第16話 末っ子姫がやらかしたらしいのです
屋敷の地下にある衣装室で、アズサは漆黒のドレスをまとい、傷のある顔に化粧を施す。鏡での入念なチェックを終え、ローブと、顔を隠す布を手に持ち衝立の向こうへ出た。
「まだ、怒ってるの?」
ガイと並んでソファへ座り、腕を組んだクルトの眉間には皺が寄っている。
「魔女じゃなくとも、聞き出せるんじゃないか?」
昼間の執務室で、魔女として王族に会うと決めてから、何度かクルトはこの言葉を口にしていた。
「あの部屋の幽霊、危ないんじゃないか?」
「え、幽霊って何? 俺初耳なんだけど」
「あの部屋には、アズサの体に触れる不埒な男の幽霊がいて、たまにアズサの体に入ろうとするらしいんだ」
「あれ? 間違ってないけど何かが違うよ、クルト。それだとラドバウトさんが変態みたいになっちゃう」
不機嫌なままのクルトがアズサの手からローブを奪い、着せてくれようとする。アズサは素直に袖を通し、きちりと合わせ目を閉じるクルトの手の動きを見守った。
その間も、クルトとガイの会話は続いている。
「幽霊の話、ブラムには報告したのか?」
「したが、お前が守れば問題ないだろうと返された」
「幽霊からどうやって守るんだよ? ブラムってたまに真顔で無茶振りカマしてくるよなぁ」
「俺は幽霊なんて見えない。ガイは?」
「見えてるなら、さっきあんなに驚かねぇよ」
「だよな」
クルトの物憂げなため息を顔に感じたアズサは、憂い顔を見上げて愛らしい笑みを浮かべた。
「もし変だなぁって思ったら、クルトがぎゅーって抱き締めてくれたらきっと、戻ってこられるよ!」
「本当だな? やるからな?」
「え? やるの?」
「やる。それと前々から気になっていたんだが、顔を隠すのに何故毎回化粧をするんだ?」
「だって、クルトが見るじゃない」
「え?」
「……なぁ。独り身の寂しいガイさんの前で堂々とイチャつくの、やめてくんない?」
互いの発言にぽっと頬を染めたクルトとアズサへ呆れの視線を送り、ガイが抗議する。
間延びした声で「そろそろ行くぞー」と言われ、クルトがアズサの背後に周って顔を隠す布のリボンを結んだ。
ローブのフードをかぶって
ランタンへ火を付けたガイが先頭を歩き、クルトに手を取られたアズサが後に続く。
真っ暗な魔女の部屋に辿り着くと、ガイが
お香と
カチリと音がして、扉のそばにある仕掛けが、トロッコがこちら側に着いたことを知らせる。
三人はそれぞれの定位置へと向かい、じっと耳を澄ませて客の訪れを待つ。客の案内人は、毎回リュドがやっている。
五回扉を叩かれると、声を低くして声音を変えたアズサが「どうぞ」と告げた。
何度も繰り返した魔女の演技。この部屋の中では、アズサは
入ってきたのは、四人。
相手は王族だ。流石に、護衛一人の同行は許可した。後で難癖を付けられても面倒だからだ。
ガイとフランクの友人だという近衛騎士。テオドルス・ミュルデルという名だが、ガイとフランクは、彼をテオと呼んでいた。
第二王子のフェリクスは、アズサと同じ年齢だったはずだ。
フィロメナは、ニホン人の少年の腕に両手を絡ませピタリとくっついている。まるで、彼は己の所有物だと主張しているかのようだ。
「客人よ。何が知りたくてここまで来た」
「
「それを聞きに来たのか?」
魔女が鼻で笑うと、フェリクスの背後にいたフィロメナが顔を顰めた。
「嫌な人ね! 名を聞かれたら素直に答えたらどうなの?」
「フィロメナ、お前は黙っていろ」
「だってフェリクスお兄様」
「黙れ! 誰のせいでこんなことになったと思っているのだ!」
兄に怒鳴られたフィロメナは、ぷくりと頬を膨らませて少年の肩に顔を埋める。
何がどうなっているのかわからず不安なのだろう。フィロメナに縋り付かれている少年の顔には、緊張が張り付いていた。
「失礼した。名乗りたくなければ、良いのだ。我らがゲレンを訪れたのは、魔女殿の知恵をお借りするため」
