第39話 スターライトのもとで④


 スターライトがエンジンを切ると、浜辺は急に静かになった。

 清少納言の石碑には菊と酒が供えたままになっていて、夜の中に香りをはなっていた。

 スターライトは長いあいだ動かずに待った。

 波の音と虫の声が続き、やがて遠くのトレーラハウスから漏れていた笑い声が聞こえなくなり、月が真上にさしかかったころ、石碑の影からシャクティ・スペックが現れた。


「久しぶり。変な格好」

「いまはスターライトでやらせてもらっている」

「ダッサい」

「若い子たちからは大好評さ」


 二人はバイク越しに向き合った。


「あなたがコンタクトを取ってきたということは『彼』を見つけたわけね」

「もう少し早ければ『笑いジイ』にも会わせてやれた」

「会っても意味がない」

ハンサムが『彼』ではないからか」


 それからしばらく沈黙が落ちて、二人はため息をついた。


「うまくいかないね。再会の挨拶って」

「上手なヤツなんていないさ。こんな再会ではなおさらな。十年も『彼』の死を受け入れられないままでいるとは呆れたよ」


 シャクティが浜へ向かって歩きだす。スターライトも後に続いた。まるでこれからの話を『笑いジイ』には聞かせたくない、というふうに。


「受け入れてるよ、すべてを。『彼』は死んだ。だから私は対処をしている。シンプルなこと」

「ビッチ器官を移植して生き返らせることがか?」

「対処はまだ続いている」

「ジミーの支援を受けてか。彼が死んですぐだから十年も対処を続けているわけだ。『彼』をサメ人間に作り替えてまで生き返らせようとしたようだが、その結果はどうだ」

「対処はまだ途中」シャクティは繰り返した。

「私はハンサムと話したぞ。肉体は『彼』のものだが別人だった。なまこを旨いというし、バイクは下手くそ。清少納言の物語を聞いても泣かず『笑いジイ』のことも知らない。『彼』の精神は戻ってこなかった。そうだろ?」


 シャクティは波打ち際でため息をついた。スターライトの見る限り、泣いてはいなかった。


「――そう。なんど施術アップデートを重ねても『彼』は目覚めなかった」

「代わりに新しい人格が目覚めた。『彼』の肉体と知識は扱えるが、記憶のエピソードにアクセスする鍵は持っていない。つまり、まったくの別人格。それが私の出会ったハンサムなんだな?」

「人格? サメくんが人間の脳を使って人間ごっこをしているだけだよ。いずれ確実に克服するけれどね」

「お前の……その言い様……信じたくはなかったが、実験が失敗するたび、サメ人間から人格を削除しているな? これまで何人もの人格を。だからハンサムには脱出以前の記憶がない。生まれたばかりだからだ。彼が逃げ出したのは『前の彼』を削除した直後だった。そうだな?」


 シャクティは水の中へ入っていった。サメのことなどまるで恐れていない足取りで、波の照り返しを受けた顔には、歪んだ笑みが浮かんでいた。


「だって、ねえ、必要な対処でしょう?」

「シャクティ! ひとつ当ててやろうか。『サメ人間はビッチ器官を切り離すと生きていけない』。切り離せるならすでにやってるはずだからな」

「必要な対処だもの」

「それがどういうことか分かるか。『彼』はもういない、ということだ。『彼』の遺体に、サメの命が宿って、サメ人間が生まれた。生まれたんだ。母親と子供が別人であるように『彼』と『彼』から生まれたサメ人間は別の生命なんだ。シャクティ。『彼』は帰ってこない。新しい命になったんだ」

「あなたは愚かだから、そんなふうに『彼』をあきらめられる。私の計算では『彼』が帰ってくる確率はゼロではない。だから対処する。私にはその力を授かって生まれてきたのだから」

「それが叶うのはいつのことだ? すでに十年繰り返しているのに成功していない。サメ人間の肉体は若いままのようだが、お前はどうだ。『彼』の戻ってくる『何時か』まで、お前の才能と、心がもつと思っているのか。これまで『彼』の顔をした子供たちを何人デリートしてきた?」

