17話 ティーンエイジを抱いて眠る






 純文学の印象は二つ。


・文章は読みやすさより自由さ、美しさが目立つ。

・展開ではなく、心情、それに伴う行動で話を面白くしている印象


 つまりこれらを意識すれば純文学?

 しかしノートにプロットを書こうとしても筆が止まる。あと、自分の感情や伝えたいことをバランスよく入れるんだよな……それは全小説そうだけど……と思って、感情を書き出してみた。でもエターナルビューティの頃と比べて、感情の変化はない。





 秋ごろにはTwitterでとある創作企画が盛り上がっていた。お題を決めて、それぞれが1時間程度(実際には2時間とか3時間とかかかるけど、まあ別にいいよねっていうゆるさ)で執筆して、文体、話の展開、お題の使い方、キャラクターなどから誰がどの小説を書いたのか当てる企画である。


 高校生の頃、この企画に参加して文章力が上がったことを思い出す。Twitterのフォロワーは化け物揃いなので、必死に彼らみたいな綺麗な文章を書いて、1人でも多くの人に、尊敬するフォロワーに間違えてもらおうとしていた。


 秋に書いた小説は、エターナルビューティを書き上げた勢いもあって、いい文章、いい小説が書けた。実際、色んなフォロワーが好きだと言ってくれて、励みになったのを覚えている。この時はひたすらに自分の大好きな景色を文字にして綴っていた。それがウケたのか、はたまたキャラが良かったのかはわからない。でも少しずつ自信は降り積もっていた。



 ミステリーは書きやすい。

 面白さの山場は、謎の発見と、謎の解決に収束する。それまでの繋ぎは、話を展開しながら伏線や、たまに文章で遊んだりしてみる。一度トリックさえ考えてしまえば、必死に文章を紡ぐだけだ。

 純文学はわからない。山場を作るのが難しいし、物語の目標地点がない。純文学を理屈で作るのは、難しいのかもしれない。ミステリーで役に立った理論が、ことごとく通用せず、書いては消しての繰り返しの果てに、明日書こう、明後日は、明々後日は……と時間を消化するだけの日々。


 メモ帳には1000字にも満たない、こんな気持ちを小説にしたい。という投げやりな感情だけが溜まっていた。


 なんで19歳で芥川賞を獲れるんだ……

 なんでこれが書けるんだ……


 いつぞやに買った『蹴りたい背中』を見返しながら思う。ぼくも成人が近づいている。別に、19歳までに成し遂げたいことがあったわけじゃない。ただ19歳と20歳の間を流れる川の深さを想像すると、底が見えないように思える。たった1個の差で、大人と子供。まして19歳。節目の18と20を漂う中途半端なぼくは何者で、これから一体何者になるんだろう?


 いっそ若さを凍らせて、そのままでいられたら。


 ティーンエイジを抱いて眠る


 なんとなしに思いついた単語から、アイデアを広げる。青春特有の焦り、時間が怖い、踏み出すたびに臆病になる……


 小説にぼんやりとした輪郭が生まれた。でも、なかなか形をあらわさない。霧の中で、ゾンビのように彷徨って、気づいたら創作の海に溺れてる。必死で陸を探して、足掻いて、なんとか一命をとりとめたら、また踏み出すのが怖くなる。足がすくむ。


 でも、面白くないといけない。


 面白くないと生きていけない。


 常に文芸部・池添海人は、走り続けなければいけない。

 何よりも自創作を潰されないように、

 そして文芸部を変えるために。


 批評日が、刻一刻と迫っている。


 

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