エルフの園に集う

リーハイム・ジェノサイド(1)

 七月も近いというのに、ヘルヴェチアの東西を横断する山々ときたら、標高にかかわらず山頂付近の雪化粧を落とす気にはならないようだった。とはいえ、精剛の守銭奴として知られたヘルヴェチアのエルフたちが、たかが冷夏の予兆を目の当たりにしたくらいで委縮するはずもなかった。オーギュスト・ヴァイルブルク連邦外務省参事官も、その一人である。


 永世中立国という性質上、またガリア国境に隣接する立地上、ヘルヴェチア連邦首都ベルン・エルダマールには金融・運輸・郵便をはじめとした、西側諸国間にまたがる多くの国際組織が居を構えている。行政機関が集約されている地区には、そうした機能をもった組織の施設に囲まれるかのように、国内の為政を司る連邦議会議事堂がそびえていた。


 各省庁のオフィスが連なる議事堂内の一室では、ベルン・エルダマール議事堂きっての好色知られるオーギュストが、ある国賓との会談に応じていた。銀に近しいブロンドの髪をポマードで後ろに撫でつけたオールバックは、彼のどん欲なまでの活力と精力を演出していたが、その外面はきわめて潔白であり、冷静に見えた。


 ガラスのテーブルを挟んだ目の前、小柄な体で浅くソファに腰掛けるのは、つい先日即位を表明した現フリュギア首長国連邦国家主席【魔王エレシュキガル二世】、アミル・カルカヴァンその人であった。


「あれほどのセンセーショナルなデビューを演出されるには、かなり周到な下準備が必要でしたでしょう?」


「結果としてああいった宣言となってしまっただけです。人々をいたずらに混乱させるつもりはありませんでした」


 さて、どうだか。オーギュストはマスメディアを利用することで広く周知された【魔王軍演説】含め、彼女の参戦は諸国同盟・モスクワ双方に対し、実に効果的なカンフル剤だと考えていた。このうら若きフリュギアの首魁に匹敵するほどに注目を集め、大陸社会の人間の共感性と下心を刺激するエキゾチックなアイドルは、向こう百年は現れないだろう。


 とはいえ、こうしてオーギュストの前に現れた魔王の身だしなみはといえば、決して彼の偏見が多分に含まれたエスニックな民族衣装然としたものではない。黒曜の輝きをもつ両角を飾るビジューのアクセサリーも控えめに、セットアップワンピースの淡いホワイトベージュが、公人に相応しいフォーマルな清潔感を演出していた。


「そちらの条件に対して、未だモスクワ側から公式な回答は出ていないようですが」


 三国同盟がモスクワにつきつけた要求。その内容は、拘束した捕虜の引き渡し、今回の戦争で取得した占領地の即時解放、ならびに帝国領からの制限付き即時撤退。加えて、西側諸国に対するプロパガンダ行為、それに準ずる任務に服する組織の解体と従事者の引き渡し、戦後裁判における三国同盟機関との提携および協力要請。およそいまのモスクワに批准させるつもりのない条項の数々であり、同盟軍による戦争への参戦の口実といって差支えのないものであった。ブリタニアにもガリアにも、そしてもちろん【魔王軍】ことフリュギア勢力にも、相応の用意があるであろうことは、火を見るよりも明らかである。


「むろんこれを跳ねのけられた場合、おめおめと条件を引っ込めるつもりもないのでしょう。腰抜けのガリアはともかくとして、ブリタニアの円卓が女王の顔に自分から泥を塗りつけるはずがありません」


 オーギュストは、ヘルヴェチア人特有の豊かに尖った外耳の先端を指で触れ、あくまで眼前の少女への礼儀を欠かしていないという体を崩さぬよう、居丈高な立場から持論を語った。


「しかし事を構えるにしても、何がしかの実績が必要だ。旗揚げしていきなり獰猛にモスクワへ襲い掛かれば、あなたがたの掲げた人魔統一という題目は形骸化してしまう。大ダルマチア戦争の二の舞だ。そんなことは、誰も望んでおりますまい」


