第21話 ハンサム復活~朝イチのシャイニングBBQ~


「そう、だから横から……」

「うんうん。知ってるんだ。俺バーベキューは知ってる。こうして……イギー!」

「ほらあ、また縦に食べようとしたでしょう。喉に刺さるよ串が。横から、こう……チキンみたいに食べないと」

「うんうん。うんうん。知ってる知ってる。こうッ――イギー!」

「なんで! なんでまた縦に食べたの⁉」

「うんうん分かってるんだ。分かってる。横から食べた方が良い。マツリの言うとおりだ」

「横からだよ、横から。縦に飲みこもうとしたらだめだよ」

「うんうん、うんうん。こうッ――イギー!」

「なんでェー!」

「知ってるけど、縦に食べた方が一度にいっぱい頬張れて得な気がするんだ。こうッイギー!」

クイントみたいな考え方!」

「イギギ……うまぁーい!」

「おいしいんならよかったけど!」


 早朝からバーベキューですか。怪我人相手に。

 というのは横に置いてもトミカは驚愕していた。無論ハンサムの生命力にである。


「さーハンサムくん! もう一度だけ傷口に薬を詰めておこうね! 喝ッ!」

「えーいやだー薬嫌いだよークッセ! ヴォエ!」

「良薬口に苦しってね! 破ァ!」


 ハンサムに薬を塗っているのは、マツリの父シャイニング・バッファリン氏である。ハンサムの美貌ハンサムに気迫で抵抗して叫んでいるらしい。

 マツリは盲目であるし、クイントは犬。トミカはドラゴンカーセックスにしか反応しないという哀しみを抱えている。

 誰もその幸運に気づかないが、偶然にもハンサム耐性のある人間だけがここに集まっていることになる。

 バッファリン父娘は、道場と蔵まである大きな屋敷に二人だけで暮らしているらしい。庭はバーベキューを食べながらバスケットの試合ができるほどに広い。マツリは家の中なら一人で歩けるらしい。来客にはしゃいだ盲導犬が庭をぐるぐる走り回っている。

 ためしに渡り廊下から降りて人造池に近づいてみると、水の中には観賞用のサメが泳いでいた。


【SHARK神流・KATU―JIN拳研究所】


 などという看板を恥ずかしげもなく掲げたバッファリン邸へ、転がりこんだのは昨夜のことである。

 武道家シャイニング氏は怪我の治療にも慣れていた。

 バッファリン家の尽力もあってハンサムは一晩で全快した。サメの生命力のおかげだとは、さすがに誰も気づかなかった。


「トミカくん! 君もBBQを食べるだろう! BBQだよ!」


 シャイニング氏が串と薬壺を持ってトミカのところへやって来た。

 道着姿のシャイニングは立派な体格に打たれ強そうな顎をしており、豪放な口調といい、マツリとはまったく似ていなかった。

 トミカは相手を観察しながら手を伸ばした。


「どうも――クッセ!」

「ン! BBQは嫌いかい?」

「そうじゃなくて、その壺クッセ!」

「いやぁ! 治ってよかった。こうしてBBQもできるしね!」

「撃たれた傷ですよ……」

「こいつのおかげだよ! 我が家に伝わる秘伝の塗り薬にマツリがアレンジを加えたマツリスペシャル(塗り)だ! サメの肝油と新鮮なお寿司を長時間――」

「クッセ! 臭い臭い」

「飲み薬もあるから、トミカくんも身体に不調があるなら――」

「大丈夫です。めちゃ元気なんで!」

「すごく効くんだよ……?」


 残念そうに言って、シャイニング氏は壺を軒下へ押しこんだ。そしてあらためてバーベキューの串を渡してきた。


「どうも……ス。その、なんか迷惑かけて済みません、ス。車も置かせてもらって……」


 ボロボロになったフェアレディはバッファリン家の倉庫に隠してもらっている。

 S.H.B.Bを振り切ったあとは、市長暗殺後に使うつもりだった逃走ルートを利用した。主に旧市街を通る道だ。旧市街はカメラも少ないうえ、警官を市長の犬と呼んで非協力的な態度を貫いているから、都合がよかった。車のナンバーは偽造だし、パーツもガラクタから集めた物。追っ手に顔も見られていない。

