第13話 ゲレンの住民は、ターフェルが嫌いなんです
エフデン国王には、聡明な息子と美しい娘がいた。
漆黒の髪と濃紺の瞳を持つ娘はフィロメナと名付けられ、両親と兄、そして国民から愛されて育った。
フィロメナが十五の時、彼女は恋に落ちた。
それは、隣国ターフェルの王族を招いた舞踏会での出来事。
金の髪に深緑の瞳を持つ青年バルトルトは、ターフェルの王太子。彼もまた、フィロメナの美しさにすぐに心を奪われてしまった。
バルトルトはフィロメナの二つ上。優しい心を持つ青年だった。
年齢も身分も、二人の想いを邪魔するものは何もない。
出会いから三年後に、フィロメナは王太子妃としてターフェルへ嫁ぐこととなった。
結ばれた二人がいつまでも幸せに暮らせていれば、多くの民を苦しめた泥沼の戦争は起こらなかったことだろう。
だが……愛する人と結ばれた五年後、フィロメナはこの世を去った。自殺だと、公表された。
娘を深く愛していたエフデン国王は悲しみに暮れ、その悲しみは、すぐに怒りへ変わっていった。
娘が自殺などするわけがない。
ターフェルへ再度調査を求めたが拒絶され、ならば娘の遺体を返せと言ったが、帰ってきたのは真っ白な灰。
フィロメナの遺体はターフェルでの葬儀の後すぐに、燃やされてしまっていたのだ。
怒り狂ったエフデン国王はターフェルに兵を送り、それが、長きに渡る戦争の始まりとなった。
フィロメナの夫でありターフェルの王太子だったバルトルトは、フィロメナの死から一年後、エフデン国の兵士に殺害された。
悲劇をきっかけに始まった争いは更に多くの悲劇を生み出し、互いに終わることができなくなった戦争は、二十年もの間続くこととなる。
長過ぎる戦いの最中、国境付近にあるゲレンの街は前線となりはしなかったものの、ターフェルの兵士に何度も襲われた。
その際に親や子、妻や恋人などを殺された者がいる。
兵士として駆り出された父や息子の、遺骨とすら再会できなかった者がいる。
ゲレンの街の者たちはエフデンの王侯貴族を恨んでいるが、それと同じくらい、ターフェルも憎んでいるのだ。
割り切るには、心の傷がまだ新し過ぎる。
多くの悲劇を生んだ戦争が幕を閉じたのは、たった二年前なのだから。
「いくらアズサさんのお願いだって、あたしは、ターフェルの人間がこの街にいるなんてごめんだよ!」
「金の髪なんて気持ちがわりぃよ。あいつらの緑の瞳、人間の色じゃねぇ」
「でもみなさん、相手は子どもですよ」
「関係ないね! うちの娘は……ターフェルの兵士にひどいことをされて、それを苦に死んじまったんだッ」
「親兄弟、殺された者もいる!」
「ターフェル人は、ターフェルに帰すべきだ!」
街の人々を集めた話し合いの場。
アズサの両側には、ブラムとフェナがそれぞれ座っている。
三人の背後にはクルトとガイが立っているが、剣は所持していない。
ミアとピムは屋敷にいて、仕事を終えた仲間たちが読み書きを教えている。ミアとピムは、文字が読めないようなのだ。ミアが言っていた絵本は文字通り「絵の本」で、文字は書かれていなかったらしい。
ターフェルとエフデンが使う言語は共通だ。世界に言語は一つしかなく、どの国も同じ言葉を使っていた。
エフデンにも、文字を読めない者は多く存在する。
ゲレンは教育水準が高く、住民は皆読み書きはできるし計算も可能だ。これはギルドが、大人も通える無料の学校を運営していることに起因する。
「みなさん。お話ししても、良いでしょうか」
静かだが、よく通る声。
アズサの声により、紛糾していた室内は徐々に静まっていく。
ここはゲレンの街中にある集会所。時間は、街の人々の仕事が終わる夕方。ギルドの職員も含め、街の大人はほぼ全てが集まっていた。
