第53話 シャイニングを待ちわびて⑧「月」


 港へはトミカとスターライトの単車が先行した。運転技術の差によるものだ。ハンサムのバイクは後方から追って来ているはずだった。

 二人を急がせている理由の一つに街の様子があった。

 あちこちからサイレンが聞こえ、警察や救急が行き来している。どうやら港だけでなくあちこちで事件が起きているらしい。


「何が起きてんだ……」

「国道は無理だ。抜けられそうな道を私が道案内する」


 前方の橋の上に車のライトが密集して並んでいた。渋滞だ。道をそれようとしたときである。

 ライトの光のなかに、人影が飛び出してきた。


「馬鹿野郎!」


 バイクを斜めにして二人はギリギリで止まった。


「済まないが乗り物を借りたい。車じゃ間に合わないんだ」


 飛び出してきた人物は謝罪もそこそこにバイクを奪おうとした。


「オイオイオイなんだァ」

「お前――」


 スターライトが相手に気づいた。街ではそこそこの有名人だったからだ。トレーディングカードや食玩グッズも存在する。相手はビキニから手帳を出して名乗った。


「S.H.B.Bのオウルだ。無茶は承知だが人命が懸かっている」

「S.H.B.B」


 トミカが声を上げたとき、土手の下からもう一人の隊員が這い出てきた。


「あんたは――」

「キミか」


 マイクルである。

 港の方角から地響きが聞こえてきた。

 スターライトが言った。


「後ろへ。何か分からんが説明は走りながらにしてくれ。目的が合わなければ振り落とす。OK?」


 走りながらオウルは学会員の襲撃に遭ったことを説明した。それで目的地が同じだと分かった。

 学会員の目的がジミーの命だと知るとトミカは複雑な顔をした。


「だが、どのみち無駄な心配だぜ。ヤツのところにはシャイニング師匠がいるからな。学会員だかなんだかしらないが――」

「どうかな」


 トミカの後ろの座席からマイクルが言った。

 彼は学会員との交戦を簡単に再現して聞かせた。

 ゴッサムとライスは救急搬送。死んだかに思われた新人はわずかに急所を逸れて命は取られなかったらしい。


「あの学会員は生物としてのスペックが違いすぎる。仕組みは分からんが異常なパワーとスピードを持っているんだ。私も受け身を取れていなければ即死だった」

「へ。そんなのウチの師匠も同じだぜ」

「だといいがな……」


 港へ向かうあいだに、怪我人や、ちぎれ飛んだ標識、鉄骨ごと引き裂かれた壁面広告。巨人に踏まれたみたいな車。などを見た。

 怪我人は中年の男が多く、壁面広告の俳優もどこかジミーに似た顔の男だった。


「ヤツがやったんだ。市長に似ていたから念のため潰しておいたんだろう。これが学会員だ。サメの他はヤツらにとって無価値。見分けすらついていない。サメ映画の生んだ怪物共め」


