第42話 シャイニングとスターライトのレッスン~IQの下がるコーク~
三日目はスーパードライで始まった。
母屋には、もう灯りがついて、いい匂いのする湯気が立ち上っている。朝食の準備をしているらしい。
ハンサムたちは、それを尻目に早朝のトライアスロンに行かなくてはならない。
「また寝られなかった……」
「俺もだクソッタレ」
「トミカは寝てたぞ。寝相悪いのなんとかしてくれない? ウトウトしてるときにゴロってされると目が覚めるんだ」
「神経質になってんじゃねえよ。寝れねえのは俺のせいじゃねーよ。お前がおかしいんだ」
二人には離れの部屋があてがわれていたが、それは布団を並べて敷くしかないような狭い部屋だった。
不満げなハンサムを無視してトミカは続ける。
「まあ無理ねぇけどな。こんな生活じゃ。朝から毒みてえな団子食ってよ。人間の食いもんじゃねえな。餌だ餌。人間の食生活ってのは、母屋のやつらみたいなのを言うんだ」
「……普通の生活なんて俺が知るわけないだろ」
「あ? なんて?」
トミカが聞き返したときには、ハンサムは竹林へ向かって歩きだしていた。
「なんだァ? おい」
トレーニングは過酷だったが、土地勘は身につき始めていた。
朝は竹林から岩山、岩山から森へ入る。遭難者が食べ物を求めて近づいてくるので、ハンサムの顔を見られないように遠くから兵糧丸を投げてやる。
霧から逃げ、サメのいる川へ向かってジャンプ。トミカは飛びおりながら「サメ野郎」と叫んでサメを足蹴にした。
滝で休んで、熊くんと別れ、崖を下って寺へ戻る。戻ると兵糧丸が待っている。
「また餌の時間だぜ」
「餌って言うのやめてくれないか」
「お前、朝からなにカラんできてんだよ?」
「別に……」
午後は食材集めに山へ入る。
「エサ採ってる場合じゃねえのによ。こんなんなら金貯めて銃でも買った方が有意義なんじゃねえのか?」
「そう思うんなら、トミカはそうすればいいだろ」
「なんか文句でもあんのか?」
「思ったことを言ってるだけだ。だいたい文句言おうにもトミカの目的がなんなのかも知らない。銃だろうとなんだろうと、なんでそんなに必要なんだ?」
「関係ねえだろ」
「……出たよ『関係ねえ』」
「あ!?」
ハンサムとトミカはずっと険悪な様子で、同行したアリシアは居心地悪そうにしていた。「ほっとけ、ほっとけ」スターライトはアリシアへそう言った。
ストレスはスターライトのレッスンの時に爆発した。
トミカはダンスレッスンに不満たらたらだった。
「ハイッ ウンタン、ウンタン、スターライッスターライッ――ああ、もう全然ダメだ。ミスは仕方ないとして魂が入ってない! 応援したいと思えない。グッズを買いたいと思えない!」
「知るかよ! もうオッサンと変われ。こんなん意味ねえよ」
「意味がないように見えるのはお前が未熟だからだ」
「こんな悠長なことやってる場合かよ。全部が終わってからコイツ一人にダンスでも何でも教えればいい」
「全部とは何の全部だ?」
「それは……関係ねえだろ」
ハンサムはトミカを無視するかのようにレッスンに撃ちこんでいたが、お互いの足がぶつかると、明らかに舌打ちした。トミカも苛ついてそれへ反応した。
「オイ。オイ……ヘイ! お前朝からなんなんだよ」
「俺は真面目に特訓してるだけだ」
スターライトが音楽を止めた。口は出さずに見守るつもりのようだった。今や二人は噛みつき合うようにして言い争っている。
「特訓! このタコ踊りがか?」
「昨日説明を受けただろ、必要なことなんだ」
「だから騙されてんだよ。お前には分かんねえかもしれねえが――」
「わからないかもな。どうせ俺はサメ人間だからな」
「絡むなバカ。俺はお前のために説明してやってんだろ。サメって単語を二度と出すな」
「無理だね! 俺はサメ人間で、その事実以外なにも持ってないからな」
「話が進まねえな、コイツ! 俺はこの訓練がバカらしいって言ってんだ」
「そんなにイヤならやめればいいだろ。俺と違ってトミカはここにいる理由なんてないもんな。シャイニングさんに対するくだらない意地だけだろ。俺は違う。バカらしくても俺は必死なんだ。こんな人喰いの化け物にされて、人生がかかってるんだ」
