第47話 シャイニングを待ちわびて②
女性はアサギと名乗った。
不思議なボディースーツ姿で、クナイを装備した日本人女性だった。あれはきっと日本の伝統衣装なのだろう。
夜中にボートに乗っていた理由について尋ねられると、にんともかんとも、などと口ごもった。
アサギは一切が謎だった。
こんな田舎に何しに来たのか。どこで武術を身につけたのか。なぜあんなにもニンニン言うのか。バク転で移動するのか。犬にちくわをやりたがるのか。すべてが謎めいていた。
ときおり口を滑らせて、ヌケニ、だとかショーグン、ニンポ、タイマなどと口走ったから、彼女はきっと麻薬の潜入捜査官なのかもしれないなどと、我々は冗談を言ったりしたものだったが、実際のところは、もう本当に全くのミステリーだった。にんともかんとも、だ。
仕事も行く当てもないようだったので、私たちは何か事情があるのだろうと納得することにした。
謎はあったが、隠し事はすべて顔に出るので、危険な人物ではないと誰もが分かったんだな。
人には言いたくない過去もある。彼女はそれが少し入り組んでるだけに違いない。
我々が重視したのは、アサギが聡明で情に厚く、素敵な女性だということだけだった。
街を案内してやると、彼女は様々な表情を見せてくれた。
「SOGO」の屋上へ行ったらフェンス横の壁を見てみるといい。サメバーガーを初めて食べたときの、彼女がとんぼを切った足跡、いわば「アサギの喜び跡」がまだ残っている。奇跡みたいに可愛い、ハート型のヒビ割れができたんだ。アサギは喜びを全身で表現する人だった。私たちも喜んでそれに応えた。
神様が花を咲かせてまわるみたいに、ミートバーグのいたるところに「喜び跡」ができた。ただの田舎町だったはずの故郷が、とても魅力的な場所に変わっていくのを、私たちは驚嘆の目で見守ったものだった。
彼女の素直さは、ジミーには心地よかったはずだ。彼女が誰かを蔑んだとしたら――そんなところは見たことなかったが――隠したところで顔に出る。
ジミーの気持ちに私が気づいたのは、もう少し後になってからだった。初めて会った夜からずっと、私もまた彼女に魅せられていて、ジミーの表情を見逃していたのだ。
しばらくのあいだは楽しい日々が続いた。
アサギをあいだに挟むと、私もジミーも昔のように話せた。すでに言ったように彼女は我々を楽しい気持ちにさせてくれたし、彼女の前ではチームの運営について言い争ったりは、暗黙のうちに禁じてあったからだ。
予感していたことだが、長続きはしなかった。
他ならない私のせいだ。私とアサギは惹かれ合っていたのだ。ジミーも疑惑を持ち始めた。
私も、アサギも、ジミーでさえも、この心地よい関係を少しでも維持しようと努力した。だが、どんなに心にフタをしようと、しょせん抑えきれるものではなかった。
もめ事は、むしろ以前より増えていった。
私もアサギも気持ちを隠すのが苦手な性格だったし、ジミーは疑惑に抗えない男。一度関係が崩れると、すべては悪い方へ働いた。
ついにはアサギと二人でいるところを目撃されてしまった。
三人で話し合うべきだったが、その機会を持てずにいた。
ジミーが反乱を企てたのは、まもなくだった。一部の支援者を従えて私に決闘を挑んできたのだ。
決闘それ自体は愚連隊ごっこのなかの、ありふれたイベントのひとつだったが、この決闘に裏があることが、ほぼ同時に分かった。
