第3話 ギルドマスターも、やっています

「ねぇ君たち。生き抜く知恵は、必要じゃない?」


 薄汚い路地裏。話し掛けてきたのはフェナより年下らしき、小さな女の子だった。


「チビのお前に何ができんだよ」


 フェナの兄であるブラムが鼻で笑えば、相手の女の子はにっこり、可愛らしい笑みを浮かべる。


「君たちが知らないこと、たくさん知ってるよ!」


 ブラムが年齢を聞くと「六歳だって父と名乗る男が言ってた」という不思議な返答。

 最年長だったヨスと、フェナの兄のブラムが幼い少女に同情して、同じ場所で眠る許可を出した。


「そういえば……名前、聞いてないよね? 私はフェナ。七歳。お兄ちゃんはブラムっていって、私の三つ上だよ! お父さんはお金を稼ぎに出掛けたまま、帰ってこないんだぁ。傭兵のお仕事で戦争に行ったから、死んじゃったんだよって、お兄ちゃんは言うの。お母さんは……病気で、動かなくなっちゃった」


 女の子はフェナを抱き締めて、そっと頭を撫でてくれた。


「私、名前はもらってないの。でも、必要だよね? うーん……アズサ、で良いかな。私はアズサ。人買いに売られたの。怖い場所だったから、逃げてきた」

「よく逃げられたね? お兄ちゃんもヨスもコーバスも、絶対に捕まったらダメって言ってるよ」

「うん。絶対に捕まったらダメ。フェナは、ブラムがいて良かったね?」

「うん! フェナはお兄ちゃん、大好きだよ!」


 年下なのに大人みたいな女の子。

 彼女の存在は、犯罪か死しか選択肢がなかったフェナ達の運命を、大きく変えた――。


 フェナ達が生まれ育ったゲレンの街があるエフデン王国は、長いこと隣国と戦争をしていた。

 ゲレンの街は、国境付近にある。王都から遠く離れた辺境の街で、領主からも国からも見捨てられた街だった。

 親を失った子ども。口減らしで捨てられた子ども。人買いから逃げ出してきた子どもがいつの間にか集まるようになり、孤児が多く存在していた。

 窃盗、殺人、病、貧困……人死には日常茶飯事で、街の至る所に死体が転がり、腐敗しても埋葬する者はいない。

 ゲレンの街を治める領主ですら近付かない無法地帯。


 そんな地獄を変えたのは、魔女を名乗る一人の少女だった。


 知恵の魔女――近頃では「叡智えいちの魔女」と呼ばれるようになった存在の正体は、ゲレンに昔から住んでいる者ならなんとなく察しているが、誰も決して口外しない。

 一生掛けても返せない恩を、皆が彼女から受けているからだ。


 本人はその自覚があるのかないのか……己が成したことの偉大さを全く理解していないのではないかと、フェナはたまに思う。


「おはよう、諸君。ギルマス出勤いたしました!」


 主要メンバーの仕事場である執務室の扉を開け、クルトを連れたアズサが姿を現した。

 ゲレンの街の生活を幅広く支えるようになったギルドの発案者はアズサで、ギルドという名前も彼女が付けた。

 理由は、目標とする形がそれだから。

 誰にも全くわからない理由だったが、皆が皆彼女の言動には慣れている上に、信頼もしている。

 いつでも完成形を知っているのはアズサだけ。アズサの目指すものを共有してもらい、意見を出し合いながら、ここまでやってきた。


「ヘイスさんから新作のパンをたくさんもらったの。見て見て~、クリーム入りのパンダちゃん作ってもらった! 可愛いから、フェナにあげるね」


 顔に目立つ傷が残ってしまったが、大人になっても可愛らしい笑顔は変わらない。


「パンダって、アズちゃんがよく落書きしてた謎動物?」

「そう! 中にカスタードクリームが入ってるんだよ」

「カスタードクリーム!? 前に作ってくれた、あのとろふわの!」

「そうそう。好きでしょ?」

「大好き! ありがとう!」


 パンダという名前の動物を模したパンを掲げ持ち、フェナは瞳を輝かせた。その顔を見て満足げに笑ったアズサは、他のメンバーにもパンを配っていく。


「ブラムとコーバスには、新作のコロッケパンとホットドッグ。一階のみんなにも配ってきたんだ」


 ブラムは処理中の書類から視線を外さないまま手を伸ばし、コロッケパンを口に運ぶ。


「うまい」

「でしょう? このソース、あれだよ? わかる?」

「わかる。今他の街にも売り込んでいるが、好評だぞ」

「味の革命、起こりそう?」

「起こるな。だがあまり遠くへは運べない。こちらが運ぶのではなく客の方から来てもらえれば、もっと売り上げを伸ばせるんだがな。前にアズサが言っていた、観光業というものはどうなんだ?」

