第51話 シャイニングを待ちわびて⑥「混迷」


 時間はわずかにさかのぼり、シャイニングたちの戦いが始まった頃のことである。

 S.H.B.Bのオウル隊長、マイクル、新人の三人は、ジミーの後始末に追われていた。

 高級スーパー料亭「必殺」前には、警官と野次馬が集まっていた。彼らをパトカーのランプが一定のリズムで照らす。

 『アロハシャツの男』は明らかに即死で、救急隊は必要なかった。

 ジミーに変わって説明しなくてはならなかったが、オウルは死んだ男の素性も会食の目的も市長から知らされていなかった。

 同じ説明を繰り返しながら、オウルは店の周囲を見渡した。

 料亭は川向かいの飲食街にある。川を流れていく屋形船の灯りが見えた。屋形船の客は、こちらが気になるのか、パトカーの方を指さして、何か叫んだりしている。


「いや、死んでいた男の事はよく知らない。市長とは知り合いのようだったが。済まないがここまでにしてくれ。肝心の市長がいないのでは話が進まないだろう?」


 ライスたちの車がやって来たのでオウルは話を打ち切った。オウルたちの車はジミーが乗って行ってしまったのだ。

 ライスとゴッサムが下りてきた。

 二人は、アフロヘアーの新人をからかって、


「オイッ新人。何だその頭は、ふざけているのか」

「だから名誉の負傷ですって。会うたび言うじゃないっすか」

「イジられるのが嫌ならヘアースタイルを変えればいいのにィ」


 それからオウルへ敬礼して見せた。


「――ああ。来てもらってすまない。市長に車を乗って行かれてしまった」

「何があったんです」

「分からん。死者が出たが市長がやったところは見ていない。本人は行方不明だ。車を探させているが、時間が掛かるだろう」

「なら探しに行きますか」

「うむ……」


 そこへマイクルが近づいてきた。彼には、市長の家に連絡してもらっていたところだ。


「隊長。マックスくんのほうはまったく要領を得ませんね」

「家には帰っていたのか」

「すぐに出て行ったそうです。様子が普通ではなかったというのが気に掛かりますね。何か書類を焼き捨てていたとか、出家がどうだとか……」

「分からんが、機密書類を隠滅していたとしたら相当だな」

「ええ。死んだ『アロハの男』の件もあります。やはりいつもの気まぐれとは違うのではないでしょうか」

「ああ。嫌な予感がする。やはり市長を探そう」


 その時、街とは反対側の夜空が光った。遅れてかすかに地鳴りのような音が聞こえた。


「またどこかでサメが出たのか。爆発があったのならカタが着いたってことなんだろうが」


 そう言ったオウルへ、ライスが心配そうな顔を向けた。


「そういえば隊長……今さっきなんですが、少し気になる通報がありまして――」


 ライスの報告によるとこうである。ついさっきある港で爆発があったという。様子を見に行った漁師たちが戻ってこず、通報を聞いて港へ向かった警官たちも、やはり戻ってこなかったのだという。


「――サメの仕業かと考えていましたが、その通報場所が、市長の生まれ育ったあたりだというのを、今思い出したんです。しかも、今の光った方角がまさにその港の方角なので少し気になって……」

「市長の?」

「そこに市長がいるという確証はありませんが、一応」

「うむ」

「また光った」


 ゴッサムが港の方角を指さしたので、皆がそちらを向いた。

 その時である。

 ぎゃん。という犬の悲鳴みたいな声を聞いた。いや、声なのかどうかはこの時点でははっきりしなかった。錆びたサスペンションが軋んだ音のようでもあった。

 振り向いたが、何があるわけでもない。野次馬たちも音を聞いたのかキョロキョロしている。警官の姿が消えていたが、料亭の中を見に行ったのだろうと、オウルは考えた。

 びしょびしょの老人に気づいたのはその時である。いつの間にそこにいたのか、まったく気配がしなかった。

 枯れ木を磨き抜いたみたいな、皺だらけの老人で、和服の着流し姿だった。そのキモノからも白髪からも水がボタボタとしたたっている。

 老人はぱっくりと口を開けて笑った。


「んん~違うかったかいのう?」

「……はい?」

「んん~きみも似とるように思うが、サメくんと違って顔の違いがわからんのう


 いぶかしむオウルたちをよそに、老人はパトカーに向けて話しかけている。ちょうど車の鼻面が人の顔に見えるような正面の位置である。

 呆けているのか? という視線をオウルたちは交わした。

 アフロヘアーの新人が手を上げた。


「俺、行きますよ。お爺ちゃんっ子なんで。お爺ちゃん、お爺ちゃん、どこからきたの?」


 顔のよく見える位置へ回りこんで、彼がそういったとき、名状しがたい音がした。

 ちょうど新人のすぐ後ろに、柳の木があって、その幹に空いた穴がちょっと人の顔のようだったので、オウルは柳のことをおぼえていた。その柳の幹が大きくえぐれている。元からそうだったはずはない。白い木肌が覗いているし、生の植物の濃い匂いが漂っていた。

