第13話 新学期

「ほら見てー、似合う?」

真新しいブレザーに身を包み、まだ型の崩れていない綺麗なバッグを肩に掛けて、麗奈はくるりと一回転して見せた。その勢いで、プリーツスカートがふわりと広がる。

「はい。素敵です」

「早いなぁ、もう高校生なんだ」

 宏がにっこりと答え、その隣で萩が拍手した。

 萩の台詞に多少違和感はあるものの、五年前からの付き合いなので彼は麗奈の小学生時代を知っていると考えれば納得がいく。

 どうせ訊いたところで、実年齢は教えてくれないのだろうし。

「良かった」

 麗奈は掃き出しのガラス戸に映った自分の姿を確かめて、襟元のリボンの向きを直した。

 今日は、待ちに待った鈴代高校の入学式だ。

「まだ早いけど、遅刻よりはマシかな。そろそろ行くね」

「道に迷うなよー」

 台所で自分の使ったコップを洗いながら裕が茶々を入れる。

「迷わないよ」

「だってお前、うちに来たとき迷ってただろ。しかもこんな簡単な住宅街で」

「うるさい!」

「はいはい」

 裕はからかうようにキッチンを出ていった。

「まったく……」

 その時、テーブルの上にあった黄色いクマのぬいぐるみが目に入った。クマの持った壺には、両親からの電報が入っている。

 入学式に出られなくて申し訳ないと、両親がぬいぐるみ付き電報を送ってくれたのだ。

「じゃ、行ってきます」

 ぬいぐるみの頭を軽く叩いて、麗奈は鞄を肩に掛け直した。

「行ってらっしゃい」

 宏と萩が、笑顔で手を振る。

 三和土たたきで新しい真っ白な運動靴を履いて、麗奈は玄関のドアを開いた。

 合格発表の日にも通った河原を、同じ制服を着た学生達がちらほら歩いている。在校生であれば今はまだ春休みだから、彼等は皆麗奈と同じ新入生ということになるのだろう。

 この中の誰と同じクラスになって、誰と友達になるのか。考えるだけで胸が弾む。


 校門には「入学式」の看板が立っていて、その前で順番に写真を撮影している親子が何組かいた。

 両親の来ていない麗奈には少しだけ羨ましかったが、宏が入学式が終わる頃にカメラを持って来てくれると言っていたので、あとで撮ってもらうことにする。

 校門に入ると、生徒会の腕章を付けた、係らしき上級生が受付で新入生の名前を確認してクラスを教えていた。

 麗奈も自分の受験番号と名前を告げ、自分のクラスを教えてもらう。麗奈は四組だった。

「新入生さんは自分の教室に入って待機してください。場所分からなかったら聞いてねー」

 ふと、近くで聞こえた声に振り返る。受付と同じく腕章を付けた上級生の少女が、新入生を導いていた。

 麗奈に気付いてこちらを向いたその顔が、「あ」と口を開いて固まる。

 しばらく麗奈の顔を見つめた後、彼女の顔がぱっと輝いた。

「あぁーっ! 麗奈だあ!」

「先輩、お久しぶりです」

 嬉しそうに駆け寄ってきた彼女は、麗奈の中学時代の部活の先輩だ。この学校を選ぶときにアドバイスももらった、とても世話になった人である。

「そういやここ受けるって言ってたもんねぇ! 入学おめでとう!」

「ありがとうございます! 先輩は生徒会なんですか?」

「そうよ副会長よぉ」

「また一年よろしくお願いします」

「こちらこそ。テニス部も見学に来てね。んでよかったらまた一緒にテニスやろうよ、強要はしないけどさ」

「いえ! ぜひやりたいです」

「マジで!? おっしゃー、さっそく新入部員獲得!元気そうで何より。んじゃアタシ仕事あるから、またね!」

 手を振って持ち場に戻った佐藤を見送って、麗奈は一年四組の教室に向かった。


 ◇


「裕、萩さん。そろそろ時間ですよ」

「わかってる」

「はぁい」

 宏の呼び掛けに返事をして、裕と萩の二人がダイニングに戻ってくる。

 並んだ二人の姿を眺め、宏は穏やかに微笑んだ。

「お二人ともお似合いですよ」

「……俺が何着てもお前は似合うとしか言わないだろ」

「え? いえ確か、以前スーツを着た時に一度、はっきりと『似合わない』と申しあ……」

「うるさい黙れ」

「はい」

 裕に一喝された宏は肩をすくめ、「あれはデザインが悪かったんだ」とブツブツ言っている裕の背中を玄関まで押していった。

「ほら、遅れてしまいますよ」

「こらノロマ犬、早くしろ」

「うっせぇ短足!」

 玄関を開けて待つ萩に減らず口で返した裕が玄関のドアノブに手を掛ける。宏は微笑んで送り出した。

「お気を付けて」

「行ってきまーす」

 機嫌良く手を振った萩に続き、裕も宏に軽く手を上げてから、さっさと歩き出した。

「さて……」

 閉まったドアを見つめ、宏は腰に手をやる。

「……カメラを用意しなくては。晴れ姿を撮って差し上げなくてはいけませんね」


 ◇


 教室に着くと、麗奈は黒板に貼られた座席表を確認し、一番後ろの自分の席に着いた。周りにいるのは皆知らない人ばかり。これから付き合っていく、新しいクラスメイト達だ。

 麗奈の前の席には、既に女の子が座っていた。

 鞄を机の横に掛け、式まではまだかなり時間があるのですることもなくじっと座っていると、前の少女は数回振り返り、少し躊躇う素振りを見せた後、恐る恐る麗奈に話し掛けてきた。