「俺の理由を勝手に決めつけてんじゃねえ!」
トミカはこれまでにないほどの激昂を見せた。
「くだらねえ理由で俺がここにいると思ってんのか! つれえ思いしてこんなエサ喰ってよ!」
故意にではなかったのかもしれない。手を滑らせただけなのかもしれない。トミカが兵糧丸の袋を取り出して振ると、それは手から飛んで、ちょうど声を聞きつけて本堂へ入ってきたマツリの顔に当たった。丸薬が地面へ散らばった。クイントが吠え始めた。
「あ……」
「いや、これは――」
「ごめん、ごめんね」
クイントをなだめると、マツリは手探りで丸薬を拾い集め始めた。ハンサムたちのところから表情は見えなかった。
「お前ら!」
そこへ、アリシアが鍋を叩きながら飛びこんできた。本堂の様子を把握すると、彼女は持っていた鍋とオタマを二人へ投げつけた。それからマツリを手伝って兵糧丸を拾いだした。
もう彼女は何も言わなかったが、動作の一つ一つが明らかに、二人を拒んでいた。鼻を啜る音がして、床間に涙が落ちた。
スターライトが手を叩いて言った。
「OK、休憩だ。私はこういうぶつかり合いは嫌いじゃないが、レッスンにならない。二人とも風呂に入って今日は寝ろ」
「……スターライト。トミカと部屋を別にしてほしい」
「――こいつ。俺だって御免なんだよッ!」
「却下だ。ここでは二十四時間が修行だ。お前たちの感情でルールを変えたりしない。風呂も二人で入れ。ゆっくり湯に浸かって、そもそも争う理由があるのかちゃんと考えてみろ。風呂場でなら言い争うなり殴り合うなり好きにしろ」
さすがにその場に居続けることはできず、二人は従った。
脱衣室でも二人は無言だった。一応、トミカが独り言のように「鍋、持ってきちまった」と呟いたが、ハンサムは反応しなかった。彼もオタマを手に持ったままだった。
そのまま服を脱ぎ、湯船に入った。
二人は言葉もなく用を済ませていった。お互い手に持った食器を持て余していた。
体を洗いながら、食器を磨いたり、湯船に入れば鍋を浮かべたり、オタマで薬湯をすくい上げてみたりした。
ぷかぷか流れてきた鍋を、ハンサムは無言で押し返した。トミカが舌打ちした。
何かいってやろうと、お互い立ち上がりかけたが、鍋とオタマがふれあって音を立てた。それでアリシアたちを泣かせたことを思い出してしまった。二人は湯船へ肩を沈めた。
やがてハンサムがブクブク言った。
「人を泣かせたの初めてだ。記憶がないから分からないけど」
「またサメ人間の泣き言だぜ」
そう言ったものの反論がこないので、トミカもブクブク言い直した。
「俺はお袋をずっと泣かせてきた。あるオッサンに言わせれば、俺はまだお袋を泣かせてるらしい。その通りかもしれねえ」
またしばらくブクブクしてからハンサムが言う。
「違うんだ」
「……なにが」
ハンサムはオタマで湯をすくって自分の頭にかけた。
「記憶のこと。記憶は戻らないんじゃなくて『無い』のかもしれない。だから、やっぱり誰かを泣かせたのは初めてだ」
トミカは黙って聞いた。
「スターライトと俺は過去に知り合いだったらしい。なのに彼女と話しても何も思い出す気配さえない。あんなに特徴的な人なのに。だんだん感覚で分かってきたんだ。俺に『思い出すべき事』なんて無いんじゃないかって。じゃあ俺は誰なんだ? スターライトはこの体にはサメが移植されてるって言う。なら俺はもともといた『誰か』じゃなく、ただのサメの意識が『誰か』にしがみついてるだけなんじゃないかって思う。思うって言うより感じるんだ。そして、俺がサメなら人喰いの本能は抑えられるものなのか? この街では毎日人がサメに喰われてる。俺もそうするようになってしまうんじゃないかって怖いんだ。最近、まどろむとみんながいなくなった夢を見るんだ。そして、俺の口からはみんなの血が滴っている」
トミカの返事はこうだ。
「俺はそういう泣き言を聞かされるのが我慢ならねぇんだよ」
「……そう。そうだろうな、だから――」
「待てよ。話は半分だ。俺は――まあいいや」
