第29話 トワイライト・レイド


 》


 俺は、過去の俺に対して剣を振るう。

 無心になって剣を振るう。


 いくつもの剣閃が木刀に叩き込まれるが、しかしそれをもつ相手は怯まない。

 インパクトをのタイミングをズラし、俺の剣に対応をする。

 コンパクトに立ち回り、俺の動きを制限する。


 それは言うなれば、こちらの手数を相手の技術が上回っていくような相対だった。


 無論のこと、体のサイズではこちらの方が上だ。

 しかし力での圧倒が通じない以上、足を運ぶ速度では過去の俺が上回り、結果として俺は決定打を叩き込めずにいた。


 剣風の中、俺は言う。


「上手いな。さすがだ」


「そっちこそ、最近の大人にしてはなかなか。だけど」


 過去の俺は不敵に笑い、それから床を強く蹴ってこちらから距離をとった。


「『閃雷』」


 その呟きと同時、少年の木刀とは逆の指先に紫電が生じる。


 一瞬、目をつぶすような光が道場内に満ち、術式由来の放電現象が電速で俺の体を貫いた。


「殺す、とか言い出す不審者さんに遠慮はいりませんよね!」


 そう言った過去の俺の声は、その時すでに俺の直近にまで迫っていた。

 具体的には、俺の右後ろ。放った紫電を追いかけ、あるいは追い抜き、そのまま俺の死角へと回ったような格好だろう。


 放電により体を貫かれた俺に、回避の術はない。

 最低限の魔力消費で最大限の効果を狙う、よくも悪くも容赦のない戦法だった。


 だが、剣術ならまだしも「それ」だったら俺にだって造詣はある。


「『閃雷』」


 右へと流し見る視線の先、木刀を振り切らんとしていた過去の俺の顔が驚愕に染まった。


 溢れるような光が、俺の体から出でて道場内を満たした。


 》


 光が収まったあと、こちらの剣の間合いに過去の俺はいなかった。

 ただ、道場の板張りの床と壁に、俺を中心とした放射状の焦げ跡がついている。


 あくまで目潰しのために撃ったものなので、威力としては期待していない。

 だが目算よりもやや広範囲に流れた紫電の痕跡を見て、俺はふう、とため息をついた。


「なまっているな。久々にしては上々だが」


 そう言いながら左手を開閉する俺を見て、数メートル前方に着地した過去の俺が言った。


「……何ものですか本当に。近接系かと思いきや魔術式までおさめているなんて」


「別に。珍しいものでもないだろう」


 そう言って俺は、また左の指先に紫電を巡らせる。


「これくらいの術師、最前線にはゴロゴロいるぞ。まあ……子供の君が知らないのも、無理はないが」


 それを聞いた過去の俺は、見るからに不機嫌そうな感情で顔を染めた。


「……煽ってるつもりでしたら、残念ですね。知ってるんですよそれくらい。大体、俺が使えるのが魔術式だけだなんて勘違いしてもらっちゃ困るんですけど」


 そう言って過去の俺は、木刀の剣先で空中をなぞり、そこに直径一メートルほどの赤色をした光陣を描き連ねていく。


「どうですか。俺の家には優秀な呪言使いの方も多数出入りしてましてね。俺には才能があるんだそうです。知ってますか? この陣は」


「知っている」


 そう言って俺は、たった今過去の俺が描いたものと同じ赤の光陣を宙に描き、それを正面に設置した。

 過去の俺が描いた陣とこちらの陣が、ぴたりと顔を突き合わせるようにして相対する。


「陣式呪言の良いところは、発動のタイミングや効果の重複を時間をかけて設定できるところだ。そんな単一効果の陣をこれ見よがしに描いても、期待するような効果は得られない」