「であるからこそ、今回の人道支援政策へのご理解とご協力を仰ぎに参ったのです」


 魔王アミルの傍らに立っていた、ふたりの側近のうち一人が言った。ひとりはアミルと同じフリュギア人の女性軍人だったが、もう片方は顔立ちや体つきからして、アミルよりさらに年若い少女である。深紅の頭髪を左右の側頭部で二つ結びに、髪束の先端は腰ほどまでに届く。華奢な体つきは、パステルカラーのリボンとフリルで装飾されたロリィタワンピースに包まれていた。しかし彼女のオーギュストへの語り口は、風貌から連想できるような、ふやけた喃語めいた女児の譫言からかけ離れた、毅然としたものであった。うら若い魔王とロココファッションの化身という取り合わせは、あらゆる人種の娼婦を抱いて回ったオーギュストとて、はじめてお目にかかる趣向の取り合わせだった。


「失礼だが、きみは?」


「ラウラ・フォン・ベルギエンです、ヴァイルブルク参事官」


 聞き覚え、そして見覚えのある文字列に、オーギュストははっとした。奇天烈な装いとメイクアップに惑わされはしたものの、魔王アミルと並んで雑誌や新聞でその端麗な顔立ちを見ない日はない。


「では、きみがかの有名な、自称勇者くんということかね」


「外見から少しでも疑いを持っていただけたのであれば、この振る舞いで人前に出続けた甲斐があったというものです」


 オーギュストが確認の意でアミルに目を向けると、彼女は首を縦に振った。


「事実です。ラウラは聖剣デュランダルの選定を受けた、現代の勇者です」


 いかにも大仰そうな剣の銘を聞いて、ついオーギュストは鼻で笑ってしまった。


「このご時世でなきゃ、帝国の宗教貴族が顔を真っ赤にしてまくし立ててきそうなものですな……くくくっ、失礼」


「実際に聖剣を喚ぶことも可能ですが、いかがでしょう」


「いや結構、マドモアゼル・ベルギエン……いや、今ではムシュー・ラウラか。おかしな魔法でオフィスをめちゃくちゃにされては、敵わないからな」


 そうおどけては見せたが、実際のところオーギュストは、勇者の正体の真贋にはさほど頓着していない。オーギュストは大陸に広く住まう人間の中でひときわ寿命の長いエルフ、その一人ではあるが、生を受けてからの二百年というもの、魔法などという空想の産物を絵本や英雄譚以外で見たことはない。一〇七歳のとき、出張先で閣竜会議名簿に名を連ねる山脈竜ギガント・ドラゴンと偶然遭遇し、若輩の身ながら僭越にも言葉を交わしたことならばある。ただ本物の勇者などという超常存在には、今の今まで縁がないらしかった。


 もっとも今の世に求められているのは、悠久を生きる古竜でもなければ、一騎当千を誇る勇者でもない。同情であろうが共感であろうが、大衆の支持を得ることのできる非猿人種の長、魔王なのである。添え物として機能してくれるのであれば、聖人としての奇跡や聖剣がもたらす大魔術など必要はないのだ。そんなものは、箔付け程度の役にしか立たないだろう。


「話を戻しましょう、閣下。我々は具体的に何をすればよろしいのですかな? あなたがたのおっしゃる人道支援とやらについて」


 アミルはラウラに目を合わせ、うなずいた。


「帝国内で今なお衣食住を欠く非猿人種の亡命と生活保障、そのお手伝いをしていただきたいのです」


「帝国内とは、これまた大きく出ましたな」


「残念ながらブリタニアは地政学的な観点から、ガリアは民族主義的運動の高まりから、積極的な協力を得るのが難しいと判断しました。我々が頼れるのは、あなたがたヘルヴェチアの人々しかいないのです」


