第19話 シャーク・アワー1 『ルートJ87、FUKUSYU線』
「クソッタレ! シートが血だらけだ馬鹿野郎」
「酷い怪我……ヘイSIRI! 警察へ――」
「まてまてまて」
マツリが通報しようとしたので、トミカはハンドルを握ったまま慌てて止めた。
警察は避けたい。30分前には男子高校生を数人血まみれにしてきたところで、乗っている車は違法改造車だった。ナンバープレートも偽造品だ。
どういう経緯があるにせよ、発砲があった以上、警察が集まってくる。とにかく現場から遠ざかるべきだった。
「とはいえ、治療しねえわけにもな……」
バックミラーで覗くと、血まみれの男は目を閉じて身じろぎもしない。
そのとき、追いついてくるサイレンに気づいた。消防でも警察でもない、トミカには聞き覚えのない音だった。強いていうなら映画の『JAWS』に似ている。
マツリが教えてくれた。
「シャーク課のサイレンだ。どうして近づいてくるんだろう?」
「シャーク課⁉ 馬鹿が考えた名前かよ!」
「この街のヒーローS.H.B.Bだよ」
「なんだそれ。恥ずかしくねえの? つまり警察でいいんだなッ!」
つまりは逃げる必要があるということだ。
急カーブをきって横道へ入る。見失ってくれるのを期待したが、サイレンは追いかけてくる。
「ちょっとこれかぶれ! あとその犬黙らせろ」
後ろのマツリへ帽子とサングラスを投げてやる。そして自分も目出し帽をかぶった。
「どうして逃げる必要が!?」
「追ってくるからだよ!」
「ええッ」
「こいつは市民に撃たれたんだぞ、警察だってどうなるか分かんねえよッ何でサメ警察かは知らねえけどッ」
「そっか……」
マツリはいぶかりながらも帽子をかぶると、クイントにもちゃんとサングラスをかけてやった。
「よしっ」
「やってる場合か! 飛ばすぞ、つかまってろよ!」
トミカはフェアレディを加速させる。サイレンもぴったり付いてきた。
カーチェイスが始まった。
あらゆるテクニックを駆使した。
フェアレディはほとんど速度を落とすことなく逃げに逃げた。
中華料理屋の軒先を吹っ飛ばし、コックを激怒させた。
八百屋のスイカをぶちまけた。
今まさにプロポーズしようという若者の指輪を弾き飛ばし、おしゃれなカフェでいちゃつく若者たちを死なない程度に撥ねた。
トミカは複雑に進路を変え、道なき道を進んだ。が、相手は正確に追ってくる。
カーチェイスは人をおかしくする。
トミカはフェアレディを操りながら、爆笑していた。
「やるじゃねーか! まだまだ踊ろうぜー!」
この時点でトミカは知らないが、追跡車両の運転手はマイクルである。マイクルもハイになっていた。
「まるでダンスだな……あの状態から車体を制御してしかも、我々のミスを誘うかのようなフェイントを織り交ぜている……やるじゃない!」
マイクルはクラクションを連打している。サイレンの効果もあって、たいていの車両は道をゆずってくれた。
「隊長! 射程に入ったら撃ってくださいね!」
「市民がいなきゃあな。しかしハンサムに協力者がいるとはな。何者だ? 誰か顔を見た者は」
マイクルも新人も首を横に振った。彼らはトミカの顔も、同乗者に少女と犬が居ることも断定できていない。
そのとき無線から連絡が入った。『カレーさんチーム』からである。
「隊長ぉ~。次を右へ曲がるようターゲットを誘導できますゥ?」
「ゴッサム! 『反芻式ナビ捜査』か!」
反芻式ナビ捜査である。
隊長たちから一本となりの大通りを『カレーさんチーム』の車が走行していた。ライスに運転を任せ、ゴッサムは助手席の窓を空けて顔を出し、より目になったり空気をペロペロ舐めたりしていた。
「うん! おいしい! そうです隊長、マップ状況を反芻したわッ! 予測出るぅ。次を右。『ルートJ87、FUKUSYU線』へおびき出して! そこで『カレーさんチーム』が仕留めるわ!」