「あの……」

 色素の薄いショートカットの髪にピンクのヘアバンドを付けた、可愛らしいイメージの少女だ。

 くりくりした茶色の瞳が、緊張の為か揺れている。

「えっと……どこの中学から来たの?」

「あ、あたしは……まぁ、遠いとこ。下宿してるの」

「へぇ、凄いね。私も遠くからこの間引っ越してきたの。……だから友達いないんだ」

「あたしも……」

「じゃあ、お互いこの町で最初の友達ってことで、いいよね。よろしくね」

 少女がニコリと微笑む。少し緊張していた麗奈は肩の力を抜いて、微笑み返した。

「うん、こっちこそ……えーと」

「あ。私、佐竹弥生です。ヤヨとか弥生って呼ばれてる」

「高沢麗奈です。麗奈でいいよ」

 初めて(民宿の二人と萩を除いて)出来た友達は、穏やかそうな少女だった。この子となら上手くやっていけそうだと、麗奈は密かに安堵した。


 そのうち、少しずつ教室の中の人数が増えてくる。

 早速仲良くなった弥生と部活を何にするかという話で盛り上がっていた時、突然弥生が教室の入り口を見て目を丸くした。

「麗奈ちゃん……みてあの人。金髪だ」

「ちゃんはいらないって。金髪? 誰が」

 と、振り返った麗奈は、弥生の示した人物を見て唖然とした。

「…………え」

 クラスの何人かが、ざわめいて視線を送っていた彼は。

 麗奈が最近見慣れ過ぎている程会っている、その彼だった。

「でえぇぇ――!?」

 妙な奇声を上げて立ち上がった麗奈に、今度は視線が集まる。

「ゆ……裕!?」

「……げ」

 入り口のドアの前で立ち止まった裕は、数歩下がってドアの上の「1-4」のプレートを確認し、教室を覗いて麗奈の顔を確認し、

――を三回繰り返して、苦い顔をした。

「……マジかよ」


「なんであいつが此処に……」

 がっくりと椅子に座った麗奈を唖然と見つめていた弥生が、静まりかえった教室で声を潜めて尋ねる。

「……知り合い?」

「……うん……」

「……そっか」

 教室に入った裕は、珍しがる周りの視線を気にも止めず、黒板に貼られた座席表を見て自分の席に着いた。

 麗奈の席とは比較的離れている。麗奈は暫くその後ろ姿を睨んだ後、意を決して立ち上がり、裕の席まで行って目の前に仁王立ちになった。

 荷物を置いて机に肘を突いていた裕が視線だけを上げる。

「……何」

「聞いてないんだけど!」

「何を」

「あんたが此処に入るなんて聞いてない!」

「だろうな。言ってねぇし」

「なんで此処にいんのよー」

「受かったからだろ」

「じゃなくて!」

 裕が溜め息を吐いて顔を上げた。

「お前、この学校の受験案内どうやって手に入れた」

「萩に貰ったけど」

「……あれはもともと俺が取り寄せたやつで、俺があいつに頼まれたから渡してやったんだぞ」

