第14話 未来へ進みましょう

   1

「おい! どけ!」


 道を歩いていただけなのに、空から男の子が降ってきた。

 薄汚れた身なりだが、黒髪の隙間から覗く青い瞳は強い光を宿している。


「お前も来い!」

「え?」


 空中で体を捻らせ、上手いこと少女を避けて着地した男の子に、手をつかまれた。


「ここにいたらお前、あいつらにひどいことされるぞ!」


 引っ張られる力に抗わず走りだし、背後から聞こえた荒々しい男たちの怒声で状況を把握する。

 路地を駆け抜け、角をいくつも曲がって、物陰へと身を潜めた。

 息を殺しながら様子を伺い、追いかけた来ていた男たちが通り過ぎたのを確認して、男の子は立ち上がる。


「あ、待って」


 そのまま何も言わずに去ろうとした男の子を、慌てて引き止めた。


「なんだよ? 悪いけど食い物はやらねぇからな。仲間のチビにやるんだ」

「仲間がいるの?」

「泣いてばっかのチビと、もう一人いる。お前、一人か?」


 少女はゆるゆる、首を横に振る。


「なら早く帰れ。怖い思いさせて、悪かったな」


 走って行ってしまった背中を見つめ、胸元へ手を当てた。心臓がドキドキしているのは、走ったせいではない。


「手を繋いだの、初めてだったな」


 微かに頬を染め、男の子の体温が残る右手を、胸に抱いた――。


   ※


 寝床へ帰り着くと、仲間の二人も戻っていた。


「ハルム、また泣いてんのか?」


 めそめそしている仲間の頭を乱暴に撫でる。


「ごめ、なさい。ぼく、がんばるから、一人にしないでっ」

「大丈夫だよ。心配すんな」


 盗んできた果物を放り投げると、慌てて受け取り、ハルムは静かに食べ始めた。


「クルト。顔赤くないか?」


 友人のイーフォから指摘され、自分の顔を撫でてみる。


「ビョーキか? 気を付けねぇと」

「わかってる」


 手に入れた食料を分け合い、果物にかじり付きながらぼんやり考えるのは、先ほどの女の子のこと。

 真っ黒な瞳がキラキラしていて、可愛い子だった。ちゃんと帰れただろうか。


 これは……まだ芽吹かない、幼い日の出来事。



   2

 ギルド本部二階の執務室で、机に積まれた書類をアズサが次々と処理していく。

 同じ部屋で、クルトもアズサを手伝う。

 隣の部屋にはフェナがいて、ブラムはいない。リュドは報告書を作成中で、ヨスは自警団の方で訓練に参加している。

 ミアとピムは、同じ階の応接室でシモンと共にいる。まだ謹慎中の身だが、本人からの申し出で、昼間は彼が二人の勉強を見ることになった。

 そろそろシモンの謹慎も明ける。

 街の住民との話し合いは、三度行われた。孤児院の子どもたちへも、アズサは何度か話しに行っている。


 執務室の扉が叩かれて、フェナが入室を許可する声を上げた。

 開かれた扉から入ってきたのはブラムと、コーバス。まだ旅装を解いていないということは、戻ってすぐにコーバスはこちらへやって来たのだろう。


「ただいま。アズサいる?」


 コーバスの声を聞き付け、奥の部屋からアズサとクルトが顔を出す。


 フェナがお茶の用意をする微かな物音を聞きながら、コーバスは報告を始めた。


「取引がある街以外を改めて確認してきたんだけど……改善どころか、状況は悪化してたよ。今のところ、国から復旧支援を受けられているのは大きな場所だけみたい」


 コーバスの報告を聞き、アズサとブラムがそれぞれに見解を述べる。


「……国王を弑逆した上での代替わりで内政が混乱しているとはいえ、二年経った今でも端々へ手が回らないとはね。エフデンの前国王は病死だし、前国王崩御から新国王の即位までは正当な流れだった。それでも多少の反発は生まれるものだけど、エフデンの現国王バウデヴェインは、貴族たちを上手く制御しているのよね」