頭が痛いのか、フェリクスが片手で額を抑えた。同時に、魔女の声が告げる。
「――カウペルの秘術」
びくりと、フェリクスとフィロメナの肩が揺れた。
「助けてくれと、泣き付きに来たのだな?」
魔女側の動きを察知した近衛騎士が静かな身のこなしで、王子と魔女の間に立った。
「そう殺気立たずとも良い。終われば返す。少し、話しをさせろ」
魔女が紡いだ言葉の意味を正確に理解したのは、
今は、沈黙を守るべきだろう。
フェリクスが近衛騎士の名を呼び、控えているよう視線で示した。
「はっきり言って、私は疑っていた。だが兄上が、ゲレンにいる魔女なら本物かもしれんと言うから、こうして足を運んだのだ。カウペルも、秘術も、貴女はご存知なのだな? ならば貴女は、エフデンを恨んでおられるのではないだろうか」
「私の物をこの地へ返せ。異界の者は置いて行け。娘が面倒を見る」
「娘?」
「顔に傷はあるが愛らしい、私の愛し子。言葉の問題は娘が解決できる」
「……言葉以外は?」
「私の物をこの地へ返せ。話しはそれからだ」
「許されるなら、魔女殿を王都までお連れしたいのだが」
「私はここを動かない」
「…………少し、考えさせて欲しい。貴女との接点は、ギルドだけか?」
「娘に聞くと良い。だが覚えておけ。愛し子に危害を加えるな。彼女に何かがあれば、エフデンは滅びることとなるだろう」
「肝に命じよう」
「では去れ。異界人はギルドへ置いていけ。迎えをやる」
しっし、と魔女が追い出すように手を振ると、フェリクスが素直に応じて扉へ向かう。近衛騎士が扉を開けて外を確認し、すっかり怯えてしまったフィロメナと、ずっと何もわからないという表情を浮かべた少年も一緒に、部屋を出て行った。
扉が閉まり、足音が遠ざかる。
「……アズサ?」
恐る恐るクルトが呼ぶと、首だけで魔女が振り向いた。
「すまんな。まだ私だ」
「ラドバウトッ!」
「待て待て待て、そう怒るな」
椅子から立ち上がった魔女はクルトの手の届かない場所へ逃げようとしたが、一歩踏み出した途端にバランスを崩す。踵の高い靴で歩き慣れていないような動作は、アズサなら有り得ないことだ。
靴を脱ぎ捨てひらり舞うように距離を取った魔女が、振り返る。
「言いたいことを言い終えればすぐにでも返すから、その時存分に抱き締めてやると良い」
「なぁクルト。やっぱりあれ、嬢ちゃんじゃないのか?」
ガイの言葉に、クルトが頷く。
「おいおいおい! 入ろうとするどころじゃなく、入られてんじゃねぇか!」
「……前回は、一瞬だけだったんだ」
「お前っ、それ後でちゃんと報告しろ!」
じりじりと魔女との間にある距離を詰めていく二人の視線の先で、魔女は己の胸へ片手を当てた。
ミシリ、とクルトの持つ槍が悲鳴を上げる。
「待て。これは違う」
「触るな」
「わかった。すまん。心臓の鼓動に感動したのだ。すまん」
「さっさとアズサを返せ」
「わかったから、怒るな。お前怖いぞ?」
腰に両手を当て、魔女がわざとらしく怒った雰囲気を醸しだす。
「幽霊って、どうすりゃいいんだ?」
緩んだ空気をまとう魔女を前にして、ガイが槍を手放した。アズサの体を傷付けずに取り押さえるため、すぐに動ける体勢を取る。
「塩や酒で清める方法があると、アズサは言っていた」
ガイの問いに対するクルトの返答を聞いた魔女が、静かな笑みを浮かべた。
「そんな物では私をどうこうはできぬよ。伝言を頼みたい。私はこの子と、直接言葉を交わせぬのだ」
「……お前は、アズサとどういう関係なんだ?」
「勝手をしてすまないと伝えてくれ。そして、悪いようにはしないと」
「無視か、おい」
「ほれ、返してやる。しっかり受け止めろ」
「おい待て!」
魔女の体から力が抜け、慌てて足を踏み出したクルトが床へ倒れ込む直前で抱きとめた。
意識は、ない。
顔に掛かった布を取り去り、クルトがアズサの頬に触れる。名前を呼んでも、目を覚ます気配はない。