「え。そ……そうなの?」

「そうなの。お前がここを受けると決心した時は既に俺は願書を提出してたの」

「あ、そうなんだ……えーと……なんかごめん?」

「いいけど」

 結局何のために行ったのか分からないまま、何故か謝罪して帰ってきてしまった。

「あぁーもう」

 席に帰ってきた麗奈を、苦笑して覗き込む弥生。

「れ、麗奈ちゃん?」

「別にいいけどさー、……折角なら知らない人しかいない所でやり直したかったなぁっていうか」

「あー……そういうこと」

「しかもアイツ何気に学ラン似合ってるし……」

「……もしかして仲いい人?」

「良くはないよ。友達はいないって言ったでしょ?」

「ふーん……」

 弥生は暫く裕を眺めた後、話を戻すように再び麗奈の方を振り返った。

「ね、それで部活どうするの? 文化部と運動部どっち?」

「あたしは運動部かな」

「運動できるんだ、すごいなぁ」

 緊張した生徒ばかりの静かな教室で二人だけ盛り上がっていると、「もうすぐ式が始まるので出席番号順に並んでください」と、佐藤ではない他の生徒会役員が新入生達を迎えに来た。


 ◇


 入学式は恐ろしく退屈だった。

 校長だの教頭だのPTA会長だのが一方的に祝辞を述べていく間、麗奈は幾度となく船を漕いでは隣の弥生に肩を叩いて起こされた。

 式が終わり、クラス担当の教師に引率されて自分の教室に帰ると、最初のホームルームが始まった。ホームルームといっても書類を配布されたり学生証の台紙に名前を書いたりするくらいのものだ。

 それで終わるかと思いきや、最後に一人一人自己紹介をさせられることになった。

 出席番号一番の男子から順が回り始める。ふざけて笑いを狙う者もいれば、真面目に名前と出身中学のみを言う者もいる。

 裕の数人前まで回ってきたところで、麗奈はふと、自分が裕のフルネームを知らないことを思い出した。今まで、自分でも不思議なほど全く気にならなかったのである。

「……――です、よろしくお願いします」

 裕の前の席の男子が礼をして席に着くと、次は裕の番だ。

 椅子を引いて立ち上がると、裕が少し聞き取りにくいくらいの小さな声量で口を開いた。

「……稲に崎と書いてとおざき、裕です。この髪は染めてんじゃなくて地毛なんで。――よろしく」

 さっさと告げてさっさと席に着いてしまった。しかもずっと無表情だ。

(稲崎っていうんだ……)

 自毛だって、とか、別に怖そうじゃないね、と、クラスのあちこちで囁き声が上がる。

 ……笑って挨拶すれば絶対すぐ友達出来るのに。

 勿体無い、と溜め息を吐いて裕の背中を見ると、心なしか体を固くしているようにも見えた。

(あ、そういえば裕って人見知りするんだっけ)