「私は元々、ゲレンの人間ではありません。ギルドの多くの職員たちもそうです。フランク先生は栗毛にヘーゼルの瞳ですが、ゲレンで暮らす私たちのために手を尽くしてくれています」
誰もが知る事実を告げたあとで、アズサは言う。想像してみて欲しいのだと。
「もしある日、エフデン王国の国土が滅び、人の住めない土地となった時、みなさんは逃げると思います。空気は汚染され、水は枯れて、食料は、見つかっても毒のある草花のみ。そして逃げる先は、ターフェルにしかありません。必死に、命からがら逃げた先でターフェルの人々は皆さんにこう言います。『戦争で、エフデンの兵士に恨みがある。家族を殺されたんだ。色の濃い髪も瞳も気持ちが悪い。化け物にやるものはない。エフデン人は、エフデンへ帰れ』と。その言葉を投げ付けた人の家族を殺したのは、皆さんではありません。そして、エフデンへ戻ることは不可能です。何故なら戻れば、死ぬしかないからです。……その時皆さんは、何を思うでしょう。どう、なるのでしょう」
言葉を切れば、途端にざわめきが広がっていく。口々に何かを言う者、想像している様子の者と、反応は様々だ。
アズサは再び、大きく息を吸ってから口を開く。
「皆さんの心の傷を抉る行為であることは、承知しています。本当に、ごめんなさい。でも私は、懐に入れた者は助けたい。これは私の我儘だと、自覚しています」
住民たちは口を噤み、アズサの顔にじっと視線を注いでいる。
「あの子たちは、生きることを望んでいるんです。生きたいから、ここまで来たんです。戦争が終わった二年前、ミアは六歳でした。ピムは、四歳でした。大人に翻弄されるしかない幼子に、何ができたでしょう。……どうかお願いします。今私が言ったことを、考えてみて欲しいのです」
意見も苦情も受け付けていることを伝え、この日の集会は解散となった。次回は、住民の意見を広く聞く場を設ける予定となっている。
「あの……」
皆が集会所の出口に向かう中、一人の青年が、アズサの前に立った。
「反省文読んだよ、シモン」
「あの、俺……こんな大事になるなんて、思ってなくて。これまでみたいに、他の街から流れてきた孤児を受け入れるぐらいにしか、考えてなかったんです。ここまでアズサさんに迷惑掛けることになるなんて……」
「商人として、勉強が足りないね。謹慎中に勉強した方が良いんじゃないかな」
「すみません……。そうします」
「話が終わりなら、私は行くね」
立ち上がって去ろうとしたアズサを、シモンは慌てて止める。
「俺、父親に……なれますかね?」
「子供ができたの? 女性とそういう行為をした結果なら、責任を果たすべきだと思うよ」
「いや! そうじゃないです! 恋人、いないですし。違くて、ミアとピムの父親に、俺、なりたいです」
「無理だと思うよ?」
「へ?」
ばっさりと切るようなアズサの言葉に、シモンは目を丸くした。
笑うでもなく、アズサは真面目な顔をしている。
「二人を引き取るとして、仕事は? 部署の異動を希望するの?」
シモンの所属部署は、流通部。多くの商品を各地へ運び、現地で交渉して買い付けを行ったり商品を捌いたりするのが仕事だ。ゲレンにいられる時間は、多くない。
「必要なら、そうします」
「シモンが仕事の間、あの子たちはどうするの? 学校は、シモンの仕事よりも早く終わるんだよ」
「なるべく早く、帰ります」
「無理だね。渡せない」
「どうしてですか? 俺、たくさん考えて――」
「この集会の意味、ちゃんと理解できていないんだもの。ターフェル人を引き取る意味を、理解できてない」
もう話は終わりだと、アズサは立ち上がる。
