第18話 心臓のフランベ
「やっちまった、ぶっ壊した」
フェアレディを飛ばしながらトミカは何度目かの呟きを漏らした。
マックスへ近づくつもりで転校までしたというのに、当のマックスと敵対してしまった。
こんなことならハイスクールになど行かず、隠れて機会を探ったほうがよかった。例えば選挙の時期なら、選挙事務所の雑用なり、なんなら出前のアルバイトになりすましてでも、市長へ近づくチャンスはあった。それもマックスに顔を見られてしまった今ではぶち壊しだ。
市長は常にボディーガードを連れて歩き、家はサメ台風にも堪えるという。
計画を練り直す必要があった。
「ぶち壊しだ」
「ごめんなさい……」
後部座席でマツリ・バッファリンが詫びた。
「いや、お前に言ったんじゃない。こっちの問題だ」
「ありがとう。でも、やっぱり学校に戻って説得しようと思って。クイントが怪我をさせたことは確かだし……」
「向こうはお前のこと気にしてる場合じゃないと思うぜ」
「どういう意味?」
「こっちの話。しかしマックスがあんなクソ野郎だったとはな」
ほんの少しにしろ、何かを期待した自分にトミカは苛ついていた。
マックス・パーンとは腹違いの兄弟になる。
トミカは父、ジミー・パーンを殺すために来た。マックスの存在は少なからず気にはなっていた。
「まあ……これで気兼ねなくやれるってもんだぜ。そこのところは収穫だったとポジティブに考えるか」
「何の話?」
「単に俺の気分の問題さ」
マツリは不思議そうな顔をしたが、分からないなりにマックスについて弁明した。
「昔は一緒にお風呂に入ったりして仲が良かったのに、どうしてあんなことになったのかな。ほんとうは優しい男の子だと思うんだけど……」
「親父の血が腐ってるのさ……今なんて言った?」
「お風呂の話は人に言わないでね」
「ヤツの家と付き合いがあるのか? 昔から?」
「お父さん同士が友達だったから」
初めはたんなる同情だったが、マツリの重要度が一気に増した。
彼女の親を通せば市長の隙を突けるに違いない。
マツリを利用してジミーを殺し、あらかじめ計画していたルートでミートバーグから脱出する。そして。
そこまで考えてトミカは考えに詰まってしまった。
爆発音が響いたのはこの時だった。車体が揺れた。かなり近くだった。
目の見えないマツリが不安そうな声を上げ、犬のクイントが吠えた。
「何?」
「大丈夫だ。この車に何かあったわけじゃない」
車を路肩へ寄せて辺りを見渡すと、すぐ近くの市場の方角から煙が上がっている。さらに立て続けの花火の音。
「火事か。ちょっと変な音だな」
皆が停車して様子をうかがったので、道はにわかに混雑した。色のついた煙が風に乗って流れてくる。
「この音、この臭い……花火屋さんの方かもしれない。大変」
「ひとつ向こうの通りか。この距離は大丈夫だ。犬を落ち着かせてくれ。シートに漏らされたらかなわない」
「ごめんなさい、ここで下りるね。花火屋さんの家なら、同じ学校の子のお家だから」
「行ってできることなんかねえよ」
「でも何か少しでも……」
「おいおいおい……」
押し問答をしているうちに、拳銃の発砲音まで響いてきた。立て続けの炸裂音で、聞き違いではなさそうだ。
「花火じゃ……ねえな――おい伏せてろ」
トミカはマツリをかばいながら車の影へ避難した。
周囲が銃を抜いて騒ぎ始めた。
「サメか!」
「サメだな!」
「なんでだよ」とトミカだけが言った。
「たしかにサメが出たのかも」とマツリも言った。
「……なんで?」
マツリたちは本気で言っているし、実際サメが出ていた。しかも銃撃の気配は近づいてくる。群衆の怒声が一緒に聞こえ、だんだん聞き取れるようになってきた。
「殺せッ」
「殺せッ」
「笑ってみろ化物ォーッ!」
撃ちながら何かを追っているようだった。車を停めたのは、緩やかな下り坂だったから、追われている人影が見通せた。
「オイオイ撃ってるぜ、人か?」
「サメに決まってるだろ!」
「オイオイ近づいてくるわ」
何台かの車が、無理矢理Uターンして走り去った。残りの人々は車を捨てて逃げていった。
遠目だが、トミカの目には確かに人に見えた。血まみれの男が足を引きずって歩いてくる。
一瞬、男の頭部が牙をむいた魚類に見えた気がした。しかし改めて目をこらすと、血まみれなだけで人の輪郭をしていた。見間違いだったのだろうか。
だが、それはつまり人が撃たれているということである。トミカとしては無論関わり合いになりたくなかった。
追われている人物が何か叫んだようだった。
「おいおい、どういう状況だよ。テロリストかなんかが追われてるのか?」
「でも、泣いてるように聞こえる」
マツリがそう言って、車の影から這い出そうとした。慌てて留めるが、マツリは意外な力と強情さで抵抗した。
「バカ! お前が行ってどうするつもりだよ」
「でも分かるから。あんなふうに泣いたことがあるから」
「分かんねえよ! 畜生、なんでこう上手くいかないんだ! みんなが俺の邪魔をする。俺は俺で行き止まりばかり選ぶ。計画が終わってからにしてくれよ、そういうのは。復讐さえ終われば、何だってやってやるよ。全部終われば、その後には俺は――」
そのとき、群衆の銃撃がやんで、ミートバーグの空に血まみれの叫びが響き渡った。
「どこに行けばいい? どこに行けば生きていていいんだ」
まるで自分の心臓が鳴ったみたいに、はっきり聞こえた。
名前も知らない血まみれの男が、未来の自分に見えた。
「畜生……ッ乗れよマツリ!」
「はい!」
トミカはフェアレディを急発進させた。
乗り捨てられた車をすべて躱し、走りながらドアを開けた。
「ぶち壊しだ、ぶち壊し。ぶち壊して向こう側まで突き抜けてやる」
自分でもよく分からないことを叫びながら、トミカはアクセルを踏みこんだ。
いっそ清々しいような気持ちだった。
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