「あなたは今まで見てきたサメ映画の本数をいちいちおぼえているの?」

「シャクティ……研究をやめる気はないのか」

「もう、帰るね。話しても無駄のようだから――そうそう、サメくんを守るために何か対処するのなら少しだけ猶予をあげる。長くて一ヶ月、多分もっと短い」

「逃がすと思うのか」

「私が帰ると言った」


 シャクティは背を向けて、沖へ歩きだした。


「残念だ、シャクティ」


 スターライトの抜き放った銃が月下に光った。その時、彼女の脚が何者かにすくわれた。


「なに――!」


 その接近があまりに穏やかだったので、彼女は水に没した後でも、それがサメの仕業だとは気づかなかった。

 サメの背ビレへ掴まってシャクティが沖へ遠ざかっていく。サメは彼女のしもべの改造サイバネティックシャークだったのだ。

 スターライトが体勢を立て直した時には、すでにサメとシャクティの姿は黒い波の向こうに見えなくなっていた。


「――じゃあね。おやすみ、笑いジイ。かわいそうな清少納言。さよならスターライト」


△△△


 山へ戻ったスターライトは、寺の裏で滝にうたれて一晩を明かした。

 寺へ戻って着替えたところで、本堂のほうから打ち合う声を聞いた。

 板間を踏みならす音。音速を破るときの破裂音。稲妻のような音。気合いの声。何かの砕け散る音。

 スターライトが本堂へ上がると、ちょうど菩薩像の前で、トミカとシャイニングの跳び蹴りが交差したところだった。

 技と技がぶつかり合い、銅鑼のような音が鳴った。

 二人は着地したのち、しばらく静止し、やがてシャイニングの肩当てが砕け散った。だが、勝ったかに思われたトミカの方がトマトジュースを吐き出しつつ、ダウンした。彼の蹴りが肩当てを砕いただけだったのに比して、シャイニングの攻撃は急所にヒットしていたのだ。


「……やるじゃねえか、おっさん」

「どうだい、考え直す気になったかい?」

「ぜんぜんだね」

「ならば致し方ない」


 二人は頷き合うと、新しい肩当てを装着し、あらかじめ用意しておいたトマトジュースを口に含んだ。そしてまた目まぐるしく移動しながら、あちこちで打ち合いだした。


「……なんだこれは」


 マツリがやって来て説明してくれた。


「なんだかトミカくんがウチの奥義をパパッと教えてくれとか言い出して……それで父もそういうの大好きなので『力尽くでどうかね』みたいな提案をするし、トミカくんはトミカくんでああだしで……」

「つまり修行をつけてもらっているわけ?」

「いいえ。それだけは絶対嫌だってトミカくんが抵抗してる状態ですね、今は。あくまで奥義だけ教わって山を下りたいみたいで」

「トマトジュースは?」

「ウチの練習法です。トマトジュースは健康にいいので」

「あ、そう」


 また銅鑼の音が鳴って、またまたトミカがトマトジュースを吐いた。


「どうだね? そんなザマで奥義が身につくものかい」

「……上等だ。どれだけ時間が掛かろうとパパッと奥義を手に入れてやるぜ!」

「二人ともトマトジュースもうないからね!」

「オレンジジュースにしてくれ!」


 こっちの方は今のところ大丈夫そうだな、とスターライトは判断した。

 その時、もう一人の方の問題児についての報告が入った。


「ちょっとぉ! マツリなんなん? あの男の子!」


 味噌スープの鍋を持ったアリシアが飛びこんできた。結局、全員で寺に泊まったのだ。

 彼女の訴えはこうである。朝食の手伝いをしている途中、寺から逃げ出そうとするサメマスクの後ろ姿を見つけた。逃げないように縛っておいたのだが、噛み切ったらしい。

 慌てて追いかけたところ、母屋の軒下へ逃げこんで出てこなくなったのだという。


「S.H.B.Bのオウルさんを呼んでくれ! 要求をのむまで出て行かないぞ」


 アリシアの案内に従って、全員でハンサムのところへ説得に行った。軒下の暗闇の奥の方にハンサムの目が二つ光って見えた。何を言っても「オウルを呼んでくれ」の一点張りだった。


