第10話 魔女は孤児を集め、労働力にしているらしいです
書庫でブラムの報告を聞くアズサの顔が険しくなって行く様を、クルトは黙って見守った。
「……やるべきことを怠ったのだから、処罰は必要ね」
ため息をこぼし、アズサは目を閉じる。
「ただの減給……よりも、出勤停止の方が効果があるかな。十五日間の出勤停止、その間給与はなしとする。他の者たちにも積荷の確認を徹底するよう、再度通達が必要だね。これ、私が直接出た方が良さそう?」
目を開けたアズサに視線を向けられ、ブラムは首を横に振る。全て、ブラムの方で対処するとのことだ。
「その職員が、わざと見逃した可能性は?」
「ない、とは言い切れない」
「そうよね。私だってきっと、わざと見逃すわ」
長いため息を吐き出して、アズサは片手で額を押さえた。頭痛がする、といった表情だ。
「だけど、きっとこれからこういうことはどんどん増えると思うの。私は博愛主義者ではないし、ギルドも慈善団体ではない。ましてや他国の人間なんて国際問題よ。――情報部は?」
「コーバスに動くよう指示した。奴隷印はないが、念の為確認に職員を向かわせるつもりだ」
「同行していた護衛の方は?」
「自警団の領分だから、ガイに任せてある」
「そう。それなら私は――」
アズサが立ち上がろうとする気配を察し、クルトも腰を上げた。休日でも剣は持ってきている。護衛の仕事はすぐにでも可能だ。
「小さな不法入国者に、会いに行こうかな」
そう言ったアズサの顔には、深い愁いが、浮かんでいた。
ギルド本部の建物に徒歩で向かい、使うのは職員用の出入り口。
廊下の奥には夜間使用する裏口と階段があり、階段は、二階と地下へと続いている。
廊下の片側は自警団の訓練場に面した窓となっていて、窓の反対側は、ギルドの職員たちの仕事場となっている。
受付と待合室は、その部屋を横切り廊下とは反対側の、壁で隔てた向こう側にある。
アズサたちが廊下を進んでいると、一人の青年が飛び出してきた。クルトがアズサの前に出て、左手で剣の鞘に触れる。
先頭を歩いていたブラムも、無言でアズサの隣へ並んだ。
「アズサさん、あのっ」
クルトの背後にいるアズサへ、青年は話し掛ける。
「あの子たち、両親を亡くしてて、親戚もいなくて、誰も助けてくれなくて……。それで俺、きっと助けてくれるよって、あの子たちに約束したんです」
「……シモン」
アズサが静かな声で、青年の名を呼んだ。
口を噤んだ青年は、期待の眼差しをアズサへ向ける。
アズサはにっこり、いつもと同じ笑みを浮かべた。
「父親となって、責任を負うつもりなのね?」
「え? いや、俺は」
「私に、あなたが拾った命の責任を取れと言うの?」
「あの……だって、俺たちを、助けてくれたじゃないですか」
「それは私が自分の意志で、責任を負う覚悟で取った行動だよ。ねぇ、シモン」
「……はい」
「君の行動は、一人の人間としては、立派だね。だけど、ギルドに所属する職員としては不正解だよ。不法入国者
アズサが一歩前に出て、手を伸ばす。
視線をそらそうとした青年の頬へ右手を伸ばし、そっと、顔を自分へ向けさせる。
「荷物に紛れていたことは気付かなかった。気付いたのはゲレンに着いてから。――そう、報告したそうね?」
青年の顔から、さぁっと血の気が引いた。
「何故、ブラムに虚偽の報告をしたのかしら? やってはならないことをしたと、自覚があったからよね?」
笑顔を消して、アズサはシモンを見上げていた。
シモンの方が身長は高いのに、まるでアズサが高い位置にいて、彼女から見下ろされているかのような錯覚を覚える。
シモンは完全に、萎縮していた。
職員たちは皆仕事の手を止め、注目しているようだ。
受付だけが稼働している音が、壁の向こうから微かに漏れ聞こえる。
「シモン。君を十五日間の出勤停止とする。今日の仕事は全て終わらせなさい。ブラムから呼び出しが掛かるから、それまで帰宅は許さない」