「魔女から知恵を借りたキービッツ領周辺の領主たちが、復興に奔走しているのも大きな要因だろう」


 フェナから受け取ったお茶を啜り、コーバスはほっと、息を吐く。


「あの子たちが住んでいた村は、ひどい有様だったよ。戦争終結後も王都へ引き上げなかった兵士たちが、不当な税を徴収している。役所は完全停止状態。あの子たちの出生記録を調べようにも、存在しなかった」


 ミアとピムがシモンに出会ったのは、二人が両親と暮らしていた村から離れた、街道だった。

 村から逃げ出して、噂で聞いた魔女の街へ徒歩で向かおうとしていたのだ。そこへ通りかかったシモンが水と食料を分け与え、事情を聞き、積荷に二人を紛れ込ませた。

 ガイからの報告によると、護衛はそれを黙認したらしい。


「もし奴隷だった場合買い取るつもりで持って行ったお金は、使わなかったよ」


 コーバスからの報告を全て聞き終え、アズサは吐息をこぼす。

 ミアとピムは「白」だと確認できた。もし間諜だったとしても元の持ち主に返してやる気など皆無だったが、ターフェルとギルドの間での争いは、起きずに済みそうだ。

 不法入国の件も、問題になどさせず処理することは可能だ。


「気を付けないと、ターフェルの難民がゲレンへ流入することも考えられる。ブラム、物流課の職員たちの反応は?」

「今回のシモンの件で、皆危機意識を高めたようだ。今後積荷に人を紛れ込ませた者は厳罰に処すと通達してある」


 アズサは一つ頷き、隣で話を聞いていたクルトへ視線を移す。


「クルト。自警団の方はどう?」

「ガイと相談して、ゲレン周辺の見回りを強化している。国境付近の見張りも増員した。抑止力にはなるだろう」

「問答無用で追い返すことはしたくないけどね。見回りと見張りをしてくれる子たちの心のケアも、フランク先生と協力して気に掛けてあげて欲しい。……フェナ、雇用の受け皿に広げる余地はあるよね?」

「うん。むしろ、人手が足りなくなってきているかな」


 思いつく限りの問題について解決策を話し合った後で、アズサが短く息を吐いた。


「とりあえずはこれで、あの子たちの未来へ目を向けられるね」


 アズサが笑みを浮かべると、室内の空気が弛緩する。


「んじゃあ俺は風呂に入って着替えようかなぁ。あの子たち、今屋敷に住んでるんだって?」

「うん。……コーバスは、ターフェル人は大丈夫?」

「俺の親を殺したのはターフェルの兵士だったけど、あの子たちじゃないよ」

「コーバスのそういう所、好きよ」

「え! やだなぁ、勘違いしちゃうって言ってるだろ! ブラムから聞いたよ。ゲレンの街の人たちの理解も、なんとか得られそうなんだろ?」

「うん。そろそろ街へ連れ出しても平気そう」


 退出するコーバスを見送ってから、皆それぞれの仕事を再開した。



 金の髪と緑の瞳を持つ姉弟を連れたアズサとクルトの姿を毎日見掛けるようになり、ミアとピムとも少しずつ言葉を交わして、ゲレンの街の人々は徐々に、ターフェル人の存在に慣れていった。