聡明で、なぜか諜報能力に長けていたアサギが突き止めたのだ。
それによると、ジミーは新興のマフィア組織と手を組んでチームを乗っ取ろうと画策しているらしかった。
マフィアが何の利益を見込んでジミーと手を組んだのかは謎だった。
我々が持っているものといえば、兵隊の他はサメのいる海域の知識ぐらいのものだ。もちろん兵隊だけでも意味はあるだろう。
私はどうするべきか迷った。
ジミーたちを鎮圧しても、けっきょくマフィア組織を敵に回すことになる。弱小とはいえ本職の報復は愚連隊やサメハンターのそれとは比較にならない。仲間たちには家族もあれば、子供を持つヤツだっている。
話し合った結果、少数の精鋭でマフィアの事務所へ殴り込む事に決めた。直情的なやり方のようだが、これが一番見込みのある方法だった。
情報によると、マフィア組織は手下の多くをジミーへ貸し出すことになっていた。つまり、決闘当夜には事務所が手薄になっているはずだった。幹部を倒せば、あとは烏合の衆だ。なんとでもなる。
襲撃は成功した。事務所が爆発四散する前に、アサギが麻薬取引の証拠品を持ち出していた。スパイめいた見事な手腕だ。
おかげでそのマフィア組織は壊滅。ジミーは私と決闘することなくミートバーグから消えた。これには私もアサギも落ちこんだ。だが疑問もわいた。
数年後、ジミーは前ぶれもなく戻ってきた。私とアサギはすでに結婚していた。
彼は驚くほど穏やかになっていた。おまけに金持ちになっていた。貿易関係への投資で上手くやったという話だった。反乱の件に関して説明してくれなかったのは気に掛かったが、アサギとのことで後ろめたさがあったので、私も蒸し返しはしなかった。お互い大人になったのだと思うことにした。
やがてジミーも結婚して、我が家にはマツリが、ジミー家にはマックスくんが生まれた。家族ぐるみの交遊が続いたが、私の心の中には常に不安があった。
後になって思うに、あの反乱事件は奇妙なものだった。
決闘という前時代的なやり方は、ジミーの軽蔑していたものだったし、アサギが相手だったとはいえ、あっさり計画を見抜かれたのも、やはり彼らしくなかった。私はこう疑うようになっていた。
ジミーは私たちを試したのではないか?
あえて計画をばらす事で、アサギが密告するかを試し、同時に私が彼女とジミーどちらを信じるか試した。
結果はどうだったか?
アサギはジミーに確認を取るよりは、私に報告した。
私もアサギの報告だけを信じて、ジミーと話し合いはしなかった。ヤツがマフィアに騙されたり脅迫されていた可能性だってあったのにな。そんなことは当時思いもしなかった。
信頼を裏切った。そう彼に思われても仕方がなかった。
一度裏切った私たちを、彼はもう信じることはできないだろう。
だとしたら、彼は私たちへの不信を隠したまま付き合いを続けていることになる。
実際彼は私たちを試したのか?
今になっても分からないままだ。
どうあれ私がヤツを疑い、決闘から逃げたことは確かな事実だった。
そしてジミーが復讐を始めたきっかけは、私の二度目の裏切りのせいに違いなかった。
二度目の裏切りはアサギを守り切れなかったことだ。私は「私たちのアサギ」を失ったのだ。それは私の裏切りだ。
奇妙に聞こえるだろうか?
