その夜は三留野みどので宿をとった。高い山に挟まれた木曽川に沿った宿場で、旅籠に到着したころには、もう陽が山の向こうに姿を隠していた。

 新左衛門はたまった疲れと蓮次に追いついた安心で気が緩んだし、ふたり連れになったこともあって、歩く速度が遅くなったが、蓮次も追い抜くことも隠れることもせず神妙に後についてきたのだった。

 ふたりは主人と従者のようにして同じ部屋に泊まることにし、そうしてすぐに風呂に入ることにした。

 新左衛門は内心ほくそ笑んだ。こうも早く機会がおとずれようとは予想だにしていなかった。蓮次が風呂に入っている隙に荷物をすべて改めてやる気であった。

 風呂へ向かうと、蓮次は、ではおさきにとしゃあしゃあとした顔で浴室に入って、いきなり五右衛門風呂に飛び込んだ。侍の新左衛門より先に風呂につかることだけでも無礼であるのに、体を流しもせずに飛び込むとは何事か。

 むっとしながらも、脱衣場で旅行李をひっくりかえし、着物をひらき、腹に巻いていた知多晒さえも丹念に調べたが、まるで訴状のようなものはみあたらない。風呂の中にまで持って入ったわけはないし、どこかに隠した様子もない。

「なにかお宝でもありましたか、旦那」

 声に振り向くと、蓮次が五右衛門風呂から顔だけ出して、面白いものでもみつけたように、にたにたと笑いながらこっちを見ている。

「ですから、おいら訴状なんてご大層なものは持っちゃいません」

 新左衛門は歯噛みした。

 ――蓮次め。こやつ、肝がすわっているのか、ほんとうに訴状など持っていないのか。

 ふたりはもくもくと歩きながら、泊まりを重ねた。

 男のふたり旅などこんな味気ないものか、と新左衛門は落胆していた。別段、面白みのある役目でもなかったが、だからといって、ただひたすらに江戸という終着点を目指すというのもつまらない。

 新左衛門も蓮次も口数の多い方ではなかったから、会話もまるで続かない。

「いけどもいけども山ばかりで飽きてくるな」そう新左衛門が話を振っても、

「ええそうですね」

 と蓮次が返して会話が途切れてしまう。

 どうにかして蓮次の化けの皮を剥がして、腹の奥底に隠匿した企てを引きずり出してやりたいと思いつつ、その端緒をつかませない。新左衛門を嘲りの目で見るような時もあるし、ただの用心棒くらいにしか思っていないように感じる時もある。

 蓮次という男は、そういう人を侮蔑する態度の向こうに、狡猾さが垣間見えるような男だった。

 塩尻しおじりまでくると、それまでの両側から押しつぶしてくるような山が途切れて青空がひらけてきて、さらに進んで下諏訪しもすわに着くと澄み渡る空の下に広がる諏訪湖を眺めて清清しい気分であった。

 そうして追い分けにつくと、中山道を行こうとする新左衛門を無視するように蓮次は甲州道中へと進路をとった。

 新左衛門はその背をあわてて追った。

「おい、どこへ行く蓮次」

「どこと言いまして、甲州道中ですがな」

「お前、はなっから甲州道中を進む気だったな。追ってがかかった時に煙に巻くつもりだったろう」

「さて、そう変に勘繰られましても」

 そう言って、蓮次はにっそりと笑うのだった。

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