第4話 師匠と弟子と、隠した心

 元々知恵の魔女というものは、孤児たちを養う金を手に入れるためにアズサが始めたものだった。幼い容姿を大きな布で覆い隠し、魔女の知恵を売っていたのだ。

 そうする内に段々と、ゲレンの街の者たちは知恵の魔女を頼りにするようになっていった。


 ギルドという名の組織を作ったのは、十年前。仲間が大所帯となり、統制を取るため必要だったからだ。

 ゴロツキたちは最初邪魔ばかりしていたが、ギルド創設より少し前から、孤児たちには強い大人の味方ができていた。元王国騎士だという若者が、クルトを含めた腕っぷしに自信のある者たちに戦闘訓練を施してくれたおかげで、ゴロツキなど敵ではなくなった。


 ギルドの本部がある敷地の一角、広場となったそこは、ギルド独自の自警団の訓練場となっている。

 少年たちが剣を打ち合い、元ゴロツキの現自警団メンバーが指導して回る。腕を組んでそれを見守っていた体格の良い男が、クルトに気が付き首を傾げた。


「どうしたクルト? お前が嬢ちゃんのそばから離れるなんて、珍しいこともあるもんだ」


 短く刈られた黒髪に濃い青の瞳、精悍な顔付きをした彼はクルトの師であり、自警団を取り仕切っている人物だ。


「……マスター命令。ガイを手伝えって」

「あ~……叡智えいちの魔女のせいか。やっぱそうなるよな」

「可能性が少しでもあれば、放置するような奴じゃない」

「まぁな。コーバスのガキンチョは、反省したか?」

「多分後で、ブラムとヨスからも話をすると思う。コーバスは、二人の言うことには逆らわない」

「命の恩人だっけか。そんで、嬢ちゃんのことは神聖視していると」


 クルトとガイは、同時にため息をこぼした。


「ここに集まった連中もそうだ。魔女じゃなく、アズサの力になりたいと望んで集まった奴らだ。目指す先が決まってると、成長が早い。守るべき対象の光が強ければ強いほど、結束は強固になる」

「気持ちはわかるよ。だけどアズサは……弱い、普通の女の子なんだ」


 ガイの手が持ち上げられ、クルトの黒髪をくしゃりと撫でる。


「今はもう、お前だけかもしれないな。あの子をそういう風に見てやれるのは」

「ガイは、違うのかよ」

「俺は……忠義を尽くすべき相手だと思っちまってるからなぁ」

「騎士、やめたんだろ?」

「……なんとなく気が向いて、王都を飛び出して行った友人を訪ねただけだったんだけどなぁ。地獄の中に光があるとは、思わなかったよ」


 クルトの頭から手を離し、いつも飄々としているガイが浮かべたのは、過去に想いを馳せるような表情。


「お前以外にも一人いたか。フランクが」


 ガイの古い友人だという男の名を聞き、クルトはゆるゆると首を横に振る。


「あの人は医者として、みんなを平等に見てるだけだ」

「まぁ、あいつは医者で、現実主義者だからな」


 雑談はそこまで。師匠と弟子は足を踏み出し、新人たちの指導へと向かった。



 日が完全に落ちきる前に訓練を終え、クルトは部下たちと共に訓練場に併設されたシャワー室で汗を流し、訓練着から普段着へと着替えた。

 このシャワー室も、アズサの考案だ。職人たちと試行錯誤しながら作り上げていた。

 地獄と化したゲレンの街には元々の住人も多く残っていたが、彼らは現状を変える力もなく燻っていたのだ。アズサが「知恵の魔女」として貴族相手に稼いだ金は、彼らに職を与えることにも使われた。

 ギルドの本部や、仲間たちで暮らす屋敷に、魔女の館。これらは全て、ゲレンの職人たちの手により建てられた物だ。


「おかえり、クルト」


 執務室に戻ると、真っ先にクルトに気が付いたのはフェナだった。

 ただいまと返した後で室内をぐるりと見回し、クルトは首を傾げる。


「リュドと、ヨスは? 戻ってないのか?」

「一度戻ったが、違う仕事を頼まれてまた出ている。終わったら屋敷の方へ直接帰るようだ」


 ブラムから返された答えに一つ頷き、室内を横切り奥の部屋へと向かう。

 執務室内にある机は五つ。コーバスもいなくなっていた。


 扉が開け放たれた奥の部屋を覗くと、アズサが執務机で報告書を読んでいる所だった。「戻った」と告げれば「おかえり」という素っ気ない返事。

 アズサが考え事をしている時はいつもそんなものだから、気にせずクルトは己の定位置である入口付近の席へ腰掛ける。普段はクルトが処理する書類が机に積まれているのだが、今日は何もない。アズサかフェナが代わりに処理してくれたのだろう。


