第36話 スターライトのもとで①


「スタータライトインシャンゼリオンだ」


 スターライト院シャンゼリ恩の駆るハーレーダビッドソンは、車の間を縫うようにして疾走した。クラクションの音があっという間に後方へ流れ去っていく。

 ハンサムは彼女の背から振り落とされそうになりながら、聞き返した。


「スター……え?」

「ブッディスト・ネームだ。あるだろう? なんとかインとかなんとか居士とか。それが私はスターライト院シャンゼリ恩だ。スターライトと呼んでくれ」

「はぁ……えっと、じゃあ俺のことは……その、好きに呼んでください」

「そう言えば記憶がないようなことを言っていたな。名前も思い出せないのか? 知り合いだとかは?」

「いや、本当に何も。気づいたら海岸で倒れていて、それ以前の記憶がない」

「……少しまわってみるか」

「え?」


 スターライトは返事をしなかった。聞こえなかったのかとハンサムが声を張り上げようとしたところで、後方へ急な重力を感じた。バイクが速度を上げたのだ。


 ハンサムは思わずヘルメットを押さえた。

 バイクに乗る前、スターライトはハンサムにゴーグルと、ヘルメットをかしてくれていた。それが顔を隠せるような大きさだったので、もしかしたら、また自分の顔が変になっているのかと心配になったが、スターライトはそうではないと言う。追われているという状況的に、顔を晒していいことはないと思ったので従っておいた。

 しかし、彼女が何者なのか、まだ何も教わっていなかった。ハンサムの事についても同様だった。

 彼女は、教えるどころか反対にいろいろ質問してきた。何かを試されているようにハンサムは感じた。それにしても無茶苦茶な運転だった。


「あの……それで、これはどこへ向かっているんですか――いま、信号を無視した?」

「仏教徒は有事の時には信号を無視していい決まりになっている」

「知らなかった……そうなのか……いや、そよりあなたは俺のことを知っているんですよね、そのことについて教えてくれるとあなたは言った。いったい俺は――スピードが速すぎませんか!」


 ハーレーは都心部を離れて海岸沿いの道へさしかかり、さらに速度を増しつつ海風を突き破って爆走していた。はじめハンサムが歩いた『ミートバーグスカイライン』の方向だった。


「仏教徒は何事にも心を乱さぬよう日頃からトレーニングを積んでいる。モーターサイクルもそのひとつさ。もし仏陀が現代に生まれていたら愛車のカンタカ号で峠を攻めに攻めたことだろう」

「ちょっと何を言っているか分からない。俺は記憶がないから……いや、それでも言ってることがおかしいと分かる」


 スターライトは僧衣のたもとから酒瓶を取り出すと、それを当然のようにあおった。


「いま酒を飲んだ?」

「仏教徒は般若湯はんにゃとうと呼ぶ。行と般若湯。つまり単車に乗って酒を飲むことこそ叡智えいちへの近道だというんだな、仏陀は。私は仏陀の教えに仕方なく従っているまでさ。これを仏教用語で仏智義理ぶっちぎりという」

「ウソだ……俺は記憶がないけどこの人がウソを言っていることは分かるぞ……降ろして! 降ろして!」


 その時、後方からプロペラ飛行機の集団みたいな物凄い音が近づいて来た。振り返って見ると、イガイガの肩当て、またはモヒカン狩り、あるいはピエロメイク、他には鉄仮面といった格好のやからが、改造バイクで追ってきていた。


「ヒャッハー!」

「どけどけぇー! 成仏してぇのかァー!」


 モヒカンたちは、鞭やヌンチャク、斧、刃物のついたマラカスのような物などで、明らかに武装している。鉄パイプを下げて、それが地面に擦って火花を散らしたりしているのだ。


「なにか来ますけど!」

敬虔けいけんな仏教徒たちのお出ましだ」

「仏教徒!」


 ビキニの観光客たちが逃げまどう。さらにバイクの爆音に驚いたのか、海からサメたちが飛び出してきた。


「サメだー!」

「悪いサメくんは消毒だー!」


 仏教徒たちはバイクを操りながら、サメと抗戦し始めた。鉄パイプで殴り、斧で叩き割り、マラカスで切り裂いた。

 スターライトは仏教徒たちへバイクを寄せて話しかけた。どうやら本当に知り合いらしい。


「今日もビーチの見回りか。精が出るな、ジョーカー」

「スターライトじゃねーか! 爺さんの葬式では世話んなったな!」

「『笑いィ』は昔なじみだからな。それよりショウの仕事はいいのか、ジョーカー」

「最近はサッパリよ。サメ狩りのほうが儲かってるぜ」

「話に出てくる単語のすべてが分からない……」


 ハンサムが混乱している側で、スターライトは談笑しながらサメたちを撃ち落としていく。銃を持っているのだ、仏教徒が。


「いい音だろう? 新型の木魚だよ」

「ウソだ……なんでそんなに平然とウソがつけるんだ……」

「少し変わってくれ」


 驚いたことにスターライトはジョーカーと名乗る仏教徒のバイクへ飛び移った。


「無茶な!」


 慌ててハンサムはハンドルへ飛びついた。

 スターライトはジョーカーに運転を任せ、サメたちの鼻面を撃ち抜いていく。ジョーカーがバイクを遊園地の遊具みたいにスピンさせるので、弾丸は三六〇度、すべてのサメたちを正確に狙撃していった。

