第66話 心臓の音


△△△


「対策はこれだ!」


 オウルは両手に銃を構え、上空へ発砲した。

 その卓越した技術。

 彼は空を渡るサメたちを正確に、フカ雅めがけて撃ち落としていった。


「サメちゃあん?!」


 落ちてきた巨大ザメをフカ雅は受け止めた。

 学会員の本能でサメを手に取って観察せずにいられないのだ。

 しかしミートバーグのサメは人喰いザメとして一級品。さすがの彼も両手を使わざるを得ない巨体だった。


「ヌッ! ヌッ!」

「まだだーッ!」


 さらにオウルは射撃を続けた。サメが次々と墜落してフカ雅を襲う。彼はそれを受け続ける。

 弾丸を撃ち尽くすと、オウルは代わりの銃を要求した。


「銃を。ヤツを押さえつけ続ける必要がある」

「了解!」


 マイクルが自分の銃を手渡す。

 そこでトミカも意図に気づいた。

 オウルのフカ雅対策はあらかじめ決めておいた作戦とそう変わりはない。

 スタミナを削る作戦だ。

 フカ雅の秘密が分かったことで、それが具体的になった。

 フカ雅は体温を上げて力を得るが、それはエンジンと同じでオーバーヒートの危険をはらんでいる。

 化け物じみているとはいえフカ雅も人間。体温が上がりすぎても生命に支障を来す。

 だから彼は戦闘中といえど、放尿したり、眠って心拍数を落としたり、水を浴びたりする必要があったのだ。

 もちろん動けば体力も消費する。

 だから、オウルはサメを使って体力を消費させようとしているのだ。


「サメがァアアアアッ」


 オウルは撃ち続けている。

 トミカ達も、サメをフカ雅の方へ蹴飛ばしたり、投げ飛ばしたりして手伝った。

 瞬く間にサメが山積みになっていく。


「サ……サメ……」


 サメの下から聞こえるフカ雅の声は、明らかに力を失っている。


「効いてる! 効いてるぜ!」

「もっと負荷フカを増やしてやる!」

「サメだけにというわけですね!」


 フカ雅にはサメをミンチにするほどの力がある。サメで彼を殺すことはできないが、ミンチにされた肉や血は、彼の体温で固まり、動きを奪い、酸素の供給すら絶つ。


「まとわりつく血肉。呼吸もままならない状況でパフォーマンスを発揮できるか! サメに溺れろ学会員!」

「ヌ……ヌ……ヌッフゥ……ヌヌゥウウウッ……」


 ついにフカ雅の声が聞こえなくなった。

 オウル達の方でも弾薬を使い果たしていた。


「隊長、もう弾がありません」

「今度こそやったか?」


 あたりは物凄い臭気に包まれている。

 新鮮なサメジュースがハンバーグになっていく臭いだ。

 気温も一〇度は上がっただろうか。

 積み上がったサメの山は、中央部分がフカ雅のパワーでミンチにされ、ボコボコと煮立っている。

 腐肉の詰まった噴火口。あるいは血の池地獄とはこのようなものなのかもしれない

 フカ雅は、その血の池の底に沈んでいるはずだ。

 一同は祈るような気持で血の池を見守った。

 ボコリと何かが浮かんできた。顔に見えた。

 一同が身構える。

 ラブカだった。煮えたったラブカが熱で浮かんできただけだった。


「……なんだ。生きた化石とも呼ばれる深海鮫、ラブカか」

「ええ。TOKIOが捕獲したことで有名な、ただのタブかですね。脅かしやがって」


 息をついたその時である。


「サッメメメェエエエエ!」


 血の池がミキサーにかけられたように渦巻きはじめた。渦の中心からフカ雅が顔を出す。


「アジッ! サメのアジッ! アヂィイイイイイ!」


 生きている。

 フカ雅の体温はもはや常識の範疇を超えていた。ここまでの運動のせいで大幅に上昇したのだ。

 彼にかき回されたミンチが煮えたぎり、固まり始めている。

 学会員の姿が、いったん血の池に沈んだ。血の池が固まってひび割れていく。


「――いかん! 伏せろー!」


 直後、灼熱したサメシチューが四方へ飛び散った。学会員のパワーではじき出されたそれは、もはや溶岩弾である。

 灼熱のサメ肉が地面を溶かす。

 他のサメの死体を焼く。

 星鮫嵐の壁面に穴があく。

 サメトンネルの穴は、大量の死骸を吹き出した後、新たなサメの流れによって修復された。


「おぎゃああああああ! ウマレタッ! サメちゃんこそ世界と見つけたりィイイイイイイ!」


 サメの肉にまみれてフカ雅は意味不明の雄叫びを上げている。熱が彼の正気を奪い始めているようだ。


「……すまんな、これは……計算が違った」


 オウルの誤算はフカ雅の限界を見誤ったことだった。熱はフカ雅を滅ぼしもするが、その前にパワーを限界まで引き上げていたのだ。

 これまで以上の速度でフカ雅が動いた。

 まずマイクルが弾き飛ばされた。

 同時にオウルが地面へ叩きつけられる。

 その速度を目で追えた者はいない。

 とっさにフックを放ったトミカも、見えない打撃を腹に受けて崩れ落ちた。

 一瞬の出来事でマツリは何が起こったのか分からなかった。クイントの吠え方で事態を悟ったようだ。


「みんな!」

「チャイッしようね~」


 学会員がクイントへ近づき手刀を構える。

 地面から男たちが跳ね上がる。

 S.H.B.Bの二人が同時に仕掛けた。

