第44話 シャイニングとスターライトのレッスン~人喰い鯨シーシー~


 街での一件は二人を変えた。

 特にトミカへ与えたインパクトは大きかったようだ。

 やる気のみなぎった彼はチンポと叫んで竹林を越え、チンポと熊くんに挨拶し、チンポ森を駆け川を遡った。


「皆が気になっているあれのことを説明してあげよう」


 シャイニングは轟く滝壺へ入って、第三の力を実演してくれた。

 彼が大滝へアッパーカットを放つと、衝撃が空へ向かってほとばしった。一瞬、滝の流れが止まり、わずかの間ではあるが上へ向かって逆流さえした。天へ昇った水が雨になって降りそそぐ。後には虹が架かった。ハンサムは歓声を上げ、トミカが叫んだ。


「やっぱすげえ!」

「うむ。まず、SHARK神流はこの世の力を三つに分類していると、この前言ったね。一つ、肉体の力。二つ、自然環境の力。今日は最後の力『第三の力』について説明しよう」

「ハイッ!」

「チンポッ!」

「うん? うん……『第三の力』とは、例えばニンジャが忍術のために使う力だ。または、弘法大師がサメを爆発させた力でもあり、力士なら、どすこいするときに第三の力を使う。猿楽師も同様の力を使って自らに神を降ろすし、政治家ならこの力で政治を行うだろう。ほかにも、パン屋がパンを焼くとき、子鹿が立ち上がるとき、つぼみが花開くとき、赤ん坊が産声を上げるとき。あらゆるときが、そうだ」


 そう言ってシャイニングは弟子たちの顔を見渡した。


「誰もが、あらゆる生物が、多かれ少なかれその力を使っている。私の娘マツリにもある。自分でコントロールできていないようだがね。当然君たちにもある。つまり『第三の力』はどこにでもある力なのだ。私と君たちとの違いは、それを上手に使えているかどうかだけだ」

「サメ人間にも?」

「誰にでも必ず使えるし使っている」

「チンポォ! それでどうやったらチンポ! その力を使えるんだ、チンポ!」


 トミカは型の稽古を初めながら、勢い込んでそう言った。


「……やることは今と変わらない。『肉体の力』『自然環境の力』『第三の力』すべてのちからの運用法は、SHARK神流の型に組みこまれている。他に必要なのは、その力を感じることだ。ペン回しと同じだ。フォームを教わったら、あとは感覚を体に染みこませ、理解するのだ」

「でもけっきょく『第三の力』って何なんですか?」ハンサムが言った。

「第三の力はあらゆる者のなかに存在する。だから決まった名前は存在しない」

「でも、何と呼んで、どう扱えば」

「それはおのれで気づかなければならない。第三の力は自分で見つけ、その存在意義を自分で考え、名づけるのだ。その力を君たちがどう名づけたいか。それが何より大事なのだ。滝を裂く力だとか、どこかの誰かより強いだとか、弱いだとか、そんなことよりもずっと大切なことなんだ。それは自分自身を発見することでもある」

「自分自身を」

「つまりオッサンを信じてついて行けばいいって事だよな、シャイニング師匠よ! チンポ!」

「やっと師匠と呼んでくれたね。でも君はアレだね? 心の検閲を通さずしゃべっちゃう癖があるね? 娘もいるしおじさん考えちゃうな……」

「俺はやるぜ師匠! チンポ! チンポ!」

「チンポ! って言うのやめて!」


 シャイニングとスターの元で二人は修行を続けた。

 くじけそうなときは励まし合い、気絶するほど苦しいときは、気付けにマツリ玉を噛んだ。

 山に打ちあげられ、マツリ玉で癒やされ、二人の心身は刀のように鍛えられていった。


 やがて朝のトライアスロンにも慣れ、文字通り朝飯前の準備運動になっていた。太っていた熊くんもシャープな熊に生まれ変わった。


「おっと危ない」


 熊くんが沼に落ちかけたときには、ハンサムたちが助けて引っ張り上げる。熊くんは親指を立てて礼をする。ハンサムたちが川ザメに追いつかれた時には、熊くんがサメをハントする。ハンサムたちも熊語でお礼を言う。

