第2章 お仕事とトラブルと

第8話 お貴族様に、会いましょう

 魔女への面会は、夜にのみ許される。


 直接連絡を取る手段は存在しない。

 ギルドを介さない依頼は通らない。というよりも、ギルドの一部の人間以外、誰も魔女の居所を知らないのだ。

 ギルドへ面会を申し込んだとしても必ず会えるわけではなく、面会の許可が下りた場合も、護衛の同行は許されない。

 名ばかりが広まり、謎に包まれた叡智えいちの魔女。その姿を拝むことが許されれば、成功が約束されるといわれている。


 魔女は妖艶な、男を惑わす女の姿をしているらしい。

 それ意外の情報が流れないのは、会った者が皆、魔女から得た知識を独占しようとするからだ。

 ギルドに目を付けられることも、恐れている。

 いつの間にやらエフデン王国の商業に深く食い込んでいたギルドは、ただの商人の集まりではない。統率された、武力を有した集団だ。

 ギルドの人間に手を出せば、恐ろしい報復が待っている。

 これらは全て噂の域を出ない情報だが、エフデンの国民の大部分は、かつての地獄――ゲレンの住民を恐れていた。無法地帯で生き残った彼らに常識が通じるとは、思えないからだ。


 ゲレンの名ばかりの領主であるマンフレット・キービッツは、イライラしながら人の流れを睥睨する。


 真新しい建物には絶え間なく人が訪れ、受付で何やら会話をしては、去って行ったり、マンフレットのように待合スペースの椅子へ腰掛けたりと様々な動きを見せる。

 平民と同じ空気を吸うのも耐え難いというのに、受付の小娘にキービッツ領主で伯爵だと名乗ったにも関わらず、待たされている。

 その時の会話も腹立たしいものだった。


「キービッツ伯爵ですね。本日はどのようなご用件でしょう?」


 叡智えいちの魔女に会わせろと告げれば受付嬢は眉一つ動かさず「事前のお約束はございますか?」とぬかしたのだ。

 その場で怒鳴り散らしてやろうかとも思ったが、なんとか堪えたのが三十分ほど前の出来事。何度か催促したものの、更に苛立ちが募っただけだった。


「事前のお約束がある方を優先し、順番に処理をしております。もし本日お時間がないようでしたら、本日は日時指定のお約束のみを承りまして、お約束の日時に再度いらしていただく方法もお選びいただけますが、いかがいたしましょう」

「そうすれば、すぐに魔女に会えるのか?」

「その件に関しましては、お約束はできかねます」

「では何のために私は待たされているのだ!」

「担当の者との面会のため、お待ちいただいております」

「何故そいつはすぐに来ない! 領主が来たと伝えたのか!」

「大変申し訳ございませんが、ギルドでは身分による優劣は付けておりません。担当者は専属ではございませんので、事前のお約束がない場合、すぐにお会いすることは難しいかと存じます」

「お前、リニと言うのか。覚えたからな」


 長い黒髪を緩く一本に編んだ受付嬢は、静かな笑みを保ったまま「困りましたね」と呟いた。


「キービッツ伯爵様は私どもと敵対するご意思有り、ということで宜しいでしょうか?」

「ふざけるな、何を言っている!」

「大変恐れ入りますが、最終勧告とさせていただきます」

「何だそれはッ」

「私ども職員には、身を守る権利が与えられております。私個人へ脅し、侮蔑の言葉を掛けられた場合にも、権利の行使は許可されております。誠に遺憾ながら、先ほどのお言葉は」

「わかった! 待てば良いのだろう!」


 そういった経緯があり、黙って待つことにしたのだ。


 初めは人を送りゲレンの街を探らせていたのだが、魔女に関する情報は何も得られないまま時が過ぎた。

 それならばと使いの者をギルドへ送ったが、代理人との面会はしないと追い返されてしまった。

 ゲレンへ私兵でも送ってやろうかとも考えたが、それでは意味がないと考え直してここまで来てやったのだ。これで魔女が存在しなければどうしてくれようかと、マンフレットは奥歯を噛み締める。


 ようやっと名を呼ばれ、通された部屋には三人の男が待っていた。担当者というのは、真ん中にいる若い男のようだ。

 黒髪黒目という、エフデンで暮らす人間の一般的な色を持ち、見慣れぬ衣装をまとった三人。両脇は護衛だろうか。マンフレットも護衛を連れているから、まぁ良いだろうと考える。


