第5話 お前は

 室内は通話禁止なので急いで屋上に出る。周りは誰もいないみたいだ。


 画面を見る。

――私の通院している病院からだ。


「はい、もしもし〇〇です。」

「あ、〇〇さんですね。今お時間ありますでしょうか」


 聞き慣れた担当医の声がする。気持ちを一旦整理したいので、話を聞く。


「えぇ、あります」

「では本題から話します。あなたの特発性過眠症についてです」 

「……精密検査の結果が悪かったんですか」

「いやそうではないです。実はその内容なのです」

「どういうことですか」

「……」


 担当医は口籠っているようだ。

私は、不安な気持ちで携帯を握りしめる。

医者はこう続けた。


「あなたのお母様にはすでにお話ししました。それであなたにも伝えて欲しいとおっしゃるので話したいと思います」


「――――教えて下さい」


「過眠症ということで、あなたの脳神経を検査しました。でも、寝ているはずの時間の脳に一定時間の活発化が見られました」

「…………え?」


「実は、あなたは特発性過眠症ではなく……『解離性同一性障害』、躁状態のあなたと

鬱状態のあなたがいるということです」


 頭がパニックになった。


「私は内科なので専門の医療機関を紹介します。心療内科と精神科が……」


 携帯を地面に叩きつける。


 私は暫くの間、魂が抜けたように立たずんでいた。そして、恐ろしい事実に気づく。


 頭をバサバサと掻きむしり、地面を転げ回って狂ったように泣きながら嗚咽する。


 点と点が繫がって一本の道になった。


 私は……私は……私は大親友を襲ったのだ。


 タイムリープ。最近の不審者。疑われたマンションの住人達。重傷の隣人。

彼の悲しそうな目。引きついた笑顔。


 ――全て私のせい、私のせいなのだ。


 あぁこんな私を彼は守ろうとしたのだ!


 彼は躁状態の私を招き入れた結果、大怪我を負わされた。演奏会も出れない。


 私が見舞いに来た時も彼は手招きをしたのだ……


 それに加えて警察に私が捕まらないように必死に下手くそな嘘をついてくれた。


 彼は弱みなど握られていない。

弱かったのは私の方なのだ。でも一度も私を責めなかった。


 彼は、そう彼は! 

私の全てを受け入れてくれたのだ。

私の二面性の唯一の理解者だったのだ。


 ――嗚咽には血が混じり始めた。


 だけど彼の贈り物を無下にしてしまった。彼を信じてやれなかった。


 私は鉄網のフェンスに頭を打ち続ける。フェンスが大きく揺れた。


 すまない! 馬鹿な私で。

私は悲しそうな君に何もしてやれなかった。それどころか、君を疑ってしまった。


 もう一人の私が誰で何をしたかは、よく分からない。だが、私の尊敬する人を襲ったのは確かだった。


 せめて、過ちを贖罪しなければならない。

フェンスをよじ登り、乗り越えた。

風が強い。塀の端に立ち、下界を見下ろす。


 ――健気で美しい私の隣人よ、

どうか罪深き私を受け取って欲しい。


 両手を広げて真っ逆さまに落ちた。

この高さなら、多分逝けるだろう。


 私の人生が走馬灯のように頭を駆け巡る。――今更悔やんでも仕方がないことだが。


 目の前に天上の空があった。


 今、空は悲しくなるほど晴れていた。


 数秒後、私の体はコンクリートに叩きつけられた。意識を失う。 


 目が覚めた。私は私を見下ろしていた。

私の体は幽霊のように宙に浮いている。


 どうやら死ねたようだ。


 私の手足はありえない方向に折れ曲がり、脳漿と血が辺りにぶち撒けられて、海になっていた。


 ――これで彼の傷と一緒になれた。彼への過ちを贖罪できた。


 私の心は晴れやかだった。天界に向かってグングン昇り続ける。


 ――私の隣人は悲しむだろうか。担当医は後悔するだろうか。警察はどう動くのだろうか。


 今になっては、どうでもいいことだ。

贖罪はすでに済んでいるのだから。


 雲が掴めそうな所まで昇ってきた。

彼がいる病院はとっくに見えなくなった。


 ……結局、道化師の悪魔はいなかった。

全て私の妄想に過ぎなかったのだ。


 いや違う、とすぐさま否定する。


 お前は、悪魔のお前は私だ。


 私は彼の友人を演じていた憐れな道化師であった。

                 END

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