 滝の勢いにも負けなくなってきた。ハンサムのキックが流れに逆らい、トミカの正拳突きが流木を打ち砕く。熊くんの胴回し回転蹴りで、滝壺に虹が架かる。

 

 森で遭難者にマツリ玉を分けてやるのも習慣になっていた。秘伝薬の効果によって、遭難者もたくましく、かつ狂信的になっていた。


「俺は、あの丸薬によって真理を悟った……! 世界はサメと一人の少女によって造られた……!」


 異様にハキハキと、大声でしゃべり、彼はハンサムの顔を見ても平気なようだ。というより目に入っていない。


「どうかあの聖なる薬をください。あの薬が無いとダメなんだ!」

「こわぁ」

「ああはなりたくねえな」


 初めはそんなことを言っていたが、彼らも今ではマツリ玉の虜だ。稽古から帰ると、ひな鳥なみの情熱でマツリ玉を所望する。


「早くマツリ玉くれよ!」

「あれがないとダメなんだ!」

「よぉし口を開けて並べ。マツリに感謝しながらな」

「一人一個ずつですよぉ」

「え~? 一個だけぇ?」

「もっとくれよぉ!」


 これは強くなるため必要なものなのだ。もはや文句も言わず彼らはむしろ進んでこれを常用した。

 当然、マツリ玉のための材料集めもいとわない。むしろこの作業は息抜きにすらなった。

 沼ザメのいる池で採れるレンコン。カンディル。特殊な調理が必要な幼虫。羽根のついた巨大ムカデ。決して街へ持ち帰ってはならないと言われる謎の花。なぜか生息している鶴。鶴を一口で食べる巨大ナマズ。

 様々な動植物にふれられたし、ここでのつまみ食いは黙認されていた。カンディルは意外と旨い。


「ハイ、ウンタン! ウンタン! くるっと回って笑顔オ……ハイ! OK! 今のはかなりのジャニだった。私も出家していなければ危なかったぞ。うん……よし、レモンをもったポーズのままで聞いてくれ」


 ダンスレッスンが進むとスターライトはある装置を取り出して、二人に見せた。


「このポーズじゃなきゃだめかな?」

「なんでレモンなんだよ」

「これはハンサムのための装置だが、まあ見てくれ」

「……無視だよ」


 それはボタンが一つばかりついただけのブザーかなにかに見えた。


「論文を書いていた頃、シャクティは実験のための装置作りを私に手伝わせた。というより私がほとんど作った」

「実験装置?」

「おい、レモン置いていいか」

「論文の詳しいところは私には到底理解できない。だがこの実験装置は単純な構造だから私にも作れたし、今もこうして再現できた。グラビアポーズを崩したら撃つ。鍋にはポン酢、アイドルのポーズにはレモンと決まっているんだ。ところで教えてくれ。ポン酢の『ポン』とはどういう意味なんだろうな?」

「知らないよ……!」

「ともかくこの装置の仕組みは単純だ。この『いいです』と書かれたボタンを押せば、こっちが七色に光って、ある電気パルスが放出される。七色に光るのはかっこいいからだ。あまり関係ないが、あだち充作品のなかでは『虹色とうがらし』が好きだ」

「会話が自由すぎる……」

「この電気パルスというのが、実験装置のキモだ。ここのところのデータだけは当時もシャクティの力を借りた。現代ではデータベースへつなげば簡単に手に入るプログラムだがな。つまり、生物の性的興奮が高まったときに出るパルスだ」

「ということは――」

「そう。この装置を使えばビッチ器官を反応させることができる。サメへ使えば捕食行動を促し――君に使えばサメ化させることができる」

「ちょ――と」


 ハンサムは思わず飛び退いた。


「慌てるな。『いいですボタン』を押している間だけしかパルスは発生しない。それにビッチ器官には探知の距離がある。地上ではせいぜい十メートルほど先までしか探知できない。それにサメ化した肉体の射程距離ももっと短いだろうな。タコみたいに体を伸ばせるわけじゃない」


