第30話 ドゥーンと卵
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周囲の風景が元の岩場に変じ、そこにいたトワイ、ノエル、レイチェル、マティーファの四人を見て、俺は自分が過去から戻ってきたことを自覚した。
「……」
それでも未だ、俺の体には芯が抜けてしまったような感覚が残っていた。
過去。かつての俺。かつての俺のそばにいた「もの」。
脱力とも疲労とも違う何かが、周囲の気温が低いこととは関係なく、俺の指先を細かく震わせていた。
だが今は、あそこから帰ってこられたことを喜ぼう。
それに、うまく五人ともがあの「食事」を回避できていたならば、それはあの大魔獣の「糧」を奪い尽くしたことにもつながるはずだ。
そうであるならばきっと、「概念反射」は働かない。
攻撃のチャンスである。
俺は周囲の皆を見た。
「……帰って、きたようだな。むう。あまり思い出したくない記憶だったが」
そう言って頭を押さえるのはトワイ。
「いや、なんだろう。ふう。あー、たかぶる! 普通に楽しかったが!?」
そう言って、上気した顔で唐突に素振りを始めたのはノエルだ。
二人とも、発言を聞く限りはちゃんと「勝って」帰ってきたようだ。
おそらくは「勝ち」の定義も各々で異なるだろうから、一概にそうとも言えないのが不安要素ではあるが。
顔を横向ければ、そちらではマティーファが青い顔で口元を押さえていた。
「う、っぷ。あー、吐きそうだわぁ……なんか……勝った気もしないしぃ」
そう言っているとはいえ、特に魔獣の攻撃前と変化がないあたり、マティーファもまた「無事に」戻ってはきたようだ。
次いで俺は、右、そこにいるレイチェルへと視線を向けた。
そうして見えたレイチェルの横顔には、他のメンツとは違い特段表情や体調に変化が見られなかった。
腕組みをした偉そうな態度のままで、南に見える巨大魔獣の方向を黙ったまま見据えている。
レイチェルが言った。
「のうドゥーン。わらわちょっとききたいのじゃが」
「……なんだ?」
俺は嫌な予感を抱えつつレイチェルへと問いを放つ。
そしてレイチェルは言った。
「わらわ、どうしてスターオリオンの家を出たんじゃったかのう」
思いっきり「食われて」いた。
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そこからの流れは早いものだった。
「!」
南、はるか遠くでこちらに目を向けていた大型魔獣が、唐突にこちらへと一歩を踏んだのだ。
一歩、とはいえそれは天を突くような巨体の話。地殻は踏み砕かれ、森は潰れ、ぎゃあぎゃあと聞こえてくる野生動物の鳴き声は、うっすらとここへと届くものですら尋常なものではない。
ご、と強風が通り過ぎた気がした。
それはしかし、魔獣の咆哮から生じた衝撃波だった。
以前、湿原に出没した個体も「とりあえず一丁」と放っていたものだ。
直近であれば部隊を壊滅させ、遠くで受けても、その威力は気流を乱して地面をめくる。
そこに攻撃の意思はなく、その咆哮はただ威嚇や息継ぎのような気軽さで放たれたものに過ぎない。
だが、
「弱い……!?」
明らかに前見たものよりは規模が小さい。
衝撃、というよりそれは突風で、攻撃力、というよりそれは頬をはたくような、気付けのような一撃だった。
と、その時、焦ったような「声」が周囲に響く。
──た──
──た、まご……!──
守るべきものが魔獣の足元で危機にさらされているのだから、精霊の焦りもごもっともだ。
しかし、ここで焦ってはなせるものもなされない。
俺は、精霊への呼びかけと共に、周囲へと指示を飛ばすように叫んだ。
「明らかに弱ェ……!『食事』が半端だったせいだ! まだチャンスはある!」
そう言ったなり、俺の背後から複数の気配が前方の空へと向けて飛び出した。
総勢十一名、翼人メンバーたちからなる高機動部隊「稲荷風」だ。
十名の影が前方へと向けた高速の飛翔を打ち、そこから少し遅れた最後尾からこちらへと声をかけてきたのは、よく見知った顔の炎髪鴉翼の翼人だった。
「私たちが魔獣の気を逸らすから、そのうちになんとかしなさぁい!」
マティーファが翼を広げながらそう叫び、俺は「偉い!」と思わず口に出しそうになり、
「……」
「な、なんなのよその曖昧な笑顔はぁ!」
それはちょっと俺にもわからん。
わかる前に、マティーファは前方の十人を追いかけるようにして、飛び去っていった。
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前方の空で翼人たちが十一の方向へと散開し、その姿が豆のように小さくなっていく。
俺はそれを黙って見ていることをよしとせず、何を言うでもなく前方へと飛び出した。
