第12話 微睡みの中で
優しい手が頭に触れ、撫でられた。良い香りがして、鼻から大きく、息を吸う。
「まま……」
すぐそこにあった膝へ擦り寄ると、とっても安心した。
なんだかすごく、怖くて嫌な夢を見ていた気がする。思い出したくなくて、慌てて目を擦る。
「ママ。ミア、怖い夢見た」
どんな夢? って声はなかったけど、温かい手がずっと、頭を撫でてくれている。
目を開けたくないのは、本能が拒絶しているからだと、ミアは気付かない。
「ミア、お腹空いたな」
緩んだ気持ちと表情で目を開けて、現実を見た。
目の前にいたのは母ではなく、顔に傷のある黒髪の女性。瞳も真っ黒でお人形さんみたいなのに、顔を走る傷痕が、少し怖い。
「おはよう、ミア」
「あ……。おはよう。ピムは?」
「先に起きてるよ。顔洗って、ご飯を食べよう」
「あ! 朝のお仕事、ある?」
「うん。まずは顔を洗って、着替えようね」
母じゃなかったことにがっかりした。だけどアズサがいて、ほっとした。
不思議な気持ちを抱えながら顔を洗い、口の中を変なブラシで磨かれた。
その後は、また着替えるらしい。絵本で見たお姫様のような、ふわふわ揺れるお洋服。アズサが髪の毛を可愛く結ってくれて、嬉しくてそわそわした。
「魔女って、本当にすごいお金持ちなのね」
大真面目にミアが言えば、アズサが楽しそうに笑った。
食堂という部屋へ連れて行かれるとピムがいた。すっかり仲良しになったみたいで、ピムはクルトにべったりくっついている。
ミアに気付くと、笑顔で駆け寄ってきた。
「おねえちゃん、おはよ。お姫さまみたいだね!」
ピムも、昨夜とは服が変わっていた。
昨夜会った人たちと、シモンに連れて行かれた先で会った怖いお兄さん、甘いお菓子をくれたお姉さんもいる。
長いテーブルにはご飯がたくさん!
ミアとピムのお腹が大きな音を立てて鳴った。
ピムはクルトの隣。ミアはピムの隣に座ったけど、アズサがいる場所は遠かった。
アズサが「いただきます」って言ったら、他の人たちも真似をした。
ミアとピムは顔を見合わせて、とりあえず真似っこ。
クルトを見上げたら微笑んでくれたから、正解だったみたい。
アズサは怖いお兄さんと何かを話している。お菓子のお姉さんも一緒だ。騎士のおじさんも。
「ミアちゃんどったのー? アズちゃんが遠くて寂しいのかな?」
ミアの隣は昨夜会ったお姉さんの中の一人。長い黒髪を一本に編んだ髪型をしてる。名前は、わからない。
「私はリニだよ。今日のご飯当番はフェナちんだったから、すっごく美味しい日なんだ。たくさん食べなね」
「食べて、良いの?」
「いいんだよー。スープは熱いから、気を付けるんだよ」
ピムの面倒はクルトが見てくれているから、ミアはスプーンを持ってスープをすくった。ほかほか湯気が立っている。
たくさん息を吹きかけて冷ましてから、パクンと食べた。
「おいしいっ」
何故か周りの人たちが嬉しそうに笑って、少し恥ずかしくなる。
「これも一緒に食べてごらん。スープに付けるのがエリーのオススメ!」
ミアの目の前に座っていたお姉さんが、ふわふわの食べ物を差し出してきた。言われた通りに食べてみると、すっごく美味しい!