 逃げ切った自信はあった。

 しかしこれからどうするか。

 トミカの視線は自然とハンサムへ向いた。異様なハンサムという点を除けば、これといった特徴のない見た目である。長躯でもチビでもない。太ってもいなければ、痩せでもマッチョでもない。

 立ち振る舞いは子供のようだが、それは記憶喪失のせいかもしれなかった。今はクイントを抱いて一緒に串を囓っている。いったい何者なのだろう。


「うまァーいッ!」

「ふたりとも縦に食べたらダメだからね」


 マツリが楽しそうで私もうれしいよ、と言ってシャイニングはハンサムへ声をかけた。


「はっはっは! そうだろう! BBQはいいだろう!」

「BBQ! 知ってるッ! BBQは知ってるんだ、俺」

「そうだろうそうだろう! 他に何か思いだしたかね――破ァ!」

「BBQが旨いということ以外は住所すら思い出せません!」

「そうかそうか!――ジャッ!」

「うんまぁ~い!」

「んんんッ波ァアアア!」


 しばらく爆笑してから、シャイニングはトミカへ向き直った。


「どうも本当に記憶喪失らしいね」

「自分の名前も覚えてないらしくて」

「身分証は持っていないし、刺青や手術跡のような特徴も見つからなかった。歯も異様に綺麗で治療跡なし。しかし、まあ身元はすぐ分かるだろう。あんなハンサムはそうそういないからね。おじさんはゲイじゃないけども、それでもヤバかったよ。そう『SHARK神流』を習得してなければね」

「はあ……」


 ところでね、とシャイニングが口調を変えた。


「ニュースをチェックしていたんだが、『乱射事件』『カーチェイス』『花マシンガン婆』君の言うような事件は報道されていないね。されたのは花火工房の火事くらいだ」


 都合の悪いところは割愛したものの、事件については説明済みだった。昨夜のシャイニング氏は特に問いただしてはこなかった。すんなり行き過ぎたとはトミカも思っていた。

 今のところ警察を呼ばれた気配はない。それともこれから呼ぶのだろうか?

 いざとなったら武道家相手でも戦うつもりでいたが、できれば信用を得たかった。というよりその点に関してトミカは必死だった。市長を倒すためにはバッファリン家を利用しなくてはならない。


「あの、シャイニングさん」

「師匠と呼んでくれて良いのだよ?」

「シャイニングさん。いろいろしてもらった上、ほんとうに図々しいのですが……この件を通報しようとしているのなら、どうかもう少し待ってほしい。警察沙汰になると、奨学金を取り消されて生活できなくなってしまう。本当に困るんです。母の名に誓ってもいいのですが、俺は警察に追われるようなことはやっていない。成り行きだったんです」


 奨学金の話は、作り話である。だが、成り行きだというのはウソではないし、警察に捕まるようなことも、まあ、まだしていない。怪我人を救助するため逃げただけだ。


「シャイニングさん、どうか――」


 トミカは、慎重に言った。ここで復讐計画の今後が決まる。それにほんの少しだが、あのハンサムの行く末もこの交渉にかかっているな、と思った。

 シャイニングはじっとトミカの目を見つめた。


「嫌いかい?」

「え?」

「バーベキュー。口をつけていないから。友人の息子は幼いころ肉が食べられなくてね。しかし気を遣って食べたふりをしていた。キミもそうなんじゃないかと、ふと気になった」

「……え? ああ……いや。肉はむしろ好きです。いただきます」

「そうかい! いやあ。よかった。久しぶりに賑やかで嬉しいよ。さあBBQを食べよう!」

「はあ……いやそうじゃなく――」

「ウチも弟子たちがいた頃はね! もう毎日BBQさ。君も小さい頃は家族とBBQしたものだろう?」

 したことねぇよ、という呟きはシャイニングの耳までは届かなかったようだ。

 トミカが食べ終わるのを待ってから、シャイニングは何かを差し出してきた。


「これが今回の件を象徴する物のように、私には思える」


 それは、シャイニングの握った拳の中に収まっているようだった。わたしてくれるのかと思ってトミカは手を伸ばした。シャイニングはさっと拳を引いて躱した。もう一度やっても同じだった。


