第18話 異世界の人と、交流しましょう

 朝の支度を終えて自室を出ると、廊下でクルトが待ち構えていた。


「おはよう、クルト」

「おはよう。体調はどうだ?」

「問題なし! むしろ、いつもより元気かも」

「それでも、フランクの所には行くからな」

「はーい。ユウイチ、起きたかな?」

「部屋から物音はしない」

「爆睡中? でもニホン人って奥ゆかしいから、案内なしには部屋から出られないと思うの。起こしに行こう」


 寄りかかっていた壁から背中を離し、クルトは勇一に与えた部屋の前に立つ。昨日まで、ミアとピムが使っていた部屋だ。

 何度かノックをしたが、返事がない。


『入りまーす』


 アズサがニホン語で宣言して、ノブを回す。鍵は掛かっていなかった。扉を開けて室内を覗くと、ベッドの塊が規則正しく上下しているのが見える。

 アズサがベッドの脇に立ち、ぐっすり眠っている勇一を揺り起こす。


『朝ですよー。ご飯ですよー。ユウイチ、起きてください』

『……だれ?』

『アズサです。昨夜お会いしました』


 パチリ、勇一の目が開いた。焦げ茶の瞳が、アズサを映す。


『大丈夫ですか? 食欲、あります?』

『あります。すみません。すぐ、支度するので』


 カァッと顔を赤くした勇一が、ぼそぼそ小さな声で言いながら起き上がった。

 着替えは王都から持ってきた荷物の中にあると言うから、アズサとクルトは廊下に出て待つことにする。


『すみません。お待たせしました』


 急いで着替えたのだろう。寝癖を撫でつけながら、勇一が出てきた。そのままアズサ達について来ようとしたので、アズサは指摘する。


『昨夜、鍵を渡しましたよね? この屋敷内は、昼間誰もいなくなります。寮のような場所なので、施錠していただいた方がこちらとしても助かります』

『わかりました。ありがとうございます』


 施錠を終えてから、勇一を連れて食堂へ向かう。歩きながら、簡単に状況を説明した。


『昨夜は疲れてそうだったので説明を省きましたが、当面の間、ユウイチは私が預かることになりました。もし、フィロメナ殿下と離れがたいというのであれば交渉しますが、どうしますか?』

『えーっと、その人は、フィーのことでしょうか? 俺を召喚した』

『そうです。あなたをこちらへ呼んだ人です』


 少し悩む素振りを見せてから、勇一は曖昧に笑う。


『どちらでも、構いません。俺が何故こちらに呼ばれたのか、アズサさんはご存知ですか?』

『理想の結婚相手を呼び出した結果、あなたが来たそうです』

『俺、お姫様と結婚させられるんですか!』

『どうでしょう? したいですか?』

『いや……俺、まだ十九ですし、大学に入ったばかりで、彼女とかもいたことないですし……結婚なんてまだよくわからないというか……。俺の希望としては、家に帰りたいのですが……』

『確約はできませんが、ユウイチの希望に沿うよう、帰す方法を調べてみます。しばらくは、ここでの共同生活となります。細かなことは後でゆっくり話しましょう。まずは、ここで共に暮らす仲間を紹介しますね。あ、そうだ。――彼はクルトです』