「ミアとピムが、シモンに会いたがってたよ。会いに来る? 夕飯まだなら、一緒に食べようか」
「いいんですか?」
「うん。それとね、あの子たちの父親に本当になりたいのなら、私を納得させてね」
「はい。もっと勉強して、色々、考えます」
屋敷へ帰ると、ミアとピムが飛び出してきた。
「おかえりなさい! あのね、ミアお姫様の絵本、読めるようになったんだよ!」
「ぼくも、見て見て! 名前が書けるんだ!」
「二人とも偉いね! すごい!」
アズサに抱き締められると、二人は嬉しそうに笑う。続いてクルトやブラム、フェナにも褒めてもらおうとして、もう一人いることに気が付いた。
「シモン?」
「久しぶり。少し会わなかっただけなのに、前より健康そうだなぁ」
「シモンだ!」
「あのね、シモンのおかげでね、怖いの終わったよ。ありがとう」
「ありがとう!」
「そっかぁ……良かった……」
泣きだしてしまったシモンに抱き締められ、ミアとピムは不思議そうな表情で、シモンの髪を撫でる。
ミアとピムは屋敷での生活をシモンに話して聞かせ、屋敷の住人が用意した夕飯を、シモンは感動と恐縮で忙しく表情を変えながら完食した。
夕飯の後でシモンと遊んでもらっている途中で、ミアとピムの瞼が眠気で閉じそうになるが、まだシモンと遊びたいと駄々をこねる。
「今日はおしまい。シモンが良いよって言ったら、また遊んでもらおうね」
アズサに言われ、ミアとピムの小さな手が、シモンの膝へと乗せられた。
「また来てね。ミア、次はもっとたくさんのご本を読めるようになるから」
「僕もまた、シモンと遊びたいな」
「……また、会いに来ても良いんですか?」
シモンから遠慮がちに問われ、アズサが頷く。
「いつでも、とは行かないけどね」
「ありがとうございます! ミア、ピム。また遊びに来るからな!」
ミアとピムは、玄関ホールでシモンを見送った。
クルトが扉を閉めて施錠する後ろ姿を眺めながら、幼い二人は大きなあくびを漏らす。
風呂は、アズサたちが帰ってくる前に済ませていたため、一階の洗面所で歯を磨いてから二階へ向かう。屋敷での生活で、歯磨きの習慣にもだいぶ慣れてきた。
姉弟の部屋は、アズサとクルトの向かい側の空き部屋が与えられている。
寝間着に着替えてベッドへ潜り込む。
眠気が限界だったのか、就寝の挨拶を交わすとすぐに、ミアもピムも目を閉じた。泣きぐずることなく寝入ったのを確認してから部屋を出て、扉を閉める。
ブラムとフェナは、既に自室へ引き上げていた。廊下に立つのは、アズサとクルトの、二人きり。
「私も、お風呂に入って寝ようかな」
「……最近、また疲れてないか?」
「んー……そうかも? 書庫でのあの時間に、癒やされてたんだなぁって実感する」
「いつでも付き合う」
「でも、書庫だと遠いから。あの子たちが落ち着くまで、なるべく近くにいてあげたい」
ミアとピムが来て以降、二人きりの時間はなくなってしまった。書庫での時間も、しばらく取れていない。
「眠れてるのか?」
「大丈夫だよ。クルトは?」
「俺はいつでもどこでも眠れる」
「えー? その割に、私あんまりクルトの寝顔って見たことないよ?」
「いつも、アズが先に寝るからな」
「クルトのそばにいると安心するんだよね」
「……寝付けなければ、呼ぶと良い。読書でも会話でも、好きなだけ付き合うから」
「うん。ありがとう」
静かな廊下。潜めた声での会話。
「それじゃあ……」
「あぁ。おやすみ、アズサ」
「おやすみ、クルト」
自室の鍵を開け、二人はそれぞれの部屋へ入る。
互いを想いつつも、変わらぬ距離のある日々を、過ごしていた。
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