「……はは。ちょっと」


 三度目からは両手で試した。空手で鍛えたスピードには自信があったが、無駄だった。代わりに頭の芯がしびれるようなデコピンが返ってきた。


「もう……はは。なんすか」


「どうしたね? 体格から経験者だとふんだが、ただのファッションカラテだったかな? 負けてヘラヘラ笑っている」

「……おい? オッサン」


 渡り廊下の上でカラテバトルが始まった。

 中段正拳突き。

 回し受け。

 下段蹴り。

 スネ受け。

 上段蹴り。

 顔面受け。

 金的。

 金的受け。


めまぐるしい動きとは裏腹に二人の達人はほとんど足音を立てなかった。庭のマツリは争いに気づかず、クイントはあくびをした。

 シャイニングは、すべての技を不動で受けきった。

 最後にトミカは得意技フェイバリットの正中線三段突きをしかけようとした。

 そのときにはすでに、シャイニングの巨大な拳が眼前にあった。風圧がトミカの頭髪をうなじまで逆立たせた。

 正中線三段突きの出がかりはトミカの技の中でも最速。だがあっさりその上をいかれた。しかも寸止めでトミカには傷ひとつ負わせないジェントルなファイトだった。


「まっすぐな拳だ。君を信じることにしよう」


 寸止めした拳が開いて、潰れた弾丸がこぼれ落ちてきた。

 トミカは用心深く拾った。


「……これは?」

「彼を撃ったのは『S.H.B.B』だろう?」

「その名前は、娘さんから訊いたが……正直よく分かってねぇ」


 トミカは市民が襲ってきたところしか見ていない。だがS.H.B.Bが追ってきたのは事実だ。


「それはS.H.B.Bが使う対サメ用の特殊弾だ。それが彼の体内から出てきた」

「そいつらがハンサムを撃ったってことか」

「そう。だがなぜシャーク課が発砲までしたか、という疑問がまずある。追うならともかく、撃つのは異常だ」

「俺はアイツが何をやらかしたかまでは知らねぇ――」

「だろうね、君はマツリを乗せて通りかかっただけなのだから。そこは疑っていない。それとはまったく別に奇妙なことがあるんだ。この弾丸、どこから出てきたと思う?」

「どこ? あいつの体内からだと今――」


 シャイニング氏が急に舌をだして見せたので、トミカは驚いて黙った。


「彼の口のなかから出てきた」

「……ああ? ええと」

「体内は体内でも、この弾丸は口から出てきた。潰れているから確かに使用された弾丸だ」

「……どういうジャンルの話?」


 シャイニングは肩をすくめる。


「私にも分からない。確かに撃たれた傷だった。貫通もしていない。だがしかし傷口に弾丸はなく、彼が口を開けるとそれがこぼれ出てきた。手品のトランプみたいにね。あるいは、まるで肉体が異物を選んで排出したみたいにね」

「――傷口にあった弾丸が移動して口から……いやいや軟体動物じゃあるまいし」

「私も信じられない。だが、彼の身体に不可解な部分があるのは事実だ。そしてそんな彼をS.H.B.Bが追っている。そこが私は気になっているんだよ。S.H.B.Bは警察の機関だが、現市長の私兵という側面も持っているからね」

「――市長。ジミー・パーン」


 唐突に出てきた仇の名前に、トミカはうろたえた。

 シャイニング氏は構わず続ける。


「S.H.B.Bはジミー、いや市長の個人的援助で成り立っているんだ。彼の護衛任務にかり出されることもあるくらいさ。サメと互角に戦うような猛者たちの集まりだからね。ジミーとしては手懐けておきたい」


 トミカは追っ手の男たちのことを思い出した。確かに異様な戦略と身体能力を持った相手だった。


「あのハンサムを捕まえようとしているのはそんな組織なんだ。しかも発砲までした。明らかにSHARK課としての任務を超えている。つまり、公務ではなく市長からの命令で動いている可能性が高いということだ」


