第1章 ゲレンの街の仲間たち
第1話 護衛くんに、恋、してます
甘く
数本の
槍を手に立っている二人は性別不明だ。
丈の長い漆黒のローブが全身を覆い、目深にかぶったフードから覗く顔には
不気味な
大きく開いた胸元には白く柔らかそうな双丘が覗き、丈の長い漆黒のドレスは中心部分に深いスリットが入っているため、滑らかな脚の曲線をこれでもかとさらしている。
たおやかな指先は繊細な漆黒のレースに覆われ、手袋と同じ素材のレースが何重にも重なり顔を覆い隠していた。
「客人よ。お前は何が知りたい?」
低く威圧的な女の声がした。
対面に座る男は哀れなほどに体を震わせ、手にしていたハンカチで額の汗を拭う。
ごくりと、男の喉仏が動いた。
「お会いできて光栄でございます。
※
話が終わり、男が去った後の室内では、魔女と護衛二人が去って行く足音に耳を澄ませていた。
客人の相手は、後は他の者の担当だ。魔女と呼ばれていた女は頬杖を付き、吐息をこぼす。
音も無く、護衛の一人が動いて女の正面へ回った。
グローブを嵌めた両手がおもむろに伸ばされ、女のローブを鷲づかむ。
ローブの合わせ目がきちりと閉じられ、柔らかそうな女の体が隠された。
「ねぇちょっと……その格好で無言はやめてよ。怖いじゃない」
女の声は先ほどとは違い、高く愛らしく、力が抜けている。
「クルト? クルトさ~ん? くぅちゃん?」
「くぅちゃんはやめろ」
仮面越しの聞き慣れた声に、女はほっと安堵の息を吐いた。
「新しい衣装、そんなにダメ?」
可愛いと思ったのに、と心の中で落胆する。
「肌をさらす必要はあるのか?」
クルトの声が、いつになく不機嫌だ。
「説明したじゃない。顔から意識をそらすためだって。これだけ開いていたら胸元に意識が向くでしょう? 現にさっきの男だって、胸の谷間と会話してたよ。全く目が合わなかったもの」
言いながら女が立ち上がろうとして、つかんでいたローブから手を離したクルトが一歩下がる。
椅子から立ち上がった女は、唯一の出入り口とは反対方向へ足を進めた。
「脚も、そこまで深いスリットは必要か?」
すっぽりローブに覆われて素肌が完全に隠された女を追いながら、クルトは言い募る。
「くぅちゃんは、胸派? 脚派? それともお尻?」
「何の話だよ」
「ガイは脚だって」
女が振り向いた先、もう一人の護衛が可愛らしく体を傾け、動作だけで同意を示した。
出入り口の他には窓が一つあるが、窓の外に広がるのは漆黒の闇。室内の灯りが届く範囲には、何もない。
室内は、一つずつ存在する窓と扉以外の場所が全て本の詰まった本棚で覆われている。
一つの本棚の前に立ち、女が一冊の本をそっと押し入れると滑車の音がして、本棚が自動でスライドした。真っ暗な空間にあるのは、地下へ続く階段だ。
火を灯したランタンを手に持つクルトを先頭にして、三人は中へと入る。
最後尾の、ガイと呼ばれていた護衛が仕掛けを動かし、入口を閉じた。
「アズサ、手」
「過保護だなぁ」
クルトが差し出した手に、嬉しそうな声を発した女の手が乗せられた。
真っ暗な階段をランタンの光だけを頼りに進む。迷路のような道を迷うことなく歩き、足を止めたのは、レンガで作られた壁の前。
女が手を伸ばし、レンガを三カ所順番に押せば壁が動きだす。
自動で開いた隠し扉の先は、柔らかな光で満たされた衣装室のような場所だった。
クルトの手できちりと閉じられたローブの前をはだけさせ、女がくるりと振り返る。
「明るい場所で見たらどう? これぞ魔女! って感じのドレスだと思うんだけど」
クルトの両手がガイの頭をつかみ、グキリと向きを変えた。
「いてぇッ」
「
「そういえば
「おいクルト! てめぇ手ぇ離せ!」
「ガイはアズサを見るな」
「クルトはそれ、もしかしてガン見しちゃってる感じ? やっぱり、おっぱいが好き?」
「うるさい。さっさと着替えろ」
「あいたっ」
頭の天辺へ手刀が落とされ、アズサは顔を隠す漆黒の布の奥で頬を膨らませる。
そのまま無言で、衝立の向こうへ着替えに向かった。
「失敗した。あの仮面をしてる状態じゃ、表情がわからないや……」
クルトはアズサの衣装を見て、ドキドキしてくれただろうか。
己の姿を鏡に映しながら、アズサは吐息をこぼす。
フードを取って現れた髪は、漆黒。
後頭部のリボンを解けば、若い女の顔が現れた。
漆黒の長い睫毛に縁どられた瞳もまた、漆黒。
大きな双眸が見つめた先。鏡に映った若い女の顔には、右の眉頭から左の頬に掛けて斜めに走る、引きつれた傷痕があった。
見慣れた己の顔に苦笑を乗せて、アズサは魔女の衣装を脱ぎ、ハンガーへ掛けて収納する。普段着用の丈の長いワンピースを頭からかぶり、くびれ部分を幅広のリボンで絞めた。
簡単に化粧を直し、胸元まで伸びた黒髪を櫛で梳かしてから、全身鏡で最終チェック。
傷痕は、普段はさらしたままでいる。
「あれ? ガイは?」
着替え終わって衝立から出ると、
グローブも外しており、槍ではなく彼が普段愛用している片手剣が傍らに置いてある。
「先に出て、報告に行った」