 ハンサムの方は、そう上手くはいかない。制御を失って砂浜の方へ飛び出していた。


「スターライト! どうしたらいいか分からない!」

「そのまま突っこめばいいじゃないか。バイクは転ぶ乗り物だ」

「言っていることば無茶苦茶だ!」


 結局ハーレーは、ビーチのカップルをひき殺しそうになりながら、砂にめりこんで停車した。

 スターライトたちもバイクを降りて、酒を回し飲みしながら近づいてくる。辺りをサメが跳ね回っていた。銃はゴム弾だったらしい。


「無事みたいだな」

「無事! これが? いきなり運転なんてできるわけがないだろッ!」

「ふうん。『彼』はいきなりで出来たんだがな」

「彼?」

「なんでも。紹介しよう。こいつらは旅芸人の一座『BUTU METU―仏滅―』のメンバーたちだ。ミートバーグに滞在中はビーチの監視員をしてくれている」

「旅芸人で、監視員……監視員? これが?」


 スターライトはピエロや鉄仮面の男たちを紹介してくれた。皆、格好と口調以外は結構まともな対応をする人たちだった。


「でも芸人? さっきは仏教徒だって言ったじゃないか」

「仏教徒? ああ、あのウソのことか」

「ウソを?」

「ウソだが?」

「ウソをついたら……スターライト……ダメじゃないか」

「まあせっかくだ、親睦をフカめて行こうじゃないか」

「話をまるで聞いてくれない……」


 スターライトは次に芸人たちへハンサムを紹介した。顔を隠している事に関しては「いろいろあってな」と適当な説明だった。鉄仮面の男が「わかるぜ」と言った。

 芸人たちはビーチでくつろいだ。

 ビキニのカップルを冷やかしたり、酒をぶちまけたり、アルコールに着火して盗撮野郎を焼いたりした。

 また、撃ち落としたサメを拾ったりしている。


「サメを狩った後は小便がしたくなるぜ……と」

「人を襲ったとはいえ可哀想だったぜ。まだ生きてるヤツらはほら、種籾だ、食え」

「詫びにサメくんにも酒も飲ませてやろうぜ」

「オラオラ今年の新酒だぁ。新歓コンパ並みに飲ませてやるぜェー!」

「オイお前らさわってみろよ! こいつサメくんじゃなくてサメちゃんだったぜー!」

「げへへへ……」

「このビーチ、監視員がゲス過ぎる……」


 おののいているハンサムのところへ、スターライトとジョーカーがナマコを持って戻って来た。ナマコは生きて蠢いているやつである。


「ナマコだ、食え」

「エッ」

「ジョーカーは優しいな。ハンサム、ありがたく頂きなさい」

「ええ!」


 ジョーカーは目の前でナマコを引き裂くと、親切な田舎の人のような純粋な目で勧めてくる。


「これは、その、このまま行っていい物なんですか」

「日本人は喜んで食うらしいぞ」とスターライト。

「ウソだ……」

「まあ日本人は海の生き物なら何でも食うようだが」

「こわいよ日本人」

「ジョーカーは日本人の血が入っている。しかし日本へ行ったこともないし、アメリカに家族がいるわけでもない。ナマコを見るとき、彼は自分のルーツについて思いを馳せるのだという」


 スターライトが言った。そんな説明をされては断れない。ハンサムは覚悟を決めると、よく分からない汁にまみれた、ちょうど絵の具を塗りたくったような感じのナマコを頬ばった。噛みしめるほど極彩色の汁が口からあふれた。なかなか噛みきれないし、量も多すぎた。