 ああ、それとも、


「そんなことも知らなかったのかな。だとしたら悪いことを言った。今度その出入りする呪言使いとやらに教えを請うといい」


 俺の陣を見てまたも驚愕の表情を浮かべた少年は、しかしそれでも不遜な態度を崩そうとしなかった。


「……減らず口を! 大体ですね、どれだけ精度の高い陣を構築できても、その威力の多寡は注いだ魔力量によるでしょう!」


 だったら、と過去の俺は言う。


「たとえそれが世界一の呪言使いによるものだろうと! 俺の陣が誰かのものに引けを取るはずがない……!」


 そう言葉を落としたなり、過去の俺の前にある光陣が回転を始めた。

 それに伴い、俺もまた自らの側にある陣に起動の命令を送る。


「確かに、魔力量、というのであれば『今の俺』は少し不利か。だがな少年」


 俺は言った。


「結局、どっちが強いか、だろう。御託が多いんだよ、君は」


 俺はその発言がかなり自分にも刺さっていることを自覚しながら、陣を起動した。


 両者の陣が共に蒼炎を放ち、それが道場の中央で拮抗した。


 》


 蒼炎が道場の中央で弾け、熱波が波のように周囲一帯を包んだ。

 だが俺は油断なく感じとる。

 正面、炎が弾けた位置の向こうには、すでに過去の俺の姿はない。


 左。

 それこそ紫電のような速度で、過去の俺が木刀を握ったまま突っ掛けに来ていた。


 振り下ろされる木刀を俺は、「ミカヅチ」の剣身で受け止める。

 その受け太刀の際、俺は「ミカヅチ」の力を一瞬だけ解放した。

 光の量こそが攻撃力であるこの剣だ。一瞬ではその真価には到底足りないが、


 ……どうだ?


 瞬間的な光の解放は、瞬間的にだけ刃を光の分だけ伸張した。

 その切れ味は無論、「虹」の名が示す通りの折り紙付きだ。

 少年が無策であれば、振り下ろした木刀は勢いを一切落とさないまま輪切りにされてしまうだろう。


 だが少年の木刀は輪切りにはならなかった。


 こちらの剣と木刀がぶつかるその間際、まるで俺が力を解放するのをわかっていたかのように、少年の体が下へと沈んだからだ。


 するり、という音が聞こえたようだった。


 こちらより一回り小さいその体が、俺の剣の下を通り、俺の体の左脇を抜け、木刀を手にしたままの戦闘態勢がそっくりそのまま背後へと回った。


 ……なにそれ……。


 何かと言えば昔の俺である。大人を相手どり、なおも無敗で、ありとあらゆる剣術と戦種をスポンジのように吸収していた当時の俺である。


 それにしてもこんな動き俺のレパートリーにあっただろうか。いや、実際にあったのだからこの「過去」にそれが再現されているのだろうが、それにしたってこれはちょっとすごいな。