「しかし我々とて、慈善事業で難民支援はできません。それにご存じの通り、中央議会は亡命の受け入れに難色を示しています」


「それは、開戦当初の帝国側への忖度によるものでしょう?」


「意外とそうも言いきれないのですよ。エルフとはいえ年を重ねると、自分たち以外の人種を嫌うようになるらしい。人種差別は帝国だけの専売特許じゃない」


 難民受け入れとその支援。中央議会の排外主義にかねがね問いを投げかけ続けてきた国防省の人間として、施策それ自体に異を唱えるつもりはない。しかし少産少死という人種的特徴を持つエルフは、どうしても多産多死の他民族と比べると、長期的には人口の面で劣ってしまう。


 ヘルヴェチアは、エルフの自治体で構築された三州が盟約を結ぶことで樹立された共同体を原型としている連邦制国家である。移民や亡命者を迎えることでもたらされる、政治体制の変容が懸念されているのだ。早い話が、連邦議会は選挙における得票の偏りを気にしているのだ。ひとたび門戸を広く開けば、将来的に他民族が人口の頭数でエルフを上回るのは目に見えている。議会が決議した法案を国民によるレファレンダムに委ねるという立法構造上、移民政策に対して様子見に回るエルフは少数派ではない。内閣や議会がビザ発行と永住権を出し渋るのは、これが原因である。


 さらにいえば、アルプスの守人として連綿と築かれてきた三諸邦の契りと血統が、流入してきた余所者の血で薄められ、汚されることを生理的に忌み嫌っているのだ。今のヘルヴェチアが産業社会としての更なる発展を遂げつつあり、慢性的に労働者を欲している点を差し引いたとしても、移民や難民への偏見を完全に払拭することはできないだろう。


 とはいえ今回の魔王軍からの申し出は、人道に悖る帝国の、ひいてはモスクワの所業を声高に糾弾するための口実にもなりうる。かつての覇権国を大上段から見下ろせるのであれば、多少身銭を切ったところで、国家的な大出血にはなりえまい。


 ただオーギュストとしては、ここにアミルの側からの明確なメリットの提示が欲しかった。


「ヴォーパル鋼の冶金技術提供で、いかがでしょうか」


 予想だにしていなかった返答に、オーギュストは眉根をひそめた。


「現在ブリタニアは陸軍、海軍に続き、新たに航空戦力を擁した空軍の設立を画策しています」


「空軍、だと?」


 あの海賊国家が、空軍とは。オーギュストは自身の印象と異なる言葉を受け、少々困惑した。


 島国のブリタニアが諸外国の中でも抜きんでた強国となった理由の一つに、機動性に富む海軍力の精強さが挙げられる。海外に広く植民地を有する一大海運国家として財を築き上げ、帝国が死に体となった今では、ブリタニアは次なる覇権国として目されていた。


 そして今、彼らは新たに空をも手中に収めようとしているというのだ。


「人間の手で飛竜ワイバーンを御する新鉄鋼技術の精錬法、そして制御器具の設計を、ブリタニアの工廠が確立しました。これにより飛竜に騎乗し空を駆ける兵……飛竜騎兵団の編成を、理論上可能としたのです」


 ヴォーパル鋼とは別名無憂鋼、退魔鋼とも呼ばれる特殊合金である、錆びることを知らないとまで称され、硬度、靭性にも非常に優れた鋼鉄として知られている。勇者が振るった聖剣は、この超高純度ヴォーパル鋼によって鍛えられたという逸話もあることから、ある種の宗教的神聖性すら孕んだ物質ともいえよう。升天教会内では、このヴォーパル鋼そのものが【叡智の教義】なのだと主張する学派すら存在する。


 加工の難度や希少性から、仮に不純物が多く混じったものであっても市場価値は法外に高い。いかにこれが飛竜を御しきれる能力を持っていようとも、まとまった軍備としてヴォーパル鋼製品を揃えようものなら、国庫を三度は空にしなければならないほどであった。