たしかに、あの事故はどうしようもなかったと、周りはそう言ってくれた。だがそれは理屈であって、私とジミーのあいだではまた別の問題なのだ。理屈ではない、約束の問題だったからだ。
とはいえ、実際に何か公約をしたわけではなかった。
ジミーは私を憎んでいたかもしれないが、アサギのことに関しては私を信用していたはずだった。だから、彼女を置いて街を出て行った。もしジミーがアサギを死なせていたなら、私も同じように責めただろう。
説明しがたいことだが、私たちの信頼とはそういうものだった。好き嫌いの混じる余地もないほど昔から、私たちは一緒に育った。家族の愛や憎しみに理屈が必要ないように、私たちの信用も理屈とは無関係にできていた。
それは私たちにもコントロールできない。
そこで理屈とは関係なく言うのだが、ジミーが歪んだのは私が彼の信頼を裏切ったせいだ。ずっと小さな頃から裏切り続けていたのかもしれん。
だが、ヤツも私の信頼を裏切った。
どれだけ私を憎もうと、アサギの娘に危害を加えるようなことはないと信用していた。だがそれは間違いだった。
校舎の爆破のことだ。校長のジャスジャスは臆病な男だ。あのようなことはしないだろう。私だけには分かる。あの冷静で自暴自棄な決断はジミーが下したものだ。
さらに彼は違法な人体実験に資金を出して、一人の若者の運命を変えた。私の弟子になる若者のことだ。彼は記憶もないまま罪悪感に苦しんでいる。
そしてもう一人――
「もういい」
△△△
「もういい」
そう言って立ち上がったのはトミカである。声は震えていた。
「俺はそんな話を聞くために、この街へ来たわけじゃねえ」
「――少し涼むか。行こう、向こうに氷菓子を冷やしてある」
スターライトが気を利かせた。月見台にはシャイニングとトミカだけが残った。
しばらくのあいだ、どちらも口をきかなかったが、やがてトミカが言った。
「もう、俺が誰なんだか分かってるんでしょう」
「気づいていないかもしれないが、キミは若い頃のジミーにそっくりだよ」
「目的も?」
「復讐だろうね。ヤツが何をしたかはあえて訊かないが――私に責任を果たさせてほしい」
トミカは疲れ切ったように座りこんだ。
「俺も言ったでしょう。そんな話を聞きたいんじゃない」
「私は――」
「師匠。これだけは。俺を止めようとしないでください」
「――だが私が先約だ。ジミーと決着をつけるのは、私が先約だ。これはマツリが生まれる前から決まっていた約束なのだ。私が決着を恐れたばかりに、皆を不幸にしてしまった。気が済まないというなら私を殺せ」
「俺に! 俺にできるわけないだろ。俺にとってここでの暮らしがどれだけ――」
「ありがとう。全部は言わなくていい、ありがとう。だが、それなら私を信じてくれ。必ずヤツにわびを入れさせる」
「駄目だ。無理だ耐えられない。俺がこれまでやって来たことが無駄になる」
「無駄にはならない。君はこの街に来て私の娘たちと出会っただろう。その出会いを大切にしてくれ」
「そんなこと――あいつらのことは言わないで下さいよ……俺はどっちかしかできない。あいつらのことはあきらめたんだ。そこまでしたんだ。俺がやったっていいだろ……!」
「ここに子供がいる。想像しろ。ここに子供がいる。エメラルドグリーンの目をした子供。過去のお前自身だ。この子に親を殺させたいのか? この子の母親がそんなことを望むと思うのか? この子の友達はどうだ。お前はどう思う。ジミーを殺した瞬間、お前は自分自身を裏切ることになるんだ。自殺と同じ事だ」
「それでいい。俺はアイツから吐き出された毒だ。俺がアイツを仕留めるのが一番正しい終わり方なんだ」
「いいや。お前はそんなふうにはできていないよ。仲間たちだって皆そう言う。そう言うはずだと、お前が一番信用しているはずだ」シャイニングはそう言った。一片の迷いもない声だった。「だから涙が流れるのだ」
シャイニングは席を立つと、街の方角を眺めた。沖の方で火が燃えていた。
「さて。おじさんは風呂にでも入ってくるかな。納得がいかないのなら何度でも話し合うつもりだが、今は席を外させてもらおう」
歩き去っていく彼の背に、トミカから最後の叫びが投げかけられた。
「俺に、どうしろっていうんだ……俺に」
「ここにいる皆を喜ばせてくれ。明日も明後日も、ずっと。ただ側にいるだけでいい。それはかけがえのない事なのだから」
道沿いに歩いて行くと、スターライトと子供たちが待っていた。
「やあ。済んだよ。彼には明日、訊いてやってくれ。おじさんは少し出かけてくるよ。友人との約束をすっぽかしてしまっていたのでね」
片手を上げて、シャイニングはトミカへ対してとは違うことを言った。その位置からも沖の海が眺められた。
望むと望むまいと生まれ育った場所だから、炎がどこでもえているのかはよく分かっていた。港の灯台だ。
あのシーザー号が燃えている。そして、その炎の意図も、彼にだけは、はっきり分かった。
ジミー・パーン。
ジミーが呼んでいる。
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