 隊長は銃身で打突。マイクルが肘打ちで左右から挟みこむ。

 フカ雅はこれを左右の腕で受け止めた。

 次の瞬間二人は吹き飛んでいる。それぞれサメの死骸と瓦礫へ突っこんだ。


「ヌフウ。一三二五バーグ、一四〇〇バーグ」

「じゃあ俺は何バーグだよッ!」


 トミカが飛びかかる。

 拳が顔面にヒットした。フカ雅は微動だにしなかった。彼はまったく興味を失った目でトミカを見返した。


「五バーグ」

「ご――ッ」


 骨の軋む音。肺が押しつぶされ呼吸の残量がゼロになる。

 トミカは地面をバウンドし、転がっていった。


「トミカくん!」


 トミカは跳ね起きた。

 彼は走ってフカ雅へ再突撃する。


「五バーグ? 俺は滝を割った男なんだぜ」


 叩きつけた拳を、フカ雅は避けもせず額で受けた。

 今度も地べたを転がったのはトミカの方である。

 彼はまた起き上がった。

 そしてがむしゃらに突っこんでいく。


「しつこいのう~」


 フカ雅はハエを払うように打った。

 トミカの体がコマのように回転する。

 だが彼はまた立った。


「キミ~……何くんやったかのう。意味ないよ?」

「……SHARK神流には三つの力の概念があり……一つは肉体の力……次に環境の力……」

「んん~」


 ブツブツとつぶやきながら、トミカはまたフカ雅へ近づいていく。

 面倒くさそうにフカ雅が打つ。

 トミカはまた転がって、立ち上がる。やはり返り討ちに遭った。


「少年……」


 S.H.B.Bの二人が這い出して来た。しかし彼らのダメージも深刻だった。彼らは這ってトミカの元へ向こうとしている。


「やめて!!」


 たまりかねてマツリが飛び出した。がむしゃらにフカ雅へ体当たりする。


「オッ!」


 驚いたことに、フカ雅の歩みが止まった。マツリがときおり見せる爆発力である。彼女はわずかだがフカ雅を押し返しさえした。

 フカ雅自身驚いた様子で、マツリを押した。

 おそらく、それほど強い力ではなかったが、彼女はあっけなく突き転がされた。

 クイントが吠える。

 フカ雅は不思議そうにしている。


「んんん~? なんじゃ? 一瞬だけかい」

「まだ……」


 マツリはもう一度向かっていこうとする。

 それを立ち上がったトミカが止めた。


「クイント。マツリを近づかせないでくれ……わりぃな」


 クイントが鼻を鳴らした。頼みが通じたと分かると、彼はまたフカ雅へ向かっていく。


「できるはずなんだよ……師匠が最後に教えてくれた事なんだ。『第三の力は誰の中にでもある』。もう一度できるはずなんだ……」


 彼の体は、いたる所がトマトのように赤や緑に腫れ上がっていた。

 そんな体でなおも立ち向かう。

 また吹っ飛ぶ。また立つ。

 彼は自分の心臓の位置を拳で叩きながら繰り返した。


「頼むよ……何でもする。命もいらねえ。他に何もいらねえ。仇を討てる力だけあればいい」


 顎に喰らった。

 彼は敵の体にすがって立ち上がる。

 捨て鉢と闘争心の入り交じった凄まじい笑みを浮かべていた。


「トミカくん……クイント、どいて……お願い」

「少年……!」


 マツリが泣いていた。オウルとマイクルも必死で這い進んだ。

 トミカはファイティングポーズをとると、もはや攻撃とも呼べないような攻撃を繰り返した。


「いつもだ。『なんでもする』って思ってんのにその程度じゃ何も叶わねえ」


 右ストレート。


「エエ加減にせんか」


 フカ雅のカウンターが肋骨を砕いた。


「俺はいつも間に合わねえ」


 左フック。

 カウンターのヒジがコメカミを切り裂いた。


「オフクロの仇も取れねえ」


 右正拳突き。

 カウンター。奥歯が折れ飛んだ。


「師匠も守れねえ」


 左ストレート。

 カウンター。


「父親亡くした友達に正しい言葉も掛けてやれねえ」


 右。

 カウンター。


「師匠の仇から誰も守ってやれねえ」


 左。

 カウンター。


「これ以上何を捧げりゃいいんだよ!」

「サメェ!」


 フカ雅の拳が不幸な角度で胸に入った。衝撃が心臓を貫通した。

 パンチの途中の姿勢で彼の動きが止まった。


「――すまねえ。師匠」

「トミカくん!」


 マツリの鋭い感覚は、残酷な事実を彼女へ伝えた。彼女は確かにトミカの心臓の止まる音を聞いた。

 フカ雅も拳の感覚で分かったようだ。


「フウン……名前、訊いといたら良かったかのう――オオッ?!」


 フカ雅が声を上げた。心臓の止まった男がパンチを打ちこんできたからだ。

 拳がフカ雅の胸に当たった。トミカはそのまま一回転して仰向けに倒れた。

 もう起き上がってはこなかった。

 フカ雅が、つかの間、理性を取り戻したかのように厳かな声で呟いた。


「心臓の止まった状態で……たいした闘争心よのう。見事よ」


 這って来たマイクルが脈を確かめ、首を振った。

 トミカ・アルゴンは空を掴もうとするように右手をかかげたまま、事切れていた。

 フカ雅が近づいてくる。


「泣かんでエエんよぉ。みんな一緒じゃけんねえ」

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