第19話 大嫌いなんです

   1

 それらはとても美しかった。


 澄んだ水に血液が流れ込んだような、球体の水晶。

 くすむことのない金と赤い石で表紙が飾られた、分厚い本。

 本の装丁と同じ色合いの、小さな杖。


 兄たちと共に、国王となった父から三つの宝物を見せられたフィロメナは、一瞬で心を奪われてしまった――。


   ※


 昨夜から、フィロメナの機嫌は最悪だ。なのに次兄は全く気に掛けてくれない。

 長兄はいつもフィロメナに優しいが、次兄はいつでも優しくない。病を治す秘術の失敗で呪われるのが次兄だったら良かったのにと、ひどいことを考えてしまう。


「異界の者との結婚など、許されるわけがないだろう」


 お腹は空いているし、お風呂にだって入りたい。フィロメナが秘術を使って呼び出した少年は、顔に醜い傷のある女に連れ去られてしまった。


「お前を一人ゲレンに残すこともできない。我儘ばかりが許されると思うな」


 昨夜遅くに恐ろしい魔女に会い、兄が宿にと選んだのは病院で、栗毛の医者は嫌々ながらも泊めてくれたが風呂も食事も自分で用意しろと言い放った。何故こんな仕打ちをフィロメナが受けなければならないのかと兄へ文句を言っても、「己の罪を自覚しろ」と怒られる始末。