「OK! 追い込み漁をやる!」
「出るぞ! 隊長のビックリドッキリ追跡メカ!」
無線からは、隊長の返事とマイクルの早口な説明が返ってきた。
「くそッしつこい野郎だ」
トミカの駆るフェアレディは高速度を維持したまま車線変更を繰り返して車の群れを追い越していった。
尻を振りながら、前の車から前の車へと取り憑いていく様子は、まるでセクシーなミツバチのようだ。それでいて加速は豹のように鋭かった。
トミカは常に追い越した車の影に隠れ、追跡者の視界に入らないよう努めた。
今も、大型トラックの前へ躍り出て、トラックを盾にしていた。
こちらからも追跡者の姿は見えないが、サイレンの音は遠くも近くもならない。距離を維持して着いてきているということだ。
「なんとか隙を見てチギってやらねーとな……先手はこっちが取ってるんだチャンスはあるはずだ」
そのとき、追跡のサイレンの音がぶれたように聞こえた。いや、増えている。正確な方向は分からないが、左手前方から複数のサイレンが聞こえはじめた。
前方には広い交差点が見えた。
「新手かッ! 左から回りこもうとしている……いや、もうされてるのか? ヤベえ!」
新手は左から来るのか、それともすでに前方へ回りこまれているのか。
「右しかねえ!」
信号の点滅にせかされたこともあって、トミカは選択の余地もなく右へハンドルを切った。突然の方向転換にマツリが叫び、怪我人を抱きかかえる。
トミカは後続を確認するが、直ちに追ってくるような車両はなかった。サイレンの音は近づいてこない。
「信号に引っかかったのか? それともメカトラブルか? なんにせよやったぜ」
トミカは『ルートJ87』へ誘い込まれたことに気づかない。気づきようがなかった。遙か後方の空からサイレンの音と共に降下してくる、小さなパラシュートがあった。
車中から隊長が打ち上げた追い込み用追跡メカ『サメ喰いイルカくん』である。装甲車の天井から打ち出された『サメ喰いイルカくん』はパラシュートを開いて落下、高度が下がった時点でサイレンの音を発し、追跡対象を追い込むのである。
孫亜子とも知らないトミカは、
「よっしゃ。とりあえずどうする。警察が来なくて手当てできるところか……『旧市街』の医者なら交渉次第では――」
FUKUSYU線を進んでいると、唐突に脇からサイレンが鳴った。スピードは落としていない。追跡してきたはずはなかった。新手の追跡車。だが、どうやって回りこまれたのかわからなかった。
車体がカレーみたいな色をしているので、トミカはとりあえずその装甲車を『カレーさんチーム』と呼ぶことにした。
「何かすぐ近くに聞こえるけど!」マツリが声を上げた。
「頭下げてろッ!」
『カレーさんチーム』の車は、すでに背後に迫っている。ハンドルを切ってもぴったり着いてくる。
後ろからぶつけて脱線させようというのだろう。パワーでは勝てない。もはやこれまでに思われたそのとき、トミカはハンドルにあるボタンを押した。スポーツカーには大抵ついているといわれる攻撃ボタンである。
「使わせたな!」
フェアレディの秘密のポケットから卵のようなものが飛び出した。こんなこともあろうかと仕込んでおいたカラーボールである。
排泄された色とりどりのボールが、後続の『カレーさんチーム』にぶつかってはじけた。ショッキングピンクの塗料がフロントガラスを覆い尽くす。
「クソピンクッ!」
と叫んで追っ手は急停車した。
車から体格のいい男が飛び出して、走って追ってくる。ライスである。
「いやいや無理だろ。ガッツは認めるけどよ」
直線道路の左右は、製薬会社か何かの研究施設、および工場といった佇まいの敷地が連なっていた。