 それまで存在感を消していたクルトを、くるりと振り向いたアズサが手のひらで示し、勇一は突然のことに驚きつつも会釈する。


『クルトも、完璧ではないですがニホン語を話せます。なので、ここまでの会話も理解しているはずです。ね、クルト』


 無言で、クルトは頷いた。


『クルトは二十歳なので、ユウイチの一つ上です。私に言いにくいようなことがあれば、彼に言ってください』

『わかりました。よろしくお願いします』

『よろしく』


 クルトの口からニホン語が紡がれたことに、勇一は感動したようだ。瞳を潤ませていた。

 食堂に辿り着くと知らない人の多さに萎縮したのか、勇一が視線を彷徨わせる。

 アズサは勇一の様子に気付いたが特に触れることはなく、仕事用の微笑を浮かべて用件だけを告げた。


『では、私は朝の仕事があるので、離れます。クルトと行動してもらえますか?』

『あ、はい。わかりました』

『こっちだ』


 クルトが案内したのは、いつも座る席。他の仲間たちが食器を手にキッチンと食堂を行き来している。

 ニホン語がわかるリニとクルトで挟む席を選べば自然と、昨日までミアとピムがいた場所になった。


『あの、クルトさん』


 椅子に座った勇一から声を掛けられ、立ったままでいたクルトが首を傾げて「なんだ?」を示す。


『ここは、どのような場所なんでしょう? 寮だって、アズサさんが言ってましたけど……』

『オレは、リョウ、はわからない』

『学校、はわかりますか?』

『……学びの場所?』

『そうですそうです。ここの人たちは、学校に通う人たちですか?』

『違う。オレたちは、働いている』

『社員寮、ってことかな』


 ぼそり呟かれた勇一の言葉に、クルトは首を傾げた。ニホン語は、アズサと過ごす時間の中で遊びがてら覚えた言葉だから、聞いたことのない単語は理解できないのだ。


「クルト。それがニホン人か?」


 イーフォがハルムと共にキッチンから顔を出し、朝の挨拶と共に朝食の乗った皿を渡してくれた。


「おはようございます、クルトさん。ミアとピムがいなくなって寂しくなるなぁと思っていたんですけど、また新しい人ですね」


 ハルムの手には勇一の分の皿があり、クルトが礼と共に受け取って、勇一の前に置く。戸惑いつつも、勇一は『ありがとうございます』とニホン語で告げた。


『オレ、イーフォ。名前は?』

『え! あなたも日本語がわかるんですか!? 宮坂勇一といいます。はじめまして』

『ボクは、ハルムです。えーと、こんにちは?』

『朝はおはよう、だ』


 クルトが訂正してやると、ハルムがゆっくり、繰り返す。


『おはよう?』


 勇一は感動していたが、イーフォとハルムが知っているニホン語は多くない。リスニングも、ほとんどできない。

 受付三人娘もやって来て、興味津々の様子で勇一を取り囲む。


『はじめましてー。リニでーす』

『マノン、です』

『エリーだよー』

『ニホンの歌が好きです。歌います』

『歌うな。座れ』


 ぴしゃりとニホン語でリニを叱りつけたのは、既に席についていたブラムだ。

 リニはしゅんとして、自分の席に座る。目を丸くしながらその様子を見ていた勇一が、恐る恐る、手を上げた。


『ユウイチ、どうしたんですか?』


 アズサに促され、勇一は遠慮がちに告げる。


『あの、皆さん普通に日本語で会話してますが、この世界で日本語って、実は一般教養だったりしますか?』

『いいえ。この屋敷の住人が特殊なだけです。聞きたいことは多いと思いますが、まずは食事にしましょう。――いただきます』

『いただきます』

『うわ、マジか。いただきますを聞いただけなのに……泣きそう』


 アズサの号令のあとの、声の揃った「いただきます」は、ニホン語をそのまま使っている。泣きそうになっている勇一から視線を外し、ブラムがアズサへ顔を向けた。


「十九の割に、幼いな」


 普段使う言葉でブラムが漏らした感想に、アズサはスプーンを口へ運びつつ苦笑を浮かべる。


「ニホンは平和だから。……あとで、もっとゆっくり話をしてみる」


 微かに顎を引き、ブラムは了承の意を示した。


「フェリクス王子たちは、フランクのところへ泊まったようだ」

「うん。やっぱりそうなるよね。フランク先生には悪いけど、一度、ユウイチと彼らを引き離したかったんだ」


 予想していた、というよりも、そうなるように仕向けたという方が近い。


「どうしようねー、ガイ? フランク先生怒ってるよ、絶対」


 冗談っぽく笑ったアズサが、左手側へ座るガイに視線を向ければ、屋敷内で最年長の男は顔を顰めた。


「俺はしばらくあいつに会わない。嬢ちゃん、よろしく頼む」

「アズちゃんに押し付けるなんてひどーい。ガイの友達でしょう?」


 向かいの席から飛ばされたフェナの冗談交じりの非難に、ガイは弁明する。


「フェナも知ってるだろ? フランクは俺には冷たくて、アズサにはベタ甘だって」


 朝食時の席順は毎日同じで、長机の辺が短い面にアズサが座り、フェナがアズサの右手側、ガイがアズサの左手側。ブラムは、フェナの隣だ。ブラムの向かいにはコーバスがいて、コーバスの隣はヨス、ヨスの向かいにはリュドが座っている。


「さぁて。更なる情報は引き出せるかなぁ」


 人の悪い笑みと共に吐き出されたアズサの言葉。ブラムは表情を変えず、肯定した。


「フランクへのフォローはアズサがしろよ」

「はーい」


 その後、コーバス、リュド、ヨスも含めた年長者組は、朝食を取りながらアズサと共に今後の方針を固めていく。

 机の半分が真面目な話をする一方、もう半分は基本的に気楽だ。


『お腹空いてたの?』


 歌でニホン語を覚えたリニが、おいしそうに朝食を食べる勇一を眺めて首を傾げる。勇一は、恥ずかしそうに頬を染めた。がっついていたように見えてしまったことが、恥ずかしいようだ。