トミカはそう言ったきり黙っていたが、やがて「俺にもかけろ」と言った。
ハンサムは薬湯をすくうと、トミカの頭へ垂らした。トミカは話を再開した。
「俺がやりきれないのは、お前がそうやって怖がったり、みんなが不幸になってる原因を探っていくと、俺の血管んなかを通過するってことなんだ」
「……意味が分からない」
「血統の話だ。博士に資金援助してサメ人間を造らせたのは」
「市長だろ」
「そうだ。そして、ジミー・パーンは俺の父親なんだ。俺は、あいつに襲われた女から生まれた」
「そう……なのか」
「そうだ。だから仮に俺のこと喰っちまっても責任感じることねえぞ。あの野郎の因果が息子の俺に巡ってきたっただけだ」
「そうか……」
噛みしめるように言葉を吐き出してから、ハンサムは湯をすくって自分の頭にかけた。
「……でも、それはトミカの責任じゃない」
「他人の話なら俺もそう言うさ。だが血がそれを許してくれない。お袋のことを考えるとき、お前や、マツリや、この街であいつに傷つけられてる人間がいるたび、自分の心臓を毟り取ってやりたくなる。
喰われて済むんならそれで片付けちまいてぇよ。でも俺が始末をつけなきゃならない。ジミー・パーンがみんなの害になってるのは確かだし、ジミー・パーンの人生はジミー・パーンの吐き出した毒で終わるべきなんだ。自業自得の人生だ」
「それは市長を……倒すって事か? 自分の父親を?」
「父親だからかもな。悔しいが。どうしても俺が終わらせたい。俺の人生はあいつを殺してようやく始まるんだ」
そう言うとトミカは自分に湯をぶっかけた。そして立ち上がった。
「とにかく! これで俺がここにいる訳が分かったろ。いろいろブー垂れて悪かったが、全部そういうことなんだ」
ハンサムも頷いて立ち上がった。
「分かった。そういうことなら問題ない。俺が捕まるふりをして研究施設を破壊してみる。俺がサメ人間の力を使いこなせるようになれば可能かもしれない。サメは研究施設を破壊するのは得意なんだ。俺が博士を倒せば市長の力も削ぐことが出来る」
湯船から出かかっていたトミカは足を戻して振り返った。
「話聞いてたか?」
「聞いてた。俺が研究所のことを暴いて市長を失脚するところまで追い込んでみせる。だから父親殺しなんてしなくていいんだ。俺に任せとけ」
「全然聞いてねえじゃねえか。全然聞いてねえよコイツ! 俺が始末するって言ってんじゃん。ジミーが死ねばS.H.B.Bもお前を追っかける必要なくなるんだよ。アイツの指示で動いてるんだからよ」
「いや。それじゃあ俺のサメ人間問題が解決してない。シャクティ博士は俺を追ってくるだろうし、俺事態がこの街では危険な存在なんだ。だから俺が
「一石二鳥を辞書で引け。分かんねえ野郎だなッ! 俺がジミーに
「NASAがサメに勝てるわけないだろ! そっちこそ市長なんか司法に任せればいいんだ。アメリカ合衆国がなんとかしてくれる」
「出来ねえからこうなってるし、あのチンポ野郎をブッ殺さねえと俺の気がすまねえんだよ。マツリがどんなふうに扱われてるか知ってるだろ! お前だってヤツがいなけりゃサメ人間にならなかった。わかんねえかな!」
「わかんないね!」
「脳ミソまでサメですか? お前はよお!」
「サメを悪口に使うなよ!」
ハンサムは腰に巻いていたタオルでトミカの背中を撃った。鞭のような音がした。
「サメと頭のことは一番ナイーブな問題だぞ、俺にとって! そういうトコなんだよトミカは!」
きりもみしていたトミカは「ほほん」と笑うと、自分のタオルでハンサムの足を打った。先端が内ももに当たった。一番痛いところである。
「俺は気をつかって言ってやってんだぞ。それをサメサメサメサメ、サメって単語ばっかり拾いやがって! 日本人かお前はよォ!」
「ああサメだよッ! だからただの人間は引っ込んでろって言ってるんだ、危ないから」
「お前がサメなら俺はドラゴンだよ!」
「どっから出てきたんだよドラゴン!」
「俺のドラゴン問題聞かせてやろうかァ!? 絶対ヒクぞ!」
「ヒかないね! なぜならサメの方がヒクほどヤバイからだ」