「アズサさん、あの……」
「何かな?」
「ごめん、なさい」
「謝罪が欲しいわけじゃない。自分がしたことについて、よく考えて欲しいの。上司への虚偽報告に関しては、反省文の提出を命じます。私が知りたいのは、シモンの考え。それを理解した上で書きなさい。これはギルドマスターからの命令です」
了承の返事をしたシモンを解放して、アズサはくるりと体の向きを変える。注目していた職員たちへ視線を向けて、感情を消した微笑を浮かべた。
「この処分に不服申立てがあれば受け付ける。良い機会だ。みんなも、考えてみて欲しい」
階段へ向かって歩きだしたアズサの後を、剣から手を離したクルトと、表情を変えないブラムが追い掛けた。
一階からは見えない階段の踊り場で、アズサが微かな吐息をこぼす。ブラムがアズサの背中を叩き、クルトは無言で、二人の後ろ姿を見つめていた。
「フランク先生へ連絡は?」
「済んでいる。いつでも構わないと、返答をもらった」
「ありがとう。助かる」
三人が向かったのは、二階にある応接室。
ブラムが扉を叩き、フェナの声が「どうぞ」と答えた。
扉の先にいたのは幼い女の子と男の子。金の髪に緑の瞳は、エフデンが長らく戦争をしていた隣国ターフェルの民の特徴だ。
姉と弟なのだと、ブラムがアズサへ報告する。
「あなたが、
隣に座っている弟を抱き締め、女の子がアズサへ問い掛けた。弟の方は手にしていた焼き菓子を慌てて口の中へ押し込め、姉の胸元へ顔を埋める。
「私は、アズサ。あなたの名前は?」
「ミア。この子は弟のピムよ。アズサは魔女なの? ミアに、仕事をくれる?」
「残念だけど、ゲレンでは十三になるまで就労を禁じているの。ミアは……六つ? それとも七つかしら?」
「……八歳。ピムは六歳なの。でも……ミアがお金を稼がないと、お母さんとお父さんみたいに、ピムがしんじゃうっ」
ピムの隣に座っていたフェナが手を伸ばし、泣きだしてしまいそうなミアの背中を擦る。
「
「それなら、最初のお仕事をあげる」
アズサが静かに微笑み、ミアへと一歩、近付いた。
ミアが、弟を抱き締める両手へ力を込める。
「アズサは、そのお顔の怪我、どうしたの? 兵隊さんにやられたの?」
「これはね、大切な人を守った証なの。この傷は、私の誇りなんだ」
「ミアもね、ピムを守って蹴られた。でも泣かなかったよ!」
誇らしげに服をまくり上げたミアの痩せ細った腹部には、治りかけの黄色い痣があった。
フェナがぐっと奥歯を噛んで、ミアの髪を撫でる。
ミアとピムが孤児のわりに小綺麗なのは、恐らくシモンが風呂に入れて服を買い与えたからだろう。
アズサはミアの前で膝を曲げて屈み、緑の瞳を覗き込んだ。
「最初のお仕事はね、お医者さんへ行くことよ。お仕事するには元気じゃないといけないから」
「でも……ミア、お薬のお金、ないよ」
「大丈夫。シモンが払うもの」
「そうなの? あのね、シモン、ここに来るまでにもご飯をくれてね、お洋服もくれたの。最初にくれたスープ、とってもおいしかったなぁ」
「シモンは二人に優しくしてくれたのね?」
「うん! 魔女は絶対助けてくれるって、言ってた!」
アズサは無言で微笑んだ。
シモンが治療費を払うというのは、冗談だ。突然出てきたアズサが払うというよりも、シモンの名を出した方が受け入れやすいだろうと考え、そう告げた。
「少し遠いから抱っこして行きたいんだけど、私一人じゃ無理だから、あのお兄さんに手伝ってもらっても大丈夫かな?」
アズサがクルトを視線で示すと、ミアとピムが、怯えた様子を見せる。
「兵隊さん?」
「違うよ。お姉ちゃんをいつも守ってくれる、騎士様なの」
「騎士って……お姫様を守る? アズサはお姫様だったのね!」
