第15話 本物が、来たのかもしれません

『フィロメナ姫』の物語は、エフデンとターフェルでは有名だ。

 せめて物語の中だけでも幸せにしてやりたいという思いからか、フィロメナが他国の王子と恋に落ち、二人は結ばれて幸せになりましたという話が、子どもたちへ語り聞かせる寝物語として広まっている。


 実際は、二十年に渡る戦争の発端となった人物だ。


 彼女の死の真相は長年に渡り多くの憶測を生んだが、二年前、終戦に向けた条約締結の折にターフェルの新国王が再度調査を行い、詳細を公表した。


 ターフェルへ嫁いだフィロメナ姫には五年間、子どもができなかった。

 愛する男は王太子、次期国王だ。子孫は残さなければならない。バルトルト王太子には腹違いの弟がいたが、周囲は「バルトルトの子」を求めてフィロメナ姫を追い詰めていった。

 側妃か妾を。という話も持ち上がったが、バルトルト本人は拒絶し続けた。

 子を巡る問題でフィロメナは塞ぎこむようになり、そうして悩んだ末、彼女は自ら命を断ってしまった。フィロメナ姫は自室で毒を煽り、愛する人の亡骸を見つけたのは、バルトルト王太子だったようだ。

 バルトルトの遺品と共に保管されていたフィロメナ姫直筆の日記帳が発見され、最後のページには、遺書が残されていたという。

 その日記はターフェル新国王の指示により、エフデンの家族へと渡された。


 再調査の結果を受けて判明したのは、ターフェル側が嘘を吐いていなかった事実。


 エフデンの新たな国王は謝罪を表明したが、二十年にも渡る戦争の爪痕は、あまりに大きい。ターフェルもエフデンも国民は王族へ不信感を抱き、特にエフデン側は、王族への心象はかなり悪いものとなってしまった。


 現在のエフデン国王は、フィロメナ姫の兄だ。彼は妃との間に女児が産まれると、妹と同じ名を娘に付けた。

 それが現在ゲレンを訪れている、フィロメナ=ファン・エフデン。十七歳の第一王女だ。


「僕の所に来られても、僕は魔女とは関わりないんだけどな」


 栗毛の医者――フランクは、心の中でガイを罵った。面倒な奴らを押し付けて行きやがって後で覚えていろよと、彼にしては珍しくも乱暴な言葉を、口には出さず繰り返す。


「すまない、フランク。だがゲレンといえば、お前が向かった先だと思い出したのだ。まさかガイまでここにいるとは思わなかったが」


 質素な旅装に身を包んだ男は、ガイとフランクが王都にいた頃の友人だ。

 彼は王都で近衛騎士をしている。ガイとは騎士団で出会い、フランクとは、フランクが貴族だった頃に交流があった。


「十年くらい前かな。ふらりと僕を訪ねてきたんだよ」

「……あいつが騎士団を辞めた時上官に吐いた言葉は、今でも忘れられない」

「彼、何を言ったんだい?」


 会話の相手がちらりと連れを気にしたから、恐らく王族の行いを批判したのだろうと推測できた。

 フランクは元貴族だ。自国の王族の顔くらい知っている。

 ふぅ、と吐息をこぼし、フランクは頬杖をついた。室内で椅子に座っているのはフランクと、男女がそれぞれ一人ずつ。

 フランクは、立ったままで言葉を交わす友人を見上げ、面倒だという心の内を隠さず声音に乗せた。


「僕は、この街での唯一の医者なんだよね。忙しい身なんだって、理解してくれるかな?」


 フランクの診察室にいるのは全部で六人。三人が近衛騎士で、二人は王族。一人は従者の……少年だろうか。

 ガイは、あの少年をよく見てくれとだけ耳打ちして、アズサを探しに行ってしまった。


「魔女に会いたいならギルドの受付へ行くといい。それ以外、会う方法は存在しないんだよ」

「しかし、代理の者では受け付けてもらえんのだろう? 直接ギルドの受付へ足を運んでいただくわけにもいかない。魔女以外に、内容を伝えることもできないのだ」

「僕に言われてもねぇ。……そこの端に立っている子、大丈夫? 気分が悪そうだけど。医者としてなら力になるよ」


 室内の全ての視線が向いた先、明るい茶色の髪をした少年が、青白い顔で立っている。

 六人の中で唯一の女性――艷やかな黒髪に濃紺の瞳を持った少女が駆け寄って、顔を覗き込んだ。


「ユーイチ? どうしたの?」

「……フィー」

「なぁに? どこか、痛い?」

「あー……ここ、いたい」

「頭?」


 二人の様子をじっと眺めていたフランクが立ち上がり、近付いた。


「殿下、よろしいですか?」


 フランクの言葉に頷きを返し、少女は場所を開ける。


「触るよ」


 相手は首を傾げたが、フランクはそっと手を伸ばす。

 抵抗されることもなく、ざっと診察してから少年の背中を押して、室内の隅に設置されているベッドへ導いた。そこへ座るよう動作で示せば、相手は素直に腰を下ろす。その間少年は一言も発しない。やはり従者ではないようだと、フランクは気付いた。


