第46話 シャイニングを待ちわびて①
鉄板の焦げを、アリシアがヘラでこそいでいる。
テーブルの上には平らげたあとの皿と、まだつまんでいる最中の皿、グラス、折り紙にしたナプキン。串焼きの串。足下には空のビンが並べてある。バーベキューの炭はまだ燃えていて、ときどき音を立てる。宴の名残の匂いが夜風の中に漂っていた。
いわば幸福な散らかり方をした月見台に座って、シャイニングは眼下の街を眺めた。それから話しだした。
まだ漁が主要な仕事だったころだ。今で言う旧市街のコミュニティのなかで私とジミーは兄弟のように生い立った。近所に生まれ、ニシンパイを分け合って育った。気が合っただとか、友情だとか、そういう問題ではない。兄弟がそうであるように、生まれる前から決まっていた関係性だ。仲も悪くなかった。むしろ性格が正反対なぶん、補い合うことができていたと思う。
幼い頃はそうだったのだ。
運命はコインの裏と表だ。
コインが裏を出しただけで人生は変わる。
ジミーの父親は腕のいい漁師だったが、酒を飲むと気性が荒くなった。
酒場でコインを使った賭け事に興じていた彼は、イカサマを巡って漁師仲間と口論になり、暴行騒ぎを起こした。
殴った相手が水路に落ち、サメに襲われた。助けたのは、居合わせた私の父だった。ジミーの父はその場から消えていた。逃げ出したのか、あるいは酔って事態に気づかなかったのか。
噂では怖くなって逃げ出した、ということになった。噂とはそういうものだ。
この事件でバッファリン家の評判は高まったが、反対にジミーの父は軽蔑された。
漁師の仕事は、組合や店との助け合いなしには成り立たない。
非難されながら漁師を続けることは苦難がともなったが、代々の漁師だったジミーの父に、他の仕事はできなかった。
私の父たちも取りなしたが無駄だった。彼は荒れるようになり、そのせいでますます孤立した。
まだ幼かった私とジミーは、大人たちなど気にせず友達で居続けようと誓った。
この約束は公正だっただろうか?
私の家はあの喧嘩騒ぎで名を上げた。そんな安全な立場から困っている彼に対して友好を持ちかけても、それで真意は伝わっただろうか。恩着せがましいと感じられてもしかたないではないか。この約束を彼がどう思ったのかは、分からずじまいだ。
周囲の視線に耐えかねたのか、ジミーの母親は家を出ていった。それがジミーの心に大きな爪痕を残したことは間違いない。
優しかったのは彼の祖母だけだった。孫を守るために必死だったということもあっただろう。私たちジミーの友人にもとても良くしてくれた。
田舎町で軽蔑されたまま暮らすことは大変だった。どこへ行っても侮られ、安い仕事ばかり回された。船のためにオーダーした商品が、いつまで経っても入荷しない。それは別の漁師の方へ優先して売っていたからだった。
漁船の維持には金がかかったが、銀行は資金を貸し渋った。
すべての人々がそうだったわけではない。しかし子供が臆病になるには十分すぎた。
成長するに従って、ジミーは張り詰めた雰囲気をまとうようになった。いつ、誰が、どこで自分を侮っているか分かったものではないのだから。
父親のことで何か言われることもあったし、祖母を馬鹿にされることもあった。
が、ここが彼の複雑な性分なのだが、ジミーは父親を馬鹿にされても表立っては怒らなかった。彼自身が父親を軽蔑していたからだ。そんな相手のことでムキになる、という事が、彼にとって屈辱だったらしい。
かわりに彼は、母親似の顔立ちを指摘された時だとか、列の順を抜かされただけで怒り狂った。本当の原因はそんなところには無かったのだが、周囲にはそれが分からない。彼は父親譲りの
彼の周りに残ったのは、私のように鈍感で乱暴なヤツらばかりだった。
バイクに乗れる体格になると、私たちは単車を手に入れようと躍起になった。
圧倒的パワーでこの街の外まで運んでくれる、そのマシンに、皆が憧れた。田舎の漁師町において、それは信仰に近かった。ジミーには特にそうだったかもしれない。
ジミーは、父親と同じくらい漁師の仕事を軽蔑していたけれど、父親が船を売ったときには怒った。そのことを、彼は珍しく一人で道場にやって来て報告した。父親ともめ事になったらしく、前歯を折っていた。
船を買い取ったのは漁師仲間だったから、港へ行けば、もう他人の物になった船を眺めることができた。歯を折った夜を境に彼は船のことなど話題にしなかったが、やはり通りかかるたび目で追っていた。
私たちがバイクを買うために選んだ仕事はサメハンターだった。当時のミートバーグではポピュラーなアルバイトだ。
今のように設備や自治体が整っていなかったから、サメ退治に需要があったのだ。凶暴なサメの個体や、タチの悪い群れに懸賞金がかけられていて、命知らずの若者たちが賞金稼ぎのようなことをしていた。
あれだけ嫌っていた漁師のまねごとを、自分がしていたことにジミーは気づいていただろうか?