「貴殿がギルドマスターとやらか?」


 魔女へと繋がる担当者だ。恐らくこの男がギルドの責任者だろうと思ったのだが、返ってきたのは想定外の言葉。


「マスターは、外部の人間には会いません。魔女への面会をご希望と伺いました。まずは要件をお聞かせ願いたい。内容次第では、お断りさせていただくこともあります」


 脚を組み、偉そうな物言いをする男だった。

 受付嬢とのやり取りで既に疲れていたマンフレットは、ため息と共に吐き出す。


「ゲレンの街の今後について、話がある」


 捨て置いていた街が、いつの間にやら金が湧き出る泉に変貌していた。元は自分の物だ。返してもらおうと、マンフレットは意地汚さを内に隠し、優雅な笑みを浮かべた。


 魔女の存在は、単なる舞台装置だ。


 ゲレンの街を運営しているのはギルドで、マンフレットの目の前に座る男とギルドマスターが全ての決定権を握っている。

 平民を交渉相手だと考えない愚かな思考回路を利用され己が誘導されているとも気付かず、マンフレットは全てが自分の思い通りに事が運ぶのだと、信じて疑っていなかった。



 夜の帳が下りる頃、再びギルドを訪れたマンフレットは護衛と離され、地下へと連れて行かれた。

 目隠しをしろと言われて拒絶しようとしたが、応じない場合は帰っても構わないと言われ、渋々従う。

 見えない中で乗り物へ乗せられて、風を感じた。耳に届いたのは、金属同士が擦れ合うような騒々しい物音。

 乗り物が止まった後は手を引かれながら階段を上らされ、目隠しが外された。

 そこは、窓のない廊下だった。

 前を歩く案内人の男が持つランタンの灯りだけを頼りに先へ進む。この案内人は確か、昼間、いけ好かない男の脇に立っていた護衛の一人だ。

 飾り気のない扉の前で足を止め、案内の男は五回、扉を叩いた。


「どうぞ」


 扉越しに聞こえたのは、低い女の声だった。

 何か、甘い香りがする。

 いよいよかと、今日一日の疲労感に襲われながら、マンフレットはごくりと唾を飲み込んだ。

 開かれた扉の先も、薄暗い。だが相手の姿を視認できる程度の光源があり、中にいた三つの人影を見て、ゾッとした。

 室内へ視線を走らせつつ、勧められた椅子へと腰を下ろす。質が良く、座り心地は悪くない。


 背後で扉が閉まる音がして、取り残されたような恐怖が、ひたひたと足元から這い上がってくるようだった。


「まるで、幽霊を前にしたような顔をしているな?」


 喉の奥で笑うような音がして、室内の空気が微かに揺れる。

 目の前の女は確かに妖艶で、魔女という得体の知れない呼び名がよく似合う存在だった。

 暗闇の中白く浮き上がるような双丘は男を惑わすために存在し、踵の高い漆黒の靴に包まれた足元は、頬擦りしたくなるほどの美しさ。細い足首からなだらかな曲線が、誘うようにそこにある。