 ここでシャイニングは冗談を言った。


「まあ、ああ見えて彼が人型のサメだった、なんて事があれば公務ということになるのかもしれないけどね! 冗談さ!」


 シャイニングが爆笑したが、トミカは聞いていなかった。


「冗談はともかく、朝になって発砲事件が報道されていないので確信に変わった。報道に規制を加えられるのは市長だけだ。それも相当な陰謀を隠そうとしている」


 トミカはやはり返事ができない。

 怯えて見えたのか、シャイニングは励ますように肩を叩いた。


「警察は呼ばない。警察の情報は市長に筒抜けだからね。二人ともしばらくうちに隠れていた方が良いだろう。心配しなくてもここは安全だ。しかも私はBBQができてうれしいしね!」


 そう言って彼はバーベキューのほうへ戻っていった。その前に一度トミカを振り返って、


「寝るところなら弟子の使っていた部屋が開いているからね! さあみんなー! おじさんは密かに芋を焼いていたぞー! 食べる人―」

「食べる!」

「知ってる! 俺、芋にも詳しいんだ!」


 突っ立ったままのトミカは、やはり聞いていなかった。頭の中では、この状況とジミー・パーンの結びつきを処理しようと必死だった。


「ヤツが……!」



△△△



「BBQは延長戦に入りましたッ!」


 昼になってもシャイニング氏の宴は続いていた。トミカは朝からずっと黙ったまま池のはたで考えこんでいた。

 ひとつ残念な事実が判明した。シャイニング氏とジミー・パーンは絶縁状態にあるというのだ。友好的な関係でないのは察していたが、完全に交友を絶っているとは思わなかった。

 いろいろ質問したが、バッファリン家から市長に近づくのは不可能だと分かった。

 だがまだ手はある。トミカはハンサムの方を眺めた。

 ジミー・パーンはハンサムを捕まえようとしているらしい。彼を囮に使えば市長をおびき出せるかもしれない。


「なあトミカ。トミカで良いんだよな?」


 視線に気づいてハンサムが近づいてきた。トミカは片手を上げただけで応えた。


「トミカ。もう言ったかもしれないけど、改めて。助けてくれてありがとう。あの時は本当に嬉しかった。初めて未来への希望を感じたんだ」

「……やめろよ俺は……」


 とっさに言葉が出なかった。あのときなぜ助けたのかトミカ自身、理解していなかったし、今はそのハンサムをおとりに使おうと思案しているところなのだ。

 多分、動物的な感謝の印なのだろう。ハンサムは持っていたバーベキューの串をトミカに渡した。

 受け取った肉をトミカはしばらく眺めていた。

 急にシャイニングが叫んだ。


「あっバイトの時間だ!」

「バイトしてんだ!?」


 トミカが思わずそちらを見ると、シャイニング氏はすでに仕事着ビキニになって出かけていくところだった。

 弟子がいなくなった分、ビーチで監視員をして生計を立てているのだった。ところでビーチの監視員は、ここミートバーグでもっとも危険な職業のひとつである。


 シャイニングを見送ったあとBBQの片付けを手伝っていると、マツリが言った。


「明日は私、やっぱり学校へ行ってみようと思う」

「またそれかよ」

「お願いして拒絶されるにしても、ちゃんと拒絶されておいた方がきっと良いって思うようになったから」

「やめとけ、やめとけ。あいつらそもそもちゃんと話す気ねーから。マジに話すとボロが出るってビビってんのが加害者なんだからよ――」

「でも、明日は学校にジミーおじさんが視察に来る日だから、おじさんと話してみようと思う」

「――なんつった? 来るのか? ヤツが」

「ヤツ?」

「ジミー・パーンがミバ校にやって来るのかって訊いてるんだ」

「え? はい」


 するとクイントと一緒に炭を囓ったりしていたハンサムも言った。


「じゃあ俺も行こうかな」

「ああッ?」

「シャイニングさんから聞いた。その人が俺のことを追っているんだろう? なら彼に会えば俺のことが分かる。簡単なことだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る