あっという間に食べ終わってしまった。
「おいしかったね、おねえちゃん!」
「うん!」
ご飯が終わって、クルトにお仕事はないか聞いてみた。そしたら少し考えて、食器を洗えるか聞かれた。
たぶん、できると思う。
「ねぇクルト」
「どうした?」
「このお洋服を汚したら、魔女は怒るかなぁ?」
「怒らないが、せっかく可愛いのに汚れたらもったいないか。――マノン、子供用のエプロンってあったか?」
「お手伝いしたがるかなぁと思って、用意しておいたよ」
「助かる」
マノンっていうお姉さんは、のんびり優しい雰囲気。このお姉さんも髪の毛が黒いけど、あんまり長くはなくて、顎のところで切り揃えてある。
もう一人、エリーとはお友達になれそうな気がする。ふわふわ揺れる黒髪に黄色いリボンがとっても可愛い。
リニとマノンとエリ―はお揃いのお洋服を着ているから、仲良しなんだろうな。
椅子の上に立って、マノンと一緒にあわあわで食器をこすった。エリーが水で泡を流して、リニが水気を拭いている。
優しそうなお兄さんが、棚へ食器を片付けてくれた。
ピムはその間、クルトと、名前のわからない別のお兄さんに遊んでもらっていた。
お城には人がたくさんいるみたい。
「ピムがさっき遊んでもらってたお兄さんは、だぁれ?」
食器洗いのお仕事が終わった後で、クルトに聞いてみた。
「イーフォだ。食器を片付けていたのは、ハルム」
「イーフォはクルトのお友達?」
「よくわかったな」
「だって、ご飯の時もさっきも、仲良しだったから」
「ミアは、周りをよく見ているんだな」
頭を撫でてもらえて、どうして褒められたのかはよくわからなかったけど、なんだか嬉しかった。
昨夜寝たお部屋で、クルトが絵本を読んでくれる。
パパみたいに下手っぴで、泣きそうになる。でもミアが泣いたらピムも悲しくなるから、我慢した。
そしたら何故か、クルトの大きな手が頭を撫でてくれて、また泣きそうになっちゃう。
「待たせてごめんね。絵本読んでるの?」
食堂の方からアズサが来て、泣きそうになってるミアに気付くと微笑んだ。
アズサはママに似てないのに、ママみたいで、嫌だな。
「ミア。今日はね、お家でゆっくりお休みしようと思うの。二人の体は疲れてるはずだから。眠かったら寝て良いのよ。元気になってから街にお散歩へ行こうかなって思うんだけど、どうかな?」
「ミアは元気だよ」
「ならまずは、お昼ご飯の時間までご本を読んで、その後で考えようか」
「わかった。みんな、お仕事に行ったでしょう? クルトとアズサは、お仕事いいの? ミアはピムと、お留守番できるよ」
「私たちはお休みの日なの。だから、ミアとピムと一緒に遊べるよ」
絵本を読んだり、お絵描きをしたりした。
ピムが眠いって泣きだして、アズサに抱っこされる。なんだかピムが、赤ちゃんに戻っちゃったみたい。
ソファに座ったアズサがピムを膝に乗せて、歌を歌う。
夜にも聞いたなって、思った。
あくびが出て、クルトに見られた。優しい顔のクルトに抱っこされて、クルトはアズサの隣に座る。ピムは、もうほとんど目が閉じていた。
また一つあくびが出て、今度はアズサに見られた。
アズサの左手が伸びてきて、クルトに抱っこされたままのミアの膝を、トン、トンって優しく叩く。右手はピムの背中でおんなじ動き。
あぁもう本当にママみたい。
アズサが、魔女なのかな……。
いつの間にか瞼がくっついて、ふわふわの夢の中へと入っていった。
※
子どもたちが寝入ったことを確認すると、クルトがあくびを噛み殺す。涙の浮いた目でアズサを見て、文句を口にした。
「アズの歌って、どうしてこんなに眠くなるんだ?」
「寝かせるための歌だからだよ。子どもたち、そこの布団に寝かせよう」
他の住人たちが作った寝床は片付いているが、ミアとピム用の寝床はそのままにしてある。
クルトが立ち上がり、ミアを布団へ寝かせてから、アズサの膝の上のピムをそっと抱き上げミアの隣へ寝かせた。
静かな吐息をこぼし、ソファへ並んで座った二人は、幼い寝顔を眺める。
「仕事、大丈夫なのか?」
「あとで、フェナが書類を運んでくれることになってるの」
「……こいつらは、エフデンとターフェルの戦争のことなんて、わかってないんだよな」
「昨日は街の人たち、ただただびっくりしてたよね。どっちに驚いたのかな?」
「どっち?」
「アズサはいつ子どもを産んだんだ? か、クルトはどこから子どもを攫ってきたんだ? の、どっち」
「何故、俺の印象が悪いんだ」
軽やかな声でアズサが笑い、クルトも、表情を緩めた。
「これから街の人たちと、時間を掛けて、たくさん話をしないとならない。大人だけじゃなく、子どもたちとも。できれば、ミアとピムの体が回復して出歩けるようになった時、あからさまな悪意が向けられないようになるのが理想だけど……」
「生きてる上で、傷付かないなんて有り得ないけどな」
「うん」
「笑顔は奪いたく、ないよな」
「……うん」
アズサが肩に寄りかかっても、クルトは何も言わなかった。
いつの間にかアズサも寝息を立て始め、クルトは手を伸ばして近くに置いていた本を取る。
三人の寝息を聞きながら、クルトは読書で、時間を潰していた。
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