ハンターは若者たちばかりだから、そりゃあ乱暴だった。
獲物や獲物の情報、縄張りを巡っての争いが絶えなかった。みんな利益を守るため郎党を組んでいた。我々もその習慣にならった。
サメを巡っての抗争に勝つことは、金もさることながら、栄光を得る手段でもあり、若者たちの鬱憤や、孤独感を癒やすのにうってつけの方法でもあった。金はもちろん尊敬が得られるのだ。
そんな事にのめりこんでいるうちに、我々は街で最大のサメ狩り組織とまで呼ばれるようになっていた。
後になって分かったことだが、ジミーは賞金稼ぎで得た金で一人暮らしを始めていた。彼は家のことについてまったく寡黙になっていたのだが、それは祖母が亡くなったことすら隠していたほどだ。そのことを私が知ったのは、彼の父親が死んだ時だった。つまりジミーは一人になったのだ。
父親の死に方は、やや奇妙なものだった。
仕事への未練か当てつけか、彼はかつて所有していた漁船を盗んで沖へ出たところで、薬で死んだ。単に薬の量を間違えたとも、一緒に飲んだ酒のせいだとも言われたが、まあ自殺ということでみな納得した。
事件性は疑われなかった。
殺したならサメに喰わせればいいからね。この街じゃ。
生前にどういう約束をしたのか、船はジミーのもとに帰ってきた。そもそもおんぼろの船だったし、もしかしたら必要ないものを親切で買い取ってくれていたのかもしれなかった。それを香典のついでに返してくれたというわけだ。
船は港に泊めたままにしておいたが、我々はそのなかへ集まったりするようになった。
シーザー号という大層な名前の船で、まさに王様のかぶる冠のような飾りがついていた。アサギと出会ったのはそのシーザー号がきっかけだった。
ああ。アサギは後にマツリの母親になる女性のことだ。
最後の夏。そろそろ、私たちも卒業後の進路を考える年齢になっていた。
その頃には、私とジミーのあいだで意見がぶつかるようになっていた。
ジミーはサメハントの組織を企業化しようと考えたのだ。
組織を正当なビジネスとして、この街に認めさせるべきだと主張した。サメ狩りでは怪我をしても保険は下りないし、銀行も金を貸してくれない。そういう事態を改善したいという主張はもっともだったが、それなら別の仕事に就くべきだ、というのが、皆の主張だった。「三十過ぎてもサメと戦う人生なんて」と言うのだ。もっともだ。
その頃には街は発展し始めていて、若者たちにも漁師以外の道が見えてきたところだった。街の外でだって仕事は見つかりやすくなっていた。
私も安全を求める意見は無視できない。自然、ジミーに反対することになる。
金にがめついと言われるのを彼は嫌った。私もその点を指摘しないようにしていたが、この問題で金のことを口にしないわけには行かなかった。
「金のためだけにチームを作ったわけではない」と。
そんな態度がジミーの劣等感を刺激したのは間違いない。私には次ぐべき道場があり、両親も存命だった。
命を預けた間柄だったのに、けっきょく遊びでやっていたのかと彼はなじった。
口には出さなかったけれど、彼は自分が軽んじられてはしないかと終始怯えていた。
自分ではなく私がトップだったという事実も彼を不安にさせたに違いなかった。
とはいえ、実際には彼を慕う者は大勢いた。彼には不思議な魅力のようなものがあって、一度彼のフトコロに入り込んだ仲間たちは、彼を守ってやりたがった。
だが、彼はそんなことでは安心できなかった。父親も母親だって、かつては彼を愛し守ってくれたのだ。だがいなくなった。
こんなことがあった。
ジミーの可愛がっていた後輩がいたが、ある時その彼にスパイ疑惑が持ち上がった。我々が秘伝にしていたサメの縄張り情報を、別のサメハンターたちに漏らしたという疑いだった。
結局それは間違いで、後輩は無罪だった。だがジミーはその後いっさい彼を近づけようとしなかった。
今になって思うに、彼には「信じる」という能力が欠落していたのだろう。それは嘔吐感のように生理的な反応で、彼自身コントロールできない。