「十メートル……でも危険は無いのか? 暴走とか、そういう危険は」

「不確定要素はあるが、危険を恐れていては先へは進めないぞ。この装置があればサメ化した肉体の扱いを身につけられるんだぞ」

「しかし、ここにはマツリたちも暮らしているし……」


「ビビんなよ。いってもただのサメだろ? なんかあっても今の俺と師匠がいれば余裕よ」

「トミカ……」

「恐れるな。遠慮もするな。そんなこと誰も望んでいない」スターライトもそう請け負った。

「みんな……分かりました。俺、やります」

「よく言った! ではまず十メートルの距離で私が装置を構える。いつ押すかは伝えないぞ。君は踊りながら意識を研ぎ澄ませて、肉体がサメ化する時の感覚を捉えるのだ」

「あっ踊りは絶対やるんですね……?」


 特訓の内容はより高度になっていった。

 二人別々の師匠について、トミカはSHARK神流のより深い技術の習得に、ハンサムはサメの肉体の制御を学ぶに努めた。より具体的になった目標へ向かって二人は突き進み、二週間あまりが経過した。

 修行に明け暮れる彼らは、下界の事を忘れさりつつあった。だが外科医を監視していたところで、ミートバーグへ迫る脅威は関知できなかっただろう。それは市長ジミー・パーンですらそうだったのだ。


△△△


 ミートバーグの山奥で、ハンサムたちが特訓に励んでいるころ、遙か彼方の海上を、動物愛玩団体『わんにゃん倶楽部』の大型船舶が北極海へ向かって進航していた。

 いつもは密漁船の破壊か、かわいい海の生き物たちの保護が目的だったが、今回の公開は、ある企業からの依頼がミッションに含まれていた。北極海周辺で、とある人物を極秘に拾ってもらいたい、というのだ。


「海上タクシーじゃあるまいし」前方の海を眺めながら、船長は鼻で笑った。「遭難者だとしたら極寒の北極海で生きてはいられませんよ。しかもこれから向かう海域にはヤツが……あの化け物がいるんですからね」

「黙って船を進ませたまえ」


 いったいどんな化け物を思い浮かべたのか、船長は身震いしている。しかし、話しかけられた男の顔色はなお悪かった。青を通り越してどす黒かった。ストレスで内臓のひとつやふたつは潰していそうな外見である。彼こそは「ある人物」を迎えるためフロリダの企業から派遣された役員だった。

 船長はお互いの緊張をほぐそうとしたのか、棚のなかからウィスキーを持ってきてなみなみと注ぎ、役員へも勧めた。


「食べ物が欲しければ、作らせますよ。『保護』したマグロやハマチがよりどりみどり。クジラやイルカも形の悪いものは食べてもいい決まりになっています。かわいくないですから」


 そう言ったとき、船内に警報が響いた。同時に無線で連絡が入る。切羽詰まった金切り声で、役員のところまではっきり届いた。


「船長! 前方にクジラが!」

「クジラ? かわいいのか? かわいいなら画像にとって保存、汚らしいのなら無視すればいいだろ?」

「そうではなく進路に――」

「行く手を遮られているのか? ならぶつければいいだろ。蹴散らせ」

「違います! ヤツです! あの化け物です!」

「なんだと!」


 船長は身を乗り出して前方の海を眺めた。初め肉眼では、そこにそれがいるとは分からなかった。水平線の向こうに雲が横たわっているのかと思った。モヤが出ていたせいもあった。