 やがて口の中の物をまとめて呑みこむと、ハンサムはウソではなく本心から叫んだ。


「うまーい! ナマコって旨いなぁ!」

「えぇ……」と言ってスターライトは身を引いた。

「えぇ……」と言ってジョーカーも離れていった。

「えぇ……」と言ってハンサムは悲しい顔をした。


 スターライトはハンサムを連れて浜辺を横切って行った。


「こっちへ来てみろ。ただし離れて歩けよ。気持ち悪いからな、ナマコ野郎」

「えぇ……」


 菊の香りが風に舞った。

 ビーチから出たところに石碑があって、そこに菊の花が供えてある。

 スターライトはそれを眺めながら、


「先日、皆から『笑いジイ』と慕われる芸人の爺さんが死んだ。私もよく知った人物だった」


 そう言って彼女は『笑いジイ』の写真を見せてくれた。ピンク色のサングラスをかけた爺さんがビキニの美女を並ばせて、その尻を叩いている。


「ファンキーな爺さんだ……あ、これは仕事中なのかな? 知り叩き大会の司会とか」

「いや、これはオフの日の写真だ。趣味だ」

「あ、そう……」


 スターライトは妙な目でハンサムを見ていたが、結局、その視線の理由については何も言わず、笑いジイの話を再開した。


「爺さんの遺言でな。遺体は海へ流した」

「えぇ……それって大丈夫なのか? 法律的に」

「葬式の方法ぐらい選ばせてやりたいじゃないか。それにどうせサメの腹の中に入るんだ、バレはしない」

「そう……」なんでそんな話を自分に聞かせるのだろう、と思いながらハンサムはとりあえず頷いた。「あ、それがこの石碑なのか。笑いジイのお墓なのか?」

「いや、それは関係ない」

「ないんだ」

「海全体が笑いジイの墓なのさ。我々は笑いジイに包まれた大陸で眠るわけだ。揺り籠みたいに。ここに来たのは、笑いジイたちとの出会いに、この石碑が関係しているからだ。十年ほど前のことだった」

「その時スターライトは何歳だったんだ?」

「『仏滅』のメンバーは当時の笑いジイを知らない。十年前、笑いジイや『彼』らは『仏滅』ではないサーカス団にいた――」

「無視だ……」

「『彼』らはトレーラーにテントを積んで、世界中を旅して回っていた。団員の中には故郷を持たない者もたくさんいた」

「故郷……」


 ハンサムは自分の中で切実に興味が動くのを感じた。故郷のない人たちは、どんな気持ちで生活していたのだろう。自分のように記憶のない人生とはどう違うのだろうか。


「この石碑に関わる祭りがあって、それにサーカス団が招かれたんだな。期間中は近くの広場にテントを張って、芸人たちがトレーラーで生活していた。私たちはそのサーカスを見に来て『彼』らと出会ったんだな」

「私たち?」


 たち。それに『彼』というのは笑いジイの事だろうか? ハンサムの聞いた感じでは、違うように思えた。

 スターライトはそれには答えなかった。強い風が吹いて、石碑の菊が飛んでいきそうにはためいた。彼女は花を置き直すと、その包みに巻いたリボンのところに、酒瓶を乗せて重しにした。


「十年も前のことだからな。『彼』らのいたサーカス団も今はなくなってしまった。笑いジイは『仏滅』へ移籍したが、他の芸人たちはどうしただろうな。分からない」


 それからしばらくスターライトは黙った。ハンサムはそれまで思っていた事を尋ねた。


「スターライト。なんでそんな話ばかりするんだ? どうして俺のことを教えてくれない」

「うん」とスターライト。

「ここへ連れてくるのが目的だったのか? 違うように見える。まるで俺のことを話したくないみたいだ」

「うん」


 スターライトは肯定とも、ただのあいづちともつかない返事をしてから、またまた別の話を始めた。


「この石碑、なんだか分かるか? 見ろ、石碑に記してある。ここは日本に居場所をなくしたプリンセスが流れ着いた土地らしい。流れ着いたプリンセスは、不幸にも地元漁師にレイプされてしまう。故郷を追われ、あげく異国で辱めを受けた彼女は、世をはかなんで入水自殺をする。お仕舞いはこうだ。彼女は恨みのあまりサメと化してチンポ野郎共を次々に食い殺したのだ。それがこの地に残る『大怪獣清少納ゴン』伝説だ。まあ『大怪獣清少納ゴン』の墓は世界各地にあるらしいから、ここに本当にプリンセスが流れ着いてきたのかは不明だがな」

「……マジ?」とハンサムは言った。「スゴイ! 歴史的な場所じゃないか」

「マジだ。その伝説になぞらえて、祭りでは地元の男たちをはりつけにして皆でお餅をぶつけるのだ」

「へぇ~興味ブカい話だなぁ~」


 ハンサムはまじまじと石碑を眺めた。はぐらかされたかな、という気が後になってから、した。

 清少納ゴンの話のあとに、スターライトはこう切り出した。


「ハンサム。とりあえずハンサムと呼ぶが、自分の過去を知りたいか」

「……もちろん。もちろんだ。それを知れば俺は元の俺に戻れる」

「そうだろうか? このまま流れに任せるという選択もある。サーカスのなかには自分の故郷も、両親の顔も知らない者はいた。『彼』にとってはサーカス仲間の笑いジイが親代わりだった。そんな人生もある」

「それは……そうだろう。でも、それは他に方法がなかった場合だ。俺は真実があるのなら知りたい。どこかにあると分かっていて無視は出来ない」


 スターライトは、またしばらく黙った。ハンサムの目を見ながら何事かを考えているようすだったが、やがて口を開いた。


「そうか。私も隠しだてしたいわけではない。だがどうする?」

「どうって?」

「ここで君だけに話すべきか。それとも彼らにも聞いてもらうか」

「彼ら」

「『友達のようなもの』なんだろう? あの倒れていた少年と、マツリとは。キミの体に何が起こっているか、彼らにも知ってもらいたいか? ただしかなりヘヴィな話になる。特に友達には知られなくないような話になるだろう」


 ハンサムは変形した自分の顔を思い出して、思わず手でさすった。自分はいったい何者なのだろう。オウルはなぜ自分を追ったのか。『サメと人間の境界』とは。


「俺は――」



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