「チンポ!」
そこでトミカはハンサムに大外刈りをしかけた。綺麗に一回転して、ハンサムは逆さまに湯船へ沈んだ。
「ドラゴン舐めんなよ」
「サメ!」
水中を滑って接近、背後を撮ると、ハンサムはトミカの腰へしがみつき、後ろ側へ投げ捨てた。投げっぱなしジャーマンである。トミカは蛙のような格好で湯のなかへ落下した。
「こっちこそ、なんだって喰っちゃうサメなんだぞ!」
「ドラゴンの業の方がデケえ!」トミカがハンサムを背負い投げする。
「サメの死亡率の方がカタい!」ハンサムは巴投げでやり返す。
「ドラゴンの毒のが濃いい!」トミカのジャイアントスイング。
「サメの害の方が多い!」ハンサムのボディプレス。
「ドラゴンの方がエグい!」浴びせ蹴り。
「サメの方がバラエティ豊か!」カニばさみ。
「ドラゴンのが邪悪!」横四方固め。
「サメの方が黒い!」腕ひしぎ十字固め。
ドラゴンとサメの水中決戦は引き分けに終わった。
二人は取っ組み合ったまま薬湯に沈んで、しばらくすると静かになった。
二人は湯船を出ると、鍋とオタマをそっと置いて、脱衣所を後にした。どちらから言い出したのかは分からない。
「このまま逃げてしまおうか」
△△△
「あああああああああああッ!」
「ああああああああああッッ!」
「なんでッ! なんで俺なんだッ! なんでぜんぶ俺なんだ!」
「俺にッ俺にどうしろってんだ、あああああああッ!」
「寂しい、寂しい。クッソ! クッソ!」
「死なねえかなあ! 俺の見てねえところで死んでてくれよ!」
倉庫にあるスターライトのバイクを二台、拝借して峠道を下った。途中、どちらともなく叫びだして、そうなると止まらなくなった。
「あああ! クッソ!」
「ハゲェ!」
その時である。涙でぼやけた視界のはしにハンサムは自販機のまばゆい光を見た。
「あああああ……あれ、自販機じゃないか?」
「ああああ……なにッ!」
それは峠道の途中に設置させた無人のパーキングである。ジュースに、ビールに、チューインガムといった自動販売機が並んでいる。
あらゆる感情を押しのけて二人の脳裏に同時に浮かんだのは『コークを喉に流しこみたい』だった。
コークの誘惑はあらゆる悲しみを凌駕する。
三日にわたる隔離生活。マツリ玉。そして急激な感情の変化。それらが合併してコークへの欲求と出会った。それでどうなったか?
人は、飢えと、マツリ玉と、感情の変化が合併したところでコークを目にするとIQが下がる。これは事実である。
「コーラァ!」
二人はバイクを止める時間すらもどかしく自動販売機へ近づいた。IQは
「あああああああああああッ」
「あああああああああああッ」
歓喜。甘味。悪魔的ノドごし。
「キンッキンに冷えてやがるあああああああああああッ!」
「安全で甘い味がするぅううううッ!」
飲み干したあとは、うまさのあまりへたりこんでしまった。二人はこの世で一番甘美なげっぷを漏らす。
「うま……旨かった……!」
「これ……これからどうする」
「ああ……街だな。街まで下りればもっと旨いモンが食える。ピザとかな!」
「ピザ! え? いいんですか? 俺みたいなサメ人間がピザ食っていいんすか?」
「許す!」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「うむ、うむ。え? 俺もいいんすか? 俺みたいな汚れた血脈がピザを食っても?」
「許す!」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「うむ」
二人はゲラゲラ笑いながらバイクに跨がった。
「あ」
「どうした」
「なあ、今気づいたんだけど、俺たちこれ怒られるんじゃないか?」
「朝までに戻ればバレやしねえよ。ピザ食いてえだろ」
「ピザァ!」
アクセルをふかして、二人は眼下の街へ向かって下り始めた。スーパマン乗りで下っていった。それにしても、まさか街に氷結ザメがいるとは。
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