一方、私のほうも表現能力が欠けていた。彼や仲間たちを安心させてやることができなかった。
ジミーは自分を認めさせるため、サメ狩りで手柄を立てようと
強さが彼の信じるものだったから、それを皆に示そうとしたのだ。
だが、この危険な行為が、仲間たちを怯えさせ、サメ狩りから遠ざける事になっていたのは皮肉なことだ。皆、この仕事を続けるのが怖くなった。大人になったともいえる。
ジミーは頭が切れる一方で、手柄のためなら危険な賭けをも顧みないところがあり、なにより自暴自棄であった。
二番手になるくらいなら、ノーブレーキでカーブへ突入する方を選ぶような男だったのだ。しかも感情を隠すので、周囲からは合理的な判断と自暴自棄の見分けがつかなかった。
ヤツの行動は年を経るごとに難解になっていって、そのパズルの奥に隠された本心を取り出すことは、もう私にも不可能だった。
そんな彼を、一部は熱狂的に支持し、一部は危ぶんだ。全体としては彼のためにもチームは解散すべきだという気風が濃厚だった。
その夜も、同じことでモメた。
彼を説得するつもりで港にバイクを止めた。シーザー号のなかでなら子供の頃を思い出して、話を聞いてもらえるかと思ったんだ。
沖の方からモーターボートの音が聞こえた。
漁に出るような時間ではない。また、サメのいる海域でそんな小さなボートに乗るのは自殺行為だ。
サメハンターの本能で私たちは言い争いをやめ、目をこらした。
小型ボートはやはりサメに追われているようだった。
灯台の灯りに照らされたシルエットは女性のようだった。それがボートを操りながら、何かきらめく物を投げてサメと戦っていた。
ジミーが船に飛びこんでエンジンをかけようとしたので私も手伝った。おんぼろのうえ、めったに火を入れてやらなかったから、エンジンはなかなか目覚めてくれなかった。指示を飛ばしあい、船を出そうと必死になった。不謹慎だが私は少し嬉しかった。お互い確執を忘れて行動していたのが分かったからだ。
大きな波音がした。
突き上げをくらって、女性のボートが転覆したのだ。こちらの漁船はようやく動き出したところだった。女性に声をかけながら全速力で飛ばした。
相手は一体の大物が率いる群れだった。私は船上から
私は飛びこもうとしたが、そんな必要はなかった。彼女は私の仕留めたサメたちを足場にして飛び上がり、空中蹴りでボスザメを迎え討ったのだ。しなやかなシルエットが跳び蹴りのフォームでサメを貫いた。
月の明るい夜だから、女性の美しい姿が海上に輝いて見えた。
あ。というのが私たち全員の言葉だった。女性も確かにそんな声を漏らした。吹き飛ばされたボスザメがシーザー号に激突したのだ。
沈没こそしなかったものの、シーザー号は制御を失って灯台のある岩場へ激突した。
我々は岩場の上に避難すると、女性へ浮き輪を放った。彼女は曲芸師みたいに浮き輪の上に立って、投げナイフでサメを撃退しながら岩場へ上がってきた――後になって分かったが、彼女が使っていたのはナイフではなくクナイという日本の武器だった。
船は修復不可能に見えた。
ジミーはどう感じていただろうか? 分からない。父親が売り払ったときには喧嘩までした船だ。
女性も動作からして申し訳なさそうな様子だった。あの、と彼女が何か言おうとした途端、シーザー号のエンジン部分がサメとともに爆発を起こした。
呆然とする私たちの前で、女性はしばらく右往左往したあと、船のなかから例の王冠を探し出すと、どういうつもりか、それをジミーの頭へかぶせた。そっと。それから、あんな大ザメを倒したとは思えない、イタズラの見つかった子供のような顔で、私たちの様子をうかがった。
「ダメ?」と。
ジミーは笑いだした。もうずっと上げたことのないような声で笑い続けた。
たぶん、恋におちたのだ。
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