十
昼頃から降り始めた雪はまたたく間に本降りになって、塊のような重い雪が、落ちてくる音が聞こえそうなほどの勢いで降って、夕頃には景色を白く覆っていった。
厚い雪雲を通った灰色の光のなか、大手門を出た行列はぬかるんだ道を、足元を確かめるようにゆっくりと進んで行った。
「おい」意次は駕籠のそとに向かって声をかけた。
「はい」とすぐに供の返事が返ってきた。
「今、何か言ったか」
「いえ、誰も」
「確かに聞こえたようだったが」
そう言って意次はとめろと命じた。
行列がとまり、駕籠の戸を自分で開けた。すると、行列はすでに田沼の屋敷の塀ぎわまで来ていて、その道端に人が端座しているように見えた。
「あれは何だ」
供の若い家士が目線を追った。そしてはじめて気がついた様子で、
「人のようですな」
「そんなことは見ればわかる。なぜあんなところで座っているのか、ちょっと見てこい」
はい、と家士はちょっと迷惑そうな顔で小走りに走っていくと、すぐに戻ってきた。
「懐に訴状がございました。直訴のようですな。すでに腹を切っておりました」
そう言って訴状を意次に手渡した。握りしめたようなしわくちゃの訴状であった。まだ少し温もりがあるのは、男が死んでさほど時が経っていないからだろうか。
駕籠訴のしきたりも知らんのか、しかもこんな場所まで入り込んでくるなど、と思いつつ意次は訴状を開いて、供のさしだした提灯の暗い明かりのもとで、ひと文字ひと文字を掬うようにして読んだ。
――川の改修?春原藩?
どこの藩であったろうと意次は記憶をたどった。美濃の、喜多山式部少輔の二万七千石ではなかったか。吹けば飛ぶような小藩ではないか。百性の訴状に思えるのになぜ侍が直訴におよんだのか――。
いくつも疑念ばかりが浮かんだが、さて、とちょっとの間思案した。
「お取り上げなさいますので?」
供の者が不安げに聴いた。
「さて、どうするか」意次は皺の寄った顔の眉間にさらに深い皺を寄せた。「お前、春原藩の屋敷まで行って報せてこい」
「なんと報せましょう」
「ありさまをそのまま伝えてこい、それでいい」
「かしこまりました」そう言って供侍は尻さがりにさがっていった。
意次が戸を閉めたのを合図に駕籠が持ち上がった。
これでよかろう、と意次は思った。この訴状、持っておればなにかの折に役立つかもしれぬ――。
行列は静かにうごきだす。
新左衛門の頭に積もった雪がわずかにとけていく。水滴が一条の筋となって頬を伝い、しずくとなってこぼれ落ちた。
(了)
雪のしずく 優木悠 @kasugaikomachi
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