ガイが二人の脇に膝をつき、ほっそりした手首を取って脈を確認する。
「前回の一瞬だったって時にも、アズサはこうなったのか?」
「いや。キービッツ伯爵に会った時だ。アズサ自身、気付いてなかったくらいだ」
アズサが覚えていなかったのは「この土地も、民も、元は私のものだった」という発言だけ。それ以外は、アズサが自分の意思で言葉を発して体を操っていたらしい。
ガイへ説明しつつ、クルトは思い出す。ラドバウトの存在を感じるのは、この部屋限定だというアズサの言葉。
「この部屋がダメなのかもしれない。ガイ、ここを出よう」
「わかった」
ガイが急いで火の始末をして、窓を閉め、本棚の仕掛けを動かした。
ランタンと脱ぎ捨てられた魔女の靴を持ったガイを先頭にして、階段を駆け下りる。歩き慣れた暗い道を、クルトは意識のないアズサの体を抱えて駆け抜けた。
衣装室に辿り着き、ガイとクルトは再びアズサの顔を覗き込む。呼吸はある。眠っているように見えた。
「アズサ……」
何度も名前を呼びながら、クルトはアズサの体をしっかり抱き締める。
ふと、腕の中の重みが軽くなったような感覚がした。
「……何これ? どういう状況?」
クルトの耳元で、アズサの声が告げる。
「もしかして、ラドバウトさんが、何かした?」
ガイとクルトは崩れるように脱力し、安堵の息を吐き出した。
二人から、しつこいくらいに体に異常がないかを確認された後で、起こったことを説明してもらう。アズサには、フェリクスから魔女の知恵を借りに来たと言われて以降の記憶がない。
「ラドバウトさんがそう言ったなら、わかった」
信じがたいことが起こったというのに、アズサはあっさり受け入れた。
「まぁとりあえず、ニホン人の彼が手に入るなら、迎えに行こうかな」
「いや、俺が行く。嬢ちゃんは寝てろよ」
「でも、ガイはニホン語、単語を書く以外はなんとなくしかわからないでしょう?」
ギルドの人間にとってニホン語は、耳慣れた言語だ。完璧に話せる者は少ないが、文字なら暗号として使用している。
フェナやリニはアズサが歌うニホンの歌を覚えていて、歌うこともできるのだ。
「それに、第二王子が確認のために私を待ってるんじゃないかな。ラドバウトさんが返して欲しい物のこととか、カウペルのこととか、私も聞きたいことがあるし」
「ラドバウトを信じて、大丈夫なのか?」
クルトの腕の中で、アズサは頷く。
「私はラドバウトさんの人生を知ってるから、信じて平気って思うんだよね」
「…………わかった。俺は、アズサを信じる。――ごめんな」
コツンと、クルトの額がアズサのそれへと重ねられた。
「何? どうして謝るの?」
潜めた声でアズサが尋ねると、クルトは目を伏せたまま、答える。
「ギルドのために必要なことだと判断して、アズサに負担を強いた」
明らかに、アズサのまとう空気が変わったことはすぐにわかった。だがクルトは、何かを言いたくて出てきたのだろうラドバウトの好きにさせ、王族が部屋を出るまで静観することを選んだのだ。
「気にしなくて良いのに。私が同じ立場でも、そう判断したよ」
「前回は意識を失うこともなく、体への異常も見当たらなかったからと楽観視していたんだ。……目を覚まさなかったらどうしようと、怖かった」
「私も、ごめん。必要な限り、私はあの部屋で魔女をやるから……」
クルトが視線を上げて、青と黒の瞳が互いを映す。
「なら俺は、幽霊と戦うすべでも探すとするか」
「今のところ、除霊について書かれた物は、この世界の文献では見たことがないよ」
アズサがくすくす笑い始め、クルトの表情も和らいだ。そうして柔らかな甘さが漂う――前に、ガイが両手を打ち鳴らす。
「ハイハイ。さっさと着替えろー。ブラムがきっと怒ってるぞー」
手早く着替えた三人は地下を抜け出して、ギルド本部へ向かった。
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