 それは水蒸気のかたまりではなく、大きな、しかも真っ白なクジラだった。目をこらすと見えてくる無数の傷跡が、その白鯨はくげいの凶暴さを物語っていた。


「や……ヤツだ……! 俺は二〇人の部下と戦艦一艘をヤツに喰われている……」


 船長は海の男らしく豪快に失禁した。

 その白鯨こそはサメやシャチを主食とし、軍艦をも沈める北極海の化け物。人喰いクジラ『シーシー』である。船長は一切の人間味をかなぐり捨てて叫んだ。


「撃てーッ! あの醜い化け物を殺せッ殺せー! 撃ちまくれェエエエ!」


 立て続けの砲撃が響いた。密猟船や調査船、醜い動物共と戦うため、この船は軍艦並みの武装をそなえているのだ。

 不意に砲撃音がやんで、無線から戸惑ったような声が響いてきた。


「あの、船長――」

「何をしている、誰が撃つのをやめろと言った。ヤツの姿がまだ見えている。破片も残すな。火の海に変えろ。毒を撒け!」

「船長よく見てください。変です」


 船長はよだれを垂らしてあえいでいる。この数秒で老け込んだように見えた。

 船長が使い物にならないので、役員は船長室の窓辺へよって自分で確認した。

 遠くにはまだ白鯨の姿が見える。だが何か変だった。あれだけ砲撃を受けたというのに、逃げもせず向かっても来ず、帆船のようにのどかに揺れている。頭の辺りのシルエットが欠けているように見えた。砲弾が命中したにしては、手応えが無い。

 双眼鏡を取り出して覗いた。それで違和感の原因がわかった。砲弾のかすめた穴から『内側』が見えた。白鯨はハリボテだったのだ。なかは空洞に見える。しかし偽物ではない。作り物ではあるが、偽物ではないのだ。

 それは巨大なクジラの死骸を使った船なのだった。

 泳いでいる巨大クジラをその場で殺し、内臓を掻き出して船に仕立てているのだ。椰子の実を二つに割ってどんぶりを作るみたいに。

 燃料は掻き出した内臓。動力はその内臓をエサにした、サメだ。

 水面に無数の背ビレが見える。内臓肉で手懐けられたサメたちが、背中でクジラ船を押している。

 クジラ船がこちらへ向きを変えて、なかの『船室』がより見通せるようになった。そこに一人の老人の姿を認めたとき、役員は恐怖のあまり嘔吐した。食事も胃液も吐き尽くした後のどす黒いタール状の吐瀉物だった。男はウィスキーのビンをつかむとラッパ飲みして、それからそれを半分以上吐き出してから、無線へ叫んだ。


「船を! 小型船を出せ!」


 役員の男は、小型船に乗って白鯨船へ近づいていった。立って前方を見つめる彼の顔色は死人そのものだ。海面のサメなどまるで見ていない。彼の恐怖は老人だけに向いている。極寒の海風と、物凄い腐臭が吹きつけてくる。

 ミイラのように皺だらけの老人の顔が見分けられるほどに近づいた。白髪が髪に揺れている。着流し姿だった。日本人だ。役員と目が合うと、老人は顔中に年輪みたいな皺を走らせた。笑ったのだ。


「シャクティ嬢ちゃんの使いのモンかい? 帰りの便が待ちきれんで泳いできてしもうたわ」


 腐臭と恐怖で役員はとっさに声が出せないようだったが、意思の力で声を振り絞った。


「あなたに仕事を依頼したい! 博士とは別件で! 応じていただけるなら、あなたの望むだけの研究費を援助する用意があります」

「んん~?」


 そう返事して老人は本当のミイラのようにしばらく動かなかった。その洞穴のような目を覗いただけで、役員の男は気が遠くなった。

 やがて彼が本当に気絶しそうになったとき、


「まあ、ええわい」


 老人は立つと、海面のサメを足場にして船へ乗りこんできた。

 海風に着物がたなびいた。その背中には日本語で、ある言葉が染め上げてあった。


『いっぱい食べるキミが好き』


 サメキチ学会のスローガンである。この老人こそがシャクティ博士の呼び寄せた学会員、フカマサである。

 役員の男がまた血反吐を吐いた。

 船からは長いあいだ、白鯨の死骸が見えた。

 老人は素手である。この痩せた老人がいったいどうやって、化け物とまで呼ばれるクジラを倒したのか。その内部をくりぬきサメの群れを支配したのか。そもそも、着流し一枚の姿で極寒の海をどう生き延びてきたのか。一切は謎である。

 学会員フカ雅を乗せて、船は静かに南下して行く。ミートバーグのあるフロリダ目指して。

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