第14話 週末

 入学式翌日、土曜日。

 鈴代高校では、入学式の後土日を挟んで、月曜から新入生オリエンテーションや授業等が始まる。

 その二日間に多くの新入生は、終わらなかった宿題達と格闘するのである。

 麗奈もまた、朝早くから部屋に篭り、必死の形相で机に張り付いていた。

「麗奈。昼御飯出来たよ」

 エプロン姿の萩が部屋まで呼びに来たので、麗奈は新しい教科書を睨みながら階下へ降りた。

 ダイニングテーブルに着いても教科書を離さずにいると、テーブルの反対側から裕が訝し気な顔で教科書を覗き込んでくる。

「何にそんなに悩んでるんだ?」

「数学。教科書読むだけで解るわけないのに、宿題が予習二十ページとか有り得ない」

「は、まだ終わってなかったのかよ」

「うるさい! 笑うな馬鹿!」

 裕を怒鳴りつけたところで、萩が皿を運んできた。今日の昼食はオムライスのようだ。

「とりあえず食事中は教科書は置きましょー」

 上から萩に教科書を奪われて、麗奈は考えるのを諦めた。

「やばい。終わらない」

「一ヶ月何してたんだかなぁ」

 からかうように笑った裕を睨んで、麗奈は口を尖らせる。

「……読書感想文にてこずって……そう言う裕はどうなのよ! やってるようには見えないけど?」

「ああ、うん。先週には全部終わらせたからな」

「はぁ!? 全部!?」

「うん、全部。見せて欲しいか?」

「う……」

 麗奈は困って口をつぐんだ。見せて貰えたら助かるが、あまり易々と裕に助けられるのはプライドに障る。

「……えーと」

「見せて欲しかったら交換条件だ」

「交換条件?」

「メシの後、公園行ってバスケに付き合え。そしたら見せてやる」

「それって裕がバスケやりたいだけじゃん」

「見せなくていいなら来なくていい」

「あっ、僕行く!」

 いきなり麗奈の隣で萩が声を上げた。

「英語の訳見せて。さっぱりなんだ」

「わかった。で、麗奈は? バスケくらい出来るだろ」

「ご一緒させて頂きます」

「了解。……覚悟しろよ!」

 箸の先を向けて、何故か裕は宏に向かって宣戦布告した。

「お行儀が悪……はい? 私ですか?」

「そ。お前」

「ですが、私は家事が――」

「関係なし、絶対来い。奇数じゃゲームにならんだろ」

「はぁ、それでは」

 そもそも四人でもゲームは出来ない筈だが。

「宏さんって運動出来るんですか?」

 麗奈が驚いて尋ねると、宏は「まぁ、多少は」と答えた。

「へえ、意外。てっきり、宏さんって文系かと……」

「おい、待て。こいつ今激しく謙遜したからな」

 麗奈の言葉を遮って、裕がぼそりと言う。

「……え?」

「こいつのバスケの腕、半端無ぇぞ」

「そうなの!?」

「裕に教わったんですけどね」

 悪戯っぽく笑った宏を、裕は悔し気に睨む。

「だから、今日こそぶちのめす!」

「頑張ってくださいね」

「……――ッ!」

 柔らかな笑顔の挑発である。負けず嫌いな裕は左手で机をバンバン叩き、宏に手首を掴んで止められた。


 ◇


 霞原にある自然公園の片隅には、バスケットボール用のコートがある。

 誰でも自由に使っていいように解放されてはいるものの、霞原に活発な若者が少ない所為か、それとも駅前に市民体育館が造られた所為か、いつ行っても使える程に利用者は少ない。

 そしてそのコートで、四人という少人数で熱戦を繰り広げるグループがいる。もちろん、民宿狐荘の従業員及び宿泊客ご一行である。

「麗奈そっちだー!」

「萩さん!」

「はい、パス」

「あー、ごめん裕!」

「いけっ、宏ちゃんシュート!」

 ザンッ。

 ネットが揺れ、宏と萩がハイタッチする。

「うっわ、また三点かよ」

「無理だよ裕、宏さんからはボール取れない」

 肩で息をしながら、麗奈と裕はがっくりとうなだれた。


 裕の言った通り、宏の腕はかなりのものだった。宏の手に渡ったボールは、ほぼ確実といっていいほど吸い寄せられるようにゴールネットを通過するのだ。しかも、コートの真ん中からでも真っ直ぐに。