 人類に並び立つ霊長たる閣竜、そして自前の翼を有する有翼人種ハーピィであればいざ知らず、地に足を着けて人生の大半を過ごす多くの只人が大空へ舞い上がるには、飛竜の力を借りるほかない。閣竜よりも知能は低く、有翼人種よりも屈強(仮に有翼人を駄獣のように扱えば、人種間差別になりかねない)な飛竜種は、まさに空の使役動物として最適であった。


 しかし、広く人類が家畜として飼育している馬や牛と異なり、飛竜は鉄を嫌う。銜や鐙といった騎乗具に金属を用いようものなら、たちまちその鱗や体毛を傷めてしまうのである。鉄をものともしない強靭な種もいるものの、逆にその鑢のような鱗で騎乗具をたやすく破損させてしまう。


 さらに飛竜は、その気性すらも他の駄獣や家畜と比べると特殊である。イヌは人につき、ネコは家につくという俗説があるが、基本的に飛竜の多くは、両者を折衷したような性質を持ち合わせることで知られている。飛竜は、血統につくのだ。ひとたび一人の主人に飼い慣らされたのならば、その縁者にも首を垂れて傅くことから、ブリタニア本国では、飛竜は空の忠臣と称されている。逆説的に、彼らが主と定めた者に連なる血の匂いを持たぬ者には、決して懐柔されないのだ。


 このようにただでさえ人に慣れづらいのもあって、さらに既存の技術で制御できないとあれば、大々的な飼育を行うメリットもないというわけだ。


 一方でヴォーパル鋼は、飛竜を使役するにあたって直面する諸問題を解決しうる能力を有していた。原理こそ未解明ではあるが、鋼鉄以上の強度を誇り、飛竜の肉体を害さない。まるで、誂えられたかのような性質を持ちあわせた合金であった。


 魔王軍は、そこに付け込んで口添えしてやったわけだ。


 ヴォーパル鋼の生成に必要な希少金属の多くは、大陸社会からボスポラス海峡を挟んだ拝火文化圏で多く産出される。フリュギアの膝元では冶金技術が継承されており、先の大ダルマチア戦争では、この技術によって鍛えられた武具が、多くの殉教者を生んだのである。


 時は変わって現代。飛竜を用いた航空戦力の配備は、構想こそ数百年前より存在していたが、ブリタニアによってこれは実用化されようとしていた。これより人々はこぞって飛竜を駆り、空が新たな戦場のひとつとなるだろう。そこで需要が膨れ上がるのが、フリュギアの持つ希少金属の鉱脈と、その冶金技術である。銃の普及によって、嗜好品の材料にまで貶められていた高純度レアメタルは、その加工法とともに、フリュギアにとって石油も同然の高級資源として返り咲きつつあるのだ。


 飛竜を御する手綱、外敵からの攻撃にも耐えうる装甲。これらを実用化するため、ブリタニアはフリュギアを同盟に雇い入れた。そして新技術による生産の効率化と品質向上により、ついにブリタニアの目論みは結実した、というわけだ。


 モスクワの連中が聞いたら青くなりそうな話だ。オーギュストは手を叩いて笑いたくなった。


「そこに、我々は一枚噛ませてもらえるというわけか」


「ヘルヴェチアの兵器開発と大量生産技術は、諸国家の五十年先をいっていると聞きます。お互い、有意義な取引だとは思いますが」


 世辞めいた言葉を絡めながら、女性士官が言った。


「まるで我々がタチの悪い武器商人みたいな言いぐさだ」


 不本意なレッテルにぼやいてみせながら、しかしオーギュストは右手をアミルの前に差し出していた。


「だが同じ武器商人どうし、仲良くやるとしようじゃないか」


 彼の皮肉の意図を汲んだアミルは、小さく青い手を差し出し、硬い握手を結ぶのだった。

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