瞳を輝かせたミアの頭を撫で、アズサはピムを抱き上げた。名残り惜しそうにテーブルの上のお菓子を見ていたから、頬を撫でながら「あとでもっと美味しい物を食べさせてあげるね」と、アズサは約束する。
「……可愛いお嬢さん。あなたに触れても良いですか?」
クルトがミアの前で膝を付き、抱き上げる許可を求めた。
ぽっと頬を染めたミアはか細い声で「はい」と答える。
「ブラム、フェナ。後のことはお願い」
二人分の返事を背中で聞きながら、男の子を腕に抱いたアズサは、ミアを抱くクルトを伴い応接室を後にした。
フランクの診察の結果、栄養失調ではあるものの病気や怪我は見当たらないとのことだった。
ミアの腹部の痣も骨や内臓に影響はなく、消炎鎮痛効果のある軟膏が処方された。
「あの髪と瞳。ゲレンの孤児院は、難しいかもしれないね」
フランクの言葉に、アズサは無言で同意する。
ミアとピムの二人は今、別室でクルトと看護師が相手をしている。子どもたちを連れて帰ろうとしたところをフランクに呼び止められ、アズサ一人が、診察室に残った。
少し話をしようと柔和な笑みの医者はアズサへ告げて、最初の言葉で、ターフェル人の子どもがゲレンで生きることの難しさを指摘する。
「疑いたくはないけど、間諜という可能性もある」
「それも含めて、確認に向かってもらったよ」
魔女が孤児を集めている――事実は少し違うが、自警団を含めたギルドの職員たちの多くは、ゲレンやゲレン周辺の街から集まった元孤児だ。それは、戦争でそれだけ多くの子どもたちが親を失ったのだということに他ならない。
隣国の何者かが魔女の噂を信じたのなら、幼い子どもを利用してゲレンを探ろうとするのも、考えられることだった。
ミアとピムの両親は本当に亡くなっているのか。
二人は本当に姉弟なのか。
多くの命の責任を負う者として、確認すべきことが多くある。
「シモンの行動は、本当に困ったものだ。彼は、ターフェルへ負の感情を持っていないんだね」
「だからこそのターフェル担当者だったのよ」
「自分の過去と重ねたのだろうけど、ゲレンの街の人々の反応は、考えなかったのかな」
アズサは無言で両手の平に額を乗せ、深く重たく、長い息を吐き出した。
「頭痛? それとも胃かな?」
「……両方」
「可哀想に。全て捨てて、逃げ出してしまったら?」
「私ができないと知ってて言うんだから。フランク先生って、結構意地悪よね」
鼻から空気を通すようにして笑い、フランクは、アズサの頭を片手で抱き寄せる。
「可愛いお姫様。僕は君が、心配なんだよ」
「姫なんて、綺麗な存在じゃないもの」
「姫というものが、綺麗な存在とも限らない」
それもそうねと言って、アズサの唇の端が微かに持ち上がる。
「……たまに、本当にたまになんだけどね。逃げてしまいたくなることも、あるよ」
「胃の痛みを和らげる薬は、いるかい?」
「いらない。すぐに収まるから。……フランク先生って、お母さんみたいで安心する」
「せめて父親にしてくれないかな」
一度大きく深呼吸をしてから、アズサはフランクの腕から抜け出した。
立ち上がった彼女の顔には、いつもと変わらない凛とした表情が浮かんでいる。
「孤児院の仲間に加えるにしても、里親を探すにしても……難航するんだろうなぁ」
「しばらくは、君とクルトの子連れ姿が見られるんだね」
「ミアとピムを守るためには、必要なことだから」
「僕にとっては孫になるのかな? なんだかそわそわしてしまうな」
「ママ? 孫に勝手にお菓子を与えたりしないでね」
「では、オモチャにしておこうかな」
気安い雰囲気で言い合って、二人の視線が絡む。
「良き風となるよう、祈っているよ」
「ありがとう」
数年前まで敵だった国の子どもたちのもとへ戻るアズサの背中を見送って、フランクも、己の仕事へと戻った。
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