『実は、この世界の食事が口に合わないって悩んでたんです。でも、ここのご飯はとってもおいしくて、ほっとしました』

『お城のご飯、おいしくないの?』

『いえ、おいしかったんですが……お肉ばかりで、味も濃いめで。野菜、食べたいなと思ってしまって』

『肉かー、肉は、平民はあんまり食べないかなぁ』

『俺はこっちの方が良いです』

『おかわりもあるよ。たーんとお食べ』

『ありがとうございます』


 リニと勇一の会話を聞いて、ニホン語苦手組がクルトへ視線を向けた。マノンとエリーは挨拶程度しかニホン語を覚えていないのだ。

 友人たちからの視線の意味を正確に把握して、クルトは勇一の発言を要約する。


「城の飯が肉ばかりで野菜もなく、濃い味付けが口に合わなかったそうだ。ここの飯がうまいと言っている」

「えー……俺、肉食べたい」


 贅沢な、と顔にありありと浮かべたイーフォ。クルトもそれには同意した。


「飢えたことのない人間なんだろう」

「でも、納得よね。アズサがあれだけいろんな食べ物を考案できるのは、ニホンが豊かな証拠、なんだよね」


 マノンの言葉を、皆それぞれの言葉で肯定する。


「ユウイチは何ができるのかな? クルト、聞いてみてよ」


 エリーからの頼みに、クルトは顔を顰めた。その顔には「面倒くさい」と書いてある。


「リニに頼めよ。俺よりうまくしゃべるから」

「アズ姉からユウイチを頼まれたのはクルトでしょ!」

「……リニ、頼む」

「クルトってば、アズちゃんのこと以外は結構面倒くさがるよねー」


 ケタケタ楽しげに笑いながら、ニホン語を使いたいがためにリニが請け負った。


『ユウイチは、ニホンで何をしてる人?』

『俺は、大学生です』

『あ、それ知ってるよ! 忙しいけど自由な人のことでしょ?』


 ぶはっ、とユウイチが噴き出して笑う。


『合ってるけど、それが全てじゃないです。誰から聞いたんですか?』

『アズちゃん』

『アズサさんって、面白い方ですね。彼女……何者なんですか?』

『リニ、ナニモノわかんなーい。お仕事行かなくっちゃ。ユウイチはゆっくり食べてね!』


 ごちそうさまでした、と両手を合わせてから空になった食器を重ね、立ち上がったリニがキッチンへ向かった。エリーとマノンが顔を見合わせて、食事を終えていた二人も食器を持ってキッチンへ行く。


 三人の背中を見送ってから、イーフォとハルムがクルトの顔を見た。


「アズサが何者かを聞かれ、面倒になって逃げた」


 納得したイーフォとハルムも、ごちそうさまと言ってから席を立つ。ギルドの職員として受付のサポートなどの業務を担当している二人も、出勤時間が迫っていたからだ。

 残されたクルトは、隣の席へ視線を向けた。同じく取り残された勇一へ、ニホン語で声を掛ける。


『おかわりするなら、早くしないとリュドたちに食べられてしまう』

『いえ、大丈夫です。これで十分です』

『ジュウブン?』

『えーと、これで、お腹いっぱいです』

『わかった』

『あの』

『……何?』

『あちらの方々は、どなたですか?』

『あっちは、あー……年上? だ』

『年上? 年齢が上の人たちなんですか?』


 こくんと、クルトは頷く。先ほどまで友人たちが座っていた席を指差しながら、それぞれの年齢を挙げていく。


『ハルムは、十八。イーフォは二十一。エリー、十九。マノン、二十。リニ、二十一。あちらは二十二より上。オレはこちらと友達』

『年齢で別れていたんですね。それなら俺は、こちらの方々と同年代ということですね?』


 同年代が何かはわからなかったが、面倒になったためクルトは頷いておいた。


「ヨス、リュド。待て。紹介する」


 おかわりでキッチンへ向かおうとした二人を、クルトが呼び止める。皿を持った状態の二人から視線を向けられると、勇一は緊張した面持ちで身を縮こまらせた。

 クルトが簡単に名前だけを紹介して、ヨスとリュドがそれぞれニホン語で短く『よろしく』とだけ行って去って行く。

 二人の背中を見送った勇一は、小さな声で呟いた。


『えーっと、プロレスラーっぽい人がリュドさんで、プロボクサーにいそうな人が、ヨスさん』

『なんだって?』

『あ、えと、すみません。名前を覚えるために、特徴で繋げてみようかと』

『違う。ぷろ、なんとかを知りたい』


 クルトを怒らせたと一瞬勘違いしたようだがすぐに誤解は解けて、勇一はクルトの疑問を解消するための言葉を探す。


『プロレスラーもプロボクサーもスポーツ選手なんですけど……競技が違くて、両方戦うことが仕事の人? みたいなものなんですけど』

『戦うは、わかる』

『面白いね、それ。ならオレは何みたい? あ、オレはコーバス。よろしくね!』


 話に入ってきたコーバスが唐突に自己紹介をして、わくわくした様子で勇一の返答を待っている。突然のことにどきまぎしつつも、勇一は見つけた答えを口にする。


『商人、ですかね』

『ふーん。間違ってはないね』


 勇一の返答に満足したらしく、コーバスは食べ終えた食器を手に去って行った。

 入れ替わりにヨスとリュドが戻ってきて、最初よりも多く盛られている食べ物を見て、勇一が目を丸くする。 


『ユウイチ。残りは、ブラム、フェナ、ガイだ。食べるのが終わったなら、片付けに行く』

『あ、はい! ごちそうさまでした!』


 一度に覚えることはできないだろうとはわかっていたが、これで、アズサからの頼まれごとは完了だ。人の名前など、接する内に追々覚えていくものだろう。

 後ろをついて来る勇一の足音を聞きながらクルトは、またしばらくアズサと二人きりになる時間は取れないのだろうなと、小さなため息を吐き出したのだった。

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