「呼ぶわけねェーだろッバーカ! いいからいったん出ろよ、何やってんだ」トミカが叫び返した。

「トミカにはわかんないよ!」

「いいから言ってみろッつってんだろブッ殺すぞ」

「俺はサメだったんだ。しかもハンサムなんだぞ! ハンサムの気持ちがトミカに分かるのかよ!」

「言いたいことは分かるけどムカつくなこの野郎……!」

「ハンサムくんどこにいるの?」マツリがしゃがんで言った。

「ハンサムはここにいる!」

「返事してるだけなのにムカつくよ畜生」


 トミカがブツブツ言うのを手探りで遮って、マツリは言った。


「どうしてS.H.B.Bなんか呼びたいの?」


 暗がりからは鼻声が返ってきて、


「自首するんだ、俺は、きっと人を喰ったんだから……みんなにだって危害を加えてしまうかもしれない。俺は『向こう側』へ保護してもらうのが一番良いんだ」


 アリシアを除いた全員がうつむいた。アリシアは前日聞いた話をあまり信じていないのだった。彼女は煮干しで手懐けたクイントに命令した。


「クイント、行け。引っ張り出せ」


 たちまち尻尾を振りながら犬は軒下へ潜りこんでいった。しばらくはハンサムの悲鳴や「裏切り者」という声が響いたけれど、やがて静かになった。


「クイント?」


 アリシアが覗きこむと、クイントはすぐ顔を出した。が、呼び戻そうとしても戻ってこず、手を伸ばして引っ張り出そうとしても、モグラ叩きのように素早く逃げこんでしまう。そしてすぐハァハァいいながら顔を見せて挑発するのだった。誰が呼んでも、捕まえようとしてもおなじだった。暗闇の中から尻尾を激しく振る音がする。


「こいつ楽しくなってやがる!」

「クイントやめなさい。遊んでるんじゃないんだよ!」

「呼んできてー! オウルさんを呼んできてー!」

「うるせえ!」

「うるさいのが嫌ならサメ警察を呼べばいいだろッ!」

「捕まったらどうなるか分からないよ。ジミーさんが何のためにあなたを捕まえようとしてるのか分からない」とマツリ。

「その前にオウルさんに処分してもらうんだ。人食いのサメ人間なんてみんなと生きてちゃダメなんだ! しかもハンサムなんだぞ!」

「じゃあ、私、人を食べてみる」そう言い出したのはマツリである。

「また訳の分かんねえこと言い出すヤツがでやがったな」

「今日からウチのご飯は人肉にします。私たち、同盟を結んでいるはずでしょう? あなたにとって、食人が重要なことなら私たちも人を食べます」

「たち?」とトミカが聞き返した。

「マツリ、さすがにそれは賛成できないし意味わかんない」

「お父さんも困るな~それは」


 アリシアとシャイニングも止めた。軒下からクイントも吠えた。


「お前は黙ってろよ犬! もう面倒くせえよ! なんならそこに篭もってろ! 俺がジミーの野郎をぶっ飛ばせば問題ねえことだろ!」

「は? なんであんたが市長を?」アリシアである。

「うっせえな関係ねえだろ。朝からとんでもねえ格好しやがって」

「これはミートバーグの正装だバカ!」


 まったく関係のない喧嘩まで始まったところで、ずっと黙っていたスターライトが声をかけた。


「ハンサム。せめてそこから出てきたらどうだ。マツリはもちろんトミカも、シャイニング氏も私もお前の顔を見たが平気だ。アリシアだって心を静めてサングラスでもかけていれば問題ない。ビッチ器官が働きさえしなければ、お前はただの人間と同じなんだ。お前のその必要以上の警戒は、ここにいる皆に対して失礼に当たるのではないか? この中にお前の上っ面だけを見て心乱す人間がいると、お前はそう言っているも同然なんだぞ。どうだ、私の言うことは間違っているか?」