 一方港では。


△△△


「後ろだシャイニング!」


 ジミーが狙ったのはフカ雅である。本能がそうさせた。


「ひゃっ」


 フカ雅の姿が消える。

 至近距離でのレールガンが躱された。

 シャイニングも状況を理解した。振り返って老人の姿を認めると追い打ちをしかけた。


「おほっスゴイねえ~」


 重量級のシャイニングの攻撃が、痩せた老人にすべて受け止められていた。

 さらに追おうとしてシャイニングはよろめいた。

 次いでジミーが跳び蹴りをしかける。が、空を切った。

 仕掛けが通用しなかったと知って、二人は慌てて老人から距離を取った。

 シャイニングがしかけて死角をつくり、上からジミーが襲う。かつては無敗を誇ったコンビネーションだったのだ。


「ジミー。どういう爺さんだこれは」

「私を始末しに来た学会員だろう」


 学会員フカ雅は、二人の会話を聞きつけると首を曲げて笑った。


「ジミ~? あらぁ~おったねえジミーくんが」


 パン。というエビをへし折ったような音がした。フカ雅に近づいた船虫たちが、なぜか爆ぜていくのだ。

 学会員から殺気とも妖気ともつかない気配が立ちのぼり始めていた。

 サメに関わる街の住人にとって、学会員フカ雅の存在は伝説に近い。それも怪談に近い伝説である。

 語り継がれた恐怖は、もはや本能に刻み込まれている。サメよりも強い学会員。サメよりも狂った学会員。サメ映画よりも不条理なその力。

 傍らで戦いがあっても目を覚まさなかった漁師たちが、次々に起き上がり始めた。

 根源的恐怖のたまものである。彼らは操られた人形のようにギグシャクとひざまずきはじめた。

 そして全員が、神へ祈るかのように胸で手を交差させる。

 ジミーに掘り起こされた絶望がまだ彼らのなかにくすぶっていた。

 しかし、もうジミーを見てはいなかった。

 目の前の新しい支配者を見つけた彼らは、ためらいなく、素手で、みずからの腹を引き裂いた。

 より強い存在へむかって自分の命を捧げたのだ。

 肋骨ごと仏壇のように開いた。

 臓腑がこぼれ、血が絨毯のように広がっていった。

 臭いをかいでサメが集まってくる。


「内臓ありがとねえ」


 灯籠のように並ぶ自決者の間を、フカ雅が歩いて近づいてくる。

 と、見えたのは、すべてが終わってからだった。

 フカ雅はシャイニングたちの背後に移動していた。

 対峙していた距離を、一瞬ですり抜けていったのだ。

 自決者たちの首が宙を舞っていた。

 首を追ってサメが飛び上がる。

 胴体から血が吹き上がり、交差し、渦を巻いて、幾何学模様を描く。

 フカ雅は菩薩像のように柔らかく拳を握って佇んでいる。

 その指で、一拍のうちに全員の首をねたのである。

 生き延びたのはシャイニングとジミーだけだった。

 代償は大きかった。防御に使った腕がプレス機にかかったみたいに潰れていた。


「ぬ!」

「カッ」


 二人は慌てて飛び退いた。

 フカ雅がもう一度踏みこんでくるのが見えたからである。さっき躱せたのはまぐれにすぎなかったのだと、二人の表情が語っていた。

 視界からフカ雅が消える。

 遙か遠くで老人の声がした。移動はまったく見えなかった。


「あらぁ~珍しい、ダブルヘッドジョーズくんじゃないの、好き。ええねえ~これ。見てみい。あぁ~可愛いねぇ~喜んどるんやねえ~。あ~い、あいあい。噛んでみい、噛んでみい」


 フカ雅は陸に上がってきたサメの一体に夢中になっている。

 二人はしばし身構えたままでいたが、自分たちの存在を忘れ去っていると分かると、密かに耳打ちし合った。


「……ありゃあホンマモンだな」

「言ったろう。学会員だと。サメ映画を喜んでる連中だぞ」

「ありゃあ武道ではないな。詳しくはまだ分からんが、狂気が肉体にまで及んでいる類いのヤツだ。昔、自分を猿神憑きだと思い込んでる男と戦ったことがあるが、そいつは犬歯も長く体毛も針金のようで実際――」

「分析はいらん。アホ相手に勝っても負けてもアホらしいだけだ。こんなところにいられるか。戦いたいなら一人でやれ」

「……全快の状態なら、ぜひそうしたいところだがね」


 シャイニングは自分の腹へ視線をやって残念そうに笑った。

 胴着が真っ赤だった。ジミーがつけてやった傷とは別に、背面のほうが血で染まり、まさにしたたっていた。


「貴様。最初の時点でか」

「お前がもう一瞬早く気づいてくれてりゃあね。文句垂れてるわけじゃあないが……肝臓だね。これは。完全に動いてない」

「……バカが。しかしこちらも同じようなものか」


 ジミーの人工筋肉からも様々な液体が漏れ出し始めていた。すでにあちこちの筋肉が断裂してもいて、機能停止寸前と言えた。

 そこへフカ雅が暢気な声で話しかけてきた。


「えぇねえ~この街は。サメちゃん天国じゃないの」


 二人が戸惑っていると、フカ雅は重ねて話しかけてくる。


「サメ、好き?」


 シャイニングがジミーへ目配せする。ここは交渉で乗り切ろうという合図だ。仕方なくジミーも乗った。


「……好きだ」

「超好き」


 シャイニングも言った。

 フカ雅は破顔した。


「ええよねえ! サメッ!」


 そこだけ切り取ってみると、まるで犬の散歩に遭遇した好々爺と変わりがない。かなり不気味な顔の好々爺ではあるが。

 ジミーが言った。


「あんたは外の企業のヤツらに依頼されて殺しに来たのだろう。おそらく研究費か何かと引き換えに」

「ん~そうねぇ~」


 あまり乗り気でない返事が返ってきた。

 ジミーは慎重に言葉を選んで、


「私はこの街を守るために努力してきた」

「ほう!」

「私のせいで不幸になったヤツもいるにはいるが、それでもここがサメの街の体裁を保っていられるのは、私の功績だと自負している。私が消えれば、外の企業のヤツらはここをありふれた観光地に変えてしまうだろう」