急ブレーキの音を聞きつけたのか、従業員たちが出てきてライスを見つけた。
「あっS.H.B.Bのライスさんだ!」
「走ってるぞ、サメを追ってるのか?」
「そうに違いないぜ! おい食堂からあれもって来い!」
たちまち若い従業員がカレーを手に戻ってきた。
S.H.B.Bカードの設定ではライスはカレーを食べてパワーアップするのだ。
ライスは全力疾走しながら受け取ると、心拍数180をマークした状態でカレー掻きこんだ。従業員たちは走って追いすがってくる。
「おいしいかい? ライスさん!」
「ライスさん、落ち着いて。返事は全部食べてからで良いよ」
「大盛りにしておいたからねライスさん!」
ライスは無呼吸でダッシュしながらカレーを飲みこんだ。ファンを前に、苦しいそぶりを見せるどころか、彼は不敵に笑って見せた。そしてこの公式設定にもある決め台詞である。
「熱くなってきたぜ!」
ファンたちの表情が一斉に明るくなった。
「頑張れー!」
「おかわりはいいのかいライスさん!」
「それは今度! 君んちでごちそうになるよ!」
「ヒューッ!」
「絶対だよ! ライスさん、約束だよ!」
応援を浴びながらライスはさらに加速した。
「おいおいなんか食ってんぜ」
バックミラー越しに様子をうかがっていたトミカが勝ち誇った声をあげる。
トミカは、依然として『カレーさんチーム』の術中にはまっていることを知らない。
前方を横切ろうとする、トレーラーの頭が見えた。距離的に、加速してもすり抜けられそうにない。仕方なくトミカは速度を落とした。
「通り過ぎるのを待つか。さすがに徒歩に追いつかれはしねえだろ」
ところがトレーラーがなかなか通り過ぎない。というよりトレーラーの果てが見えない。列車のように、とてつもなく長い荷台を引っ張ったトレーラーが、慎重に慎重に横切っていくのだ。
「おい? オイオイ?」
ライスは走って追ってくる。
さらに増えていたファンの一人が何か放った。
「ライス! こいつを使ってくれよ!」
ライスはその何かをャンプして受け取ると、宙返りして空中でそれを装着した。ローラブレードだった。
「応援サンキュ!」
ライスは美しいフォームでそれを使いこなした。サメ狩りで訓練されたスプリント型の肉体にスケートの力が合わされば、一時的とはいえ車に勝る速度で走行可能。減速したフェアレディへ一気に迫る。当然ビキニに銃を携帯している。
「オイオイオイ、ウソだろ、ウソだろ!」
トレーラーの通行には数分はかかるだろう。
カーチェイスの最中に突如踏切が出現したようなものである。
このトレーラーが運んでいるのは、とてつもなく巨大な水槽である。強化ガラス越しに、恐ろしい大きさのサメの姿が見える。
今朝打ち上げられたばかりの、体長数十メートルにも及ぶ巨大ザメの死体が運ばれているのだ。
これこそゴッサムの策だった。
彼は街の空気を咀嚼反芻することで、トレーラーの走行ルート、速度、目的地までを割り出し、瞬時にそれが使えると判断。トレーラーとぶつかるルートへフェアレディを誘い出したのだ。
「
ゴッサムが急に野太い声になって、窓ガラスを素手でたたき割ったところまでは、トミカから見えなかった。
しかし、風通しのよくなった装甲車が路面に復帰したのはミラー越しに確認できた。
「もう復活しやがった!」
クラクションを鳴らすが、トレーラーはまだまだ通過しそうにない。水槽の中の死骸がようやくその全貌を見せた頃である。
左右に逃げ場はない。Uターンする時間もない。当然後ろからは銃を持ったスケートと装甲車が追ってくる。
トミカは、
「ぶち壊して抜けるしかねえ!」
フェアレディを加速させた。
巨大なトレーラーの姿がぐんぐん迫る。体当たりで押し切れる相手ではもちろんない。フェアレディがくぐり抜けられるほどの車高もない。
