた。


「ユウイチを呼び出したのは、あなたの仕業か?」

「二回。違うって。……なら、王太子の呪いに、ラドバウトさんは関係ある?」


 一回。


 質問を重ねるごとに、室内の空気が重たくなっていく……。


「ラドバウトさんは、ゲレンの外へ行けるの?」


 二回。


「この部屋の外へは行ける?」


 二回。


「私の記憶を、覗くことはできる?」


 一回。


「今度私の体を使う時、私の疑問に答えてくれる?」


 返答は、なかった。


「……なぁ。この会話方法も、アズサの体に負担があるのか?」


 アズサの顔へ視線を注ぎながらのクルトの質問には、肯定の返事。

 だけど、アズサはそれを伝えなかった。伝えれば会話は強制終了となり、部屋から連れ出されてしまうからだ。


 束の間の、時間稼ぎ。


「次に会うのは、フェリクス王子が道具を持って戻ってきたら、かな」


 一回。


「ラドバウトさんは、私の味方?」


 一回。


「私のお願い、検討のほどよろしくお願いします」


 一回。


 よし! と気合を入れてアズサは立ち上がったが、上手く足に力が入らず、よろけた。

 クルトの両手が伸びてきて、危なげなく受け止めてくれる。


「クルトの質問の答えは肯定だったよ。……頭、割れそう…………」

「やっぱり! 顔色が悪いと思ったんだ!」

「帰るぞ。今すぐ」


 ブラムが素早く帰り支度を始め、アズサの体はクルトに抱き上げられる。

 部屋の外へと連れ出される直前、アズサは無人の室内に向かって手を振った。


「また来るね」


 へらりと笑ったアズサの言葉に、返答はなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る