 手持ち無沙汰で、クルトはアズサを観察する。


 エフデン王国の民には黒髪が多く平凡な色ではあるが、アズサの胸元まで伸びた髪は触り心地が良い。漆黒の瞳も、よくある色。クルトの青い瞳の方が珍しい。

 白い頬は触ると滑らかで、いつまでも触れていたくなる。耳と鼻は小さく、薄紅色の唇が柔らかなことを、クルトは知っていた。


 そして、愛らしい顔に走る傷痕はクルトの――罪の証。


 整った眉が顰められ、アズサの疲労が窺えた。


「アズ」

「んー?」

「もう暗い。フェナとブラムも、仕事を終えたようだ」

「もうそんな時間?」


 置き時計に目を向けてから、両手を上げてアズサが大きく体を伸ばす。


「帰ろうか」


 アズサの笑みに頷きを返し、クルトは立ち上がった。

 執務室の戸締まりを確認してから、四人は連れ立って階段を降りる。

 ギルド本部の二階は執務スペースになっていて、一階には受付と待合室と他の職員の仕事場などがある。昼間は多くの人間が溢れているそこに、今は誰もいない。受付はとうに終了し、職員も客も家へと帰っていた。

 裏口へ回り、夜間の守衛担当者に挨拶してから、建物を出る。

 仲間たちと暮らす屋敷は、ギルド本部から五分も掛からない場所にある。家を失った仲間のためにアズサが作ってくれた、帰る場所。皆で作り上げた大切な家だ。


「クルトはお腹空いてるでしょ? 何か食べておいで」

「アズサは?」

「私は、昼間パン食べ過ぎたからいらない。お風呂入ってくる」


 あくびを噛み殺しながら、アズサは告げた。フェナも共に大浴場へ向かうようだ。この時間なら皆が順に入るから、湯が張られているだろう。

 クルトがブラムと連れ立って向かった食堂は、人の柔らかな話し声が満ちていた。

 夕飯は、各々好きな物を作って食べる。誰かの気が向けば、大量に作った物を残しておいてくれる。この日は、ギルドの受付を担当している三人娘が、寸胴に煮込み料理を作ってくれたようだ。