トミカは自棄になって玉砕するつもりなのか? そうではない。
「奥の手はまだまだあるぜ!」
叫ぶと、彼はスポーツカーには大抵ついているといわれる緊急回避ボタン、さらに攻撃ボタンBを拳で押した。
こんなこともあろうかと、車体の腹の部分に仕込んでおいた、スプリングが勢いよく飛び出した。スプリングが地面を蹴って、フェアレディはトビウオのようにジャンプした。
水槽のガラスが眼前に迫る。
それだけではない。あらかじめバンパーに空けられていた穴から2本、鉄の杭が飛び出した。圧縮空気で打ち出される杭の速度はシャコのパンチに匹敵する。
鋼鉄のシャコパンチが水槽を向こう側まで貫通する。
穴から、亀裂がガラス全体へ広がった。
「息止めてかがんでろよ!」
水圧で水槽が決壊するより早く、宙を舞うフェアレディが水中を突っ切っていった。サメの死骸すれすれを通り、水の壁をぶち抜いて、向こう側へ抜けていった。
「備えあれば憂いなしってね」
車がバウンドしながら着地した。
トミカはぶるっと頭を振り、さらに口のなかの生臭い水を吐き捨てた。そしてフェアレディを再スタートさせた。
ゴッサムは、フェアレディがジャンプして水槽を突き抜けるのを見た。
「マジ⁉」
装甲車にジャンプ機能はついていない。
「俺が行く!」
スケートのライスが叫んだ。彼ならトレーラーを乗り越えて追跡できる。フェアレディはジャンプの直後で大きくスピードダウンしている。タイヤやホイールにダメージを負っている可能性だってある。この短距離なら、銃の射程まで追いつけるかもしれなかった。
身をかがめて、さらに速度を上げ、ライスは追う。
そのときだった。トレーラーへビキニ姿の老婆が近づいていくのが見えた。やや痴呆気味の彼女は、かつて働いていた工場周辺を徘徊ルートにしているのだ。
しかし、もうろくしているとはいえミートバーグの住人。老婆は花束でいっぱいの買い物かごから、マシンガンをとりだすと、サメの死骸めがけて発砲しだした。
「サメがァアアアアッ」
「おばあちゃん⁉」
走りながらライスは必死で止める。
足腰が弱っているせいで、銃弾は酔っ払いの立ち小便のようにむちゃくちゃに飛んだ。サメどころかトレーラーや周囲の建物に着弾するしまつだった。
「サメがァアアアアッ」
「危ないからおばあちゃんやめて!」
結局、スピードを落としたライスが到着した頃には弾を撃ち尽くしていた。花まみれの老婆がつばを吐いた。
「へっサメがよッ」
「ああもう!」
ライスはフェアレディの方へ銃を向ける。ギリギリ射程内である。
そのとき、サメの死骸が弾けて、腹から生きている子ザメが飛び出してきた。サメの胎児が腹の中で生きていたのだ。
「あぶない、おばあちゃん!」
ライスはとっさに子ザメの方を撃った。任務を重視するならトミカの方を撃つべきだった。
フェアレディは見えなくなった。
疲労と落胆でライスはしゃがみこんだ。
徒歩でゴッサムが追いついてきた。彼は携帯端末片手に、隊長チームと連絡を取っている。
「済まん、逃がした」
「逃がしたそうです」ゴッサムは冷静に報告した。「しかし、賭けには勝ちました。ハンサムは『フカ州野橋』方面へ向かった模様。本当はここで決着をつける計画でしたけどね」
ライスが顔を上げた。
「そうか、この先は『フカ州野橋』か!」
「ええ、ヤツがそっちに行ってくれるかは運だったけどね!」
「勝ったな。案外おばあちゃんの銃撃が、ヤツを追いやってくれたのかもな」
「ええ。ライス。ナイス救助。ライスとナイスが若干掛かっているわ」
「爆笑必至」
二人が笑い合っていると、おばあちゃんが花を手に近づいてきて、その一本をライスの頭に飾った。
「おばあちゃんありがとう」
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