「聞いているのかフィロメナ! 兄上のため、俺は早々に王都へ帰りたいのだ! ここは病院で、長居は迷惑だと何度言えばわかる!」

「だってお兄様! ユウイチを置いて行くなんてできないわ! 彼はわたくしのものなのだから!」


 そうして会話は振り出しに戻る。

 堂々巡りのやり取りに、フェリクスは両手で頭を抱えた。


「ギルドの責任者を通訳として連れて行くなど不可能だと、言っているだろう」

「あら、それなら他にいないのかしら? あの女性がユウイチの言葉を理解できる唯一の存在とは限らないじゃない」


 あのアズサという女性を呼び出してちょうだいと命じても、近衛騎士たちは動かない。困り果てた表情をフェリクスへ向けるだけだ。


「呼び出されてはいないですけど、来てあげました」


 ノックもなく、細く開かれた扉の隙間から、漆黒の瞳が覗いていた。目と目の間に、傷痕がある。

 扉の外にはフィロメナ専属の護衛であるテオドルスがいるはずなのだが、彼は何をしているのかとフィロメナは苛立った。


「ギルドマスターとやらは、覗きが趣味なのかしら?」


 フィロメナがツンと言い放った言葉に、扉をゆっくり開けながら女が笑顔で返す。


「王族とはこんなにも迷惑な生き物だったんですね。その傲慢な態度、国民から恨まれている自覚はないのですか?」


 女の視線が滑るように移り、フェリクスをひたと見据えた。


「妹すら御せない王子様、助けは必要ですか?」

「……貴女が俺たちを嫌っていることはよくわかった。迷惑を掛けている自覚もあるが、対価はなんだ? 無償ではないのだろう?」

「あら、普段の一人称は『俺』なんですね?」

「今それは必要か?」

「王族と話したことなどないもので、ちょっと楽しいなと」

「楽しんでもらえているなら光栄だ。貴女は存外可愛らしい顔もするのだな」

「褒めても対価は負けてあげませんよ。セコいですね」

「早く対価を言え!」

「王子様というものは存外怒りっぽいんですね。――簡単なことです。カウペルについて書かれた書物を、全てギルドへ提出してください」


 アズサが提示した対価の内容に、フェリクスは眉根を寄せる。


「何故だ?」

「ギルドでは、情報も立派な商品です。今後ギルドの人間へその言葉を使う際には、事前に対価のご用意をおすすめいたします」

「……書物は一冊しかないが、王の持ち物だ。俺の権限では差し出せない」

「それなら、私にフェリクス殿下が知るカウペルの情報をください。あなた方がどこまで知っているのかを把握しておきたいのです」

「いいだろう」

「では、交渉成立ということで。とりあえずここに居座られるのは本っ当に迷惑なので、ギルド本部へ行きましょう。そこで、お姫様の主張との折衷案を一緒に考えてあげます」

「わかった。……すまない」

「謙虚なことは良いことですよ、お兄ちゃん」

「……馬鹿にされていることも、よくわかった」


 アズサとフェリクスの間で話がまとまると、二人はフィロメナへと視線を移した。彼女は頬を膨らませ、ずっとアズサを睨み付けていたのだ。

 話が終わるまで口を挟まなかったのは、そういう風に教育されているからなのだろう。


「ユウイチをどこへ隠したの?」

「嫌ですねぇ。あなたへの切り札をぶら下げてくるわけないじゃないですか」

「あぁもう嫌な人! 大嫌い!」

「私も、あなた方全員大嫌いですよ」


 笑顔でも本気が窺えて、フィロメナはたじろいだ。

 王都にある城の中、安全と安心を当然のものとして享受してきたフィロメナにとって、初めて向けられる嫌悪。優しくないフェリクスでさえ、こんな感情をフィロメナに向けることはなかった。

 助けを求めて兄へと視線を移したが、フェリクスは全く動じていない様子。

 彼は理解しているのだ。国民に、王族が恨まれていることを。


「ここへ泊めろと押し掛けた俺が言う言葉ではないがな。フィロメナ、ここは病気や怪我など、助けを求める国民のための場所だ。俺たちが占拠して良い場所ではない。わかるな?」

「……はい。お兄様」


 そうしてやっと、フィロメナは重たい腰を上げたのだった。


 魔女の客が迷惑を掛けたことをフランクに詫びると、大きな手がアズサの漆黒の髪を、幼子へするような少々乱暴な仕草で撫でた。


「咎を受けるべきは君じゃない。主を諌められないテオの方だ」


 優しいヘーゼルの瞳が向かった先、ギクリと、近衛騎士の一人が肩を揺らす。


「それでも、私は王族の傲慢さを理解できていなかった。まさか野営すらできない甘ったれが存在するなんて……」

「おい。謝罪にかこつけてこちらを貶めるな」


 ごめんなさい、と言葉だけの謝罪を吐いて、アズサは舌を出した。

 フェリクスは、そんなアズサを見て深いため息を漏らす。


「妹を甘やかし過ぎた自覚はあるんだ。あまり攻撃してくれるな」


 温度のない微笑を浮かべただけで、アズサは言葉を返さなかった。


 診療所から一歩出ると感じたのは、突き刺さるような視線。フェリクスも近衛騎士たちも、ゲレンへ一歩足を踏み入れた時から、気付いていた。

 街の人々が、閉じたカーテンの隙間から彼らを窺っている。

 王都から離れるにつれて顕著となった負の感情は、ゲレンが一番、強烈な憎悪を宿していた。


「ご安心ください。私の客であれば、あからさまな危害は加えませんから」

「あからさまな、か」

「えぇ。だってみんな、王族も貴族も大嫌いなんです。……フェリクス殿下やフィロメナ殿下個人のせいではないと、理解しています。ですがどうしても、死んでいった者たちの顔が浮かんでしまう。我々に助けの手を伸ばすことなく、飢えも知らず安全な場所で生きてきたくせに、いざ自分たちが困ればこちらへ助けてくれと言う。その姿勢も考え方も、大嫌いだなぁと私は思いますよ」