「なんと」

「ヤツらにとってサメの街などはどうでもいいのだ。むしろサメなど追い出してしまいたいだろう」

「ふーむ」

「あんたがどういう契約をしたか知らないが、ヤツらのいいようにさせていては――断言するが、ここはサメの楽園ではなくなる。それはあんたにとっても損失ではないのか?」

「すまんが……もういっぺん頭から言って聞かせてくれんかのう


 とフカ雅。

 ジミーは苛立ちをこらえて言い直した。


「……ヤツらはサメの研究を台無しにする、ということだ」

「……ん~」


 老人は腕を組んで考え始めた。満身創痍の二人は辛抱強く待った。

 やがて老人は手を叩くとこう言った。


「じゃあジミーくんを殺してから企業くんたちも皆殺しにしようかのう。それで解決。カイケツッ!」


 再び妖気が立ち上り、船虫たちが爆ぜた。


「ダメか。お前の交渉術もたいしたことないな」

「黙れ」


 二人は的を絞らせないよう、複雑に飛び違えながら距離を測っている。


「他に兵器は? さっきのヤツはもう撃てないのか」

「あれきりだ。ここへ来る前に遊びで使ってしまったからな」

「なんという計画性の無い男だ」

「貴様が言うな」


 風切り音。二人は横へ飛んだ。

 それまでいた場所がクレーターになっていた。フカ雅が降ってきたのだ。


「やむを得ん」


 シャイニングが片腕で突っこむ。

 着地の後の隙を狙ったのだが、フカ雅はまるで重さの無いもののように即座に対応した。


「ひゃあっ!」


 拳。膝。ヒジ。後ろ蹴り。足払い。すべてを軽々とさばいていく。

 その隙にジミーは「サメハダ」を拾っていた。

 振り向きもせずにその気配を察すると、シャイニングは飛び退いた。

 入れ替わりでジミーが片腕ながら一刀を斬り降ろした。

 フカ雅は半身になって躱す。

 再びシャイニングが踏みこんで跳び蹴りをしかける。一拍あとにはジミーの刀がフカ雅の足首を狙う。

 二人の完璧な波状攻撃が続いた。

 しかしフカ雅は、一筋の怪我さえ負うことなく躱し続けている。


「これは……やばいねえ」

「チィイイイ!」

「終わった? もうええかい?」


 パン。船虫が爆ぜる。

 二人の身体が吹き飛んだ。何を喰らったのかまったく分からなかった。

 シャイニングが瓦礫に突っこむ。

 ジミーのもう一方の腕が、刀とともに捻じ切られていた。

 人工筋肉のパワーが急激に落ちていくのを感じる。


「は。サメキチ相手に終わるか。ゴミのような人生だったな」


 自虐した彼を襲ったのは、フカ雅ではなかった。

 サメである。

 大型のサメが跳ね上がって彼を捕食しようと迫った。


「――馬鹿者が!」


 ジミーは跳び蹴りで迎撃した。勢いのまま貫通して空へ抜けた。

 彼は人工筋肉の切れる音を聞いた。

 スーツの機能が失われ、循環液とともに彼自身の血液がほとばしった。

 人工筋肉は止血の働きも兼ねていた。それが失われた。

 急激に遠のく意識のなかで、ジミーはシャイニングを探した。瓦礫の下で、シャイニングは立ち上がろうとしながら必死で何かを叫んでいる。こぼれた血が水溜まりを作っていた。彼の命も長くはなさそうだった。

 夜空から落ちてゆきながら、ジミーの頰には笑みが浮かんでいた。

 その心は誰にも分からない。

 土壇場でシャイニングに頼ろうとした自分をわらったのかもしれないし、反対にシャイニングの必死な形相をさげすんだのかもしれない。

 あるいは、ただ月が綺麗だったからなのかもしれなかった。

 彼は折れ曲がった両手を月へ向かって伸ばそうとした。

 最後に、彼が見たのは月に重なって迫ってくるフカ雅の姿だった。


「は。」


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