 正式な人数で試合をやったとしても、相手の妨害など何のそので点数を取ってしまいそうだ。

「くそー、じゃあ次俺と宏交代。麗奈が宏と組め」

「……裕は自分が宏さんに勝ちたいだけじゃん」

「課題見せてやらないぞ」

「はいはい……」

 裕の性格からして、自分が指導をした宏にバスケで負けるのが悔しいのだろう。出藍の誉という言葉もあることだが、やはり納得いかないらしい。


 結局裕は萩と組んで挑んでも勝てず、なんと三対一でも余裕で点を取られ、ボコボコにされたところで自ら中断を申し出たのだった。

「宏さん強いですね……」

 ベンチで休みながら麗奈が嘆息すると、宏は謙遜して首を振った。

「いえ……四人ですからね。人数が多かったらそうでもない筈です」

「またそんなー。絶対腕が良いんですって」

「……有難うございます」

 少し嬉しそうに微笑んで、コートの方に視線をやった。裕と萩が、コートを半分使って一対一でシュート対決している。

 どちらもそれなりに運動神経が良いようで、強すぎる宏とハンデになる麗奈がいなければ、互角な争いだった。

「……二人とも体力あるなー」

「裕はあれでも頑張って鍛えたんですよ」

「へぇ。あ、萩は山暮らしだからって自分で言ってました」

「運動できるって良いですよねー」

「……それを宏さんが言いますか」

「すみませ……」

「いや、謝るところじゃ……、宏さん?」

 突然勢い良く背後を振り返った宏に、麗奈は首を傾げた。

「どうかしました?」

「今、何か……視線を感じたんですが」

 微かに眉を潜め、裕の方を見遣る。

「裕が何も言わないところを見ると、大丈夫みたいですね」

「そう……ですか」

 何だったのだろう、と少しだけ気になったが、その疑問はすぐに頭から消えて無くなった。

「あれ、珍しく先客がいる」

 すぐ近くに人の気配が立ったのだ。聞こえた声に振り返ると、麗奈と同じ位の年代の少年が二人、バスケットボールを抱えてコートの脇に立っていた。

「あ……裕、萩! そろそろ休憩したら。次の人来たよ」

 麗奈が呼び掛けると、二人は振り返ってボールを止め、大人しく戻ってきた。

 二人共汗びっしょりで息が上がっている。どうやら勝負の止め時が判らず、やめようにもやめることが出来ずに続けていたようだ。

 ベンチの前で座り込んだ二人を、後から来た少年達は何やらじっと見つめていた。

 麗奈がそれに気付いて眉を潜めると同時に、思い当たったかのように一人が手を叩く。

「稲崎だ!」

「はぁ?」

 名字を呼ばれた裕が不審そうに振り返った。

「……どちらさん?」

「あー、覚えてないのも無理ないか。俺、杉元正樹。一年四組であんたの前の席だったよ。あんた稲崎だろ」

「そうだけど……、話もしてないのに良く判ったな」

 裕が感心したように呟く。

「だってその髪目立つもん。地毛なんだっけ」

「……まぁな」

「で、そこのアナタ!」

 突然、正樹と名乗った少年が勢い良く振り返り、びしっと麗奈を指差した。

「はい?」

「同級だよな。多分」

「一の四なら一緒だけど……」

「俺、ホームルームの時にクラスメイトの名前と顔、一回で全員覚えようと思って頑張ったんだ」

 自信有り気に言い、腕を組む。

「……確か、女子の中で真ん中らへんだったな。で、席が後ろの方だったから……」

 しばらく考え込み、出した結論。

「何か、高菜とか野沢菜みたいな名前だったよな!」

「……高沢麗奈でーす……」

 彼の記憶力は少し惜しかった。

 一方、正樹と一緒に来ていた少年は、萩の隣にしゃがんで話し掛けていた。

「家、このへんなのか?」

「ううん、泊まってんの」

「そっか」

「萩? お友達?」

 麗奈が尋ねると、萩は嬉しそうに頷く。

「うん。僕の後ろの席の中村くん」

「京介でいいって言ったろ、中村なんて一年でもいっぱいいるんだから。あ、俺は五組の中村京介です。正樹とは同じ中学」

「すげーなー、隣のクラスの出席番号連番二つが友達同士って偶然!」

 正樹が何気無く言った言葉に、敏感に反応したのは裕だった。

「それは……杉元と中村が友達で、俺とこいつが友達って意味か?」

 萩を指差しつつ、ゆっくり尋ねる。

「だってそうだろ?」

「違う」

 即答。

「こいつと友達になった覚えはない。断じて。絶対」

 きっぱりと言い張った裕に、正樹と京介がキョトンとする。

「え、だって今、一緒にバスケ……」

「交換条件でやってただけだ。勝手に友達にすんじゃねぇ」

 急激に機嫌が悪くなった裕の剣幕に、二人は思わず「はい」と答えていた。

「そこまで言わなくてもいいじゃん」

 不服そうな萩を、裕はキッと睨む。

「お前と友達にされて堪るかよ」

「変にプライド高いんだから……」

「英語のノート見せないぞ」

「あっ、今の嘘」

 二人のやりとりを見た京介と正樹は、「交換条件ってそれか」と納得したようだった。


 正樹と京介に宏を紹介した後、二人も加えて人数が六人になったので、スリーオンスリーでゲームを再開することになった。

 裕の希望で再び宏を相手に不公平すぎる試合が繰り広げられ、流石の宏も五人相手には勝てずに惜敗した。裕はそれでも満足した様子だ。


 夕方、民宿に帰った麗奈と萩は、やたら機嫌のいい裕から約束通りノートを借りて宿題を終わらせたのだった。

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