 返答はしばらくなかった。


「でも、俺は人食いザメなんだ。その姿をみんなに見られたくない……」

「そのサメの危険を制御する方法があるとしたらどうだ?」


 軒下で鈍い音がした。ハンサムがどこかに頭をぶつけたらしい。


「――本当か?」

「ああ。訓練は必要だが、私がなんとかしてやろう」

「……いや、ダメだ。罪がある。人を喰ったんだ」

「サメが人を喰うなんてこの街じゃ日常だぞ。人食いに罪があるとしたら、そんな日常を抱えているこの街の責任だ。街の外でだって、サメが人を喰うことは例外扱いされてる。念に何本のサメ映画が公開されていると思う。みな喜んで見に行ってるじゃないか。DVDも売れ売れだ」

「それは映画の話だろッ!」

「あれはノンフィクションだぞ」

「えッ!」

「考えてもみろ、映画ってのは立派な大人が、大勢集まって、時間をかけて計画して、大金を使って作るものだぞ。その結果があんなクソ映画になると思うか? サメ映画がつまらないのはノンフィクションだからに決まってるだろ? 今も世界中、あらゆるバリエーションで人はサメに食われてるんだ」


 その場にいた全員が思った。なんて的確で説得力のある言葉なんだ。


「……確かに、スターライトさんの言うとおりなのかもしれない」

「そうだろう? お前の喰った人数なんて誤差みたいなもんだ。人殺しというならあらゆる人間がそうだ。どこかの不幸な人を見殺しにしたり、チェーン店で飯を食って大衆食堂の店主を破産させたりしている。だからって誰も軒下に立てこもったりしない。そんなことをしても解決にはならないからだ」

「でも、でも俺はそんな簡単には……」

「もちろん簡単じゃない。だが方法はあるんだ。お前の中のサメは制御できる。その方法があって、しかもお前自身、これだけ皆から求められていて、それでも何もしないのか? それはただの臆病者だ。彼女らの気持ちに応えて努力しようとは思わないのか」

「スターライトさん――」

「お前たちの同盟はそんなものなのか?」

「――スターライト、もういい……」


 軒下からサメマスクをしたハンサムが這い出してきた。彼はスターライトを見つめて繰り返した。


「スターライト――方法は、あるんですね?」

「ある。簡単ではないがな」

「やります。やらせてください」

「良し。信頼の印にマスクを取って見せろ」

「……分かりました」


 なんとなく皆が固唾をのんだ。


「なんかよく分からないけど……心を乱さなければいいわけね?」


 アリシアもカラテのポーズを取ってそなえた。

 皆の前で、ハンサムはゆっくりサメマスクを脱いでいった。

 スポッとマスクが取れると、現れたのは白塗りの日本のバカ殿様めいた顔だった。マスクが剥がれたときの事を考慮して化粧で隠しておいたのだ。


「なんなんコイツ」とアリシアが言った。


△△△


 やがて朝食を食べると、スターライトたちは問題児二人を庭に並ばせ、宣言した。


「えー本日より私、シャイニングと」

「スターライトによる」

「地獄のチェーンソウ合宿を始める」

「初めに言っておくと、この合宿はとてつもなく過酷なので、君たちは八割方死ぬ」

「なお、この『バクハツ-オチ山脈』には無数の山ザメが生息しているので、歩いて脱走しようとすれば九割方死ぬ」

「それと私とシャイニング氏のことは、今日から師匠あるいはプロデューサーと呼ぶように」

「シャイニング師匠。スターライトPだ。よろしくね!」

「この言いつけを破ったら君たちはほぼほぼ死ぬ」


 やめとけばよかったかな、と問題児二人は思った。

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