山の中腹にあるこの岩場は、少し南へ踏み出せば急激に傾斜がキツくなる。
そこをすべるようにして降りながら、俺は自分の左右を見渡した。
そこには当然のような顔をしたノエルとトワイが俺と同じように飛び出してきていて、トワイがそうしている、ということは、それは「暮れずの黄昏」の意思だということだ。
およそ三十名の「黄昏」メンバーたちが、トワイに付き従うようにして崖を滑り降りていく。
トワイが言った。
「俺は何をすればいい?」
その隣ではノエルもまた大剣を肩に担ぎながら俺の言葉を待っており、ふたり共にやる気満々といった表情だ。
俺は言う。
「魔獣はもう動き出しちまったからな。こうなったらもう、『卵』がやられちまってないことを祈って、急いで回収に行くしかねェ」
「なるほど」
俺は精霊に語りかける。
「精霊! あンたの力で卵を回収することは……」
──たまご──
──でりけーと──
──にんげんとちがって──
なぜかまたディスが入って遺憾だが、ともあれやはり俺たちがなんとかする必要がある、ということらしい。
「魔獣はおそらく満足に食事を得られねェで弱体化してる。だから」
「一発いっとくか」
「……まァ最終的にはな」
だがその前に、
「『概念反射』が働いてるかどうか。働いてンなら、それがどれほど弱体化してるか。そのあたりを先に探る必要がある」
「なるほど。ならば俺の出番はそのあとか。だとしたら……」
「──俺たちの出番だぜ……!」
そう言いながら、俺たちとは違いもはや駆け抜けるように斜面を降りてきてこちらと並んだのは、上半身裸の無手空拳使い、ガトー・トールギスの姿だった。
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ガトーが言う。
「前回は相まみえる機会がなかったがな!『概念反射』ってのは、つまりはあらゆる攻撃の威力をそのまま返しちまうんだろう!? だが……」
ガトーは己の拳を胸の前に掲げて、それを固く握りしめた。
「闘気も魔力もこもらない、純粋な拳であればどうだ!? 通じるんじゃねぇのか!」
それは、
「わかンねェ」
「どうだろうか」
「それで通じたら苦労はないんじゃないの?」
「おめえらノリ悪いんだよ!」
だが、とガトーは言う。
「わかんねえ、ってことは試す価値がある、ってことだぜ! そうだろうギルドマスター!」
「それは……そうかもな。うん。その通りだ」
「おいおめえら聞いたか! 我らがマスターのお墨付きだ!」
そのガトーの言葉に対し、応、と叫んだのは、ガトー以下七名の武闘系戦闘職のメンバーたちだ。
だが、その人選を見る限り、
「マジの無手使いはガトー、おめェだけじゃねェか。大丈夫か? 無理させてねェか?」
俺の疑問に答えたのは、ガトーの後ろにつく武闘家たちの方だった。
「うっす! 大丈夫っす!」
「修行はねえ。まあ、してるからねえ」
「殴るだけ、ってなら特別な技術は──まあ人間相手ならいるけど、あれ相手ならどうにでもなるでしょ」
三者三様の答えが返ってきて、それを聞いたガトーはなぜか勝ち誇ったような笑み俺へと向けた。
「どうよ」
「……何が?」
わからんが、まあ嬉しそうなので放っておこう。
俺は言う。
「だったら、ガトーたち八人が先行して魔獣へと突っ掛ける! そンで『反射』があるならどうにか壊すか破るかして、ねェか壊すかしたらそこでトワイの出番だ!」
「なんか全体がふわっとしてないアニキ!?」
「文句あンなら対案!」
「すごいいい作戦じゃない? そうじゃない? ねえ?」
誰かれかまわず同意を求めにいって目を逸らされるノエルを横目に、俺はその隣を滑り降りていくトワイへと視線を送る。
そこにいた「勇者」と呼ばれた獣王武装の使い手は、すでに剣身に眩いばかりの光を溜め始めていた。
トワイが言う。
「……合図をくれれば、森のどこからであろうと命中させてみせる。だから……頼むぞ。ガトー、ランナ、リース、クレイブ、ヒューストン、ルルド、ミツバ、フェイ」
トワイがガトーとその後ろを走るひとりひとりへと呼びかけたなり、八人の格闘家たちは「応」と威勢よく応じるとともに、一斉に走る速度を上げて崖下へと飛び出していった。
それを見た俺は言う。
「残ったメンバーは、『卵』とやらの捜索だ! 証明すンぞ!『暮れずの黄昏』は、あらゆる任務において最優のギルドなのだということを!」
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そうして、魔獣に対する足止めと撃破の任務が同時に進行する中。
ローラー作戦によって「空白地帯」を探索していた俺とノエルとレイチェルは、やがて森の中で、霧に満たされた広場を見つけていた。
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