青年の声は静かで、耳に心地良い。指通りの良さそうな黒髪は少し長くて、目元に掛かっている。
「なら、私は終わりで良いのかな?」
「あぁ」
青い瞳がアズサを映し、じっと、観察しているようだ。
「そういう方が、似合う」
「クルトは、清楚系が好みなの?」
「あんな衣装じゃなくても良いだろ」
「みんなで衣装の相談した時、何も言わなかったじゃない」
「言った。全身を布で覆えって」
クルトは座ったまま、アズサは立った状態で、言葉を交わす。
「だって、ああいう格好って普段は絶対にしないから、私と魔女が繫がらないようにしたかったんだもの」
アズサとしての平穏を守りたい、そう言えば、クルトはそれ以上の苦言を飲み込んでくれた。このように言えば彼が何も言わなくなるとわかった上で、アズサは言葉を紡いだ。
アズサとしては、彼を怒らせたかったわけではない。
あの衣装には、本当は違う目的があったのだが、クルトの表情から推測するにその目的は達成できなかったようだと、アズサは内心で落胆する。
「行くか」
「うん」
衣装室は、地下にある。
クルトが先にはしごを登り、跳ね上げ式の扉を開けた。続いて、衣装室の灯りを消してからアズサが上り、差し出されたクルトの手を借りて地下から抜け出す。
地下への扉は、クルトが首から下げていた鍵で施錠して、敷物で覆い隠した。
衣装室の上は書庫になっている。
書庫には、莫大な数の本が収められていた。
「
「だろうな」
本棚の間を歩くアズサの後ろを、クルトが長い脚で、ゆったりとついて来る。
「なんか、重みがプラスされちゃったなぁ」
「……気負わなくても、良いんじゃないか?」
「十で神童十五で才子二十歳過ぎてはただの人ってね。ちょっと勉強してから部屋に戻るから、クルトは先に寝て良いよ」
「いや。付き合う」
本を一冊ずつ選び、二人は窓辺のソファへ腰を落ち着けた。
窓の外には満月。互いの手元だけを照らす光量のランプを灯し、ソファの両端に座って本を開く。
アズサは肘掛けを背もたれにして膝を立て、本は脚の上。
クルトは反対側の肘掛けに頬杖を付き、膝に乗せた本を静かにめくっていく。
しばらく静かな時間が過ぎ、ふと、クルトが視線を上げて隣を見た。
「アズ。眠いなら部屋に帰ろう」
返事はない。
背もたれに頭を預け、アズサの肩は、静かに上下を繰り返す。
長い黒髪が、顔に掛かっていた。
静かに本を閉じ、クルトは物音を立てずにソファの座面を滑るようにして、移動する。
手を伸ばし、アズサの顔を隠す髪に触れて、耳へと掛けた。
ついでとばかりに、指先で耳の縁を撫でる。
「可愛い耳」
いたずらな指先は頬へと移動し、あらわになったアズサの顔の輪郭を滑っていく。
小さな顎に到達すると、親指が唇の下の窪みを撫でる。
「アズサ。起きてるだろ」
細い肩が揺れ、そろりと片目が開かれた。
夜の闇よりも濃い漆黒の瞳を見つめてから、クルトは素早く立ち上がる。
「顔真っ赤。ぷるぷる震えてるし。バレバレ」
「だ……誰のせいだっ」
背中へ本を投げつけてやろうかと思ったが、髪の隙間から見えた耳が赤かったから許してやろうと、アズサは口元を緩ませる。
「クルト」
名を呼べば、バツが悪そうな表情でクルトは振り返った。
「眠いから、部屋に行く」
「ん」
当然のように差し出された手をこそばゆい気持ちで握り返し、立ち上がる。
繋いだ手は書庫から出るとすぐに離れてしまったが、アズサの胸は、温かかった。
「耳が好きとか、マニアックだね」
「そこから起きてたのかよ!」
「んふふ。もう少し寝てたら、キスされたかな?」
「しねぇよ」
「そうなの? 残念。でも私、ファーストキスはレモン味が良いな」
「レモンって果物はこの世界に存在しないんだろ?」
「名前が違っていたみたいなの。発見したよ! 今度食べさせてあげるね」
「酸っぱいんだろ? やだ」
「蜂蜜で漬けて、甘酸っぱくするよ!」
「それなら、食べる」
「私が本物の魔女だったら、媚薬を仕込めたのになぁ」
「食べ物で遊ぶな」
「魔法の使えない偽物魔女だから、しないよ」
「本物だったらしたのかよ」
「うん。だって、好きって言われたい」
返されたのは、無言。
「クルトから、言われたい」
静まり返った廊下を歩きながら、横顔を見上げて、懇願する。
「俺は、護衛だ」
「それだけ?」
「それだけ」
「本当に?」
「…………俺には資格が、ない」
拳を作り、ぽかりと、たくましい二の腕を殴ってやった。
「私に好きって言われるの、嫌?」
無言。
「私はクルトが好きだよって、言っても良い?」
やっぱり答えは、返されない。
クルトの表情は崩れず、廊下の先を見つめている。
「手、繋いでも良い?」
「ダメだ」
「これは即答ですか」
腹立ちのアピールで、唇を尖らせた。
「クルト」
「んー?」
「私が、嫌い?」
「嫌いなわけ、ない」
「そっか」
目的地に辿り着き、足を止める。
「おやすみ、クルト」
「おやすみ、アズサ」
隣り合った扉の鍵を開け、二人はそれぞれの部屋へと帰った。
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