第20話 シャーク・アワー2 鱶須野橋《ふかすのばし》
「ババア! ババアが撃ってきた⁉」
着地の衝撃でフェアレディがスピンした。路肩から復帰しようとハンドルを回しているところで、ガラス越しのババアを見つけた。
まさかババアが撃ってくるとは。
「ババァアアア!」
慌ててアクセルを踏みこんだ。行き先を選ぶ余裕はなかった。ババアの射程から逃れるので精一杯だった。
走りながらマツリたちが無事なのを確認して、安堵のため息をついた。追ってくるサイレンは聞こえない。車体も、ボコボコ変な音はするが、走行不能というわけではない。
走りながらドアを開けて、下に溜まっていた水を排出した。
「やれやれ……なんだこの街」
しばらく行くと、道は急にのんきになった。標識によると前方は橋らしい。名前は『
ミートバーグは大きな川によって両断されている。立地上どこへ行くにも、橋を使ってこの川を渡る必要があるようだった。
『旧市街』へ隠れるにしろ、マツリの家へ向かうにしろ『
「橋を渡るか……」
『
しかし特殊な作りをしていた。橋の手前に管制室がある。
トミカが橋にさしかかったときは、その管制室からブザーが鳴らされる時間だった。
突然鳴り響いた警告音にトミカが声を上げる。
「何の音だ!」
「トミカくん今何時?」
「時間が関係あるのかよ?」
「ごめんなさい、気づかなかった。跳ね橋が上がる時間だ……!」
「跳ね橋?」
サメが淡水でも活動可能なことはご存じだろう。
『るるぶミートバーグ』にも書かれていることだが、ミートバーグにはサメのラッシュ・
サメの群れが、餌を求めて大河をさかのぼる、また反対に海へ帰っていく時間が存在するのだ。それがサメのラッシュアワーだ。
なかには橋の上まで飛び上がって通行人を捕食するサメもいる。
さらにまれだが、背ビレで橋そのものを破壊してしまうような大物が通ることもあるのだ。
そんな被害を避けるため『
ブザーはその合図だ。
トミカからも、橋が真ん中から持ち上がって、ちょうどワイパーのように起立しはじめるのが見えた。
このまま橋が直立すると停車しなくてはならなくなる。
「マジかよ、どんくらいで戻るんだ?」
「日によるけど30分はかかると思う。回り道すればもっと大きな橋があるからそこなら通れるけれど……」
ブザーを聞いた他の車たちは進路を変更して一方向を目指しだした。マツリの言う橋はそちらにあるのだろう。しかし今からそちらへ行っても渋滞は必至であるし、大きい橋は見張られている可能性が高い。そこしかルートがないのだから。
「どこかに隠れてやり過ごすか……?」
しかし、そうさせてももらえないようだった。
後方の車の中に、サイレンを消した装甲車を発見した。
これまでとは違いゆっくりと迫ってくる。まるで「諦めろ」と言っているかのような態度だった。トミカは決断した。
「フェアレディは突っ切る」
跳ね橋は完全に上がりきってはいない。ジャンプ機能を使えば向こう側へ行ける可能性はあった。
ただし、これより跳ね橋が1ミリたりとも動かなければ、という条件つきだが。実際には橋は上がり続け、斜度も対岸への距離も刻一刻と増していっている。
トミカはアクセルを踏みこんだ。
『やめろ! 死ぬぞ!』
装甲車の拡声器が警告してきたが、置き去りにした。
停車バーをぶち破って、フェアレディは斜面を駆け上がって行く。
しかし登っているあいだにも傾斜は垂直へ近づいていく。
おりしも時間はサメの帰宅ラッシュ。
気配を感じたサメが次々に水面から飛び出してくる。
チョウザメ。
ヨシキリザメ。
ホオジロザメ。
オオメジロザメ。
ダブルヘッド・オオメジロザメ。
歯を咬みあわせる音が、車の背後で立て続けに響いた。
傾斜に負けて少しでもスピードが落ちれば、サメの餌食である。
そしてその限界がまさに訪れようとしていた。スピードメーターがガクっと下がる。その時である。トミカが吠えた。
「ニトロを使う!」
カーマニアの嗜み、ニトロボタンである。
トミカはあらかじめ仕込んでおいたガラスカバーを叩き割ると、ニトロボタンを押した。
フェアレディが唸りを上げて加速する。
最後の傾斜を一気に駆け上がり、先端でジャンプした。
チョウザメ。
ヨシキリザメ。
ホオジロザメ。
オオメジロザメ。
ダブルヘッド・オオメジロザメ。
追いすがってくるサメたちを置き去りにしてフェアレディが飛ぶ。
さらに食いついてきた大型のサメからも逃れた。
最後に水柱を上げて飛び出してきたのは、めったに現れることのない、鯨級の巨大ザメである。
フェアレディは噴火口のように開いた口の真上を横切り、その火口のはしの高台といった趣をした鼻面を踏んづけて、もう一度ジャンプした。そして、持ち上がった橋の、向こう側の斜面へどうにか引っかかった。
鯨級のサメが歯をかみ合わせる音は、まるで落雷のようだった。
フェアレディは、崖のような傾斜を後輪だけですべり降りた。
マフラーが折れ飛び、バンパーが火花を散らす。
「どけどけ!」
真下に停まっていた観光バスから、乗員が逃げ出していく。
空になったバスの屋根に着地する。
バスから、地面へバウンドして、けたたましく暴れたあと、フェアレディは停まった。
「……生きてるか?」
「――なんとか。洗濯機の中に入ったみたいだったけど、どうなったの?」
「俺が知るか」
マツリもクイントも無事だった。怪我人は以前眠り続けている。
対岸を振り返ると、追撃者の車両がこちらを向いて停車していた。誰かが地面を蹴って悔しがっているのが見えた。
「良し。ざまあみろ!」
ガッツポーズはとったものの、ここをすぐに立ち去る必要があった。
「どうするか」
「とりあえず、うちに来る?」マツリが言った。「簡単な手当ならウチでもできると思う」
「……他に選択肢はなさそうだ」
トミカはガタガタになったフェアレディを発進させた。
「水浸しで風邪引きそう」
「ほらお前スカートが、めくれかけてる。ちゃんとしろよ」
「なんか、お父さんみたい」
「俺は女が露出の多い格好してるのダメなんだよ。だらしない感じがして」
「トミカくんって……」
「ゲイじゃねえから」
「あ、そう」
「怪我人は? 生きてっか?」
「もう食べられないよ」
「えッ?」
「えッ?」
「……寝言か?」
「……寝言みたい。むにゃむにゃ言ってる」
「どういう生命力だよ」
「ですからもう食べられ……えっバーベキューですか? いただきます」
「……寝言?」
「……みたい」
「……なんか助けたのがバカらしくなってきたな」
ハンサム、ドラゴン、盲目の少女。これが三人の出会いだった。
【第三章へ続く】
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