 俺は体勢を崩しながらも咄嗟に体を振り向かせ、半ば反射任せに「ミカヅチ」を振り上げた。

 運よくそれは予測とぴたり同じ位置で少年の木刀を捉え、二本の剣ががぶつかり合って互いを弾いた。

 それに伴い、俺と少年の剣を持つ手が共に一瞬だけ緩む。


 その間隙をつくようにして、少年の口が動いた。


「『あぎと』」


 少年の背後に音式呪言由来の「もや」が煙のように生じ、それが次の瞬間に狼の牙になった。


「『ふぶき』」


 だが、俺の音式呪言が生んだ轟風が牙を一瞬だけ押し留め、その合間を縫って俺は少年の懐に潜り込む。


「『閃雷』」


 俺が放った魔術式の紫電が音を立てて突っ走った。


「……っ、『神の盾』!」


 少年が唱えた神聖術理が、目に見えないフィールドを形成して走る紫電を弾き飛ばした。


 俺はそれに構わず、剣を下から上へと振り抜いた。


 少年の「盾」が衝撃に耐えきれず粉々に砕け、俺が放った切っ先が少年の顎先を掠めた。

 しかし、


「『轟雷』!」


 負った傷を気にもとめず、少年は先のものより高ランクの術式を撃ち放つ。


 落雷のような音が鳴ったなり、俺の手にあった「ミカヅチ」が衝撃に耐えかねて宙を舞う。

 少年が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


 それを見た俺は、自由になった両手を胸元で組み合わせる。

 それを見た少年が目を見開いた。


 俺の両手が、その指先を花弁に見立てたかのように薄く花開かれていく。

 両掌が合わさり、体を巡って集まった闘気が一瞬、そこに熱のこもった光として灯り、


「『竜舌蘭』」


 容赦のない両掌による掌底が、少年の薄い胴体に吸い込まれた。


 》


 ごほ、と息を落とした少年は、しかし揺れる足元の不確かさに構わず立ち上がった。

 苦しそうに歪む口端からは血が一筋こぼれ、「竜舌蘭」を受けた上半身に纏う服はもはやボロ切れのようになっている。


 過去の俺が言った。


「……どう、して! 俺は強いのに、どうして、こんな……」


 こんな、


「負け、……っ、く! なんで! どうして……!」


 もはや自分でも何が言いたいかわかっていないのだろう。

 揺れる足元にどうにかして力を込めながら、しかし本能が意識を手放しそうになるのを堪えられない、といった様子だ。


 俺は言った。


「……期待はずれだったな」


「何……!?」


 過去の俺が今の俺を睨みつけてくる。


「全盛期、よりは少し前か。だが、今の俺よりは確実に強い俺。剣術に優れた俺。体術に優れた俺。魔力に優れた俺。勝てたのは……」


 うん。


「偶然か」


「偶然……!?」


 それを聞いた過去の俺が気色ばむ。


「偶然、って言うんですか、今の結果を……! 俺があなたみたいな才能のない大人に! 何の理由もなく! 負けたって言うんですか!」


「才能、か」


 俺は目の前でふらふらになる少年に向かい、指をさした。


「……何、を」


「少年」


 俺は言った。


「近い将来、君は深い挫折を味わうことになる。ここで俺に負けた君ならまだマシだが、その挫折に行き着くのは『負けたことのない君』だ。その時に味わう屈辱と後悔は、今の比ではない」


「……俺は、負けない」


「勝ち負けではない。言っただろう、君が味わうのは『挫折』だ。どうだ? 想像できるか?」


 そう、言い含めるようにして語りかけてやると、やがて少年は俺を睨みつけるのをやめた。

 長く、深呼吸をするように息を整えながら、少年らしい輝きの灯った視線が俺の目を貫いてきた。


「……俺も、そうできたらよかったんだがな」


 そう言った瞬間、俺の周囲にあった道場の壁が、音もなく崩れ始めた。

 否。崩れるのは壁だけではない。その向こうにあるはずの外の景色を含めた「この世界」──つまりは、魔獣が作り出した「過去」そのものだ。


 今わかった。


 あの大魔獣の「食事」はきっと、相手の精神に介入し、そこに再生される「過去」を観測することで成立する。

 それを防ぐには今俺がやったように、再生される「過去」を何かしらの手段で阻害し、実際にあった出来事とは異なる流れを作り出せば良い。


 ここにいる「過去の俺」は今、俺に対して負けを認めた。だからこの世界は、魔獣の能力から離れて崩壊を始めたのだ。


 だがきっと、それは言うほど易いことではない。

 だって魔獣は美味い飯が食いたいだろう。

 過去を阻害しろ、と言ったって、簡単に「そう」されるような甘いものではないはずだ、この能力は。


 今俺が「そう」できたのは、さっき言ったように偶然の産物か。

 それとも、


「時期がよかったかな。あの時の俺は強くはあったが……」


 だが、


「あの時の俺には。お前がいなかった」


 そう言葉を落としたのを最後に、俺の意識は闇の中に沈んでいった。

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