「それは時期尚早かな。人が流入すれば、治安が悪化する。まずはゲレンの中だけで、雇用を安定させたい」


 ブラムとアズサはそのまましばらく、話し込む。

 話の区切りがついた所でアズサは移動して、コーバスの机に歩み寄った。


「俺はホットドッグが好き」

「ごめん、コーバスにはそのことじゃないの」

「えー、俺にも聞いてよ!」

「だってコーバスは、何でもケチャップで食べようとするじゃない」

「ケチャップは、アズサ発案調味料の中でも別格で大好き」

「違う世界の食べ物を、私は再現しただけ。それより――叡智えいちの魔女って、何?」


 ギクリと、コーバスの表情が固まる。

 フェナとブラムも作業の手を止め、二人へ視線を向けた。クルトは、出入り口の扉の脇で腕を組んで立っている。


「ブラムには昨夜ガイから報告がいっているけど、クノフローク子爵が『叡智えいちの魔女』と口にしたの。私は、報告を受けていない」

「知恵の魔女より偉大な感じがするかと思って。君の偉大さを広めたいんだ」

「自主性は重んじる。けれど、勝手を許した覚えはないよ。ブラムにも、報告も相談もしてないよね?」

「して、ない」


 コーバスが目をそらそうとしたのを許さず、素早く伸ばされたアズサの手が、顔を青褪めさせた青年の顎をつかんだ。


「コーバス」

「はい」

「ギルドを作る時、大事だと伝えたことは何だった?」

「……報告、連絡、相談」

「組織が大きくなれば、余計にそれは重要になるの。私たちだけだった時とは違う。ギルドを動かしている私たちの判断で、人の命を奪うことも起こり得る。『叡智えいちの魔女』と聞き、人々は何を期待すると思う?」


 少し待ったがコーバスが答えようとしないため、アズサは言葉を続けた。


「偉大な力が手に入ると、期待するかもしれない。事実、私が持つ知識はゲレンの街の人々に恩恵を与えている。己の領地をこの街のようにしたいと、貴族たちは魔女に会うことを望んでいる。ゲレンの人々は私の味方だけど、貴族たちはおしゃべりだ。次に考えられるのは何だと思う? 他国が魔女を欲するかもしれない。手に入らないなら殺そうと考えるかもしれない。私一人が死ぬなら構わない。ゲレンに兵が責めて来たら? みんなをどう守る? ――私の存在は、戦争の引き金になり得るんだよ」


 悲しそうに笑ったアズサを見上げ、コーバスは唇を震わせた。ごめんなさいとか細い声で告げ、アズサは青年の髪をくしゃくしゃと撫でる。


「一人じゃ考えつかないことは多い。だから、相談するんだよ。こうしたいと言われれば、一緒に考えられる。事前に対策が練れるようになる」

「次からは、絶対、勝手はしない」

「うん。そうしてくれたら、助かる」

「……今回は俺が悪い、だけど」


 首を傾げたアズサを見上げ、コーバスは拗ねた表情を作った。


「俺は君の一つ上。二十三は、立派な大人だよね? 頭を撫でるのはやめてって、前から言ってるだろ」

「ごめん。つい」

「惚れたらどうすんの! クルトに殺されちゃう! 君は自分が可愛いって自覚して!」

「ごめん?」


 コーバスはまだ不満そうだったが、アズサは気にしていない様子。

 さて、と言って身を起こし、アズサは再び口を開いた。


「ヨスとリュドの姿が見えないね。何か問題があったの?」


 ふざけた空気はなりを潜め、アズサは上に立つ人間の空気をまとう。


「二件、揉め事があって。下水処理場の作業員同士のトラブルと、外から来た商人が揉め事を起こしてるって言うから、二人にはそれぞれ対処しに行ってもらったの」


 フェナが答えると、アズサは思案するように顎に手を添える。


「二人が戻ってきたら、私の所に寄越してくれる? 『叡智えいちの魔女』の名は受け入れる。だから警戒を強化したい。今日は念の為、街を確認してきたんだ。外から来た人間が何かを探っているという話は聞かなかったけど、今後は起こるかもしれない。――クルト」


 名を呼ばれ、クルトが姿勢を正す。


「今日からこの時間は、ガイの手伝いに向かって欲しい。新人たちが早く使いものになるようにしたいの」

「俺は、アズサの護衛だ」

「クルトが戻るまで、この部屋を出ないと約束する。ここでやることはたくさんあるから」


 更に反論を重ねようとしたクルトを黙らせたのは、アズサが浮かべた静かな笑みだった。この表情の時は勝てないと、仲間の誰もが、知っている。


「私は魔法なんて使えない。武器は頭の中にある知識だけ。自分の身すら守れない。だから……頼りにしたら、ダメかな?」

「~~っ。絶対に、危ないことには首突っ込むなよ? 何かあれば俺を呼ぶか、リュドかヨスと行動するって約束しろ」

「うん。約束する」

「ブラム。アズサを頼めるか?」


 クルトの言葉に、ブラムは当然のように頷いた。


「俺も今日はここに籠もる。ヨスかリュドが戻るまで、マスターの安全は俺が保証する」


 仕事中、ブラムはアズサの名前を決して呼ばない。マスターという呼び方はブラムなりの、公私の分け方なのだ。

 ブラムに頼むと告げたクルトは、アズサの目をまっすぐ見つめ、真剣な声で告げる。


「アズサに何かあれば、俺も死ぬって覚えとけ」

「わかった。心に刻むね」


 渋々だが執務室から出て行ったクルトを見送ったアズサは、頬を染めて嬉しそうに、笑っていた。

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