 頭部は漆黒に包まれ見えないが、恐らくそこには、この世の美を集めたような顔があるに違いない。


 カチリと、金属の音がした。


 女の背後にある二つの人影に命があることを認識して、血の気が引く。

 何という不気味な見た目だろうか。全身黒尽くめなのに、手にした槍の刃は鋭利な光を放っている。


 女が動き、頬杖を付いた。


 衣擦れの音を聞いて、マンフレットは焦る。

 何かを言わなければならない。

 この女の声を聞くために、喜ばせるための何かが必要だ。


「拝謁賜り、恐悦至極。お美しき魔女殿……花束一つなく、申し訳ないことをした。貴殿がかように美しいとは夢にも思わず」

「ほぉ……。花の代わりに、貴殿は何をくれるのかな?」


 貴女の望むものを全て――口から滑り出しそうになった言葉を、慌てて飲み込む。


「魔女殿が今お持ちのものは全て、元は私の持ち物でした」

「捨て置かれていたものを、愛でたのだ」

「この土地も、民も、元はエフデン王より賜りし国の宝――」

「マンフレット・キービッツ」


 女の声でゆっくり名を紡がれ、思わず口を閉じた。

 何なのだと、マンフレットは心の内で問う。この女は――魔女は、人を従わせることに慣れ過ぎている。雰囲気も声も、不思議と服従欲が掻き立てられる。


「この土地も、民も、元は私のものだった」

「何を、おっしゃいますか魔女殿……」

「宝と言ったな?」

「はい。申し上げましたが……」

「領主の務めを言うてみよ」

「それは、領民を導き…………」


 汗が、こめかみを滑り落ちる。胸元からハンカチを取り出し、慌てて拭う。


「貴殿を見てきたぞ。……権利を享受するための義務を、怠ったな」

「……申し訳、ございません」


 何故謝ってしまったのか、己でもわからなかった。ただ、この女の怒りを買えば破滅すると、本能が警鐘を鳴らす。


「では、貴殿が持ち込んだ本題を話し合おうか」


 その後の会話は、まるで一国の王と相対しているかのような、重苦しい時間となった。


   ※


 明るい衣装室へたどり着き、アズサは倒れるように、ソファへ座り込む。


「大丈夫か?」


 カラス型の仮面を外したクルトがソファの前で膝を付き、心配そうにアズサを見つめている。

 仮面をソファの座面へ放ってから伸ばされたクルトの両手は、アズサのフードを脱がせ、後頭部のリボンを解いた。布の奥から現れたアズサの顔には、濃い疲労が浮かんでいる。

 魔女の時だけ施す化粧は、アズサから愛らしさを奪い、美しい女へと変貌させていた。

 顔に走る傷痕すら美しいと思ってしまうのは、惚れた弱みか、はたまた罪の意識からの逃避が起こす何かなのか……クルトには、わからない。


「いやぁ……すげぇな。鳥肌立ったわ」


 言いながらガイは衣装を脱ぎ、クローゼットへ収納する。


「エフデンの法律は調べ尽くしたから、この書類は有効だよ。もし王立裁判に掛けられても、勝つ確率は高い。……まっとうな方法でやりあえば、だけど」


 この書類、と指差された物は、アズサの胸の谷間に挟まっていた。


「どうしてそんな場所にっ」


 クルトの上擦った声に、アズサは笑う。


「大事な物だから」

「普通に持てば良いだろう!」

「一度やってみたかったんだもの」


 着替えてこよう、と言って、怒られる前にアズサは逃げ出した。

 衝立の向こうから衣擦れの音が聞こえる。

 ため息をこぼして立ち上がり、クルトも衣装を脱いで片付けた。


「なぁんか嬢ちゃんって、魔女の時はやたらエロいよな」

「エロいとか言うな!」

「真っ赤になっちゃって~。鼻血出すなよ?」

「出さねぇよッ」


 クルトがガイにからかわれている間に着替えを終えて、衝立の向こうからアズサが出てきた。


「書類は?」

「ん? あるよ、ここに」

「脱ぐなッ」


 胸元のリボンを解こうとしたアズサの手首をつかんで止めて、クルトは頭を抱えたい気持ちで重たい息を吐き出す。この後はブラムに会う予定なのにどうやって取り出すつもりなのかは、考えないようにした。


「んじゃ、帰るかね!」


 ガイの明るい声に頷きを返し、三人は地下から書庫へと上がる。

 書庫では、腕を組んだブラムが待っていた。


「どうだった?」

「お見事、としか言いようがないね。ほーんと、恐ろしいお嬢ちゃんだよ」


 ガイが苦笑と共に答えて、ブラムはアズサに手を差し出す。書類を見せろという意図を察して、アズサは固まった。


「あのね……」

「どうした?」

「ちょっと、待っててね」


 素早く背後へ隠れたアズサがすることに気付き、クルトは正面を向いて壁の役割に徹する。

 ブラムは訝しげにクルトを見つめ、ガイは、笑いを堪えている。


「クルト、クルト」

「なんだよ」

「ちょっとの間で良いから、これ、両手で挟んでくれる?」

「いや、おま――」


 確実に温もりが残っているだろう四つ折りの紙。だがそれを直接ブラムに渡すことはどうしても許せなくて、クルトはパチリと手のひらで挟む。


「さっきから何をしているんだ?」


 ブラムの質問で堪えきれなくなり、ガイが噴き出して笑った。

 盛大な笑い声は夜の静けさを引き裂き、事情を聞いたブラムが上げた怒りの声は、屋敷の住人たちを集める事態となったのだった。

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