 まるで本当の親子のように仲睦まじい様子を見ると、思わず緊張も緩んでしまう。

 そうすると次に気になるのは、アズサとクルトの関係だ。互いに想い合っていることは傍目から見ても明らかで、だが恋人同士にしては甘さが足りていない。


「ねぇちょっと、お節介だとは思うんだけどさ、あんたちゃんとアズサに好きって言ってるの?」


 果物屋の店主は、クルトへ手招きするとそんなことを耳打ちしてきた。だが、耳まで真っ赤に染めたクルトを見上げて何かを察したらしい。バシリと背中が叩かれた。


「男見せなさいよ、まったく」


 パン屋では、店頭で店の手伝いをする姉弟とそれを見守るアズサと売り子のユリアの姿を眺めていたヘイスが、緩んだ笑みでクルトの顔を見つめる。


「……なんだ?」

「いや、ねぇ? 君たちの子供って、どんなかなぁと思ってさ」

「俺たちは、夫婦じゃない」

「結婚しても、君たちはあのお屋敷で暮らすの? 結婚式をするなら、料理は任せて欲しいな」

「気が早い!」

「ねぇまさかとは思うけど、恋人じゃないとか、言わないよね?」


 クルトの顔に浮かんだ表情を見て、ヘイスは察した。


「うかうかしてると、他の男に取られちゃうよ~? 相談乗ろうか?」

「…………いらない」

「あ、ちょっと迷ったね? いつでも話、聞くからさ」


 服屋の前を通りかかれば、通りかかっただけなのに店主とその妻に手招きされた。

 嫌な予感がしつつアズサと子どもたちを待たせてクルトが近付くと、服屋の夫婦は真面目な顔で告げる。


「お式は盛大にやらないといけないよ」

「ドレスも産着も、縫っておくからね」

「……どうも」


 街じゅうがそんな感じで、住民たちはそわそわしていた。

 皆、何故かアズサには言わずにクルトだけにそういったことを言ってくる。クルトがげんなりし始めた頃、ミアとピムが孤児院へ迎えられることが決定した。


「何か困ったことがあれば、お屋敷でもギルドでも、いつでも来て良いからね。私もここにはしょっちゅう来るから、お別れじゃ、ないからね」


 何度目になるかわからないほどに告げた言葉を繰り返し、アズサがミアとピムをまとめて抱き締める。

 屋敷の住人たちとは昨夜のお別れ会と、今朝の朝食の席で挨拶を終えていた。


 ミアとピムは子供らしい柔らかさを手に入れ、よく笑うようになった。


「大丈夫だよ、アズサ。ミアは十三歳になったらギルドで働くからね! 待っててね!」

「お友達たくさんと暮らすのも楽しそうだよね! ぼく、もう泣かないから、安心してね」


 街へ散歩に出れば毎回孤児院へ足を運んでいたから、ミアとピムにはそれぞれ友達ができたようだ。大人よりも、子どもたちの方がターフェル人の姉弟を受け入れるのは早かった。


「シモンも、会いに来ると言っていた。俺も、アズサと一緒にここへは顔を出す」


 クルトも穏やかな笑みで、姉弟の金髪を撫でる。


 院長先生と他の孤児院の先生たちに二人を託し、アズサとクルトは手を振った。

 屋敷であのまま暮らすという案もあったが、ミアとピムが、孤児院を選んだのだ。似たような境遇の子どもたちと接する内に、色々と考えたのだろう。

 昨夜ミアは「このお屋敷の人たちみたいなお友達、ミアも作りたいなって思ったの」と言っていた。ピムはいつか、ミアを守れるように強くなりたいのだそうだ。


 他の子どもたちの輪の中に加わり楽しそうに過ごすミアとピムの姿をしばらく見守ってから、アズサが踵を返し、孤児院の門へと向かう。クルトはその背を追い掛け、声を掛けようと口を開く。


 だがそれは、他の声に掻き消されてしまった。


「よっ、お二人さん! 悪いんだけどよ、一難去って、また一難だ」

 

 孤児院の門の外側で、ガイが二人を待ち構えていた。何事かと問えば、後頭部を乱暴な仕草で掻き乱す。


「貴族がゲレンに向かっていると報告があって、確認しに行ったんだ。その中に昔馴染がいてよ。近衛騎士がエフデンの王族を二人、連れてきた。フィロメナ王女とフェリクス王子だ」


 ガイから耳打ちされた内容に首を傾げつつ、アズサは平然と告げる。


「王太子になら会うけど、第二王子と末っ子のお姫様に用はないかな」

「そう言うと思ってさ、適当に追い返そうとしたんだが、従者っぽい奴が妙なんだよ」

「どんな風に?」

「従者のくせに、こっちの言葉を理解できてない。んで、呟いた言語に聞き覚えがあった。――あれは『ニホン語』だ」

「うーん……それは確かに、気になるなぁ」


 想定していたのとは違った形での王族の登場に、アズサは困惑混じりのため息を吐き出したのだった。

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