「そう、だな。確かに俺自身も、傲慢だ」


 アズサはフェリクスへは何も返さないまま、フランクに向き直ると「お詫びの品は何が良い?」と聞く。対してフランクは「あれが良いな、プリン」と答えた。

 フェリクスには、聞き覚えのないものだ。


「ユウイチの髪の毛を見て連想したんでしょう?」

「バレた? 似ているなと思ったんだよ」

「近い内に作って持ってくるね」

「楽しみにしてるよ。……無理はしないようにね」


 穏やかな表情で頷き、アズサは歩きだした。その後ろには、腰に剣を下げた青年が付き従う。

 フェリクスへと向けられた青い瞳。悪寒が、背筋を駆け抜けた。


 これは――殺気だ。


 アズサが手の甲で、トンと、青年の胸を叩く。青年はすぐに、フェリクスから視線を外した。


「……殿下。早々に、この街から立ち去るべきです」


 近衛騎士の一人からの助言に、フェリクスは深いため息を漏らす。


「そうしたいのは山々なんだがな……まさかフィロメナが、ここまで異界人に執着を見せるとは想定外だったのだ」


 隣の妹へ視線を移すと、ツンと顎を上げていた。どうやら折れる気はないようだ。


「ユウイチは、わたくしのものだもの」


 一人の人間を、本人の合意なく己のものだと主張する傲慢さに気付かないままに、少女は呟いた。



   2

 試してみただけだった。本当に、呼び出せるなどとは思っていなかった。


 眩い光がおさまってから目を開けた時、人の姿があったことに驚愕した。


 だけど同時に思ったのだ。

 何の力もないフィロメナを前にして怯える彼を見て、自分はこの少年を守ってあげなくてはならないと

 言葉も通じず、青い顔でたたずんでいた少年。

 フィロメナが彼の名を呼んで背中に触れると、ほっと緩むようになった表情に芽生えた感情。それが何であるのかを、フィロメナにはまだ、理解できていない。


   ※


 再び案内されてやってきたギルド本部二階の応接室。だがそこに、勇一の姿はなかった。


「ねぇあなた、ユウイチをどこへ隠したのよ!」


 二度目になる言葉で問えば、顔に傷のある女はフィロメナを漆黒の瞳に映して、首を傾げる。


「彼は、あなたの奴隷ですか?」

「奴隷なんて……エフデンでは許可されていないわ!」

「ご存じないのですか? 人買いはエフデンにも存在しますよ。人買いに買われた子どもたちの末路すらご存じないのでしょうか? ……それを黙って見過ごしている王家です。あなた方も奴隷を所有するのかと考えたのですが」


 唇の端を上げ、嫌みな笑いを浮かべる女。あぁ本当に嫌な人だと、フィロメナは思う。


「頼むから、妹をそんなにいじめないでくれ。フィロメナの無知は俺たちの罪だ」

「……流石に、意地悪が過ぎましたね」


 フェリクスからの懇願でふぅとため息を吐いた女は、疲れているのか、指先を使ってこめかみを揉んだ。


「食事がまだだと、伺いました。何か食べますか? 職員用で宜しければ、シャワーならお使いいただけますが」

「しゃわー?」

「自動で頭上から湯を降らせる装置です。湯を浴びながら、体を洗えます」

「……それの対価は何を要求されるんだ?」


 フェリクスの言葉に、女は苦笑を浮かべて首を横へ降る。


「過ぎた意地悪のお詫びです。何もいりません」


 案内された場所で、それぞれ身を清めようとしたのだが、警護の問題で時間が掛かった。その間女はずっとフィロメナたちを見張るようにそばにいて、女の護衛らしき青年も傍らにいる。

 全員が体を洗って着替え終えると再び応接室へ案内され、食事が運び込まれた。温かなスープとパンに、焼いたソーセージが添えられている。

 食事を運んできたのは昨夜いた三人の男の内の一人と、もう一人――見覚えのない女性だ。

 女性が何事かを顔に傷のある女へ耳打ちすると、二人はくすくす楽しそうに笑い合う。まるで友人同士のような、気安い空気。

 羨ましくて、フィロメナの胸が微かに痛む。

 食事を運んできた女性は、すぐに部屋から出て行ってしまった。


「ブラムとは、昨夜顔を合わせましたよね? 彼はギルドの幹部のリーダーをしています。同席させてもよろしいでしょうか」


 女の言葉に、フェリクスが静かに頷いた。


 良い香りの湯気を立てる食事を前にして、フィロメナの胃は空腹を訴えている。本当に食べても良いかがわからず、隣に座る兄へチラと視線を向けたが、気付いてもらえない。

 向かいへ腰掛けている女は気付いたようで、目と口元を笑みの形にした。


「温かい内に召し上がってください。それとも、毒が心配ですか?」

「……いや。いただこう」


 フェリクスがスプーンを手に取り、スープをすくう。一口飲んで、目を丸くした。


「うまいな」

「お口に合ったなら良かったです。ユウイチが、お城の食事も王都からゲレンまでの道中での食事も味が濃かったと言っていたので、これを作った私の友人は、調味料を足してからお出しするべきかかなり迷ったみたいですが」