 新人もそれに気づいた。


「――あれ? これ、こんなになってました?」


 新人を見たライスが声を上げる。


「オイッお前どうした。上だけ切ったオレンジみたいになってるぞ」

「え? あれえ!?」


 アフロの上半分がなくなっていた。肉まではギリギリ無事で、頭頂部だけカッパのように地肌が見えていた。


 また、違う音が響いた。鉄とガラスの弾ける音だ。

 パトカーが菓子の箱みたい潰れていた。鉄球でも落とされたような有様だが、無論そんなものは転がっていない。屋根の部分の、手形のへこみに気づく者はいなかった。


 野次馬たちが騒ぎ出す。オウルたちも辺りを警戒している。しかし、破壊の瞬間を目視できた者はいなかった。

 川の方から聞こえていた歓声が高くなった。それは歓声では無く悲鳴だった。屋形船が二つに折れて沈んでいくところだった。

 老人が笑っていた。


「ん~こりゃ違う。どれもジミーくんじゃないのう。ところでアンタら何か言っとらんかったかのう? 港がどうとか」


 次はもっと生々しい音が来た。

 風切り音のあとに、人の潰れる音。

 いなくなったかに見えた警官たちだった。

 今度は――途中からだがオウルにも見えた。

 警官たちは、空から墜ちてきたのだ。血液をまき散らしながら回転しつつ墜ちてきた。

 犬のような悲鳴は彼らだったのだ。あの時点で彼らは何者かによって空高く打ちあげられ、今、ようやく戻ってきたのだ。

 老人は死体の顔を覗きこんで確認する。


「やっぱりジミーくんとは違うねえ?」


 しゃがむとキモノの背に記された文字が読み取れた。オウルに日本語は読めないが、そのフレーズだけは知っている。サメに関わる者なら誰もが心に刻んでいる文字だ。

 決して見落とさないよう。

 決して近づかないよう。


――いっぱい食べるきみが好き――


「――学会員! 下がれぇえええ!」


 新人を覗いたS.H.B.Bの全員が声を上げた。

 学会員に最も近い位置にいるのは新人である。

 ライスとゴッサムが同時に動いた。

 学会員が、なぜ、何をしたのかすら分からない。

 それでも二人は問答無用で老人へ飛びかかった。

 理由は人死にがでたこと。そしてその場にいたのが学会員だからである。


「えぇねえ!」


 学会員の笑みが深まり、裂け目のようになる。

 二人の姿がかき消えた。

 ライスは料亭の壁をぶち抜いた。吹き飛ばされながら太い柱を折ったらしい、建物の一角が倒壊した。

 ゴッサムは土手の一部を削って飛び、川の水面を何度も跳ね、向こう岸に転がった。そのまま起きては来なかった。


「ライス! ゴッサム!」


 返事はない。

 さらに二人が命を賭して助けようとした新人も、腹を押さえて崩れ落ちた。彼は真っ青な顔で詫びた。


「あ……すんません。俺、すみません……ああ……俺ダメだったなぁ……」


 黒々とした血が流れ落ちた。


「新人……」

「すまんねえ。念のためじゃけん、死んどいてねえ」


 学会員がゆらりと歩み寄る。幽霊のような動きなのだが、その姿が瞬くように消えるのだった。

 ライスたちの装甲車が潰れる。

 人の顔みたいな記号の標識が、ねじ曲がった。

 野次馬の首もそろって折れた。

 無事だったのは小さな子供だけである。子供はほとんど逆さまになった大人たちの顔を不思議そうに見上げている。

 学会員の超高速度の攻撃を関知できた者は、その場に一人もいない。

 予備動作も無くオウルが撃った。

 神速の早業で学会員は死体を盾にした。

 その一瞬の停止をついてマイクルが接近する。


えりを取ったぞ!」


 両手が着物の襟を掴んだ。

 ジュードー家の必殺の形である。


「学会員がなぜ我々を襲う!」

「ジミーくんどこ?」

「ジミー? 貴様まさか市長を――」


 瞬間、マイクルの方が投げられていた。何の技でもない、ハエでも払うような動きだった。

 意識がはじき出される前に、マイクルは悟った。単純なスペックが違いすぎる。

 マイクルは、街路樹を数本ぶち抜き、それでも止まらず、奥の建物へ突っこんでオウルから見えなくなった。


「マイクルゥウウウッ!」

「ジミーくんは港におるん? ここじゃって聞いて来たんじゃねんどねぇ~?」

「許さんぞ――ッ」

「ほひひッ」


 学会員が笑う。

 夜空にガン=カタの銃撃が響いたが、それもすぐに断ち切られてしまった。

 港の方角から、天の川のような光が立ち上ったところだった。

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