第17話 I AM IT ―おれは、それ―


 母、ジーン・アルゴンはトミカを怖れた。

 正確には、息子が大人の男になっていくのを怖れた。


 息子の部屋で、女優のピンナップを見つけたとする。

 ジーンはトミカへ折檻を加えたりはしない。

 まず嘔吐し、バスルームに閉じ籠もって仕事を無断欠勤する。

 少なくとも二日はバスルールから出てこず、食事を与えても吐き出すし、排泄もバスタブの中でする。

 母が休むたび職場から電話がかかってくるので、トミカは電話の音が嫌いになった。

 母はこうした病気の理由を明かさなかった。

 死んだ、と伝えられていた父親が、原因なのではないか、とトミカは考えたが、訊けなかった。


 もっとも辛いのは、母がそうした自分の行為を心から恥じていることだった。


 自分の性欲が母を苦しめている。そう思うと不満を言うどころか、病気の原因を尋ねることさえ、ためらわれた。反抗期も逃した。

 母親が吐くたび、羞恥心と罪悪感に襲われ、ついには性的なコンテンツにふれるだけで、吐瀉物の幻臭に襲われるようになった。

 自然、恋愛事とも、男友達の馬鹿話からも遠ざかるようになる。

 孤独な時間をトミカはカラテの稽古と車いじりで過ごした。


 彼が16歳の時、つまりミートバーグに引っ越してくる半年前のことだったが、母親が自殺した。

 母に恋人がいたことを、葬儀の時になって知った。

 母が恋人との肉体関係を結べず、病んでいったことは容易に想像できた。外では恋人に吐き気を催し、家に帰れば思春期のトミカが待っている。

 愛情と自己嫌悪の狭間ですり切れた末の自殺だった。

 母親はなぜそうまで性を怖れるようになってしまったのだろう。その原因をトミカは初めて真剣に調査した。

 母のかかっていたカウンセラーを見つけ出し、問いただした。断られたので、病院に侵入し記録を盗み見た。

 父が原因だった。

 父は生きていたのだ。

 母はミートバーグの生まれだった。

 彼女は18歳の誕生日、ある男にレイプされていた。そのため心を病んでミートバーグを離れたのだ。

 その翌年に生まれたのがトミカだった。

 母は、息子がレイプした男に似てくるのを恐れた。

 母にとって、トミカはミートバーグの悪夢そのものだった。

 母の腹を食い破って生まれてきた、レイプ犯の性器。それがトミカだった。

 自分が生きている。そのこと自体が母の人生の汚辱だった。

 そしてすべての元凶が、自分の父。

 母をレイプした父の名はジミー・パーン。

 ミートバーグの市長である。



 父を殺し、母の仇をとる。それがミートバーグへ来た理由だった。

 そして今、ジミー・パーンから生まれたもう一人の生殖器が、取り巻きたちを使って、一人の女を襲わせようとしている。

 『ヒラヒラビキニ』はぬいぐるみを握りしめたまま、うつむいている。

 犬に噛まれた『大胸筋』が悲鳴を上げる。

 マックスが銃を取り出す。

 『ヒラヒラビキニ』が意を決したように、一歩足を踏み出した。しかし、それ以上は震えて動けないようだった。

 トミカは彼女を押しのけるとマックスへ近づいていった。

 マツリは犬を連れて逃げていったようだった。だが、そんなことは関係なかった。

 仇をとるためには、マックスと敵対すべきではない。だが、そんな分別は今のトミカに残っていなかった。


「ん? なんだこいつ」

「オイオイ服着てんぜ。ちょっと止まれ」


 騒いでいた取り巻きたちが、ようやくトミカに気づいた。

 彼らをすり抜け、トミカはマックスの正面に立った。二人のエメラルド色の瞳が向かい合った。


「なんだ、お前? 俺の進路を塞いでるんじゃないぞ。お家へ帰るんだな。俺を誰だと思ってる」


 マックスはトミカを無視して、犬を撃とうとした。そのときトミカが呟いた。


「俺は」

「あ?」

「俺は――チンポだった……」

「えッ?」

「――チンポだったッ!」


 トミカの正拳突きがマックスの顔面へめりこんだ。彼は水平に飛んで窓ガラスを突き破った。


「マックス⁉ お前なにして――」

「チンポ!」


 『靴下』の顔面にトミカの正拳突きがめりこんだ。彼は放り投げられたバットみたいに回転して、窓ガラスを突き破った。


「俺ッ俺は……チンポだったんだ……」

「こいつ……泣いてる……!」

「えぇ……」


 女たちも身を震わせた。

 トミカは歯を食いしばって号泣していた。


「俺は……チンポ……」


 そう言いながら歩いて行って、座りこんでいた『シコッティ』を無造作に殴った。『シコッティ』はネズミ花火のようにあちこちぶつかりながら飛んで窓ガラスを突き破った。


「シコッティー! ストップ、ストップ! 俺らはただ犬に噛まれたから――」

「チンポッ!」


 『大胸筋』も窓ガラスをぶち抜いた。

 ガラスを踏んで追って、トミカは『大胸筋』を掴み起こした。


「ひいいいいッ!」

「どこを噛まれたって?」

「え? え? ここ――」

「チンポ!」


 もう一度『大胸筋』は窓ガラスへ飛んだ。ガラスが刺さって彼は血まみれになった。


「どこだって?」

「分からないですぅ」

「チンポ!」


 さらにもう一枚ガラスを突き破ると『大胸筋』は素直になった。


「どこ噛まれたって?」

「どこも、どこも噛まれてないです……自分でガラスに突っこみましたぁ」

「初めからそう言やいいんだよ」


 残った女たちがわめいた。


「ちょっと待ってよ! なんでこんなことするのよ!」

「ないわ~ないから~そういうの」

「マックスのチンポに訊くんだな」

「え? マックスが? マックスのチンポがあなたに? え?」

「なにそれ、エモくない? ひゃあああ!」


 二人の女へバケツの雨水をぶっかけてから、トミカはその場を後にした。

 立ち去る前に『ヒラヒラビキニ』の女生徒へお別れを言った。


「巻きこまれたくなかったら、さっさとここを離れるんだな。俺も逃げる」




 パン屋へ戻りフェアレディに乗りこんだ。

 マックスに面と向かって事を構えた以上、計画は絶望的になった。それどころか警察に追われることになるかもしれない。


「やっちまった……」


 旧市街を走行していると、マツリの途方に暮れた背中を見つけた。彼女はときどき立ち止まってクイントを撫でていた。

 交差点の信号が変わって、盲導犬が促しても彼女は動こうとしなかった。

 彼女が最後に放った言葉は、トミカにも聞こえていた。


『どこに行けばいい? どこにいれば生きていていいの?』


 トミカはマツリの横で車を止めた。


「どこだろうな。俺だってわからないさ」

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