第57話 楽しい餌づけ


 △△△


「海上研究所?」

「通称『ぱくぱくシャークランド』キミはそこから脱走したんだ」

「シャクティはまだそこに?」

「彼女の所有する設備や検体は相当な量になるはず。『ぱくぱくシャークランド』からそれを運び出すなら船しかない。しかし、あの辺りの潮流は特別で、深夜から夜明けにかけては、沖に出られない。そこをこちらから仕掛ける。偶然だがカラテ少年の言ったとおり夜明けまでの勝負となるな」

「それも今日限り」

「そう。逃がせば終わりだ。万全を期したい。幸い夜明けまではまだ時間がある。準備を済ませ、それから少しでも休んでから出立しよう」


 おのおの準備に散って行った。


 子供がS.H.B.Bを手伝って装甲車の荷物を出し入れしている。

 マツリたちは薬の準備を始めている。

 トミカはどこかへ姿を消していた。

 スターライトがハンサムに声をかけてきた。


「少し良いか」


 庭へ下りて、池のそばに腰を下ろした。

 スターライトは言葉を選んでいるようだった。

 ハンサムは自分から切り出した。


「俺は、シャクティの求める『彼』ではないんですね?」

「――気づいていたのか」

「シャクティのことを聞いても何ひとつ思い出さない。この体が人間にサメを移植したものだというなら、きっと俺はサメの部分なんだ」

「サメはそんなことで悩まない。きっとキミはどちらでもない。キミはキミなんだ。『彼』がいて、そこにキミが生まれた。誰だって生まれたときは何者でもない。君は生まれたばかり。それだけのことなんだ」

「彼は……この体で生きていた『彼』はどんな人生を送ったんだ?」

「話そう」


 魚が跳ねて池に波を立てた。水面が再び澄み渡るのを待ってからスターライトは話し始めた。


 


「年齢がかなり離れていたが、シャクティと私は同級生だった。彼女は飛び級に次ぐ飛び級で進学して来ていたからな。いわゆる天才児で有名だったが、サメにしか興味のない変人として扱われていたな。ついた渾名が『シャーク専用クソメガネ』」

「悪口だ」

「私が悪意でつけた。シャクティのほうでは私たち人間世界の言葉など気にかけなかった。彼女はハイスクールの時点ですでに学会員だった」


 スターライトは少し笑った。


「そんな『シャーク専用クソメガネ』が『彼』と出会ったのは高校を卒業する前だったか、後だったか……『彼』の所属するサーカス団がこの街に来たときだった」

「それって――」

「うん。『笑いじい』のサーカス団だ。『彼』の名前を聞きたいか?」


 ハンサムは少し考え首を振った。


「……いや。今はいい。俺とは別人だってはっきりしただけで」

「うむ。彼はサーカスでピエロをしていた。あの顔だからサーカス団では別の売り方をしたかったろうが。『彼』はメイクで顔を隠すことを選んだ。それだけ顔のせいで嫌な思いをしてきたのだろう」


 ここで一度ハンサムを見てから、スターライトは話を再開した。


「二人は初めから同じ気持ちだったらしい。ただサメしか知らないシャクティは大変だ。私を頼ってきたくらいだからな。彼女は目に涙をいっぱいにためて私にこう言ったんだ。『好きってむずかしいね』って。私はいっぺんに、あのクソメガネを好きになったものだ」


 あまりに微笑ましい内容のせいだろうか。

 それとも話しているスターライトの表情のせいだろうか。ハンサムは胸に痛みを感じた。


「まあ、付き合ってからは平凡なものさ。天才だろうとハンサムだろうと、初恋でやることは同じさ。長電話をしたり、バカみたいな贈り物をしたり、散髪に失敗して引きこもったり……人並みに仲むつまじく、人並みにみっともなく、しかしやはり微笑ましい。シャーク専用クソメガネと、顔なしのピエロは、一緒になることで普通の二人になれたんだ。だが――」