 一人納得して、自分の番を待つ。

「佐竹弥生です、たくさんお友達作りたいのでどんどん話し掛けてくださいね。よろしくお願いしまーす」

 可愛らしい笑顔で弥生が自己紹介した後、麗奈も

「早くみんなと仲良くなりたいです」

 と、精一杯の作り笑顔で自己紹介を終えた。人前で喋るのはどうも苦手だ。


 ホームルームが終わって、下校の時間。

 生徒達がぞろぞろと帰っていく中、麗奈は帰りの支度を済ませて窓から校門の方を窺っていた。

 宏が来るのを待っているのだが、校門付近は生徒と保護者でごった返していて、見付けるのは大変そうだ。

 教室の生徒が全員出ていった頃、通学バッグを肩に掛けた裕が、麗奈の隣に立って窓から外を見た。

「帰らないのか」

「ん? 宏さん待ってんの。写真撮ってもらうんだ、親に送るやつ」

「そ。じゃあ先に帰る」

「もしかして待っててくれたの?」

「だってお前迷うだろ」

「しつこいっ」

 ガタッと音を立てて立ち上がると、裕はくつくつと喉で笑って一歩下がった。

「じゃな。精々無事に帰ってこいよ」

「るっさいな。帰れ帰れ」

 手の甲でシッシッと追い払う素振りをする。

 裕が教室の前のドアを開けた時、それと同時に後ろのドアが勢い良く開いた。

「麗奈いる?」

「へっ?」

 驚いて振り返ると、そこで手を振っていたのは。

「萩!?」

 だった。驚愕と共に彼を出迎えるのはこれで二度目だ。

「やっほー」

「なんであんたまで!」

「んー、受かったから?」

「そうじゃなくて……」

「えへへ、便乗ー。びっくりした?」

「便乗ってねぇ」

 萩は嬉しそうに麗奈の立っている隣の席に座った。

「僕、一回でいいから学校に行ってみたかったんだ」

「え……行ってなかったの? ていうか同級生!?」

 色々と引っ掛かって混乱する麗奈に、萩はニコニコしながら言う。

「行ってなかったよ。一応中学までの学力はちゃんと勉強して付けたけどね。あと、歳は同じじゃないです」

「じゃあ何で……」

「僕等は人間とは成長の早さが違うから」

 そういえば以前、そんなことを言われたような気がする。そうでなくても萩はもともと年齢不詳だ。

 教室を出て行こうとしていた裕が引き返してきて、バッグを萩の頭に載せた。

「こいつ、お前が受験するって決まった途端『じゃあ僕も受けるぅ』って」

「駄目だった?」

「いや。ただ、滞納してる宿泊費のゼロの数が次第に半端無ぇことになってるけどいいのかなぁと」

「ちゃんとその分働いてるじゃん」

「あれはカウントされません」

「お金無いよ」

「借金してでも払え」

「どう思う麗奈?」

「どっちもどっち」

「…………」

 どうでもいい麗奈はどうでもよく返事をした。

 黙る二人をじろじろと眺めて、麗奈は手を顎にやる。

「学ランねぇ」

「……何だよ」

「似合わない?」

「いや、似合ってると思うけど……なんか印象変わったね」

「印象?」

「だってあたし、昔から萩は和服着てるとこしか見てなかったし、年上だと思ってたし。それに裕なんか、ボタン上まで閉めてるのが意外」

 裕と萩は顔を見合わせて、自分の姿を見下ろした。

「いや、流石に入学式から着崩す訳にはいかないだろ」

 と、裕。

「あ……そういうの気にするタイプなんだ」

「やっぱり袴とはやっぱ印象変わる?」

「うん、萩は和服だともっと老けて見えた」

「……老け……?」

 軽くショックを受けた萩。

「あ、そういう意味じゃなくて……カンロクっていうんだっけ、大人っぽいってこと!」

「……ならいいんだけど」

 その時、ふと窓の外を見た麗奈は待ち人を見つけバッグを持って立ち上がった。

「宏さん来たよ!」

「……じゃあ下りるか」

 三人連れだってぞろぞろと教室を出る。


 校門に行くと、宏がデジカメを持って待っていた。

「皆さん一緒だったんですね。クラスはどうでした?」

 ニコニコしながら、宏が尋ねた。

「俺と麗奈が四組。こいつは幸い五組」

「幸いって何だよ」

 裕の言葉に素早く萩が反応して睨む。

「あれ、萩って隣なの?」

「そうそう。お隣さんだよ」

「良かったですね、皆さんクラス近くて」

「良かねぇよ」

 心底嫌そうにそっぽを向いた裕に、宏は苦笑する。

「じゃあ麗奈さん。ぱぱっと撮っちゃいましょうか」

「ですね」

 校門の看板の隣に『気を付け』で立って、宏がデジカメで手早く撮影。

 麗奈が看板から離れようとすると、宏が掌で制止した。

「はい、じゃあ次は三人並んでください。皆さん一緒に撮りましょう」

「はぁ!?」

 宏の提案に、裕が激しく首を振る。

「断る!」

「ほら並んで」

「絶ッ対嫌だ!」

「早くー」

「後ろの人待ってるから」

「何で俺が……」

「来なさいっつってんじゃん馬鹿!」

「ば……?」

 結局、麗奈の一喝で裕は渋々了承し、三人並んで記念写真を撮影した。取れた写真をデジカメの画面で確認しながら、宏は嬉しそうに微笑んでいた。


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