 残り少なくなった料理を皿によそり、常備されているパンの塊から食べる量だけスライスしたものを持ってキッチンを出る。

 それぞれ友人に呼ばれ、クルトはブラムと別れた。

 ブラムは年長組で、ヨスやリュドと共に行動することが多い。コーバスも、そこに加わっている。

 クルトは年少組。友人と共に、後から仲間へ加わった。生き抜くため、友人と二人で盗みを繰り返していた過去がある。


「おつかれ、クルト」

「おぅ。イーフォ、お前酒飲んでるのか?」

「お前も飲むか?」

「いらない。……酔ったらアズが危ない」

「やっだぁ、ケダモノ!」


 黒髪に薄青の瞳を持つイーフォとは、長い付き合いだ。クルトが一番気を許せる相手でもある。


「クルトさん! お疲れ様です」


 イーフォと向かい合って座っていたのは、黒髪黒目の、ハルムという名の青年。まだ十八で、仲間内の最年少。昼間はイーフォと共に、ギルドで職員として働いている。


「イーフォ。ハルムには飲ませてないよな?」


 ハルムの隣の椅子を引いて座りつつ、ほろ酔いのイーフォへクルトが問い掛けた。


「大丈夫です。お酒は二十歳になってからって、アズサさんから言われているので」

「エフデンでは十六で大人なのにな」


 イーフォの言葉に、ハルムは口をへの字に曲げる。


「大人の仲間入りはしたいですが、僕はアズサさんの言いつけも守りたいです」

「ハルムは真面目で可愛いねぇ」


 伸びてきたイーフォの手に髪を掻き回されたが、ハルムは嬉しそうな表情で大人しくしていた。

 良い子に育ったものだと、クルトも心の中で思う。


「そっちの仕事はどうだ?」


 食事を進めながら、互いが持つ情報を交換するのが食事中の日課だ。


「変わらず忙しいけど、持ち込まれる案件の内容が変わってきてるな。平和になったなぁって感じ」

「ゲレンの外からの依頼は?」

「少しずつ、増えてる。そういうのは全部、ブラムさんに回して判断してもらってるけど……」

「けど?」

「外の人間は必ず、魔女のことを聞いてくる」

「そうか」


 素早く食事を終えて、立ち上がる。

 クルトの動きを目で追って、イーフォは笑みを浮かべた。


「アズサの所に行くのか?」

「あぁ」

「襲うなよぉ?」

「…………最近、本当にヤバイ」


 本心を告げれば、大笑いされた。


 使った食器を片付けて向かった先は、書庫。ここの本はアズサのために集められた物だ。

 仲間たちも書庫は使うが、夜はあまり立ち入らない。

 書庫の重たい扉を開けると、奥から微かな灯りが漏れていた。

 静寂を破らぬよう足音を忍ばせ、本棚から適当に本を一冊抜き取り明るいの方へと向かう。


 窓辺のいつもの場所に、彼女はいた。


 ソファの片側に身を寄せて、体を小さく折り曲げ、本に視線を落としている。

 頬には睫毛が作った影が落ち、ほんのり濡れた髪がまとめられているため、細い首筋がさらされていた。


「……無防備過ぎないか?」


 寝間着にガウンを羽織っただけの姿に小言をこぼすと、アズサの視線はクルトへと向けられる。


「この時間、ここにはクルトしか来ないもの」


 それは尚悪い。


「入ってきたのが俺じゃなかったら?」

「足音でわかる。クルトが来たなって」


 空気を揺らす、微かな笑み。

 なんて綺麗な女性だろうと、クルトは思う。

 いつまでも見つめ続けてしまいそうな視線を無理矢理引き剥がし、クルトは己の定位置へと腰を下ろした。

 本を開けば、書庫には再び、静寂が落ちる。


 ゆるゆると、アズサのまとう空気が緩んでいくのを感じるのが、クルトは好きだ。

 多くの命を背負う責任から解放されて、この時間、彼女はただのアズサに戻る。

 一日の中で大切な、彼女だけの時間。

 そこに立ち入る許しを得ている幸福をひっそり、噛み締める。


 自室のベッドでは上手く寝付けないのだと、アズサは言っていた。

 本の匂いに包まれて、本をめくる音を聞いていると眠たくなるのだと彼女が言うから、クルトは毎晩、こうして隣で本を読む。


 細い指先がページを捲る動きが止まり、彼女の体から、力が抜けていく。

 ことりと首が傾いて、微かな寝息がクルトの鼓膜を震わせた。

 完全に眠りに落ちた頃合いを見計らい、クルトは動く。昨夜は失敗した。だから今日は、声は掛けないでおく。

 無音で身を寄せて、寝顔を眺めた。

 後頭部にある髪留めは痛くないのだろうか。気になったから、手を伸ばす。

 繊細な装飾が施された、棒状の髪留め。そっと引き抜けば、艷やかな黒髪がはらりと落ちた。


「アズ……」


 返事はない。

 微かに開いた唇は、深い寝息をこぼしている。


「アズサ」


――好きだ。大好きだ。


 心の内で、溢れそうな想いを告げた。

 アズサから好きだと言われたのは、舞い上がるほどに嬉しかった。

 ずっと、恐らくアズサよりもずっと前から、クルトは彼女を愛している。だけど応えられないのは……資格がないからだ。

 顔に残った傷痕には、責任を感じている。彼女に深い傷を与えてしまった己は、相応しくないとも思う。

 それに何より相応しくないと思うのは、クルトを好きだと伸ばされた手を握り返してしまえばクルトは、アズサを自分だけのものにしたくなる。その手を引いて、何もかもを捨てさせ、逃げてしまいたくなる。

 細い両肩に対して重過ぎる荷物なんて捨てさせて、毎日安心して、気を抜いて眠れる場所へ攫ってしまいたい。


 緩んだアズサの笑顔が好きだ。


 ほっと、息を吐く姿が好きだ。


 どんどん、どんどん重くなっていく荷物はいつかアズサを潰してしまわないか、心配でたまらない。

 だけど、アズサはきっと、その荷を見捨ててしまったら笑わなくなることもわかっているから……クルトには、アズサを抱き寄せる資格がないのだ。


「……眠ったのか?」


 静かな問い掛けに、反応は見られない。


 彼女の膝から本を取り上げ、読みかけのページに栞を挟む。明日もここで読むだろうから、本はそのままソファの座面に置いた。

 手にしていた髪留めは己の胸ポケットへ差し込んで、力の抜けたアズサの体を抱き上げる。小さな頭を胸へともたれさせ、頭頂部に頬を寄せた。

 温もりが、ひどく愛おしい。

 なるべく振動を与えないように歩き、書庫を出て階段を上る。

 片腕と上半身でアズサの体を支えながら自室の鍵を開け、クルトは自分の部屋へと入る。続き部屋への扉を開くと、そこはアズサの自室に繋がっているのだ。

 護衛と護衛対象という関係だからの部屋割りで普段使うことはない扉だが、こういう時に便利だなと、クルトは感じた。


 そっとベッドへ下ろし、上掛けで包んでやる。


「おやすみ。ゆっくり、寝ろよ」


 離れ難い想いで髪を撫で、頬の感触を指先で楽しんでから、身を離す。

 己の部屋へ戻って扉を静かに閉めたが、クルトはしばらく、そこから離れられなかった。

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