 サーカス団は数ヶ月ごとに土地を移動する。

 離ればなれになるよりは、シャクティはすべてを捨ててついて行くことを選んだのだという。


「それは……決断だ」

「ああ。でも私は良いことだと思った。ビッチ器官の危険性に気づき始めた頃でもあった。大体あの研究を先へ進めるには大がかりな施設が必要になる。潮時だったんだ」

「シャクティは一度研究をやめた?」

「そうだ。それでもいいと思えるほど、幸せだったのだろう。サメが好きなら好きで、サメ映画でも見ればいいじゃないか」


 スターライトは僧衣のたもとから一葉の写真を撮りだしてハンサムに見せた。


「シャクティが旅先から送ってきた写真だ」


 サーカス団で撮ったもののようだった。

 長いテーブルに大量の料理が並んでいて、多分作りすぎだったのだろう、周りに冷やかされながら『彼』は苦笑いしている。料理したシャクティ本人は誇らしげに笑っていた。

 写真のなかにいる全員が完璧に幸せそうだった。

 裏返してみると、ペンで『楽しい餌づけ!』と走り書きしてあった。

 これがシャクティの筆跡なのだと思うと不思議な感じがした。


「もし何事も起こらなければ、そんな笑顔がずっと続いたはずなんだ。『彼』があんな事にならなければ」

「『彼』は――」

「皮肉にも『彼』を傷つけたのはサメだった。愛したサメが愛した男を傷つけたのだ」

「『彼』は?」

「入院したが昏睡状態。生きているだけで奇跡だと言われたよ」


 ハンサムは思わず自分の体を手で探った。

 もちろん傷跡ひとつないという事はよく分かっていた。完全に治ったのだ。


「シャクティは表面上、気丈に見えた。彼女はサメの生命力を移植すれば彼を救えると主張した。つまりサメ人間にするというのだ」


 ハンサムは頷く。


「だが、ビッチ器官の移植を実現するには大金が必要だった。とりあえず遺体を保存するだけでも大変な金が掛かるのだ。サーカスにもシャクティにもそんな金あるはずない」


 資金繰りは上手くいかなかったとスターライトは言う。

 サメキチ学会も資金面では頼りにならない。

 そもそもサメ人間は人道に反する実験である。資金を出してくれる者などいなかった。

 焦るうち、昏睡状態だった『彼』の容態がいよいよというところまで悪化した。


「私は人間らしく死なせてやることを考え始めた。ビッチ器官を移植して本当に助かるかは未知だったからだ。なによりシャクティの憔悴ぶりは見ていられなかった。アイツをダメにしてしまっては『彼』に申し訳が立たないと思った。それで、ある夜シャクティとひどくやり合った」


 結局、話し合いは喧嘩別れに終わり、その後すぐに『彼』の死を人づてで訊いた。

 水葬にふしたあとだった。シャクティとはそれきりだった。


「私も酷いことを言ったし、縁を切られてもしょうがないと思っていた。だが、今になって考えてみれば、あの口論の時点ですでにアイツは市長と契約していたのかもしれない。実験に反対する私を遠ざけるために、あえて決別したとも考えられる……分からないがな。だが結果は知っての通りだ」


 そこまで聞いてハンサムは言った。


「初対面で俺をサメ人間だと見抜いたのは『彼』と同じ顔だったからなんだな……」

「ああ。実験は行われていたんだとすぐに察した。水葬は嘘だったのだと。そしてキミが過去のことを一切おぼえてないことにはもっと驚いた」

「俺はシャクティの求めた『彼』じゃなかった……」

「ハンサム。『彼』はもう戻らない。だが可能性はゼロじゃない。ゼロではないから、彼女は永久に止まることができない」

「研究を続ければ、いつか『彼』が帰ってくるとシャクティは考えているんだろうか?」

「諦めたとき可能性は消える。それはアイツにとっては『彼』を殺すに等しいとこなんだろうな」


 スターライトは寂しく笑った。


「普通なら諦めるところだ。だがアイツは自分の才能を知っている。才能なんてなければ楽だったのだろうな」

「そうやってシャクティは一生を暮らすのか?」

「現実的な可能性として『彼』の人格が戻ってくることはないだろう。シャクティは『ある』というが、それは『パラレルワールドは存在するか?』ってほどの天文学的な低確率の話だろう。常人から見れば可能性はゼロに等しい」

「そうか……残念だ……」

「まあ。それはそれでヤツの勝手だ。いくらでも研究し続けるがいい。だが問題は『彼』も『キミ』も、そしてシャクティ自身も不幸になっている、ということだ。アイツはただのサメ好きだった。それが今や『対処』だとか『使命』などと理由をつけて研究をしている。そんな理由をつけなくては自分を保てないのだ。その事実だけでも殴りに行くには十分だ」

「――じゃあスターライト、あんたも一緒に行くのか」

「行く。行ってあのバカをボゴボゴにする」

「ええ……」

「ハンサム」


 スターライトの声がこれまでになく改まった。


「キミはシャクティと戦いたいか? 私は、正直キミには残ってほしい。本当なら私一人で乗りこんでいって、すべてを解決して、安全で、誰にも遠慮することのない生活をキミにプレゼントしてやりたい。だがそれは難しそうだ。せめてキミの自由だけはもぎ取ってくるつもりだが、上手くいったとして、きっときれい事では片付けられない結末になるだろう。おそらくシャクティを殺すことになる。私は、そんな残酷な物語にキミを巻きこみたくはない。どうだろう? すべてを私に任せてここに残ってはくれないだろうか」


 そう言ったスターライトの瞳は真剣だった。

 分からない。長い間考えたあげくハンサムはそう答えた。


「分からない。スターライトのいう物語がどれくらい残酷なのか、俺には。きっとそれは俺が自分自身のことを分かっていないからだと思う。俺は彼女を救いたいのか? 恨みごとを言いたいのか? 分からない。だから、俺は知りたい。うん……知りたい」


 ハンサムは師の目をしっかりと見つめてそう言った。


「俺はシャクティに直接会って、自分がどういう人間なのかを試したい。俺は本当に存在するのか。『彼』どどう違うのか、それを知りたい。だからスターライト、俺をここに置いて行こうとしないでくれ。俺も皆と一緒に行くよ」


 スターライトは黙って聞いていた。やがて彼女は瞬きをして、一滴だけ涙をこぼすと、夜空を見上げて言った。


「心の思うままに。キミがそうしたいと言うのなら、私は叶えよう」

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