「確かに彼は、あまり食が進んでいない様子だった。今はどこにいるんだ?」


 フェリクスから動作で許可を出され、フィロメナもスープを口へ運ぶ。食事を進めながら、兄と女の会話に耳を澄ませた。


「働かざる者食うべからずがギルドのルールですので、ちょっとした仕事を頼んでいます」


 フェリクスは食事の手を止めず、会話を続ける。

 フィロメナの希望は先ほど伝えたから、あとは兄に任せれば大丈夫なはずだ。もしフィロメナの意に沿わなければ口を挟むが、今は沈黙を守る方が得策だろう。

 柔らかな白パンをちぎって口へ運び、フィロメナは驚く。城のパンよりも、美味しいと思った。


「妹は、ユウイチをゲレンへ残していくのは嫌だと言うのだが、貴女以外にユウイチの言葉を理解できる者はいないのだろうか?」

「彼は魔女との対話の対価として受領しました。一度そちらが差し出した対価を返すことになれば、魔女は二度とあなた方に知恵を貸さないでしょう」

「何よそれ! そんなの聞いていないし、わたくしは了承してないわ!」


 抗議の声を上げると、傷のある女の顔がフィロメナへ向けられた。漆黒の瞳には何の感情も浮かんでいない。


「魔女の元へご案内する前に、一度受領した対価が返却不可である旨は、ブラムから説明したはずです。殿下方の直筆でご署名も頂きました。それに――カウペルの秘術を行使したあなたが、魔女の対価について知らないとおっしゃるのですか?」


 ぐ、とフィロメナは息を飲み込んだ。


「異界の者と言葉を交わせる存在を教えた対価として、魔女はユウイチをギルドへ置いていけと言ったのです。魔女の物をこの地へ返還するのは、王太子殿下の呪いに関する知識の対価。ですが、その知識を得ただけでは呪いを解くことには繫がらないでしょう。だからギルドとして、私が魔女へ交渉すると申し出ました。魔女への交渉の対価はゲレンの自治権。――ご理解いただけたでしょうか」


 フィロメナの隣で兄が、短い息を吐き出した。


「俺の言い方が悪かった。ユウイチを返せと言いたいのではない。もし貴女以外にユウイチと言葉を交わせる者がいて、ユウイチが望む場合、王都とゲレンを行き来するフィロメナに同行させることはできないのだろうか?」


 漆黒の瞳が隣に座る兄へと移り、フィロメナはほっと体から力を抜く。

 漆黒の髪と瞳を持ち顔に傷のあるこのアズサという女が恐ろしいと、フィロメナは感じるようになっていた。


「それは、私に何のメリットがありますか?」


 真顔で問われ、フェリクスが言葉に詰まる。


「では逆に問いたいのだが、貴女がユウイチを得ることには何のメリットがあるのだ?」

「その問いは、私個人の情報に触れるのでお答えできません。私が提示できる解決策は……フィロメナ殿下がどうしてもユウイチから離れたくないとおっしゃるのであれば」


 女は「どうしても」の部分を殊更強調した。

 微笑みを絶やさず、女は告げる。フィロメナが、ゲレンへ残れば良いのだと。


「フェリクス殿下が王都から戻られるまでのフィロメナ殿下の身の安全は、私が保障します。護衛の近衛騎士を残していただいても構いません。フェリクス殿下の護衛が少なくなることが不安ということでしたら、ギルドの護衛をお貸ししましょう。フィロメナ殿下の滞在、護衛の貸し出しはギルドへの依頼扱いとして料金を頂戴しますが、口約束よりも金銭のやり取りがあった方が安心かと存じます」


 いかがでしょう? と微笑を浮かべた女を見ながら、フィロメナは顔を顰めた。

 フェリクスは考え込んでいる。


「――わたくし、ここに残るわ」


 フィロメナの宣言に兄は顔を顰めたが、決めてしまったら、なんだかすっきりとしたような気もする。

 スープもパンもソーセージもとても美味しかったからフィロメナは、おかわりまでしてしまったのだった。

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