「軽い脱水かもね。飲み物を用意してくるよ」


 客人たちを診察室に残し、フランクは廊下へ出る。

 披露の滲んだ息を吐き出そうとしたが、隣室から顔を覗かせていた三人の姿を認めたことで飲み込んだ。

 アズサが、唇に人差し指を当てている。

 動作で三人がいた部屋へ入るよう促され、フランクは無言で応じた。


「どんな感じだ?」


 扉を閉めた途端に発されたガイの第一声に腹が立ち、フランクは拳で友人の頭を殴り付ける。


「テオがお前を頼って来たって言うから、俺は親切に案内してやっただけなんだぜ?」


 ガイを一睨みしてから、フランクはアズサへと告げた。


「一人、妙な少年がいるね」


 それを聞き、苦笑を浮かべてガイとフランクを眺めていたアズサの顔がパッと輝く。


「フランクも変だって思ったの? どんな子? ニホン語、使ってた?」

「いや。フィロメナ殿下と短い会話を交わしていたけど、イントネーションがおかしかったかな。それと少し、具合が悪そうだった。脱水を起こしていそうだから飲み物を持って行くところなんだ。アズサも来る?」

「うん! 行く!」

「俺も行く」

「診察室に大人数は入らない。クルトはここで、ガイと留守番だ」


 クルトは不満げだったが、フランクの言葉に渋々従う。だが、キッチンにはついてきた。


 経口補水液を作るフランクの横でアズサが緑茶の茶葉を手に取り、クルトは茶の支度を手伝う。

 緑茶はギルドの新商品で、ゲレンの特産品になる予定だ。試作品を、ついこの前フランクへプレゼントしたばかり。

 元々紅茶という飲み物は存在したが上流階級の飲み物で、平民向けに販売はされていなかった。紅茶の茶葉となる樹木の栽培方法、収穫した葉の加工方法を変えて製造された「緑茶」は平民向けに売りだす予定だが、市場にはまだ出回っていない。


「ニホン語、聞けるかな。何者かな」


 どことなくアズサがワクワクしているのは何故なのか。フランクにもクルトにもわからない。

 フランクの指示で看護師の服へ着替えたアズサは、口元を布で覆って顔半分を隠し、看護師用の帽子を深くかぶった。


 緑茶が入った人数分のカップはフランクが持ち、経口補水液はアズサが持つ。

 クルトが扉をノックしてから開け、フランクを先頭にアズサも診察室へ入る。扉はすぐに、閉められた。


 アズサは室内をぐるりと見回し、目的の人物を見つけて歩み寄る。

 少女がべたりと張り付いていて、アズサが持っていたコップはその少女に奪われてしまった。


「ユーイチ。飲める?」

『……緑茶みたいな香りがする』


 フィロメナにユーイチと呼ばれた人物が漏らした呟きは、流暢なニホン語だった。


 緑茶を配り終えたフランクへ歩み寄り、アズサは彼の耳元へ唇を寄せる。


「ガイを来させるね」


 フランクの顎が微かに引かれ、了承を示した。

 お辞儀をしてから退出すると、アズサはすぐに隣室へ向かう。


「ガイ。彼らをギルドへ案内して。できるだけ、ゆっくり来てね。クルト、私たちは帰るよ。ブラムに相談しなくちゃ」


 着替える時間が勿体無いと、看護師へかぶり物だけを返してフランクの外套を勝手に借りて羽織ると、静かに診療所を後にした。

 少し離れた場所で駆け出せば、クルトもそれに続く。


「なんだったんだ?」

「ニホン人だよ、あれ。異世界人。どうやって来たんだろう? こっちの言葉を覚えたら私の商売敵になっちゃうかも!」

「異世界人? どういうことだ?」

「わかんない!」


 その後は無言で、ギルドの執務室まで駆け抜けた。


 執務室の扉を勢いよく開くと、中にいた面々が驚いた顔をアズサへ向ける。


「ブラムいた! 良かった!」

「どうした? 何故そんな服装なんだ?」

「フランクの所に王族が訪ねてきてるの。魔女に会いたいみたい」

「……どれが来た?」

「姫と、第二王子」

「用件は?」

「聞けてない。けど、ゲレンのことじゃないと思う。異世界人を連れていたの」

「異世界って、アズサの言うニホンか?」

「そう! 本物だと思うんだ! 本物の異世界人だよ! ニホン人だよ! どーしよう、お話したい!」

「落ち着け」


 立ち上がったブラムがアズサの肩をつかみ、自分が座っていた場所へ無理矢理座らせた。

 乱れた息を整えて、アズサはフランクの外套を脱ぐ。


「話したいのは本音だけどね。私の知識は、ニホン人からの借り物でしょう? そこに本物が来ちゃったら、困ったことになるかなって思うの。だから、可能ならこちらに引き入れたい。どう思う?」


 ブラムはしばし考えてから、アズサへ視線を戻した。


「本物である、確証は?」

「緑茶はニホンのお茶だって、話したでしょう? まだ出回ってない緑茶を、香りだけで彼は『緑茶』と言い当てたの。それも、ニホン語で」

「なるほどな。アズサが知識を持っているんだ、移動手段もあるのかもしれない。……だが、どうやってこちらへ引き入れる?」

「それなんだけど、圧倒的に情報が足りなくて……魔女に用があるらしいから、魔女で、聞き出してみようと思う」


 そうして、アズサが再び叡智えいちの魔女に扮することが決定した。

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